第87話 魔族の少女――西棟尖塔の出会い

 三階への階段を上り、扉を開けた。目の前には相変わらずの暗灰色の壁。そしてまたしても回廊が東西に伸びている。

 廊下にいくつも開けられた格子窓からは庭園が望め、見下ろすと枯れた噴水の脇でクゥーエルが大人しく座っていた。まるで置物のようだ。

 可愛らしい様子を微笑ましく眺めていると――、「んなっ?!」ふと視界に入った物体に驚き、格子を引っ掴んで思わず声を上げてしまう。

 聖竜の近くに、あの黒いスライムが鎮座していたのだ。

 不安からあわあわとしてしまい、いまにも気が動転しかねなかったが。見ていたら少し違和感を覚えた。どこか様子がおかしいのだ。

 黒いスライムはたしかに鉄巨人を倒した、一撃の下に。危険極まりない存在だとそう俄かに思っていたのだが、クゥーエルの傍らでぷるぷるしている様子からは禍々しさが微塵も感じられなかったのだ。


「……どうなっとるんだ?」

「なにがだ? ってああ、スライムデスか。大方クゥーエルの神聖さに充てられて攻撃性が削がれてるんじゃないのか」

「そうじゃないわ。あのスライムはクゥちゃんに敵意がないことを知っているのよ。だから敵対しないし攻撃もしない」

「野生はそういうのよく理解してるって聞くし。もしかしたら友達になりたいのかもね」

「あの広い庭に一匹じゃさすがに寂しいだろうし、クゥちゃんがいてちょうどよかったじゃん」


 わしは初めてあのスライムを見かけた時の、寂しそうな目を思い出した。

 どこか羨ましそうに見つめてくる瞳は、いまにして思えば本当に羨んでのことだったのかもしれない。仲間がいることに。

 魔王を倒したら、わしらはこの大陸を去る。それまでの間、短い時間だが楽しい時を過ごしてくれればいい、魔物にそんなことを思うこの心は甘っちょろいだろうか。

 ついそんなことを自問しつつも窓に背を向け、わしは東に西に目をやって廊下を眺めた。

 さほど距離を行くことなく折れているのが確認でき、階下の構造とは少しばかり異なっていることが容易に想像できる。

「次こそは左!」と我先に西側へ入り、女子たちを背なに引き連れ回廊を道なりに進んでいくと――階段のあった小部屋の真裏。北へ向かってさらに通路が続いていた。回廊からその先を見てみると、奥に大きな扉が設えられているのが窺える。

 並みならぬ雰囲気を醸す扉に息を呑み、わしは「行くぞ……」と女子たちに声をかけ緊張した面持ちで歩を進めた。

 短い通路を抜けると、そこは広い円形のロビーだった。天井はドーム状になっていて豪華なシャンデリアが吊り下げられている。部屋の両脇に目をやるとまたも東西に廊下が伸びていて、その奥はどうやら螺旋階段になっているようだ。

 目の前には黒と銀の配色をした大きな扉がある。今まで見てきたどの扉よりも重厚でレリーフが豪奢だった。

 見上げ扉の上に打ち付けられていた粗末な金属プレートを認めると、わしは一人目を瞠るのだ。


「『まおーさまの間』? とどのつまり、ここが玉座の間ということになるのか?」

「騙してなけりゃそういうことなんだろ。しかしまた黒い金属の扉か……。どれだけ好きなんだよ、めんどくせえな」

「でもこの城、外から見た感じだと四階建てよね? 両脇の尖塔も気になるし。ここが玉座の間だったら上には何があるのかしら。寝室?」

「分からないけど。なんにせよ、この部屋の中は確認した方がいいんじゃないかな?」

「オジサン、こっそり中を覗くくらいなら大丈夫そうだし、見てみようよ?」

「うむ、それもそうだな。魔王が居るとも限らんし」


 居ないとも限らんが……。

 ともあれ、そういうわけで、今度はちゃんと取って付きで安心の両開き扉を少しだけ押し開けてみる。

 わずかな隙間から縦並びに、一番下をわしにして、楓、クロエ、ソフィア、ライアの順で部屋の中を窺う。

 すると少しもしない内に上から降り注いできた女子たちの良い香りに、思わずフガフガと鼻を鳴らしてしまった。なんとも濃密で芳しい匂いだ。こんなものを嗅いでしまってはハーレムが待ち遠しくなる一方だろう。


