第43話 勇者の証

 多少の疲れもあるということで念のため宿で一泊し、翌朝ディーナ神殿から飛んだ。

 それは本当に、あっという間の出来事だった。

 瞬く間、と言うと大仰かもしれないが、瞬き五回くらいでアルノームに着いた時は唖然としてしまった。おかげで高所に恐怖することもなく、風の心地よさだけが印象に残っているが。

 いまにして思うと、ちょっと怖かったな。じゃっかん足が震え始めている。

 わしは誤魔化すように、バサバサに乱れ萎れたグリフォンの尾毛の束を強く握りしめ、門外から町を眺めた。

 すぐに一番奥の教会が望める狭さの町を目にし、なんだか不思議な感覚に陥った。郷愁というやつなのだろうか? 懐かしいと思いはすれど、そこまで重い感情ではない気もするが。


「……わし、本当にここから旅立ったのだな」

「なんだ、ホームシックか?」

「いや、そんな傷心的なものではないが」

「おっさんがセンチになるとか面白い冗談だと思ったけど、それも仕方ないんじゃないか?」

「そうですわね。いろいろありましたし」


 ライアとソフィアは、共にこの町から旅立った最初期の仲間だ。厳密には少し違うが、それでも、三人になってここから冒険が始まったという意味ではソフィアも加わるだろう。

 そして、グランフィードのカジノで、初めてクロエを見かけたのだ。

 それからいろいろあったな。

 なんて、柄にもなく言う通りのセンチな気分に浸ってしまった。らしくないだろうか。


「……おっさん、元気出せよ。らしくないぜ?」

「やはりそうか?」

「鬱陶しいくらい元気でスケベじゃないと、こっちが調子狂うっての」


 別にわしだって年がら年中、終始元気でスケベなわけではないのだがな……。

 まあ、それでもわしを思い遣ってくれた言葉、しかと受け止めねばならん。わし、これから勇者になるんだし。


「そうだ、忘れるところだった。そういえば勇者の証を探しに来たのだったな」

「珍しく自分で思い出しましたか。本当に珍しいですわ。勇者としての自覚が、本当に根付いているのかもしれませんわね」


 珍しいを重ねられても困るが。もしかしたら、知らぬ間に大神官の女子が何かしてくれたのかもしれんな。

 こうペッカー! と光ったライアみたいに。

 ……思い返しても、そんなことは微塵もなかったのが悲しいが。


「どの道、証さえ手に入れれば正真正銘の勇者だからな。いまから気を改めるのも悪くないだろう」


 うむと一つ頷き、わしらはアルノームの町に入った。

 入った途端、やはり感じたのは懐かしさだった。年甲斐もなくホームシックとは……。わしは考えないように頭を振る。


「そういえば、あのもやしはパン屋を継ぐと言っておったな」

「パン屋? 勇者の家はパン屋なのか? 意外だな」

「たしか宿屋の隣でしたっけ?」


 足を向けようとし、急に立ち止まったのはソフィアだった。


「どうしたのだ?」

「勇者様、あなたはまだ近づかない方がいいかと」

「なぜだ?」

「勇者やってこいと言われたのでしょう? 鉢合わせるとどんなトラブルがあるか知れたものではありません。急に変われと言われたらどうします?」

「そんなもの断るに決まっとるだろう。勇者はわしだ」

「証はそのパン屋のもやし息子の手にあるのですよ?」


 ……なるほど。

 あやつが言い張り、たどり着けるかどうかはしらんが、ディーナ神殿まで行ってクラスチェンジされたら終いだな。というかまだ勇者なのか? まあいまはいいそんなことは。

 それに、そうなれば皆とも別れることになる。いままでコツコツと上げてきた好感度も泡沫だ。ガードの緩そうなヴァネッサなんかはもしかしたら一番近いかもしれんのに!


「許さん、それだけは断じて許さん! 必ず阻止せねば! 女子の乳も尻もわしのものだ! うははははは!」

「真っ昼間の町中で急に笑い出すんじゃねえよ、この変態が!」

「注目を集めてどうするんですの?」


 ライアからは決まりごとのように鞘で頬を抉られ、その逆をソフィアに抓られる。クロエからは毎度のごとく、冷たい紫瞳が突き刺さる。

 三人とも表情は怒っているが、どこか楽しそうに見えた。……かすみ目だろうか? 老眼にはまだ早い気がするが、油断は出来んな。気を付けよう。


「大丈夫だ心配いらん。こんな田舎では気にもされんよ」

「たしかに、ほとんど人も出歩いてないしな」

「では、そういうことですので。私たちで見てきますわ」


 ん? これは酒場を見に行くいい口実になるのではないだろうか?


