魔剣ヴォルカン 8

「あ……あな……だ…………すの?」


 八重子は、“あなたは誰ですの?”と言おうとした。だが、声にならない。眠っているのは悟だと思っていたのだが、ベッドの中にいたのは金髪の外国人女だった。しかも裸ではないか。パンティ一枚で悟のベッドに寝ていたのだ。


「ん……」


 金髪女は目を開けた。そのまま上体を起こし


「ん……んああッ……」


 と、なまめかしい声をあげながら伸びをし、青い瞳で、ぼんやりとこちらを見てきた。


(だ……誰ですの、何者ですの、この女は……? 一条さんのベッドで裸で寝ているなんて……)


 八重子は数秒、考えた。頭の中が徐々に整理されていく。悟が連れ込んだに違いない。なにも着ていない、ということは……


「Bonjour……」


 金髪女は言った。フランス語だ。ならばフランスの人か。そうとは限らないか。他にフランス語を公用語とする国は……? いや、そんなことはどうでもいい。なぜ裸で寝ているのか? 昨夜、悟とこの女の間に何事があったのか?


「嗚呼……」


 金髪女はこちらを向くと、ベッドの上で姿勢を正した。そして……


「神よ……新しい朝を与えてくださった神よ……今日一日、わたしを導いてくださいますよう……」


 と、手を合わせ、裸のままお祈りをはじめた。八重子が修道服を着ているため、シスターだと思ったのだろう。間違ってはいないが……


「ああ、これはこれはご丁寧に……」


 と、条件反射で十字をきる八重子。彼女が所属する退魔連合会は人外の存在への対処のみならず宗教活動もおこなう。つまり八重子は退魔士であり、シスターでもあるわけだ。


「主は今日も、あなたとともにあります。信ずることのみが救いへの道標となるのです」


 八重子は胸にかけているロザリオに手を当て言った。悲しいかな、職業柄の行動とは、このようなときにも自然と出てしまう。


「嗚呼……ありがたいお言葉をありがとうございます、シスター」


 熱心な信者なのだろう。金髪女は、なおも懸命に祈っている。しかもパンティ一枚の裸で……


(いけない……この女のペースにのせられてしまったわ)


 八重子は頭を二度振り、金髪女を見た。青い瞳を閉じ、まだ手を合わせている。白い柔肌をあらわにしながら……


(このシチュエーションを、私はどう理解すべきなのか……?)


 もう一度、頭の中を整理する。だが、すればするほど、脳内でいかがわしい光景が繰り広げられる。悟がこの女を連れ込み、そして……


 すると次第に怒りがわいてきた。ベッドの上で跪き、自分のほうを向いて祈るこの女の胸が、やたら大きいことにも腹がたった。


(さすが外国人ですわね……)


 肉食を主体とする西洋人の胸とはここまで凶悪に育つものか、と驚愕した。“薩摩の怪物”と恐れられる権力者、藤代隆信の添い寝相手をつとめる八重子は89センチFカップのバストサイズを誇る。だが、この金髪女相手では霞んでしまう。それほどにデカい。H……いやIカップはある。


「嗚呼……神よ……爽やかな朝をくださったことに感謝いたします」


 金髪女は十字をきった。たったそれだけの動作で、どっしりとした胸が重そうに揺れる。たしかに清々しい朝だが、昨夜このベッドの上で彼女と悟が繰り広げた“行為”は爽やかとは程遠い濃厚でただれたものだったに違いない。


「Oh là là……」


 祈りを終えた金髪女は両手を交差させ、何もつけていない爆乳を隠した。


「わたしったら、こんなはしたない格好で寝ていたのですね。ブラジャーは……ブラジャーはどこに行ったのかしら……?」


 彼女は布団の中やベッドの下を探しはじめた。


(“どこに行った”ですって? あなたのブラジャーには足か羽が付いているのかしら?)


