第55話 怪異の存在

 ニコゴリ村の楓の家で一泊したわしら。

 どうやらこの国は床で寝るらしく、野宿以外では村でもベッドで寝ていた身として最初は落ち着かなかったが。いつの間にか寝落ちし、気づけば鳥が囀る朝を迎えていた。

 布団から起き上がり、女子たちの可愛らしい寝顔でも拝見するかと思って辺りを見渡すと――そこには誰もいない。

 乱暴に掛け布団がめくられ、まるで連れ去られた後のような様相を呈している。


「ま、まさか……」


 夜盗にでも攫われたのか? 一瞬そんな不安が脳裏を過ぎるが、あの娘たちに限ってそんなことはないだろうと思い直す。

 まさか勇者であるわしを置いて旅に出るなどということはないだろうし。

 とにかく探してみることにし、わしは眠気眼を擦りながら家の外へ出た。

 薄曇りの空は雲が太陽を遮り、心許ない陽光にしばらく眠気は覚めそうにない。

 シパシパする目で周囲を窺う。すると三人の姿をすぐに見つけられ、ホッと安堵の息を吐く。

 が、その様子はどこか警戒しているように思えた。それが分かる程度には、肌にピリリとした空気の緊張が感じられたのだ。


「お前さんたち、なにをそんな深刻そうな顔をしているのだ? 笑っている方が可愛いのに」


 場を和ませようと思い軽口を叩くと、三人は同時に振り向いた。

 その手には、皆いくつもの黒い塊を持っている。

 眉根を寄せてそれに目を落としたライアが呟いた。


「おっさん、村人が全員消えてるんだ」

「村人が消える?」


 衝撃的な言葉に眠気は払われ、わしは村内を見渡した。

 言われてみれば確かに、人の姿が見当たらない。


「皆寝ているとかではないのか?」

「それはないですわ。家を一軒一軒回って確認しましたから」

「代わりにこれが落ちてたよ」


 神妙な顔をしてソフィアとクロエが歩いてくる。

 そして手の平に乗せていた塊を、クロエがわしに差し出してきた。

 黒い塊は、十センチくらいの人型をした粘土細工だ。決して精緻とは言えない、のっぺりとした人形。怪しさだけは満点だ。


「それに、たまも庵の看板も傘もなくなってるんだ」


 わしは昨日店があった場所を見てみた。ライアの言う通り、赤い傘も看板もない。あるのは小屋だけだ。


「看板と傘は、忘れた楓が取りに来たのかもしれんぞ? 京に行くと言っていたし、旅しながら茶店をやっているのかもしれんしな」

「そうならよかったんだけどな。……小屋も形状が変わっちまってるんだよ。竹の柵もなけりゃ、茶屋じゃなくただの小屋だし」


 言われてみれば確かにそうだ。看板と傘にしか注意がいかなかったが、小屋の形状自体も違っている。


「こういうのを狐に化かされるっていうのかしら」

「狐? 人間を騙すの? 動物が?」


 どこか興奮した様子でソフィアへ迫るクロエ。好奇心からか紅潮する頬が子供みたいで、なんだか可愛い。嬉しそうに振られる尻尾が見えるようだ。

 しかし狐が人を化かすというのは、絵本の中での話の様な気がするが……。

 実際にいるわけがないと思う。なんてことは、好奇心をのぞかせるクロエには言えないな。

 そんなことをぼそっと呟くと、「――いるぜ、動物じゃないけどな」とライアが告げた。


「いるのか、本当に?」

「ああ。妖狐って狐の妖怪がジパングにはいるらしい。見たことはないけど、なんでも変わった術を使うらしいんだ」

「術……魔法とは違うのかなっ?!」


 今度はライアへ詰め寄るクロエ。

「い、いや、分からねえけど」とライアはその勢いにたじたじだ。

 こういうのも珍しい。まあ、わしだって王女にあれだけ迫られれば多少たじろぐがな。……いや、速攻で抱きしめちゃうかもしれん!

 その光景を妄想しながらニヤついていると、


「ってことは、あの楓って女の子はその妖狐なの?」

「そこまでは分からねえけど」


 落ち着きなさいと、いまだ興奮冷めやらぬクロエを窘めながらのソフィアの問いに、ライアはどうだかと肩をすくめた。

 楓が妖怪? しかも狐の? いま思い返してみても、そんな風には見えなかったがな。至って普通の女子だと思う。それに――


「楓は人間だと思うぞ?」

「どうしてそんなことが言えるの?」


 意外なことに訊いてきたのはクロエだった。

 その口調はどこか強く、表情も少しムッとしている。狐が人を化かすなんて面白そうな話に興味を引かれたが、早速それを否定するわしを責めているのかもしれない。

 しかしわしには、割と確信がある。

 一つ咳ばらいをして、わしは言った。


「それはな、獣のようなにおいが感じられなかったからだ。あれは間違いなく芳しい女子の匂い。うむ、強いて言うなら間違いなく処女だな、そんな感じがする。お前さんたちと似た匂いだ! うはははははっ――あ……」