「ならわしは、酒場で待っていることにしよう」

「女に手出して捕まるなよ?」

「な、なにを失礼な! わしは紳士だぞ、そんなこと五に一つもなかろう!」

「六ならあるんですね?」


 ああ、女子たちの視線が痛い。痛いが、痛痒い!

 旅をしている中で、変な性癖でも身に着いたのかもしれんな。性格が変わるという話は聞いたことがあるし。性癖が変わってもおかしくはないか。

 いや、そうではなく。


「ごほん! まあ大人しくしておるから、安心するがよい」


 半ば投げやる形で口にすると、三人は怪訝な顔をしながらも「じゃあ行ってくるぜ」と道を折れて、宿屋方面へと歩いて行った。


「…………わはは! これでソロでルミナス嬢に会える! 待っていて下されー!」


 ドレスの胸元から覗く豊満な極上至高のプリンちゃん。鼻息荒く一目散に駆け出して、わしは町の出入口付近にある酒場の扉を押し開けた!


「たぁあのもーッ!」


 カウベルの音と自分の声が重なる。

 店の奥へ駆けながらわしの目は自然、カウンターに向いた。

 赤いドレス、そして、豊満な……ん? 胸? いや、これは筋……顔、は……濃ゆ――


「あらん、いらっしゃい」


 そこに見た人物に驚くとともに、勢い余ってズッコケた。

 転げ回りながらどんがらがっしゃんと、備品をふっ飛ばしながら丸テーブルに突っ込む。


「な、ななな……ッ?!」

「あらんいい男ね、ワタシに会いに来たのん?」

「だ、誰だ貴様はッ!」


 ルミナス嬢とは似ても似つかないどころか、明らかに男だった。しかも顔立ちも髭も濃すぎるサルだった!

 大胸筋がドレスを押し上げ、丸太のように太い腕は初めて見たごろつきよりも逞しい。

 もう存在そのものが恐怖でしかなかった。


「というか、なんでお前のような輩がルミナスの酒場におるのだ!」

「輩とは失礼ねんー。前の主人が売りに出したのを買い取って、いまは『ゴンザレスの酒場』よん?」

「なん、たる……」


 とすると、ルミナス嬢はこの町から出て行ってしまったというわけか。

 そりゃあこの町にはなんにもない。大した娯楽施設もなければ大きな町ほどの刺激もない。旅立ったとしてもなんら不思議ではないが。

 ルミナス嬢がいるから、スライムの頭ほどには帰ってきても良いと思えたのに……。わしの帰る場所は、もうなくなったというわけだ。

 わしは無言のまま踵を返す。


「あらんもうお帰り? 一杯飲んでいけばいいのに、おごるわよん?」

「いらん」


 一言こぼし、わしは酒場を出た。

 数歩進んで、ずしゃっと膝から地面に崩れ落ち、両手をついて咽ぶ。

 下を向いているからか、涙はとめどなく流れ落ちて大地を濡らしていく。


「うぅ……なぜだ。なぜこんな仕打ちを受けねばならん……。ルミナス嬢……」


 わしは右手を見つめた。

 谷間を弄った感触はいまもこの手に懐かしく宿る。

 あのおっぱいにもう会えんとは、生きていても仕方がない。思わずそんなことを思えてしまうくらいに素晴らしいものだったのだ。

 もう触れんとは……。


『はぁ……』


 ん? 久しぶりに脳内に声が聞こえたぞ?

 それにしても、なんだかため息をついたように思えたが……。

 わしは気になって、つい声をかけた。


「久方ぶりではないか。ため息なんてついてどうした?」

『……………』

「返事がない、ただの屍のようだ」

『ッ!? ――~~~~』

「ん?」


 息を吸ったかと思ったら、なにやら口を押さえられたようにもごもごしていたが。気のせいだろうか?