「なに嗅いでんだこの変態。つうか奥見てみろ、玉座に座ってやがるぞ?」

「なにっ!?」


 ライアの叱咤など右左。わしは最後の部分だけを耳で拾って注視した。

 するとダンスホールくらいはありそうな部屋の奥、黒いローブを来た男が椅子に深々と腰かけてこちらを見ていたのだ。

 黒い髪に華奢な体つき。見るからに優男だ。とてもじゃないが魔王を張れるような魔族の者には見えない。

 怪訝顔を貼り付けて観察していると、「くくく」と肩を揺らして笑い、魔王らしき人物は赤い眼を向けて口を開いた。


「よく来たな、デブ勇者。あまりに遅いから待ちくた――」


 失礼な物言いを遮るようにして、ひと先ずわしは扉をそっと閉じた。

『おい! 人の話の最中に扉を閉めるな!』などと部屋の中から抗議の声が聞こえてくるが、そんなことはお構いなし。『その扉はな――』となおも話を続けようとする煩い男など無視だ。

 そしてわしは神妙な顔をして皆と顔を突き合わせる。


「いたな、やつが魔王か?」

「恐らくそうだろ。グランフィードの魔泉で見た影にシルエットがよく似てるしな」

「あの時も思ったけれど、ずいぶんと弱そうね。私の拙い光の魔法でも消せた影だもの、程度が知れるようだわ」

「話に聞いた影ってやつがどんなのかは直接知らないけど、それからはずいぶんと時間も経ってるし。魔王も力を付けた可能性がなくはないと思うけど……」

「でもさ、アタシら五人だよ? 多勢に無勢ってやつで余裕じゃない?」

「油断は禁物って言葉、楓ちゃんなら分かるよね」

「まあ、お師匠から耳にタコが出来るくらい聞かされた気もするけどさー?」


 頭の後ろで手を組んで、素知らぬ顔をして嘯く楓。


「まさかクロエちゃんからそんなこと指摘されるなんて思わなかったなー。で、オジサンはどうなの?」

「わしか? まあ数的に有利なのは間違いないだろうが……」


 いや待て。ここで楓の味方になるようなことを言えばクロエの好感度に関わってくるやもしれん。その逆もまた然りだ。片方を立たせばもう片方が立たぬ。

 はてどうしたものか……わしのマイサンはいつでも勃ち起きるというのに……。


「まああれだ。意見は人それぞれというやつだな。お前さんたち皆の意見を尊重しようと思う」

「そういうことじゃないんだけどなー」

「巧いこと逃げたつもりかよ」

「躱せてすらいないわね」


 ああ、女子たちの視線が痛い。久しぶりの針の筵感。ここは早々に話を切り替えるのがいいだろう。

 というわけで、わしは再び取っ手に手をかけた。「ともあれだ。魔王の姿はすぐそこだぞ。気を取り直して魔王退治といこうではないか!」鬨の声を上げるように告げ、扉を思いっきり向こうへ押した。――のだが。


「あれ? 開かんぞ、どうなっとる……?」


 疑問を口にしたその時。部屋の中から小馬鹿にするような笑い声が聞こえてきた。


『ハハハハハ! 馬鹿め。その扉は一度開けて閉めると開かない仕様になっているんだ。人の話も聞けん天パにはお似合いの状況だなぁ』


 つまりわしらが会話に興じている間、魔王はその話を誰も聞いてはいないのに一人でしていたということか。寂しいやつめ。

 しかしこれは参ったぞ。あの黒い金属を使っているということは、物理も魔法も効果がないということだ。魔王を退治しに来たというのに、部屋に入れないのであればどうしようもない。


「……ここを開けてはくれんか?」

『馬鹿か貴様は。自分を倒しに来たやつをみすみす部屋に入れる阿呆はどこにもいないだろ。まあ倒されるつもりなど毛頭ないが』

「…………たのもー」

『断ればいいってもんじゃないだろ。脳ミソまでデブなのか?』


 ぐぬぬ、人が下手に出れば好き放題言いおってからにっ。それにわしはデブではなく、ちょびっとばかし太ましく丸いぽっちゃりメタボなだけだ!