 宣言するように声を荒げ哄笑すると、三人は呆れ、引き、そして恥ずかしそうに頬を染めてわしを見てきた。


「この変態め」

「どうしようもない勇者様ですね」

「……やっぱりえっち、だね」

「――というのは冗談だぞ? いや、一度言ってみたかったセリフなだけでな。そもそも、匂いだけで生娘かどうか分かるわけがないだろう? な、な?」


 どうだか、と蔑むような視線が刺さる。まさかこの程度で好感度は下がらんだろうなっ!? 心配で仕方ない。京とやらに着いたら、真っ先にプレゼントを買おうそうしよう。

 と、話が逸れたな。


「とにかく、確かめるためにも京へ急いだ方がいいんじゃないか?」

「まあ、それは一理あるけどな」

「話を逸らそうとしてませんか?」

「そんなことより、狐さんの妖怪はいるよ」


 わしの前言に納得いかない様子のライア、怪訝な顔をするソフィアと――、クロエの目力が強すぎてまともに直視出来ないのだが……。しかも先のわしの言ったことなどどうでもよくなっている。

 なんというか、興味のあるものにはとことん前のめる性格なのだな。新たな一面を垣間見た。

 一先ず分かった分かったと宥め、その場をやり過ごして出立を告げると、皆渋々ながら従ってくれた――。



 ニコゴリ村から元の道まで戻り、そこから東海道という京と大江戸を結ぶ街道を西へ進む。

 林道、山道、田んぼのあぜ道なんかを歩き、津島港と似たような状況の村を幾度も目にしながら先を行く。

 心苦しくはあったが、焼餅をどうにかする方が早いだろう、と考えた末の答えだ。大江戸が今どのような状況なのか。同じく都である京を見れば少しは分かることもあるかもしれんし、決して無駄ではないだろう。

 それに、ライアの刀のこともあるしな。これから必要というか必須になる大切な武器だ。そこを妥協で済ますと怪我をするかもしれない。ここは心を鬼にして先を急ぐべきだ。


 流れていく景色に「すまぬ」と告げ、街道を歩くことおよそ九時間。

 辺りはすっかり暗くなり、夜光虫が微かな明かりを夜闇に灯している。どこかから聞こえてくる「ほーほー」というフクロウの鳴き声と虫の音が、なぜか懐かしさを感じさせた。

 しかし夜光虫だけでは視界が心許ない。ということで、わしはラヴァブレードを久しぶりに抜いた。いまは未使用のブランフェイムを佩いているため道具袋から取り出したのだが。これがまた便利なのだ、売らずに取っておいてよかったと思う。