「なんだ、急に泣き出したかと思ったら今度は独り言か?」

「本当に変な勇者様ですね」


 声のした方に目を向けると、三人がわしを珍獣でも見るような目で眺めていた。


「見世物ではないぞ」

「どうしたんだよ、そんなに地面びしょびしょになるまで泣いて。告って断られでもしたのか?」

「お前さんも酒場を覗けば分かる」


 小首を傾げながら、ライアは酒場を覗きに行った。そして、すぐに苦い顔をして出てきた。


「なんというか、ご愁傷さまだな」


 あんなに親切だった主人があんなガチムチ野郎に代わってるとは……。そう言ってライアも肩を落とす。


「旅に出たのでしたら、またどこかで会えるのではないですか?」

「……そうだといいがな」


 わしは大きく息を吐く。

 いつまでもくよくよなどしていられない。今度会えた時は、しかと捕まえねばならん。そのためにも、わしがしっかりしなければ!


「それで、もやし勇者の件はどうだったのだ?」

「たしかにパン屋に若い男がいたな。たぶんあれで間違いないだろう」

「見るからに勇者という感じではないですわね」

「だろう?」

「だからと言って、おっさんがそれっぽいかというとそうでもないけどな」


 しゅん。がっかりの上乗せで肩が下がる。


「ま、出来ないなりに頑張ってはいるけどな」


 見ると、ライアは少し頬を赤く染めながらそんなことを言った。ぽりぽりと頬を掻きながら、決まりが悪そうに視線を流す。

 ふふふん、わしの魅力に中てられおったな。これは夢のハーレムに一歩前進といっても過言ではないだろう。

 俄然やる気が出てきたぞ!


「それで、これからどうするのだ?」

「とりあえず夜を待って、寝静まった頃にパン屋に侵入するのがいいと思うんだけど」

「それは不法侵入なんじゃ……」


 言いかけて、わしはふと思い出した。

 そう言えば大臣が言っていた。勇者は他人の家に勝手に入ったり、ヘソクリを持ち出しても文句を言われんし捕まらないと。


「なるほど、勇者特権を前借りするということか」

「お、知ってたか」

「しかしわし、まだ勇者じゃないのに大丈夫だろうか?」

「このままでは無理ですけど、こちらにはクロエがいますわ。黒魔法の中に姿を消せる魔法があるので、それを使って探すのです」

『犯罪を助長するみたいで嫌だけど、おじさんが勇者になるためなら仕方がないよね。やる気がある人が勇者になるべきだし。ここは目を瞑ることにするよ』


 示したメモ帳にはそんなことが書かれていた。

 わしは「かたじけない」と頭を下げて礼を言う。

 今度クロエにはバニースーツをプレゼントしてやろうと思う。間違いなく。

 そうしてわしらは適当に時間を潰し、夜を待った。



 世界が薄闇に包まれた頃。

 町には松明に火が灯され、やわらかな暖色が夜に彩を添えている。

 わしらは深夜の一時半に作戦を決行するため、パン屋と宿屋の間の路地に挟まり時を待つ。パン屋は仕込みの為に朝が早い。かといって早めの時間では起きている可能性が高いため、いい塩梅な時間であろう一時半を指定したのだ。


「そろそろだな」


 わしとソフィアは隙間から出て、パン屋の家の扉の前へ。


「勇者様、この魔法は五分で効果が切れます。危なくなったらすぐに引き返してください」


 路地からぴょこんとクロエの杖が覗くと、くるくると回りだす。

 紫の光がわしを包むと、やがてそれは収まった。


「これで本当に姿が消えたのか? 俄かには信じられんが」

「見えないですから安心してください」


 どうにも安心できんのだが……。

 わしはサササと移動し、ソフィアの左斜め後ろへ。そして、黒いスラックス越しの美尻を、人差し指を割れ目に這わせるようにむぎゅっと鷲掴んでみた。

 ふはは! もちもちむっちりとしていて実に揉み心地の良い尻! これはたまらん。やはり尻もいいものだな!