 しかし、わしは大人であるからして。女子たちの手前、ここで大人げなく怒りを発露するわけにはいかんな。小さい男だと思われては困る。

 沸騰しそうな激情をグッと堪え、わしは落ち着いた調子で訊ねる。


「どうすれば開けられるのだ?」

『そんなもの自分で探せ。俺はそこまでお人好しじゃない。……まあ強いて言うなら二つの尖塔、そこに行けばなにかあるかもな』

「ほぼ答えではないか」

『はっ!? しまった~だからリリムに小馬鹿にされるというのに、俺としたことがッ! 閉じ込めたことが仇になったか――』


 なにやらよく分からんことを口走る魔王を放って、わしらはとりあえず円形ロビーの中央へ。東西に延びる廊下、その先の螺旋階段。つまりあれを上れば、尖塔へいけるということだろう。

 魔王を信じるわけではないが、あの馬鹿さには大なり小なりの共感を覚える。わしも勇者になる前ならば、似たような性質をしていたかもしれんからな。

 どちらから先に行こうかと思い皆を見渡すと、扉を見つめるライアに気付いた。


「どうしたのだ?」

「いや、あいつは本当に魔王なのかって疑問に思ってさ」

「考えてはダメよ、負けるわ」


 額に手を当て困惑した様子のソフィア。まるで煩い微熱を払うが如く、軽く頭を振るたびに揺れる金糸の前髪がとても良い。クレリックの時とは違い、いまは髪が邪魔になるからとシニョンにしているのもいいものだな。


「尖塔って、きっとどっちにも行かなきゃならないんだよね?」

「二つあるし、たぶんそうなると思うよー」

「魔物もいないみたいだし、今度こそ二手に分かれた方が速いと思うんだけど。どう思う?」


 クロエの言葉に、楓は「それもそだね」と同意を口にしわしらに問うてきた。


「みんなはどう? アタシ的にはクロエちゃんに賛成なんだけど」

「あたしもそれでいいと思うぜ。どうやらあいつ、余裕ぶってんのか知らねえけど本当に魔物を放ってないようだしな」

「私も構わないわ。早いとこ鈍った体を動かしたい気分だし」

「ってなわけでおっさん、パーティー分けだ。どうするんだ?」

「えっ、わしの意見は無視なのか?」

「魔物がいないなら別にいいだろ。おっさんが心配することなんざ何もねえし起きねえよ」


 うんうんと女子たちが揃いも揃って頷く。多数決ならわしの負けだが……わし勇者なのに。


「本当に危険はないか? わしがいないことでどちらかを守れんとか、わしは嫌だぞっ?」

「心配しないでください、勇者様。それに尖塔って基本狭いものですから、大人数だと逆に動きにくいですわ」

「む、それは確かに一理あるな」


 とりあえずそれで納得することにし、わしは渋々パーティー分けを行うことにした。

 西棟尖塔――ライア、楓。

 東棟尖塔――ソフィア、クロエ。

 うむ、まあこんなところだろう。きっとこれが物理と魔法のバランスが一番良いと思うのだ。楓は術だが……。


「それで、オジサンはどっち行くの?」

「……うーむ、決められんなぁ」


 わしはその問いに頭を抱えた。

 螺旋階段ということはだな、階段なのだ。あえてわしが最後尾を歩くことによって、見上げることが出来る!

 西棟であれば、ライアのつまらん鎧はさておいて、楓の短い忍装束から覗く光沢おパンツを眺め放題だし?

