剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 12

 

「遠き少年の日……私が異能力をこの身に発現したとき、父は喜んだものだった。祖父を殺した社会に対し、その力で復讐できる、と……」


 悟に敗北し、前のめりに倒れている太祖は死する直前、地面に自ら作り出した血泉の中で過去を語った。


「もっとも、父はこうも言っていた。“天よりお前に授けられた力には何らかの意味がある。それは自分自身で探せ”と。今となっては、どちらが真意なのかはわからぬ……」


 父が子に託した古代の呪法と復讐、だったはずである。だが、父が本気でそれを良しと考えたか否か? 子である太祖自身、理解に苦しんだのかもしれない。


「剣聖よ……」


 そして、彼は絶え絶えの息の中、静かに問うた。


「官僚が腐敗し、人心が行き場を失くし、温かみすら消えたこの空の下で、お前の剣は何処を向く……?」


 チェルシーの化学式を狙い、古代の呪法により神玄羅楚胄帝を呼び出し、世を“浄化”しようとしていた太祖。その理念が真に純粋なものだったのか否かは、今後の調査をもって判断することになる。が、それは悟の“仕事”ではない。彼はチェルシーとの“一億ポンドの約束”を守っただけである。この後、“後始末”のため国際異能連盟の者たちがやって来るはずである。神帰将星団の団員たちは捕らえられ、太祖が攫い、かこっていた女たちは解放されるだろう。


「俺は……」


 勝者となった悟は光刃を収めたオーバーテイクをジーンズの右ポケットに差し込んだ。そして肩紐を斬られ使い物にならなくなったショルダーホルスターを外し脇に捨てた。紙一重の差で悟の剣が速かったため、太祖の剣は当たりが浅く致命傷とはならなかったが、それでも左肩からかなり出血している。


「俺は、俺が信じるもののために剣をふるうだけさ……」


 それが悟の、剣聖スピーディア・リズナーの行動理念である。多くを語る必要も、詳細を告げる必要もない。ただ、己が信ずるもののために……


「この……世界に……信じられる……ものが……あると言うか……?」


 次第にかすれてゆく声で太祖は嘲笑った。


「我が目的は……今宵潰えても……後続の同志は……滅びぬ……お前は……それでも……傷つきながらも……命を賭すか……」


 と、残し太祖は絶命した。その最後の言葉どおり、人外を神とみなす神帰思想の持ち主は世界中にいる。いち剣客たる悟がどれだけの努力をしても、埒が明かないのかもしれない。


 太祖の死を確認した悟は寝台の前に立った。裸のシャオイェンが眠っている。発展途上の入り口にすら立っていない幼い肉体は、すこしだけ膨らみかけた胸にかすかな呼吸の痕跡を見せている。悟と太祖の戦いに割って入ったときに負った左肩の傷。そこから流れた血の筋が細く白い腕に残っているが既に乾いている。重傷ではない。


「しっかりしろよ」


 悟は見下ろしながら言った。すると、シャオイェンは、かすかに目を開いた。


「だめ……」


 彼女は、ちいさくかすれた声をあげ、剥き出しの股間を両手で隠した。薬物を打たれ、意識が朦朧としていようとも、そこだけは守ろうという少女の本能が、そうさせるのかもしれない。もしくは、ただの羞恥だろうか?


 悟はフライトジャケットを脱ぎ、シャオイェンの身体にかけてやった。左肩部が切れているそれは丈が短いが、小柄な少女を温めるには充分な大きさだった。


「わたしは……」


 仰向けのシャオイェンは、あどけなさの残る美しい瞳に涙を浮かべた。


「わたしは罪を犯したのです……」


「どんな罪だ?」


 訊く悟の声は、ぶっきらぼうでも優しい。


「露店で見かけた綺麗な髪飾りがほしかったのです。ですがお金がなくて……」


 薬物ですら忘れさせることができぬほどに、後悔と自責の念が強いのだろう。溢れ出すシャオイェンの涙は止まらない。


「両親に……嘘を、ついたのです……学校でお金が必要だ、と……」


「そうか……」


 悟はジーンズのバックポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出すと、シャオイェンの涙を拭いてやった。


「君が無事に戻れば、両親は喜ぶさ。そしたら、ちゃんと謝るんだな」


 太祖が攫った女たちのひとりである彼女に悟は言った。


「わたしは、川劇の女優になりたいのです。その夢を叶えるためにも、嘘で穢れたこの身を清める太祖様の“純化”の儀を受けなければ……」


「ンなもん受けても、夢は叶わないぜ」


「では、どうしたらよいのでしょう? わたしはどうすれば、女優になれるのでしょう?」


 そのシャオイェンの言葉を聞いた悟は寝台に腰かけ、脚を組んだ。彼女に背を向ける格好だ。


「“スタートライン”に立てよ。夢が叶うかどうかはわからねぇが、そうしなきゃ何も始まらない」


「スタート……ライン……?」


「ロンドンに、君と同い年くらいの女の子がいる。だが君と違って、彼女は長くは生きられない」


 なぜ、悟はチェルシーのことを語るのか? ただシャオイェンに希望を与えたかっただけなのかもしれない。


「罪を犯したわたしに、生きる資格があるのでしょうか? 夢を持ち続ける資格があるのでしょうか?」


「生きるのにも夢を持ち続けるのにも、資格なんざいらねぇよ」


 悟の左肩から流れる血はいまだ止まってはいない。痛みもあろう。だが、それでも彼はシャオイェンの側を離れなかった。


「俺は、俺が信じるもののために剣を振るってきた。君は、自分自身を信じて、これからも生きろ」


 それは、まだ長い日々をおくる少女への、剣聖からの唯ひとつのメッセージ、だったのかもしれない。



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