 八重子は心の中で皮肉を言った。この金髪女のブラジャーは悟が外して、どこかにやったのだろう。軽薄なあの男のことだ。“このブラジャーの中にある君の秘密を知りたいのさ”などとキザなことを言いながら脱がしたのかもしれない。


 もうひとつ腹立たしい点があった。金髪女が唯一、着けている布地が派手な豹柄のTバックである、ということだ。こんな破廉恥な格好で悟の誘いにのったのか? さすがモザイクなしのエロシーンを満載した恋愛映画を堂々と世に送り出す国の女だ。性に関してここまでオープンとは……おおらかなものである。


 廊下から足音が聴こえてきた。八重子は切れ長の目で入り口を睨みつけた。


「なんだ、八重子か……」


 Tシャツ姿の悟が歯磨きをしながら入ってきた。やや伸び気味の髪に寝癖がついている。眠そうにしており、いかにも寝不足といった風だ。睡眠時間が足りなかった理由など知れている。昨夜さぞかしたっぷりと、この金髪女のユーロピアンスペシャルボディを堪能したのだろう。


「ちょうど良かった。家ン中散らかり放題でさ。あとで片づけといてくれ。あと洗濯も頼まァ」


 八重子が放つ攻撃的な視線に気づかないのか? 勝手なことを言いながら悟は床の上に置いてあるエコバッグの中をのぞいた。


「お、食い物か」


 彼のために……彼のためだけに八重子が買ってきた肉と野菜だった。それを見た悟の目が輝いた。


「掃除洗濯の前に、なんかメシ作ってくれ。ここ数日、コンビニ弁当と外食とハンバーガーとラーメンのローテーションだったんで、すっかり“尿酸値”が上がっちまってよぉ」


 歯ブラシ片手に面白くない冗談を言う悟。口の周りが歯磨き粉だらけである。それを見たとき、八重子の頭の中で“何か”が切れた。


「一条さん……」


 平素以上の低音ボイスで八重子。嵐の前の静けさ、とはよく言ったものである。


「あ、でも肉は出してくれよ。“尿酸値”を気にしてたら、いいメシは食えねぇ」


 食欲も性欲も旺盛な“肉食系男子”らしくそう言って再び歯を磨きはじめる悟。


「“これ”は、どういうことですの?」


「あン?」


「なぜ一条さんのベッドに見ず知らずの女性、しかも金髪碧眼の外国人が寝ていたのです?」


「ああ、それはだな……」


 悟がなにかを言おうとしたとき……


「ああ……ブラジャーは、わたしのブラジャーはどこかしら?」


 金髪女はまだ悟に脱がされたブラジャーを探している。その声を聴いたとき、八重子は怒りの導火線に火がつくのを感じた。


「一条さんッ!!!」


 彼女は両の手で悟の胸ぐらを掴んだ。


「あなたは……あなたは……生活環境のみならず男女関係においても不潔だったのですね!」


「な、なんだなんだなんだ???」


 八重子になじられ、わけがわからずといった様子の悟。すっとぼけるにも程がある。


「この数日、あなたのお世話をしてきた中で少しは見直したというのに……見直したというのに……」


 悟の体を揺さぶりながら八重子は嘆いた。これまで助けを求めてきた市井の人々と真摯に向き合う彼の姿を目の当たりにし、少しは見る目が変わっていたのだ。だが結局、“剣聖”などともてはやされてきたこの男はナンパなチャラ男にすぎなかったようだ。やはり自分にとって最高の異能者とは、出奔した兄のまことである。こんなどこの馬の骨だかわからない天然金髪爆乳豹柄Tバック外国人女を連れ込むプレイボーイなど下劣で低俗な変態ではないか。


「この痴漢!俗物!すけこまし!変態!変質者!強姦魔ッ!!!」


 知っている限りの悪態をつく八重子。


「ま、待て待て……なんか勘違いしてねぇか?」


 とぼける悟の口から歯磨き粉が飛んできた。それが顔にかかってもなお、八重子は彼を揺さぶり続けた。


「ああ……ブラジャーは、わたしのブラジャーはどこかしら?」


 空気を読んでいるのかいないのか、いまだ辺りを探している金髪女。


「一条さん! あなたが脱がしたブラジャーを出しなさい! どうせTバックとおそろいの豹柄に違いないわ! 軽薄なあなたのことですから“君のIカップにウルトラダイブしちゃうぜ”とか言いながら脱がしたのでしょう!?」