 東棟であれば、スラックス越しのソフィアの素晴らしい尻に、クロエの膝上十センチのローブからのおパンツが覗けるわけだ。

 こんなもの決められるわけがないだろう。なぜ塔を一つにしなかったのか、魔王への怒りが再燃しそうだ。


「わし決められんから、お前さんたち『とりっとりんじゃえ!』でもしてくれ」

「なんだそれ? 魔法か何かか?」

「なんだ知らんのか? なにかを取り合いもしくは指名するためにするジャンケンのことだ」

「初耳ですわ」

「そうなのか? アルノームで城暮らししていた時によくしていたのだが……」

「なんか面倒くさいからコインの裏表で決めようか。わたしちょうどロクサリウムのコイン持ってるから」

「んじゃあ表なら西、裏なら東ねー」


 クロエが早速コインを取り出し指で宙へ弾く。回転し表裏を見せ替えながら落ちていくコイン。床にぶつかり跳ね、転がってはやがて止まった。

 しかしてその結果は――。


「おい、なんでおっさんが下なんだよ」

「いや、やはり一番強そうなライアが先に上がった方が危険が少ないと思ってだな」

「守るんじゃなかったのか?」

「それはもちろん大事だが、いまはそれどころではないのだ」

「それで、オジサンはなんでさらにアタシの下なわけ?」

「いや、これには狭くて浅い訳がだな」

「恥ずかしいからそんな至近距離で覗かないでよ?」

「覗いてなどおらんぞ? ただ視界に入ってくるだけで。……青か、これもまた素晴らしいな!」


 視線の先でふりふりと誘うように振られる楓のお尻。一応手で隠してはいるがまだ甘いな。顔の位置と見る角度をずらせばバッチリ見えてしまっているのだから。

 手すりから大きくはみ出し、時に腰を屈めて階段を上る。体勢はキツいがそれを差し引いても見る価値はあるだろう。

 いや絶景絶景。青空の良さを再認識した次第だ。


「まあ減るものじゃないから別にいいんだけどさー」

「おお! 楓はやはり分かる子だったな!」


「はぁ」と楓がため息をつくと、ちょうどその時「――頂上だ」とライアが告げた。

 名残惜しみながらも楓に続いて塔の頂を踏むと、目の前には真っ黒い宝箱が一つ置かれているだけだった。目立つものは他に一切ない。


「これだけか? てっきりスイッチでもあるものだと思っていたのだが……」

「いままで見てきた宝箱とは違うな。デカいし物々しい感じがする」

「怪しさだけは一級品だねー」


 二人が言うように、箱は大きかった。わしが両腕を広げてもまだ足らんほどには。それに真っ黒な宝箱など見たこともない。これは怪しい。


「どうする、こいつ開けてみるか?」

「まあミミックだったら叩けばいいだけだしね。強い武器でも入ってたら重畳って感じかなー」

「そういうことならわしに任せるのだ。ミミックならばお手のものだぞ」


「まだ一体倒しただけじゃねえか」といったライアの呟きを背に受けながら、わしはアダマスの盾を構えて右手を箱へ伸ばした。

 指先が触れた瞬間、それはバカン! と勢いよく口を開けて中から黒い煙が濛々と溢れ出す。


「な、なんだ、毒霧か? まさかトラップだったとは!」

「くそ、前が見えねえ。二人とも気をつけろ!」

「ふふん、こんな時こそアタシの忍術! いま換気してあげるから。風遁、つむじ風!」


 楓が術名を告げた途端に小さな風が床から巻き上がり、黒い煙を取り込んでは窓の外へと道連れにして消えた。

 あっという間に晴れた塔の頂上。戦闘をするにはたしかに五人では狭すぎる円形の小部屋だ。そして視界が晴れたこの場所に、いつの間にかもう一人、人物が増えていることに気付いた。


