魔剣ヴォルカン 7

 鹿児島の秋は突然に訪れ、突然に去りゆくものだ。十月二十一日、晴れ。強い陽射しと涼しい風が同居する市内の空気は総じて快適なもので、通り過ぎた夏が、そのあしあとを大地にとどめ置くひところもとうに終わった。ただし、まだ秋の訪れ、という感じでもない。昨日、日中の最高気温は二十七度。夏の出口でも、秋の入り口でもないこの時期は、いまだ薄着で過ごす人も多く見られる。昼夜の寒暖差が大きくなり、それが理由で体調を崩す者もいるだろう。南国の空に短い秋がやってくるのは、いつになるのだろうか?






 一条悟が住む洋館は鹿児島市 城山町しろやまちょうにある。鹿児島に本拠を置く武器製造会社、藤代アームズの社長、藤代真知子ふじしろ まちこが彼のために用意したものだ。広い庭を持つ外観は古風なものだが、家電は最新のものが揃えられている。真知子の気配りであろう。ただ、住んでいる悟が無精なため、中は散らかっていることが多い。


 午前九時。庭に一台のオフロードが停まった。エンジンを切り、運転席から降りてきたのは、買い物用のエコバッグをさげた美しいシスターである。高島八重子たかしま やえこだった。


(やっぱり……)


 黒い修道服姿の彼女はため息をついた。不用心に開けっ放してある玄関の奥に見える廊下から住人のものぐさっぷりが確認できた。すごく、散らかっている。


 真知子の祖父である藤代グループ会長、藤代隆信ふじしろ たかのぶの命を受け、ここに派遣されているのが八重子だ。主な任務は剣聖スピーディア・リズナーたる悟の監視なのだが、彼があまりにも無精者であるため、身辺の世話も仰せつかっている。シスター服を着たメイドのようなものだ。


 実は八重子がここを訪れるのは一週間ぶりのこととなる。退魔連合会鹿児島支部 伊集院いじゅういん北出張所所属の退魔士である彼女は昨夜の夜勤を経て、ここ数日にわたった連勤を終えた。普通ならば疲労の極致にある時間なのだが、さきほどまで何事も起こらなかった平和な夜だったため、出張所の仮眠室でぐっすりと寝ることができた。だから眠くもない。しかも今日、明日が連休となる。仕事から離れることができる気楽さも相まって、わりと機嫌良く彼女は久々の“おつとめ”を果たそうかとやって来たのだ。つまり悟の“監視兼家事”である。


 玄関に入ると、廊下の向こう側まで悲惨な状況だった。数足ある色とりどりのスニーカーは乱雑に脱ぎ散らかしてあり、靴下も数枚、点在している。くしゃくしゃになった数着のTシャツや数本のジーンズも床の上だ。まるで泥棒に荒らされたあとのようである。


(まったく……)


 いつもの状況を見た八重子は二度目のため息をついた。やはり自分がいなければ、あの人はまともな生活をおくることなどできないのだ。これからは、どんなに忙しくても彼のため、三日に一度は来ようかしら、などと思った。


(いけないわ、甘やかしちゃ……)


 厳しく叱らなければならない。こみ上げてくる“母性本能”を心の奥に押し込めた。すると、その代わりに笑いがこみ上げてきた。


(もう……ダメな人……)


 脇の下駄箱の上に鏡が置いてある。八重子は自分の顔をチェックしてみた。ヴェールの下にある美貌には絶対的な自信がある。夜勤明けであっても、白い肌に異常は見当たらない。


(嫌だわ……なぜ鏡を見てしまったのかしら)


 すこし赤くなってしまった。実は久々に悟に会えることを楽しみにしているのかもしれない。剣聖たる彼の強さ優しさに触れてきたせいか、初対面のころと違い、最近は肯定的な目で見ることもできるようになってきた。ずぼらな人だが几帳面な自分と正反対ならば、むしろうまくいくのかもしれない……


(まァッ……! なにが“うまくいく”のよ……)


 妙なことを考えてしまった、と反省しながら八重子はオックスフォードタイプの靴を脱いだ。廊下に立つと、すぐそこに落ちていたのは……


(どういう生活をしていたら玄関先に“こんなもの”が転がるのかしら?)


 彼女はそれを拾った。なんと“茶碗”である。こんなところで茶漬けでも食べたのだろうか? 飯粒ひとつついていないのが大食いの悟らしい。


(もうッ……お説教しなくては……!)


 と、心に決めた八重子。そのくせ買ってきた肉野菜が入っているエコバッグと落ちていた茶碗を持って廊下を歩くと笑顔で鼻歌が出てしまう。現在、休業中のトップアイドル杉浦玲美すぎうら れみの大ヒットナンバー『lovers』だ。軽快なリズムに合わせ、足どりも軽い。


 悟の寝室はドアが開いていた。こっそり覗いてみると、頭から布団をかぶり、ベッドの上で寝ている“彼”の姿があった。


 八重子は音をたてぬよう、エコバッグを床に置くと、そっと近づいた。悟にしては寝相がよく、いびきも聴こえない。よく眠っている。


「一条さん……」


 平素から低いトーンをさらにさげて、八重子は声をかけてみた。悟からの反応はない。


「い・ち・じょ・う・さん……」


 さらに低音で呼んでみた。すると我ながら色っぽい声になってしまった。まるで“誘っている”みたいではないか。


(私ったら馬鹿ね……まるで熱々の新婚夫婦の朝みたいだわ……)


 などと反省し、こめかみのあたりをげんこつでかるく叩く八重子……だが表情は笑顔のままである。そういえば、こないだ読んだ女性週刊誌に“あなたが今付き合っている彼氏の性欲は朝にこそ強くなる”という記事があった。


(殿方とは、そういうものなのかしら? このシチュエーションで襲われたらどうしましょう)


 別に期待しているわけではないが、なんとなく想像してしまい顔が火照ってきた。


(あらあら……今日の私ったら、どうかしてるわ……)


 夜勤明けなので“ハイ”になっているのかもしれない。だが、隆信の命により、この男を監視することが自分の仕事だ。それを果たさねば……


「一条さんッ!」


 照れ隠しに咳払いをひとつして、八重子は声をかけた。


「起きなさい! 朝ですわよ」


 と、布団をはぎ取った……


 次の瞬間、ショックを受けた八重子の手から落ちた茶碗が硬い音をたて、床に転がった。だが、ひび割れたのはそれではなかった。彼女の心のほうだった。


「な……な……な……ん……………でたは……?」


 “なんですの、あなたは?”と言おうとしたのだが、声にならなかった。ベッドで寝ていたのは悟ではなく“金髪の外国人女”だったのだ。しかも“裸”である。

 


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