「いやいや、妄想を拡大するな八重子! 誤解だ」


「誤解も六階もないですわ!」


「なんだそりゃ?」


「あ……あの……」


 ふたりの会話に金髪女が割り込んできた。豊満な身体を布団で隠している。






「追われているところを一条さんに助けられた、ですって?」


 事のあらましを聞いた八重子は驚いた。


「はい……」


 金髪女は頷いた。ブラジャーが見つからなかったため、素肌の上からカットソーを直接着ている。つまりノーブラだ。


「ほ、本当ですの、一条さん?」 


 八重子は隣に座っている悟を見た。場所をかえた三人は居間のテーブルに腰かけている。


「必死な顔して“西駅”を走る彼女を見たんだよ。なんか、ただごとじゃねぇなと思ってあとをつけてみたら案の定だった」


 と、悟。西駅とは鹿児島中央駅のことである。昔は、そのように呼ばれていたものだ。


「そ、そうだったのですか……」


 89センチFカップの胸をなでおろす八重子。やはり一条悟は正義の人だった。困っている人を見捨ててはおけない、こころ優しき熱血漢なのだ。


「一条さんが助けてくださらなければ、私はあの二人にさらわれていたことでしょう。神の御心に違いありません」


 金髪女はまたも十字をきって手を合わせた。敬虔な信徒のようだ。


「そうですわ。主は常に我々を見守っていらっしゃるのです」


 八重子は胸のロザリオに手を当て言った。調子がよい、というよりシスターとしての反射的な行動だ。


(一条さんを疑ってしまった私は、自分を悔い改めなければならないわ)


 そして心の中で反省した。悟は命を賭し、激闘のすえ、この金髪女を助けたのである。自らの危険をかえりみず……


「まァ、困ったときはお互い様さ」


 悟は行儀悪くテーブルの上に肘をのっけて言った。そんな仕草に頼もしい男気を感じる。


(やはり、この人は頼りになるわ)


 いま、八重子の目に映る悟の姿はカッコ良く、そして眩しいものだった。


「ところで……」


 金髪女は小首をかしげた。


「私、服を脱いだ覚えがないのですが、なぜ裸で寝ていたのでしょう?」


 それを聞いたとき、感動のあまりそれまで麻痺していた八重子の論理的思考力が蘇った。


「私が覚えているのは一条さんに助けられたところまでなのです。気を失ったあとのことはさっぱり……」


 金髪女の青い瞳に、さらに疑問の色が浮かんでいた。冷静になって考えてみれば、助けられた彼女が悟のベッドで裸で寝ていてよい道理はない。


「一条さん……………………………………」


 こっそり席を立ってどこかに行こうとする悟の首根ッこを掴む八重子。


「言われてみればそうですわ。なぜ、服を脱がさなければならなかったのです?」


「え? あ、いや、彼女、汗をかいてたんで……」


「だから脱がしたのですか?」


「さ、さいきん、夜は冷えるからさ」


「どこへ隠したのです?」


「え?」


「彼女の豹柄Iカップブラジャーをどこに隠したのです?」


「いや、その、なに言ってるの八重子さん……?」


 じたばたと逃れようとする悟を強靭な力で拘束する八重子。一番の気がかりは、まだ見ぬそのIカップブラジャーの行方だった。インターナショナルサイズの迫力を誇るに違いない逸品は豹柄であるため獰猛な野生のレオパードを連想させるはずだ。……それはどこへ、どこへ行ったのか? 


「あの……私、なにか余計なことを……?」


 わけがわからずといった表情の金髪女。寝起きが悪いようだが、今は正気に戻っているのだろう。


「一条さんッッッッッ!!!!!」


「知らねぇ! 知らねぇんだ! うわあああッ!!!」


 八重子の怒声と悟の悲鳴が家中に響いた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る