第88話 決戦、魔王エルム

 魔王の間への扉の前で一泊したわしら。

 ボスの目と鼻の先でビバークとは、わしもなかなか肝が据わってきたな。心強い仲間がいるからこそ勇気も奮い立つというものなのだろうが。

 各々装備を確認すると、心を決めたような真剣な顔をしてわしを見た。


「……皆、準備は良いか?」

「ああ、一晩寝てすっきりしたぜ」

「ぬかりありませんわ」

「いよいよだね。気を引き締めていこう」

「いまなら新術も編み出せる気がするくらい絶好調だよ、オジサン!」


 覇気のみなぎる皆の顔を順繰り眺め、心配はいらないなと頷きをもって答える。

 ふと皆の後ろで、どこか不安げに表情を曇らせているリリムの姿を認めた。


「リリムよ、心配か?」

「別に。ただちょっと複雑な気持ちなだけ」

「どうであれ、わしはお前さんも全力で守るから安心しているのだ」


 力なき女子を守るのもわしの仕事だ。

 それ以上は語るまいと背を向け、「では、開けるぞ――」取っ手を握り扉を向こうへ押した。ギギギギーと低い音を響かせながら開いた重い扉から、わしは女子たちを引き連れて縦長の広い部屋へと進入する。

 光沢のある石床を踏み部屋の中ほどまでやってくると、ひじ掛けに肘をついて玉座に座っていた魔王が、おもむろにサイドテーブルに置かれていた黒い杖を手にした。


「ようやく来たか、グズめ」


 言って柄尻を床に打ち付けると、カン――と澄んだ音が室内に響く。

 老人であればその仕草もずいぶんと様になっていたのだろうが、目の前にいるのは青年だ。威厳の欠片も感じられない。

 わしは「ふん」と軽く鼻であしらってから口を開いた。


「まるで待っていたような口振りだな。わしらに倒されることを心待ちにでもしていたのか?」

「寝言は寝て言え。俺が貴様らに倒されるわけがないだろ。勇者を潰すその時を待っていたんだ。まあ、見るからに弱そうな貴様を倒したところで大した愉悦は得られないだろうがな」


 その言葉はそっくりそのまま返してやりたい。

 しかし、そんなことよりもわしは魔王の言葉のある部分に引っ掛かりを覚えた。


「そういえば。以前魔泉では『吾輩』と言っていた気もするが。いつから俺になったのだ?」

「あの時はああした方が箔がつくと思ったからそうしていたんだ。頭から舐められても癪だからな」

「お前の頭など舐めたくもないが……」

「そういう意味で言ったんじゃない。いちいち面倒くさいデブめ」


 辟易したように顔をしかめると、魔王は重い腰を上げて立ち上がる。「ん?」とわしらの後ろに控える娘に気付いたのか、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


「リリム、まさかお前がこの場にいるとは好都合だ。これでこいつらを挟み撃ちに出来る――」

「出来るわけないじゃない、魔力奪われてるのに。手伝って欲しいなら魔力返して」


 食い気味に魔王の言葉を否定しつつ強請るように手を差し出すリリム。

 魔王に目を向けると、ツツーと額から汗を流して渋面を浮かべていた。


「そいつは無理だ。もう俺の力の一部になってる」

「じゃあさよならだね。それに私、このおじさまに付いてくって約束しちゃったから。ごめんね、まおーさま」


 あっさりとした別れの言葉に、魔王は傷心を隠しもしない情けなさで眉を垂れていた。意外と脆いのか? 絵本の中の魔王は犠牲を厭わないような強大な存在であるのに……。なんて思いがけない物珍しさから関心を抱いていると、怒りに細められた魔王の双眸がわしを射抜いた。


「貴様が篭絡したのかスケベメタボが!」

「失礼なことを言うな。どうせお前はわしらが倒すのだ。その後のことを慮って保護することにしたまでのこと。非難される覚えはない!」


 きっぱりとそう断言してやると、魔王はこめかみに青筋を浮かべて杖を強く握りしめる。まるで怒りに反応するように黒のオーラが体を取り巻き、魔力が充実していくのが見て取れた。