「あぁーよく寝た」


 言いながら宝箱の蓋に腰かけ大きく欠伸をする、薄桃色の長い髪をツインテールにした少女。

 頭には捩れた角を二本持ち、背中には蝙蝠みたいな羽。そして腰元から伸びてふよふよと揺れる尻尾……。明らかに人間ではない。

 しかしわしの眼は人間離れした容姿ではなく、その格好とスタイルに注がれていた。

 胸元を大きく開いた黒いレザーのショートパンツ型のボンデージに身を包み、お胸はこれまた美味しそうなたわわに実っている。

 ピタリとしたレザーのロンググローブに、同じくレザーのニーハイブーツ。なんとも扇情的なコスチュームだった。

 綺麗というよりは少し幼さを残す愛らしい顔立ちとのギャップに悶えそうだ。


「お、お前さんは何者だ?」


 内心ワクワクしながらも唖然としつつ問うと、涙を浮かべた赤い目でわしを見てくる。

 キョトンと首を傾げては、少女が欠伸をかみ殺しながら訊ねてきた。


「ん? キミは誰? もしかしてまおーさま? じゃないか、そんなに太ってないし」

「さりげなく失礼なことを言う……」

「あ、もしかしてまおーさま太ったの? お菓子ばっか食べてたんでしょ?」

「いや、わしが丸いのは昔からだ。それに断っておくが、わしは魔王ではなく勇者だぞ?」

「……勇者?」


 確認するようにそう零すと、何度か目を瞬き、そして得心したように拍手を打った。


「ああ、もしかしてまおーさまを退治しに来るっていう伝説の? やっときたんだ」

「そういうわりには、お前さんあまり危機感がないようだが。退治しに来たのだぞ?」

「なんていうか、まおーさまと居れば面白いことあるかなって思ってたんだけど。ぜんぜん勇者来ないし、つまんないって駄々捏ねたらこの有様でしょ? ずいぶん長いこと閉じ込められてて、もうまおーさまとか、どーでもよくなっちゃったっていうか。……あ、もしかして私のことも退治するの?」