「まさかその剣も、松明代わりに使われる日が来るとは思ってなかっただろうな。しかもおっさんなんかに」

「まあ消費MPが半減しているとはいえ、クロエに消耗させるわけにはいかんからな。いざという時の為にも」

「そうですわね。それにしても、引き抜くだけで炎が出るなんて。便利な剣ですね」


 本当だな、とこの剣に改めて感謝していたら、「ちょっと待って!」とクロエが突然声を上げた。


「どうしたのだ? もしかして暗いのが怖いとか。だったらわしの腕に掴まっていてもいいのだぞ」

「そうじゃなくて。なにか先の方で蹲ってるよ?」


 そうでないことに肩を落としつつ、指さす先を見やると、暗闇でなにも見えない。

 前々から思っていたのだが、こやつらの五感はどうなっているのだ。まさかわしが少しばかり年をとっているせいか? 四十三で衰えなどとはまだ考えたくはないが……。

 ま、精力は有り余っているから良しとしておくか。

 ぶつぶつと不満を垂れながら、わしはようやく見える位置までやってきた。炎剣で照らしながら見てみると、なにやら体表が緑をした子供くらいの人型が蹲っている。

 もうこの時点で人間ではないことは確信できた。

 体が緑って……。

 しかし、困っているのなら怪しくても助けてやるのが勇者だろう。いろんな意味でな。


「そこのお前さん、一体どうしたのだ? 腹でも痛いのか?」


 声をかけてみると、その緑色の人型はこちらへ顔を向けてきた。

 その容姿にぎょっと目を見開く。

 パイナップルのヘタみたいに髪が生えていて、頭頂部はつるつるとした皿のように光っている。さらに顔には黄色い大きなくちばしが……。

 これは確か――


「河童、だったか? 絵本で見たまんまではないか。……というか、魔物か?」


 助けようと思っていたが、突然襲ってきたらと不安になり、剣を握る手に思わず力が入る。

 それに呼応するように炎が勢いよく噴き出した。

 それを見てビクリと肩を跳ね上げた河童は、諦めたような眼差しでわしを見てくる。なぜかそれに罪悪感を覚え、思わず炎を元の大きさに戻してしまった。


「たしかに大別的には魔物に違いないけど、どうやらなにか困ってるようだぜおっさん。話くらい聞いてやったらどうだ?」

「む? まあ、ライアがそういうなら聞いてみるか」


 ということで、わしは剣をライアに預けて腰を屈め、河童に話を聞いてみた。

 初めは人間と会話をすることに対して、抵抗があるような反応を示していた河童だったが。慣れてきたのか、たどたどしくはあるものの、少しずつわしと話をしてくれた。

 聞けば、農村に人の姿がなくなってから、畑も痩せてしまい盗める野菜がなくなったため、妖怪も食糧難に陥っているらしい。

 都に行こうにも人の数が多すぎるし、自分たち妖怪は人間に嫌われているから行っても虐められるだけだという。


「だからお前さん、いまにも野垂れ死にそうなのか」


 コクコクと頷く河童。腹が減っているのだろうか、水かきのついた手で何度も腹部を撫で擦る。

 食い物がないというのは確かに辛いな。生命維持には必要不可欠だし。飢餓状態になると狂暴になるという話も聞いたことがある。食糧難の時代には人間でさえ共食いをした国もあったとかなかったとか……。

 見ていたらなんだか可哀そうになってきたので、わしは何かないかと道具袋を漁ってみた。

 野宿の時用に、ヴァネッサが買い込んでいた食料をいくらか分けてもらっていたのを思い出す。

 ガサゴソと探り、取り出せたのは干し肉、きゅうり、乾パン、リンゴにオレンジ、だけか。


「お前さん、この中で食べたいものはあるか? さすがに全部はやれんが」

「……きゅうりがある」

「ん? きゅうりが好きなのか?」


 コクリと河童は頷いた。絵本にもそんなことが書かれていたな。きゅうりが好物だと。

 わしは五本あったきゅうりをまとめて、差し出して言った。


「持って行くがよい。しばらくはこれで食いつないで頑張るのだ。きっとわしらが元のジパングに戻してやるからな」

「ありがとう、太巻きみたいな人」


 河童は失礼な言葉を残して、背の高い草むらの向こうへ消えていった。

 助けたのになんだか複雑な気分だな。まあ、礼はちゃんと言える妖怪もいるということが知れただけでも良かった。ということにしておこう。


「おっさんもなんだかんだで優しいよな」

「ただの性欲の塊ではないということですね」

「わしをなんだと思っていたのだ……」


 カラカラと笑うライア、口元に手を当て上品に笑うソフィア。

 どう思われているのか気になるセリフだが……。

 しかしわしだって元からこのような考えが出来た人間じゃない。城暮らしだった頃なら見捨てていたかもしれん。

 これも偏に、皆と世界を旅して、勇者になった故のことなのだろう。

 でもなんだな。これは見直されたと捉えていいのだろうか。下がりかけた好感度が持ち直しただけかもしれんが、下がることはなくてよかった。

 ライアから炎剣を受け取り、松明係に戻る。

 すると、草むらの方を眺めるクロエに気づいた。

「どうしたのだ?」と声をかけると、小首を傾げた後、「ううん、なんでも」とクロエはこちらへ振り返る。

 きっと初めて見た妖怪との別れが寂しいのだろうな。

 わしはそれを慮り、慰めてやるために華奢な肩を抱いた。


「――いたい」


 ソフィアに手の甲を抓られ阻まれる。

 スケベ心は溢れ出させてはいないはずだったのに。


「滲み出てますわ……」


 まるで考えを読んだかのように、北風のような言葉が鼓膜を冷やした。

 ちらりと横目にしたソフィアは、なんとも冷めたジト目でわしに睨みを利かせている。そろりそろりと、わしの手はクロエの肩から下りていった。

 寂しい右手が空をにぎにぎする。

 皆均等に上げていかなければならんのか、好感度。……なかなか高度だな、難易度高くはないか? まあ皆攻略してみせるがな! うははははっ!


「そろそろ行こうぜ、おっさん。半日歩き回って疲れた。関って宿場はもう少しみたいだしさ」

「ん? うむ、そうだな」


 ニマニマするのもそこそこに。

 立て看板を指さすライアに促され、わしらは次の宿場町を目指して街道を歩いた。京まであと一日くらいか、早く楓に会いたいものだ。




 炎の揺らめきがどんどん遠ざかっていく。勇者一行は関を目指して、無事に東海道を西へ行くようだ。

 ほんのりと視認出来るほど炎剣の灯りが離れる頃、先の河童が消えた辺りの草むらが不意にガサりと揺れた。風は凪いでいる。


「ふむふむ、勇者のオジサンは妖怪にも優しい、っと。これはお師匠にいい報告が出来そうだねー。こっそり傀儡粘土持ち出した甲斐があるよー」


 サラサラとなにか筆記する音。草葉の陰に動く影。

 髪を横で結ったような独特なフォルムが闇に紛れている。


「それにしてもあの魔法使いの子、こっち見てたけどまさかバレてないよね? 完璧に隠れてたつもりだったんだけどなー……ま、大丈夫か」


 書き終えたのか、突然帰り支度を始める影。

 勇者たちの姿が消えたことを確認すると、ゆっくりと草むらから姿を現した。

 茶髪にサイドテール、ピンクのヘアピン。赤いミニ丈の着物を身に纏った少女は、足元に転がる黒い人型粘土に目を落とし、くすりと鼻を鳴らして微笑した。

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