「奴さん、とうとう怒っちまったな」

「自分で蒔いた種なのに……これじゃあ逆ギレもいいところじゃない」

「理不尽だけど仕方ないよ。魔王ってそういうものなんだろうし」

「でもさ、天下分け目の戦い、分水嶺ってなんか燃えるよねー」


 さして緊迫した様子もない女子たち。各人広がり、それぞれが油断なく構える。

 わしは背後のリリムに首だけで振り返った。


「お前さんは入口付近で待っているのだ。なあに心配はいらん。魔王なぞ、わしらがけちょんけちょんにしてやるからな!」

「頑張ってね」


 声援にニッと笑って見せ、わしは女子たちの前へ歩み出た。

 ロクサリウムの超硬魔金の魔法盾アダマス、そして白透明の魔法剣ブランフェイムを手に半身を開いて構える。


「くはは! やる気だけは十分だな勘違いメタボ。いいだろう、こうなったらこの場にいる全員に死をくれてやるッ!」

「果たしてそう上手くいくかな。エリオなどという弱そうな名の輩に負けるわしではない!」

「弱くはない。それにエリオじゃなく、エルムだッ!!」

「来るぞ!」


 激昂と同時、杖を振りかざそうとした一瞬の挙動を見逃さなかったライアが叫んだその時――。

 魔王の体を取り巻いていた黒いオーラが膨れ上がり、「イーヴィルソーン!」雲を個体にして引き伸ばしたような歪な槍が、四方八方へ高速で無数に伸びてきた。


「いきなり遠距離かよ、めんどくせえ!」


 吐き捨てながら童子切を抜き放ち、迫りくる黒い槍を鋭い斬撃で次々に刻んでいくライア。決して押されることなく徐々に魔王との距離を詰めていく。


「まさか先制を取られるなんて、屈辱的だわッ」


 華麗なステップで避けながら、ボボボッと音の鳴る拳撃を打ち込み破壊しまくるソフィア。こちらも少しずつ間合いを詰めるところはさすがの一言だ。


「わっ、危なっ――」


 槍の迫る速度が予想以上だったのか、避けることに精一杯で詠唱もコメットブランチを振ることすら出来ないでいたクロエの元に、わしは急行する。

 クロエの前に立ち、盾で往なしては剣で横から斬り付けて槍をへし折る。


「ありがとう、勇者さん」

「なに、礼などいらんよ。ロクサリウムの宝具で盾として役に立ててわしも嬉しいのだ。まるで王女を護る騎士のようではないかっ! と、そんなことより、いまの内に詠唱を」

「うん!」


 クロエが詠唱に入ったのを見届け、背に庇いながらわしは槍を破壊し続ける。

 ふと楓とリリムが気になり目を向けると、入口付近には天井まで届くほど大きい狐の顔をした黒い壁が聳えていた。見慣れた茶色の土壁ではない、黒い鉄の壁だ。

 固さを増しているのか、黒い槍は刺さることなく砕け散っている。

 少し離れたところに目をやると、まるで舞うような楓の動きに銀の剣閃が追随していた。忍刀で細切れにされた黒い物体は、墨の桜吹雪みたいに散っている。


「楓、あの壁はどうしたのだ?」

「あれ? 狐面防壁・黒鉄だよー。この城の黒い扉を参考にして改良してみたんだけど、上手くいったみたいでよかった。今までのよりも強度五倍だから、生半可な攻撃は防げるよ。効果時間も多少長いしねー。だからリリムちゃんはアタシにまかせて、オジサンはクロエちゃんを守ってあげて」

「ピンチの時は駆けつけるぞっ!」

「ありがとっ」


 戦闘中だというのにウインクなど飛ばしてくる楓。

 洞窟では少し悩んだりもしていたが、楓もちゃんと成長しているのだ。なにせ伊賀の上忍の娘ということだからな。素質は十二分に持ち合わせているということだろう。一歩踏み出すどころか、もしかしたら一歩、すでに踏み越えているのかもしれん。


「はははは! だが防戦一方じゃないか。守ってるばかりじゃ俺は倒せないぞ。勇者なんだろ? さっさと手の一つや二つ出してみたらどうだノロマ!」

「うるさい! 腹が重くて敏捷性がないのだ、外見で理解せんか馬鹿者!」


 そう反論するわしに、「だろうな!」と言って嘲るように哄笑する魔王。

 ぐぬぬ、と悔しさから唸っていたら、背後から小さく「準備できたよ、勇者さん」とクロエの声が聞こえた。

 わしはニタリと口端を上げ、盾で槍を押し戻しながら剣で斬り付け破壊しつつ、クロエから少しばかり距離を取る。直線的な動きしかしない槍のため、射線上を守っていればクロエに当たることはないのだ。