「――いたたたっ」


 頬を抓られた。


「見えとるではないか!」

「見えてませんよ、私は感が鋭いからですわ。それに気配や空気の流れで分かりますし」

「おっさん、無駄な時間使ってんじゃねえよ、早く行けっての」

「無駄ではない、無駄ではないぞ! これはスキンシップである故」


 まったく。女子たちにはまだ分からんようだな。大人の触れ合いというやつが。

 ……まあ、童のわしに言えた義理ではないのだが。


「勇者様、この砂時計を一分残すくらいを目途に感覚で戻ってきてください」

「分かった」


 もう一分過ぎたのか。時間というのは早いものだ。

 元盗賊のソフィアが鍵を開け、音を立てずに扉を開けるスキルで静かに開いた扉から、わしはパン屋へ侵入した。

 砂時計を一分残してだな。

 左手に持った砂時計を確認しながら、わしは家の中の備品を順繰り物色していく。

 壺やタンス。掃除道具入れに調理棚。テーブルや机など。

 途中時間が切れそうだと判断したわしは、一階を探し終えたタイミングで一旦外へ出た。


「どうでした?」

「いや、一階には見当たらなそうだな」

「そうですか。やはり二階や寝室の可能性が高そうですね。頑張ってください」

「うむ」


 再びクロエに魔法をかけてもらい、今度は二階へ。

 体重のせいか木の階段がひどく軋んだが、家の者が起きることはなさそうだった。

 廊下の花瓶、空き部屋、クローゼット。静かに眠る母親の寝室を探してみたが、なにも見つからん。

 そして肝心の。『ゆうしゃ』と汚い字で書かれた木のプレートがかけられたもやしの部屋へ。

 そこは木剣やのし棒、皮の服にぼろぼろのマントが脱ぎ捨てられ、整理整頓などという言葉そのものが散らかっているような汚い部屋だった。

 時折いびきをかきながら寝返るもやしにビクビクしつつも、わしは仕方なく部屋を物色する。

 ここまでくると手慣れたもので、効率よく探すことが出来た。

 のだが……それらしいものが見つからん。

 机の引き出しにもなく、タンスにも、もちろん壺や花瓶の中にもなかった。

 もしかしてと衣服のポケットの中も探してみたが、残念ながら見当たらない。


「まさかパンに入れて売りに出したとか?」


 そんなわけないか。異物混入ではないか。

 わしは頭を振り、時間も危ういということで急ぎ家を出た。


「どうだった、見つかったか?」

「いや、どこにもない」

「どういうことでしょう。まさか捨てるはずないと思うのですが……。ん? クロエ、どうかしたの?」


 一人外れて、庭先の木製ポストの前に立っていたクロエ。

 眉間に軽く皺を寄せ、なにかを真剣に凝視していた。こんな表情も絵になる、さすが王女!

 一人珍しい表情にニヤニヤしていると。

 見物もそこそこに、ポストを指さしながらクロエはこちらを向いた。

 わしらも気になり近づいて見ると、ポストに何かがはめ込まれていた。

 手の平くらいの大きさの、新円状のメダルみたいなものだ。

 描かれていたのは鳥のような竜のような、とにかく抽象的な紋章だった。


「こいつはまさか……」

「勇者の証ですわッ!」

「なんと! 表札代わりに使っていたとはな。家の中にないわけだ」


 しかし勇者の証を風雨に晒すとは。本当にやる気がないのだな、あのもやしは。

 まあ、いまとなってはどうでもよい。勇者はわしだ、わしが勇者! それでいい。

 わしは早速、ポストにはめ込まれていた紋章を外した。


『勇者もどきは「勇者の証」を手に入れました!』


 お、やはりこれで合っていたようだ。

 しかし、いきなり丁寧な口調になったぞ。聞き慣れんが、まあ今はそれは置いておこう。それにしても似非だのもどきだのと――


「やったな、おっさん!」

「う、うむ。これでまこと、勇者にクラスチェンジ出来るというものだ。これもお前さんたちの助力あってのこと、感謝する」

「クロエもさっき言ってましたけど、やる気がある勇者様になってもらった方がまだいいですからね」


 クロエも大きく頷いている。

 次はわしが活躍し、皆を助ける番だな。


「よし、では早くディーナ神殿に戻ろう。クロエの声を取り戻し、イルヴァータに緑を復活させねばな!」


 それにヴァネッサからフォアマストを頼まれているし。任務を遂行できれば、わしも童を捨てられるやもしれんだろう?

 エルフの女王からも土地を救ったとして好かれちゃったりなんかして! ハーレム要員が増えることはいいことだな。うはははは!


「まーたスケベなこと考えてんのか」

「これは勇者になっても変わらなそうね」


 三人の生ぬるい視線がちくちく刺さる。

 どうせなら甘噛みでもしてもらいたいが、それは先の楽しみとして取っておこう。

 いまは、勇者になることが第一だ。

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