剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 2
「剣聖スピーディア・リズナー、貴様を殺人の容疑で逮捕する」
マッカンと呼ばれた男は言った。すると、これまで悟について来ていた黒服の男たちが一斉に拳銃を抜いた。
「おいおい……」
これは参った、という表情で両手を挙げる悟。黒服だけでなくマッカンに付き従っている制服警官たちも一斉に銃を向けた。彼らはみな、ロンドン警視庁の者たちである。黒服たちは空港での監視役だった。
「驚いたぜ。スコットランドヤードの皆さんは観光客に、こんなアジな歓迎をするんだな」
四方八方から黒く光る数十の銃口を前にしても、悟の顔から余裕は消えない。だが、いくら剣聖といえど、この状況を容易に打破できるものだろうか?
「観光客?」
マッカンは鼻で笑った。すると、いっそう冷たい風が吹いた。
「貴様は、この国では指名手配されている身だ。それが、のこのこやって来るとは、飛んで火に入る“夏”の虫というやつだな」
コートのポケットに両手を入れ、寒そうに背中を丸めるマッカンは“冬”風に冷えた鼻をすすった。
「“依頼”があれば、たとえ地獄の果てまでも駆けつける。それが俺だぜ」
悟のフライトジャケットの肩に“into the fire”の紋章が光る。それは、危険と隣り合わせ、死と背中合わせの剣聖たる彼の生きかたの象徴だ。
四年前、悟は、さる依頼を受け、ここロンドンで異能犯罪者の組織を壊滅させた。ところが、その組織が
「格好をつけとるが、結局は“金”なのだろう?」
癖の強いもじゃもじゃ頭をなでつけながらマッカンは言った。強風でアフロヘアーより激しい状態になっている。
「いくら貰った? 今回、貴様はいくら貰ったのだ?」
「“一億ポンド”だ」
「なにィ、一億ポンドだとォ!」
わざとらしくのけぞるマッカン。日本円にして百五十億円ほどである。異能業界の相場と比較して高すぎる。
「綺麗事をぬかしておるが、やはり貴様は法外な金で動くクズだな」
「否定はしねぇよ。明るい老後のために生活資金を貯めとこうかと思ってな」
剣聖スピーディア・リズナーは拝金主義者、という声は、たしかによく聞かれる。どの業界でもいえることだが、スーパースターに向けられる世間評とは、必ずしも好意的なものばかりではない。“偶然の剣聖”、“顔だけ”、“チャラ男”、“歴代剣聖中もっとも格下”とも言われる。
「その地道な努力は無駄になるな。貴様はこれから檻の中で暮らすことになるのだ」
マッカンは無精髭が生えた顎をしゃくった。
「武器を捨てたまえ」
「これか?」
悟はフライトジャケットの前身頃を開いてみせた。ショルダーホルスターの中に黒く光るそれこそ剣聖スピーディア・リズナーのトレードマーク。世界中の少年たちが憧れる真紅の光剣オーバーテイクである。
「まいったな、こいつは大事な商売道具なんだが……」
頭をかく悟。諸事情により剣聖制度は廃止されたが、パリに本部がある国際異能連盟から公認されているいくつかの“特権”が残された。そのひとつが航空機内における武器の携帯だ。
「捨てなければ、撃つだけだ」
と、言うマッカン。その周囲に立つ警官たちも悟の側にいる黒服たちも射撃姿勢を崩してはいない。
「わかったわかった、言うとおりにするよ」
敵意あるいくつかの銃口の中、悟はオーバーテイクを抜いて足もとに捨てた。金属質の硬い音が、その場の空気を割った。
「ついに……ついに、念願がかなうのだ……」
マッカンはロンドンの空を仰ぎ、嬉しそうに高笑いした。この四年間、彼が歩んできた受難と苦難の日々を考えれば当然だろう。上からの命令でやっていることとはいえ、イギリスでも大人気のスピーディア・リズナーを追う立場となった彼は国民からの批判に晒された。イタズラ電話や脅迫まがいの投書。自宅ポストに犬の糞を投げ込まれ、路上で卵を投げつけられたこともある。“平穏な暮らしに戻りたい”と言って妻と娘は家を出た。というか妻も娘もスピーディア・リズナーのファンだった。“スピーディアを逮捕するくらいなら警察なんか辞めて”というのが思春期の娘の口癖だった。
マッカンが憤る理由……大胆不敵にも剣聖スピーディア・リズナーは、なんらかの依頼を受け、年に一、二度、ちゃっかり来英するのだ。毎度毎度マッカンら警察との間で大捕物が展開されるのだが、これまでことごとく逃してきた。マスコミ各社が、その様子を面白おかしく書きたてるものだから余計、立場がない。昨年、田舎町のコッツウォルズに潜伏していた国際的異能テロリスト集団の残党を壊滅させたのはスピーディア・リズナーだったのだが、その後、ド派手なカーチェイスの末、またも取り逃がした。翌日の新聞紙面には某有名映画のタイトルとかけた『Arrest another day?《本当に捕まえられるの?》』の文字が踊った。
だが、妻と娘に逃げられ、国民から非難され、上層部から叱責されてきたマッカンの不幸な日々は、今日ついに終わる。剣聖の逮捕をもって……
「さあ、ひっ捕らえろ!」
マッカンが右手を挙げたそのとき、上空からけたたましい音がした。風が強まる。
「なんだ?」
空を見上げたマッカンと警官たち。その目が驚愕に見開かれた。赤く塗装された“鋼鉄の猛禽”が大地に影をおとしながら降りてくる。
「なんだ? なんだ? なんなのだ?」
“そいつ”がもたらす轟音と風の煽りを受け、その場に硬直する彼ら。わけがわからぬのも当然だ。なんと一機のドクターヘリがギリギリまで降下してきたのだ。
「じゃあな、マッカン警部」
響くローター音の中、その声はマッカンに届いただろうか? 悟は高くジャンプして、ヘリから垂れているロープを左手で掴んだ。そして右手には、ついさっき地面に捨てたはずのオーバーテイクを持っている。いつの間に拾ったのか? まさに早業。
「撃て! 撃てッ!」
上昇し始めるヘリを見て慌てたマッカンは周囲の警官たちに叫んだ。だが、誰も撃とうとはしない。当然だ。ドクターヘリに向けて発砲などしたら社会的大問題になる。
「おのれ、剣聖ッ……!」
ロンドンの空に舞うドクターヘリの航跡を凝視し、苦虫を噛み潰すマッカン。
「だが“行き先”がわかっている以上、今回は逃さんぞ! 追え!」
彼は周囲の警官たちに合図した。
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