 わしが動いたことに「ん?」と片眉を上げて訝しむ魔王。その視線の先に現れたのだろうクロエを認めると、次には「なに!?」と驚愕を顔に貼り付けた。


「――オルティスフレア!」


 すかさずクロエが魔法名を呟くと、魔王の頭上に赤黒い球体が出現した。それはドン! ドン! ドン! と三段階に膨れ上がり、黒く対流していた部分が模様を成してドクロとなって魔王を見下ろす。

「くそっ!」と吐き捨て黒い槍の魔法を解除した魔王は、咄嗟に自身を魔法のヴェールで覆う。

 その時。炎の球が急にぶるぶると震え出しドクロが嗤うように口角を上げた瞬間――突然発光し爆発を起こした。赤黒い炎が螺旋となって爆風とともに吹き荒れ、魔王の居た場所を中心に激しく燃え盛る。室内を考慮してか規模的にはあまり大したことはないが、その威力は目を見張るものがあった。

 魔王が座っていた玉座とサイドテーブル、壁に飾られていたタペストリーなどが見るも無残に焼失していたのだ。

 が、どうやら魔王にはさほどダメージはなさそうで。と思いきや、黒く煙るヴェールを払うと、「ゴホゴホ」とむせ込み苦悶の表情で「――いってぇ」と呟いた。


「あんな小さな球でこの威力だと? なんて力だ、ただの人間じゃないな!」

「――聞いて驚くなよ。クロエはロクサリウムの王女なんだ、ぜッ!」


 隙を付いて飛び出していたのはライアだった。

 跳躍と同時に童子切を振り上げ、落下の速度を乗せた斬撃を見舞う。

「くっ――」白刃に向け咄嗟に腕をかざした魔王はその手の平から黒い稲妻を放出し、寸でのところで刃を止めた。


「なかなか、強いじゃねえかよ」

「貴様ら人間などに魔王である俺が後れを取るはずがないだろ」


 まるで鍔競り合うように押しては戻される刀。

 と、さらに勢いを増した雷撃に危険を感じたか、ライアは押し返される反動を利用して跳ねバックステップで距離を取る。


「……しかしそうか、ロクサリウムの王女だったか。魔物を送り込んでおいたのにこのザマとは」

「魔物だと? もしかしてそれは湖の主のことか」

「そうだ。いまにして思えば、湖に放っても陸を移動できなければ王都までいけなかったな。所詮は魚類か……」


 顎に手を添え思案顔をする魔王を余所に、わしらは寄り集まってひそひそ話に興じる。

「やっぱあいつ真正の馬鹿だよな?」「いまさら確認するまでもないわ」「海に飛び込むくらいの覚悟で旅に出たのに。こんなのに脅威を感じていたなんて……」「クロエちゃん、それただの海水浴だよ」

 思う所は様々だろう。だがわしもこれほど頭が悪いとは思わなかったな。都は陸上にあるのに湖でしか生息出来ん魔物を送り込むとは……もはや憐れに思えてくる。


「しかし、弱いだろうと高を括っていたが、実力は結構なものだぞ」

「そこなんだよな。ギャップでも狙ってんのか?」

「あの様子だと、まだ実力を発揮してなさそうよね」

「それはわたしたちも同じだけどね」

「んじゃ、力比べと行きますかー」


 言うが早いか、いままでに見たことのない印を素早く結んだ楓。

 突然体を逆巻く爆炎が包み込んだため、わしらはそろって楓から飛び退いた。ただ移動するだけでなく、各々が次の行動を考慮して放射状に点在する形での位置取りをしている。そういうわしも、そうだったり?