「退治?」


 この女子も魔族であれば退治しなければいけないのだろうか……。勇者の役目とは。魔王を倒して世界に平和をもたらすことだ。危害を及ぼす恐れのある魔物を退治することだ。

 しかし目の前の少女はどうだ? まるでそのような雰囲気はない。少なくとも敵意があるようには思えん。

 どうしたものか。争わなくてもいいのならその方が良いと思うのだが。

 二人に聞いてみようと目をやると、すっとライアが進み出て、童子切の鯉口に指をかけた。


「おっさんが迷うならあたしが斬る。こいつも魔族だろ。危険因子は潰した方がいい」

「あ、やっぱり私も退治される運命なんだ。でも私なんか倒しても大して経験値の足しにもならないよ? まおーさまに力取られちゃってまともに戦えないんだから」

「なに? ということはお前さん、いまはただの女子なのか?」

「そーなるかな」

「むぅ……楓はどう思う?」


 先ほどから静かな楓を見ると、微妙な顔をして少女を見ていた。


「アタシはさ、お師匠に育てられた身からすると妙な心持ちだし、少しかわいそうな気持ちになるけどね」


 ……そうだ。玉藻も元はといえば人間の敵だった妖怪なのだ。虐めてきた人間を喰い殺したとまで言っていたことを思い出した。

 だがいまは丸くなって楓の保護者として立派にやっているし、人々を守ろうと京の町に結界まで張っている。

 そんな玉藻に育てられた楓だからこそ、魔力を失い敵意も感じられない少女を前にして思うところがあるのだろう。


「そういうおっさんはどうなんだよ?」

「わしか? わしはまあ放っておいても良いとは思うが」

「それが後々、仇になることだってあるんだぜ?」

「それはそうだろうがな。抵抗する力のない娘御にこのまま刃を向けるのはどうかと思うのだ。……うむ、まあその時はその時だ。すべてわしが責任を取ろう」

「またそれか」


 ライアは呆れ肩をすくめた。


「なにも適当に言っているわけではないぞ。わしなりに責任を負う気概はあるのだ」

「具体的にそいつはどうやってだ?」

「一つ挙げるとするならば、やはりこの娘もわしのハーレムに入れるということだろう」

「ただのスケベ心じゃねえかよ!」

「失礼な! そこいらのエロオヤジと一緒にするでない。わしは行き場のない憐れな女子を保護してやろうというのだ。ただのスケベではなく、紳士的なスケベなのだぞ?」

「やっぱりただのスケベじゃねえか」


 愕然として頬をひくつかせるライア。

 なんだかこうして言い合う懐かしさに、わしは思わず笑ってしまった。ここ最近、こうして懐かしむことが増えた気がする。


「そこまで言うなら好きにしたらいい。けどな、妙な真似しやがったら問答無用で斬り捨てるぜ」


 刀から手を下ろし予告するライアを不思議そうに見ていた女子は、「つまりどういうこと?」と疑問を口にした。

 ライアの代わりにずずいと歩み出て、わしがその問いに答えてやったのだ。


「つまりだ、お前さんはわしのハーレムに入れる故、わしらと一緒に来いということだ」

「ハーレム? それ以前に……私がキミと一緒に行くメリットは?」

「メリット? メリットか……自分で言うのもなんだが、得することならきっとあるぞ。魔王よりかは面白い、と思う。飽きさせんぞ、お前さんもきっと楽しいだろう」

「まあ見た目はすでに面白いけど。天パだし、丸いし、そんな形で勇者だし」


 ……魔族の娘にも馬鹿にされる始末。わし、少しはダイエットした方がいいのだろうか? しかしこの年にもなるとなかなか脂肪が落ちんからなあ。動くためにはそれなりに食べなければいかんのだし。どうしようもない。

 それはさておき。


「まあなんだ。わしらは世界の脅威ともなる魔王を倒しに行くが、魔力を奪われているただの女子同然のお前さんを倒すのは忍びないのだ。それに魔王を倒した後の世界で、お前さんが魔族であることが他の人間に知れれば何をされるか分かったものではないぞ? 力もないのだろう? ……心配だ」

「(スケベ心滲み出させながらなに神妙顔で言ってやがる。それはおっさんであっても一緒だろ)」

「(むしろオジサンだから危ないってこともあるよねー、まだ安全だけどさ)」

「こらそこ、小声でなにを言うか。聞こえておるぞっ。――とまあそういうわけだ。わしらと一緒に行こう、な?」


 誘うように手を伸ばして訊ねると、わしの手のひらをしばし見つめた後、「まあいっか」と女子は吹っ切れたように言って手を重ねてきた。


「どうせまおーさまは倒される運命なんだろうし、魔力もない私が生きていくにはあんまり選択肢なさそうだし。それに、確かにキミは面白そうだしね。いいよ、付いてってあげる」

「おお! やった!」


 わしはハーレム要員が一人増えたことに心の中でググッと拳を握り締めたのだ。

 魔族といえど極上な女子。これは期待せざるを得んだろう。


「ところでお前さん、名はなんというのだ?」

「リリム、淫魔のリリムだよ」

「な、なんと! お前さん淫魔だったのか!」


 エッチな絵本では男を喰い漁っていたりなんかするな。

 わしの期待は右肩上がり。興奮は冷めやらぬどころかいまだ発熱継続中。ある一点がな!

 淫魔ということは、そういうことだろう。もしかしたら、わしの童はこのリリムで早々に散るのかもしれん!


「ふ、ふふふ、わははは!」

「――それでキミの名前は?」

「おっとそうだった。わしはワルド、勇者ワルドだ。なんなら旦那様とかご主人様とか呼んでくれてよいぞ?」

「そっちの二人は?」


 嗚呼……わしの提案を華麗にスルーしおった。仲間たちに負けず劣らずの恥ずかしがり屋さんめ。

 眉尻を垂れるわしになど構うことなく、仕方なさそうなため息をつくとライアがぶっきらぼうに呟く。


「……ライアだ」

「アタシは楓だよ。とりあえずよろしくねー」

「二人はこの人のことなんて呼んでるの?」

「おっさん」

「オジサンかなー」

「ふーん、名前じゃ呼ばないのね。……じゃあ私は『おじさま』にしようかな」


 リリムの言葉に、ピクリと耳が過敏な反応を示した。

 おじさま、おじさまかッ! なんとも股間がむず痒くなる響き……。年頃の娘御におじさまなんて呼ばれたら、なんだか如何わしい雰囲気を醸すな!

