魔剣ヴォルカン 5

 十月二十日、午後十一時すぎ。日中と違い、やや肌寒い夜だった。終電前の鹿児島中央駅付近はまだ人通りがあり賑やかだ。多数をしめる若者たちの格好は人それぞれだが、気温に合わせて一枚重ね着をしている者が多いだろうか。商業駅ビルの灯りはほとんどが消えている時間だが、シネコンや一部の飲食店がまだ開いているせいか中から出てくる人々もよく見られる。電車を利用する者が多いため、駅構内は外よりもさらに殷賑たる状況だ。いかにも陸の玄関口といった活気ある風だが、次第に閑散としていくだろう。みな、明日への活力を取り戻すため、寝床につながる家路へとつきはじめる。






 人々の合間を縫うようにして、ひとりの女が駅構内を走っていた。名前はサンドラ・デュマ。フランス人であり、キャスター付きのバックパックを背負っている。肩にかかるほどのミディアムヘアはウェーブのかかった金髪。それが彼女の息と足音に合わせるかのように揺れ、かすかな残り香を不特定多数の雑踏に浸透させる。白い肌と青い瞳。かなりの美人である。


 揺れているのは髪だけではない。デニムジャケットの下に着ている白いカットソーの奥にある胸は外国人らしくインターナショナルなサイズだ。スニーカーが硬い地面を踏み叩くたび上下に踊る。すれ違う男どもはチラ見などせず凝視している。必死の相で駅を走る金髪の白人女というのは、まるでテレビカメラがまわっていそうなロケーションのようで珍しいのだろうが、豊満な肉体を見て、ただ単にいやらしいことを考えているだけなのかもしれない。


 かなり急いでいるらしい。サンドラはエスカレーターではなく桜島口側の階段をかけおりた。その名の通り桜島の方向にあるからそういう名称なのだが、利用する鹿児島県民たちは“東口”と呼ぶことが多い。そこから駅の外に出た彼女はネオンサインが明るい左手へと走った。まるで“何か”から逃れるかのように……


 しかし、どうやら土地鑑がないようだ。いまだ目立つ人工の光を発して通りに営業を知らせる飲食店、食い物や酒の味と匂いにひとときのやすらぎを求める客たち、それらが立ち並ぶ黄金こがね通りを抜けてしまうと途端に寂しくなった。進めば進むほどに闇のふちへと近づき暗くなってゆく。サンドラは立ち止まり振り返った。通りすぎたネオンの群れは、やや遠くにある。追ってくる者は見えないが、いまさら戻ろうかとでも考えているのだろうか?


 再び前を向いたとき、彼女の美しい顔が恐怖に凍りついた。前方から巨大な人影があらわれたのである。


「マドモアゼル、話を聞かせてもらおうか」


 フランス語を話す、身長二メートルはある堂々たる体躯の大男だった。こちらも外国人だ。襟付きのロングコートを着ているが、その中にある野獣の肉体が容易に想像できる。“雰囲気”というものは衣服では隠せないものである。


 サンドラはあとずさった。追われていることには気づいていたのだろう。だから逃げていた。途中、どこかで先まわりされたのか?


 だが、三歩さがったとき“別人”の気配を感じたようだ。サンドラは後ろを向いた。


「逃げ場はないよ」


 そこにはベリーショートの髪型をした白人女がいた。いつの間にか背後からの接近を許していたようである。


 サンドラの口が開きかけた。悲鳴をあげようとしたのか? しかし、すぐさま近づいた女の左手によってその口はふさがれた。


「抵抗したら、命はないよ」


 はすっぱな口調で、女はサンドラの喉元に右手のスタンガンをあてた。


「そばで見ると、いい女じゃない。あたしの好みだわさ」


 こちらは訛りのあるフランス語だ。ベリーショートの下にあるキツめの美貌がサディスティックに笑った。あてたスタンガンの先端は首筋を舐めるようにしてサンドラの豊かなバストトップへとその位置を変えた。


「おっぱい、大きいんだねぇ」


 女はサンドラの乳首あたりにスタンガンを押しつけると、こねくり回した。そして……


「この場で食べちゃおうかねぇ?」


 どぎついルージュからのぞいた赤い舌をサンドラの耳に這わせた。存分に濡れているらしく、唾液の線があとをひく。


「やめろ、おまえの“性癖”に付き合っている暇は無い」


 大男が釘をさした。ベリーショート女は舌打ちすると、青い目を閉じ身を固くしているサンドラから離れた。


「マドモアゼル、“ジェラール様”の居場所を教えてもらおう。素直に従えば、手荒な真似はしない」


 圧倒的な風格で迫る大男。彼のコートに付いている金属製の襟章共々、その目が威圧に光った。


「知らない……知らないわ」


 サンドラは震える声で、そうこたえた。その言葉には嘘の香りがあった。


「なんなら身体に訊いてやろうか? あたしの“テクニック”なら、すぐに口を割るさね」


 ベリーショート女が楽しそうにニヤついた。


「とりあえず、俺たちと来てもらおうか」


 男が一歩前に出たとき……


「ここは平和な駅裏通りだぜ。物騒ごとなら、よそでやってくれ」


 深夜の闇を吹き飛ばすような明るい声がした。三者が見た先にいるのは女性的で美しい顔をした男である。光ささぬ暗黒の空の下でも輝く秀麗な姿は誰の心をもとらえるらしい。皆が一瞬、自失の様を見せた。


「レイトショーを観た帰りに誘拐事件に遭遇するとは、俺もつくづく運がねぇや」


 一条悟は苦笑した。

 

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