 ぶつぶつと嘆きを口にしていた魔王はハッと気づいたように顔を上げ、楓から発せられる熱波に不敵にも口端を吊り上げた。


「また火炎か。だが術とは面白い!」

「なんなら撃ち合ってみる? ――火遁、紅蓮火竜砲!」

「――ダグルフレイム!」


 楓の挑発に乗った魔王は杖先を向けると、そこから渦巻く黒炎を放った。

 楓の火遁は突風に後押しされるような烈しさで、まるで竜の吐くブレスのように火勢を増しながら黒炎にぶつかる。瞬間、赤と黒の炎が互いに食い潰すように侵食し合う。ちょうど真ん中で押し引きを繰り返し拮抗しながらも、やがて双方ともに力を失い掻き消えた。

 魔王はそれを見て信じられないと言った様子で目を瞠っている。


「互角、だと……」

「勝てなかったかぁ。新術なんだけどなー」


 肩を落とす楓に寄り、わしはその努力を称えてやるために肩を叩いてやった。


「魔王相手に互角なのだ。楓よ、胸を張るといい」

「オジサン……うん、そだね。こんなことで落ち込んでなんていられないもんね」

「そうだぜお二人さん。まだ戦闘中だ、気を抜くなよ」

「勇者様、そろそろ攻勢に出る頃合いですわ」

「そうだな。よし、では行くか! クロエと楓は援護を頼むぞ、前衛はわしらに任せるのだ!」


 了解する言葉を背に受け、わしは先駆けたライアとソフィア両名に続く。

 ライアを追い越し先行したのはやはりソフィアだ。

「ちょこざいな!」と駆けるソフィアへ手を向けると魔王は魔法陣を展開し、「これでもくらえ! プラディルヘイル!」無数の黒い鏃を鉄砲玉のように射出した。

「――シャドウサーバント!」背後からクロエの魔法が唱えられると、ソフィアの影から黒い人型が現出する。それはソフィアと同じ形をしており、彼女のすぐ前を走っては障害となる鏃をその身で一手に引き受ける。どうやらダメージが一定量を超えると消滅するようで、影は煙となって掻き消えた。

 しかし排除しきれずに残った鏃は高速で飛弾し、いくつかがソフィアの腕や脚を掠める。服が破れ、露出した皮膚が切れていた。


「痛っ……でも、この程度で止まってなんていられないわ! ――武王螺旋衝ッ!」


 助走をつけて思いっきり跳躍し、黄金のオーラを螺旋に巻きつけた右拳を魔王の胸元へ叩き付ける! オーラは激烈な衝撃波となって奥の壁まで魔王をふっ飛ばした。錐揉みしながら背を強かに打ち付けた魔王は「グハッ」と苦悶の声を洩らす。

 血を吐くほどの一撃ではあったものの、魔王にそのような兆候は見られない……。


「――危ない。物理軽減の魔法が間に合ってなかったら、今頃マズかったな。クソめ」


 どうやらそういうことらしい。詠唱しているようにも見えなかったため、なかなか厄介だな。魔王の名は伊達ではないということか。エルムのくせに……。


「――おっさん、あたしに続け!」


 呼ばれた声に振り向くと、納刀状態のままライアが赤絨毯の左側を駆けていた。くいと顎で反対を示したことから、左右からの挟み撃ちをしようということだろうと理解する。わしは急いで右側へと駆け出す。

 足を踏み出す度に駆ける速度を増していくライア。目標との距離およそ五メートル。床を強く蹴り天井付近まで高く跳ね上がると、まず抜刀し剣閃を飛ばした。

 そのまま上段へ刀を振り上げ「――刻め、咲花白桜刃さっかはくおうじんッ!」今度は縦に音速で一閃し最初の剣閃にぶつける。すると十字に刻まれた瞬間に閃が弾け、バラバラとなった無数の薄桜の刃が魔王を取り囲む。標的を定めるよう一斉に切っ先が向き、瞬く間に魔王へ降り注いだ。