 いや、いずれ如何わしい関係になるのだが……きっとな!


「おい、だらしない顔をいつまでも曝してんじゃねえよ。あっちの二人も今ごろ塔の頂上だろ。そろそろロビーに戻って合流した方がいいんじゃないのか?」

「こっちになかったんだから、きっとスイッチは向こうだよね」

「む、それもそうだな。リリムよ、スイッチは向こうで間違いないか?」

「うん、それで合ってる。それにもう開いてるよ、気配感じたから」

「そうか。それならばロビーに戻ろう」


 そうしてわしらは尖塔を下り、円形ロビーでソフィアとクロエと合流した。

 最初こそ魔族の娘御を連れていることに驚いた顔をしていたが。事情を話し出すと、いつの間にか二人ともどこか蔑んだような冷めた眼差しへと変わっていた。


「勇者様……下心ですかそれは?」

「近からず遠からず、といったところだな……」

「まあ、本当に魔力ないみたいだから大丈夫だとは思うけど」

「そうだろうそうだろう。憐れな娘に心ばかりの施しをと思い、わしが引き取ることにしたのだ。決して下心だけではないことは理解しておいてほしい。それに、わしはお前さんたちを皆平等に愛する故、安心してよいぞ」


 言って微笑むわし。まるで神々しい後光が差す男神に見えていることだろう。

 しかしソフィアはすっと視線を外すと、あろうことか「それはそうと、」とわしを無視して話を進める。


「事情は解ったわ。勇者様が責任を負うということだし、魔族とはいえただの娘同然のあなたを追い出すような真似はしないから、現状は安心していいわ。自己紹介が遅れたわね、私はソフィアよ」

「わたしはクロエ、よろしくね」

「ありがとう、優しい人間もいるのね。私はリリム、世話をかけることになると思うけど、よろしく」


 無視されたことは寂しいが、ひとまずはこれで安心だな。理解ある女子たちでよかった。

 一つ大きく頷いて、わしは王の間への扉へ向き直る。


「さて、話もまとまったことだし。そろそろ行こうか。お前さんたち、準備は良いか?」

「おっさんこそいいのか? あの部屋に入ったら、魔王を倒すまで戻って来られないぞ」

「ここまでの道中、鉄巨人や黒い扉でわりと消耗してますし。いったん休んだ方がいいのでは?」

「勇者さんとか特にMP消費してるよね。ワルドストラッシュあと一発分でしょ?」

「幸い、向こうからこの扉開けて出てくる気配もないしさー。オジサン、ここでテント張ろうよ」

「こんなところでテント? わしならいつでも別のテントを張っているというのに――」

「なんか言ったか?」

「いやなにも」


 だが確かにそうだな。ストラッシュ一発分では心許ない。新しく覚えたワルデインもたった一発しか放てないのでは役に立てそうにないし。

 魔王の影と遭遇した魔禍の泉からは時間も経っている。あの時はまるで役に立たず、ただデブだと馬鹿にされたわしだが今はもう違う。証を得て勇者となったのだ。

 魔王の鼻を明かしてやるには、万全を期していなければならないだろう。

 わしはそう結論付け、ふむと頷いた。


「よし、ならばここで休んでから行くとしよう。皆と過ごす最後のテントだ!」


 口にしたら急に寂しさが胸に去来した。

 なるほどと、自ずと理解する。昔を懐かしむことが多くなったのは、もうすぐ旅が終わってしまうことを知っているからだ。魔王を倒せば、こうして皆と旅をすることもなくなる。それが寂しいと心は分かっていたのだろう。

 だが、いまは哀愁を感じている場合ではない。

 魔王のいる目と鼻の先でテントを張るという大胆な行動に気をよくし、ほくそ笑むことで気を紛らわしては皆とテントで一夜を過ごした。

 ……女子たちは、どう思っているのだろう。旅が終わってしまうことを――。

 聞きたいけれど聞きたくない。そんな葛藤を胸に抱いたまま、わしは寝袋で眠りに就いたのだった。

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