「いまだおっさん!」

「うむ! ゆくぞ、フルパワーワルドストラッシュだぁああ!」


 逆手に持った剣を振り抜き、わしは溜めに溜めた力をブランフェイムから解き放った。

 極太の光刃は重く強かに魔王へ直撃し爆散すると同時、なんとライアの放った咲花白桜刃もつられるようにして次々と誘爆したのだ。


「こいつは一体……」

「へへっ。たまにはおっさんとの連携技なんかもいいかなと思ってさ。ストラッシュに合うように編み出したんだ。もちろん単品でも使える技ではあるけどな」

「そうだったのか。なんとも泣かせる話ではないか!」


 初めての共同作業、というやつだな。教会の鐘の音がいまにも聞こえてきそうな響きだ。


「でも、ブレイク叩き込みに行かなくてよかったぜ。爆発に巻き込まれて、もしかしたらおっさん死んじまうところだったかもだしな」

「わしは死なんぞ、お前さんたちとハーレム城で住まわなければならんからな」

「そういう話は魔王を倒してからにしろよ、ったく」

「いや、もう倒しただろう。なにせエルムだぞ? あの爆発で生きているわけがな――」

「あの程度で倒せるとでも思ってるのか? ゴミめ」


 濛々と上がる煙の中。声が聞こえ、そして――黒いオーラが人を模ったシルエットとなって浮かび上がってきた。その周囲をパリパリと稲妻も走っている。


「まさか人間がこれほどまで力を付けるとは思ってもみなかった。侮っていたことは詫びてやる」


 バフン! と一気に煙を吹き飛ばすと、中から現れた魔王の体にかなりの魔力が集まっていることに気付く。

 ただならぬ様相に警戒心を強めたわしらは、魔王から少し距離を取って固まった。もちろん先頭はわし。アダマスを油断なくどっしりと構える。


「だが遊びもこれで終わりだ。ちょろちょろと目障りなゴキブリどもめ。消し炭となって散れ!」

「――ディヴァインベール!」

「ゾーダレスペリオームッ!」


 魔王が魔法を唱えるよりも先に、クロエが場にいる全員へ光のヴェールを撒いた。どうやら全属性を軽減する強力なシェルのようだ。

 やわらかな光に包まれた刹那――魔王を中心に放射状に広がる闇の炎が吹き荒れた。轟という風の中に混じる『オォオオオオ』という音は死者の悲痛な叫びのようにも聞こえ、力を奪われるような感覚さえする。

 しかしそれはわしの勘違いなどではなく。


「なんだ、これ。力が抜ける……だと?」

「しかもこれ、クロエのヴェールがあまり役に立ってないような……熱いわよ……ッ」

「こ、これは怨嗟の呪炎……ッ。古の魔道書エンシェントブックで読んだことがある。失われた禁術の一つだって。……死者の怨恨を炎に変える暗黒魔法だよ。まさか魔王が使えるなんて」

「あつ熱い! ど、どうすんのこれ? まずくないっ? とりあえずアタシも黒鉄使っとくよ!」


 焦りながらも手早く印を結び、楓は再び巨大な防壁を作り上げた。のだが、大して持たずに壁はぐずぐずと崩れてしまった。

「なんでっ?!」疑問を強く声に出したが、その楓も徐々に力を奪われて床にへたり込む。

 膝を付き、荒い呼吸を繰り返す女子たち。このままでは全滅は免れない!

 危機的状況にある中で、わしはふと気づいた。自分だけ力の減衰をあまり感じていないことに。そして見てみれば、アダマスが今までにないくらい力強く発光していたのだ。闇の中、一条の希望が差し込むように。

「まさかこの盾は……」呟き、そこでふと思い出す。ロクサリウムの宝物庫、そのアダマスの説明に『周囲に結界のような形で魔法のフィールドが張れる』と書いてあったことを。

 そうと分かれば――

 わしはアダマスを信じ、いまこそ叫んだ。


「アダマスの盾よ! 皆を護るためにその力を貸せいッ!!」


 その想いに応えるように円盾はより一層輝きを増し、わしを中心として目の眩むような光の柱が立ち上る。そして円の直径を広げていき少しずつ闇の炎を押し出して――やがてわしの後ろを完全にカバーするほどの結界と化した。これならリリムも安全だろう。


「馬鹿なッ! 俺の暗黒魔法が利かないだと!?」

「利いてはいた。だが、わしにはさほど効果がなかったというだけのことだ!」

「ふざけるなよ、俺は魔王だぞッ!」

「わしは勇者だ。お前を倒して世界に平和をもたらす者、女神に選ばれし勇者なのだッ!」


 力強く叫ぶ。呼応するようにアダマスが輝く。

 光の波動が迸り、一気に闇の炎を吹き飛ばした。

 すかさずわしは剣を掲げ、「くらえい! これが勇者の雷だッ――ワル、デイン!」振り下ろすと同時に唱える。

 天井付近に召喚された聖なる雷が魔王に向かって降り注ぐ。

 それが直撃し「ぐぅああああ!」バリバリっと体を駆け巡る雷に悶絶する魔王。ぶすぶすと煙を上げるローブが焼け落ち、上半身裸の黒いレザーパンツ姿が露わになる。真白い肌は煤で汚れ、みすぼらしい風貌に成り変わった。

 痺れが残るのか、魔王は手にしていた杖を取り落とす。


「くく、俺がこんな姿を晒すことになるとはな……。勇者の雷か……なるほど、こいつは厄介だ」

「覚悟は出来ているか?」

「覚悟だと? それはこっちの台詞だメタボ野郎。貴様一人でなにが出来る? 守ることしか基本脳のない貴様がッ」

「わし一人ではない。皆がいるだろう」

「馬鹿めが、後ろを見てみろ」


 嘲笑する魔王にそう言われ、背後を振り返ってみる。そこには、力なくぐったりと倒れる女子たちの姿があった。


「皆、ど、どうしたというのだっ?」

「貴様がもう少し早く盾を使っていれば、こんなことにはならなかっただろうに。まあ、おかげで俺はずいぶんMPを回復させてもらったがな」

「まさかあの炎は――」

「その通りだ。力を奪い焼くと同時に相手のMPを吸い取る魔法。そこに転がる奴らは起き上がることすら出来まい」


「おっさん……」「勇者様……」「勇者さん……」「オジサン……」辛そうな吐息に乗せて口々にわしを呼ぶ女子たち。肘を立てることもままならないようで見ていて辛い。

 皆がいてくれたからこそ、わしはここまで旅をすることが出来た。

 皆がいてくれるから、わしは魔王とも戦える。

 その女子たちが皆、いまは身動きが出来ない。わし一人で、果たして魔王を倒すことが出来るのか。

 ストラッシュ、そしてワルデインを一発ずつ使っているため、残るはストラッシュで三発分。

 確実に当てるには近づかなくてはならないだろう。しかしわしにその間合いを詰められるか……。女子たちを守りながら、それをやれるのか。

 皆が動けないことで、そんな後ろ向きなことばかりが頭の中を駆け巡る。

 しかし、「否ッ!」わしは強く頭を振って弱気の虫を振り払った。

 やれるのか、ではない。やるのだと!


「……先ほど、お前は覚悟をわしに問うたな。こちらの台詞だと言って」

「それがどうした。もしかして出来たのか? 死ぬ覚悟が」

「命を賭しても皆を守る覚悟なら、当の昔から出来ておる。女子たちと出会った、その時々にな」

「くせえ。メタボで臭くてどうしようもないな。もういい、貴様の顔は見飽きた。そろそろ死ね」


 ブゥウウン――と回復したMPを全消費するような膨大な魔力が魔王に集まる。その一撃で終わらせるつもりだろう。リリムごと消し去ろうとしていることもありありと窺える。

 床材がパラパラとはがれては浮き上がり、結界のように覆う黒い魔王の魔力にぶつかり消滅する。相当な力だ。

 皆が動けない以上、わしがどうにかするしかない。

 先ほどついでにもう一つ思い出したことを出来るのかと自問し、ブランフェイムに目を落とす。いまのところ効果的に魔王へダメージを与えられた、ワルデインの威力に耐えられるのかと。

 どの道出来なければ死ぬだけだ。やらないよりはやって死んだ方が後悔なくて済むだろう。唯一、女子を守れなかった時はそれだけが悔いとなるが。

 わしは愛剣の柄を強く握りしめた。『お前ならきっと出来る。勇者が手にする剣なのだぞ、やってやれないわけがない。そうだろう?』心の中で語りかける。

 すると意思でもあるのか、想いに応えるかのように一瞬だけ刀身が煌いた気がした。

 勝手に頼もしさを得、わしは知らず口元に微笑を刻む。


「なにを笑ってる、気持ち悪い。死を前にして気でも狂ったか?」

「なに、こちらの話だ、気にするな――ワルデイン!」


 逆手に持った剣を天井に掲げ、聖なる雷を刃へ落とす。すると、白透明の両刃の刀身から光輝くオーラが爆発的に噴き出した。

 ――これならッ!


「この期に及んでもまだ悪足掻きか。諦めの悪いデブほど質の悪いものはないな。だが、勇者の名はお飾りじゃないことを認めてやろう。貴様の名は……」


 問われ、キッと強く睨み付けながら厳然と告げる。


「ワルド、勇者ワルドだ」

「勇者ワルド、か。いかにも悪そうな名前だ。忘れるだろうがなるべく覚えておいてやる――ッ」

「エルムよ、わしの思い出となれ――ッ」


 魔王が両腕を脇へ広げた。途轍もない魔力がいまにも開放されようとしている。

 わしが狙うのは技の直撃だ。確実に当てられるところまで近づかなくてはならない。しくじることは、許されない!


「ゼデュール・ギルヘイムッ!!」


 魔法名とともに放たれた魔法。一瞬で部屋を暗黒の瘴気が覆いつくす。

 火山雷のような黒い火炎と稲妻が暴風とともに猛威を振るい、アダマスの盾でなかったら一瞬で消し炭にされていただろうことは想像に難くない。

 しかしその名盾をもってしても魔王の魔法は荷が重く、一歩踏み出す度に吹っ飛ばされんばかりの抵抗を感じる。

 このままでは背後に庇う女子たちに被害が及ぶのも時間の問題だ。

 わしは少考した末、賭けに出ることにした。


「くっ――アダマスよ! いま一度お前の力を貸してくれ! 女子たちを護る、最強の結界となれぇええいッ!!」


 叫び、わしは盾を外して強く床に叩きつけた。突き立ったアダマスから眩い閃光が迸り光のカーテンが部屋の半分を覆う。

 わしは女子たちを盾に任せ、一人カーテンから出た。

『――――ッ』背後から女子たちの心配そうな声が微かに聞こえた気がしたが、構わず順手に持ち替えた剣で炎と雷を払いながら、ただひたすら突き進む。

 生半可な鎧であれば相当なダメージだっただろう。皆からのプレゼント、アールジェラの鎧で本当によかった。しかしその鎧も今や表面がわずかに溶け、植物などのレリーフが原型を留めていない。鎧も戦っているのだ、わしと共に。

 気を強く持ち、一歩一歩踏みしめる。着実に縮まっていく魔王との距離。

 徐々に近づくわしを見て、魔王が驚愕と憤懣をない交ぜにしたような顔をした。


「なぜこの中で動ける! 貴様ッ、ふざけるなよ。俺の最強の魔法だぞッ!」

「女子たちを守る、その想いが……わしを、強くしてくれた。そして今も、強くしているのだッ!」


 さらに一歩、力強く踏み出す。

 強力な魔法の場合詠唱中の硬直がある、というようなことを以前クロエから聞いたことがあるが。両腕を広げたままの魔王がまさにそうなのだろう。

 これは勝機だ!

 ダメージを負うことも厭わずに、わしは再び剣を逆手に持ち替える。


「……ブランフェイムよ、保ってくれ、これが最後だ……ッ!」


 意志に呼応しひと際輝きを爆発させる魔法剣。そこだけ闇が消し飛ぶほどのエネルギーだ。

 今までにないほどの力の奔流を腕に伝わる重さで感じ、グググッと堪えながらも背後へ引き絞る。

 魔王との距離はおよそ十メートル。必ず中てる!


「――くらえぇえい! これが勇者の、ワルデントラッシュだぁあああああ!」


 思い切り腕を振り抜き、光輝なる刃を放った。

 部屋を覆っていた瘴気を焼き尽くし、火炎と雷を霧消して、ワルデインを纏ったストラッシュは魔王へ向かって一直線。

 眼前に迫ったそれに魔王が目を瞠った瞬間、光の刃はその体に到達する。

 刻まれた刃に閃光が収束していき、「ぐぅうああああああああ!」と魔王が苦し気に呻く。


「ぐぅうう……ワルデントラッシュ、だと……俺はそんなダサい技に、負けるのか……」

「ダサくはない。愛嬌があると言うのだ」

「しかし、見事だ。勇者ワルド……グフッ」


 血反吐を吐きながらも、まだ笑みを刻む余裕のある魔王。いや、逆に余裕がないから笑っているのかもしれん。


「魔王に褒められても嬉しくはないがな」

「だが覚えておけ。……俺が倒されても、第二第三の魔王がきっと現れるだろう……」

「そんなものはないから安心して逝け。なんならもう一発分残っているストラッシュを、今度はブレイクにして見舞っても良いのだぞ?」


 言って剣を持ち上げた瞬間――「なにっ!?」バアン! と弾けるようにして刀身が吹き飛んだ。ブランフェイムは悲鳴を上げていたのだ。最後に力を振り絞ってくれた、そんな輝きだったのだろう。

 ――ありがとう、長いことわしの旅に付き合ってくれて。

 わしは心の中で愛剣に感謝を告げた。


「残念だった、な。もう一発撃てなくて……」

「まだ余力がありそうな口振りだが……?」

「ふっ、そんな余裕はない。それに、もう終わりだ――」そう告げ、微笑を口元に刻んだ刹那、「さらばだ」の口の動きだけを残して魔王は閃光を発し大爆発を起こした。光の柱が立ち上る中、粒子がキラキラと煌き宙を舞う。


「……終わったか」

「――おっさん!」


 背後から聞こえた闊達な声。振り返ると、女子たちが横並びに勢ぞろいしていた。皆血色の良い顔をし、先ほどの様子が嘘のようだ。


「お前さんたち、大丈夫なのか?」

「ええ。リリムが道具袋から寝袋を出してくれたので。しばらく休んでいたら動ける程度には回復しましたわ」


 そうか、と呟き安堵の息をつく。「ありがとうな、リリムよ」そう礼を言うと、「別にっ」と恥ずかしそうにそっぽを向いたリリム。照れているようだ。

 順に女子たちの顔を確認していく中で、クロエが背を向け切なげに地面を見つめていることに気付いた。

 歩み寄ってみると、床に転げたアダマスに視線を注いでいる。肝心の盾も、先の結界が限界だったのだろう。半分に亀裂が入り、いまにも割れかけていたのだ。


「クロエ、すまなかった。ロクサリウムの宝を、二つとも壊してしまって」

「ううん、いいよ。剣も盾も、みんなを守るために戦って散れたんだから。本望だったと思う。それに、勇者さんに使ってもらえて、わたしも嬉しいから」


 顔を上げたクロエの表情は、清々しいほどの晴れた笑顔だった。

 

「ところでさ、これからどうするのオジサン? 魔王を倒して、アタシたちの旅もこれで終わり?」

「楓よ、寂しいことを言うんじゃない。なるべく考えないようにしていたのに……」

「でもよ、それはそうだろ。魔王を倒すために旅をしていたパーティーだぜ?」

「ライアは、わしとの旅が終わることが寂しくないのか?」

「さ、寂しくないって言ったら、嘘になるけどよ……って、みっ、皆との、な!」


 顔を少し赤く染めて、ムキになって訂正するライア。寂しいと思ってくれていることに嬉しさが半分まで増えた。が、やはり寂しいものは寂しいのだ。


「でもその前に。今までお世話になった人たちへ報告に行きませんか?」


 散らばっていた剣の欠片、そして盾を回収してくれたソフィアが道具袋へ納めながら口にする。

 いろいろ旅をしてきた中で出会った人々。ロクサリウムの女王にイルヴァータのリーフィアとレニア、そしてジパングの玉藻に、オーファルダムのヴァネッサとジェニファー。……アルノームは……まあ、行くだけ行ってみるか。

 わしは一つ頷いて「そうだな」と告げた。


「では、世話になった者たちへ報告へいくとしようか!」


 皆の同意を得、そしてわしらは王の間を出た。

 帰る前に一応城の四階を調べてみたら、そこは案の定魔王の寝室だった。宝箱も置いてあり、ありがたく中身を頂戴しておく。

 内容物は、魔神剣ネヴュラスと魔王のマント。リリムによると、魔王は剣の才には恵まれなかったため使わなかったのだという。マントはスペアだそうだ。

 剣はいまのところわししか使わないためわしが貰い、マントは属性魔法ダメージを二割増す効果が付いているためクロエに行き渡る。

 部屋にはついでにリリムのクローゼットも置かれており、露出の多いサキュバスの服に、胸元を開いたティーチャーの服が納められていた。どちらもエロい妄想が捗るので有難く頂戴する。ハーレム城でいつか着てもらうのだ!


 そうしてわしらは、庭園で待つクゥーエルの元に戻ったのだった――。

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