わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 19
早子の中に潜んでいた“大蛇”は実体化の直後、長い上体を素早く伸ばした。狙いは復讐の対象であろう玲美。棍棒のような頭で国民的トップアイドルの身体を貫こうというのか?
だが、砕け散ったのはアスファルトだった。大蛇は細長い舌を出しながら、穴を開けた道路から顔を引っこ抜いた。
「一条さん……」
悟の腕の中で、玲美はまだ泣いていた。恐怖と早子に対する哀れみが流させた涙なのかもしれない。
「あれが、“獣化”した人外の姿さ」
悟は大蛇のほうを見た。
こことは異なる別の世界からあらわれる人外の存在。その平均的な大きさは二メートルから四メートルほどといわれる。だが目の前の大蛇はとぐろを巻いた状態で建物一階分を越す体高がある。全長はかなりの長さになるはずだ。
ヤツは硬い地面を這いずりながら近づいてきた。とぐろを解き、全身をくねらせ、上体が天高く反る。
「つかまってろよ」
玲美に言い聞かせ、悟は後ろに飛んだ。空中から再度、突っ込んできた大蛇の頭をかわす。人を丸呑みするには充分な大きさだ。自分をゆすった芸能ライターを“食った”というのは嘘ではないだろう。
爆発に似た粉砕音がした。コンマ0秒前まで悟が立っていたその場所にまたも大穴があいた。破壊されたアスファルトが瓦礫と化して飛び散る。
「こんなところに、モグラ叩きのアトラクションでもこしらえるつもりかね?」
冗談を言う悟。そして彼の腕の中には、しかとしがみつく玲美がいる。
『Shaaaaaa……Shaaaaaaaa……』
先の割れた舌を出しながら、大蛇はうねうねと近寄ってくる。
(いかにも蛇って感じの音だな)
悟は相手を見た。ヤツの胴の動き自体は速くないので距離が狭まるまでは時間がかかる。この道は車同士が余裕ですれ違うことができるほどの広さだが、その幅をフルに使いスラローム移動している。
「“蛇行”とはよく言ったもんだ」
巨体をくねらせる大蛇を見ての悟の感想だ。彼の手で横抱きにされている玲美は震えている。その熱い吐息を感じるほどに、ふたりの顔は近い。
(しかし逃げてばっかだと、ケリもつかねェな)
悟の考えるとおりだ。さきほど放った剣圧のように気を
“三撃目”が飛んできた。後ろ飛びにかわす悟。大蛇の頭が道路に接触し、三つ目の穴をあける。瓦礫が飛び散った。
悟は左手で玲美の太股を抱いたまま、右手で宙を舞う瓦礫のひとつをキャッチした。それは三十センチ四方ほどのいびつな形に粉砕されている。着地ざま、右肩に気を集中させ、サイドハンドで投げつけた。
『Gyaaaaaaaaaaaaaaaaa!』
その声は悲鳴か? それとも怒声か? のけぞった大蛇は急激にこちらに背を向けると、ムチのように尻尾を振るった。悟の左手側から横殴りに襲う。
「おっと」
脚に気を集中させた悟は大きく飛び、簡単にかわす。この道はまだ続いているようで、後背に行き止まりの気配はない。大蛇の動きが速くない以上、退がり続けるのは難しくない。だが、鱗に覆われた体はかなり硬いようだ。果たして、ダメージを与えられるのか?
大蛇の動きが止まった。道路の真ん中で堂々と、とぐろを巻いている。細長い舌を出しながら、こちらの様子を伺っているようだ。玲美を抱いた悟は後ろ向きにゆっくりと歩き、五十メートルほどの長い距離をとった。
(アイドルの太股を触るってのは、なかなかない機会だな……)
自分の首にしがみつく玲美の美尻の下を左手で抱えながら、悟はジーンズのバッグポケットからスマートフォンを取り出した。右手で器用にそれを操作する。
(民家は……なしか)
大蛇を視界の端に置きながら彼が見ているのは地図制作会社のアプリだ。現在位置から一キロ分ほど画面をスクロールさせてみたが、集落らしきものは見当たらない。ただし、山に繋がるこの道は次第に細く狭くなっていくようだ。
悟は後ろを見た。緩やかな登り坂となっている。左右は木が生い茂る草むらだが、アプリによると、この先は田畑がある。人がいないとは限らないため、やはりこのあたりで決着をつけなければならない。
次に、自分にぶら下がる玲美を見た。彼女の美しい瞳は、まっすぐにじっとこちらを見ている。
「悲鳴をあげなかったな。見た目によらず、いい根性だ」
と、悟。
「死にたい、と一度は願った身ですから……」
とは、玲美。数回の跳躍に付き合った結果、涙が乾いている。
「今は?」
「自分でも、わかりません……」
“わたしを殺して……”それが彼女の依頼だった。被憑者となった少女との出会いや、大蛇と化した早子を見たこと。それらが玲美の翻意につながればよい、悟はそう思っている。
「わたし、もう大丈夫ですから……」
彼女はしがみついていた悟の体からおりようとした。
「美人に抱きつかれるのは嫌いじゃないんだけど?」
「もう……!」
「冗談冗談……でもないけど」
ふくれっ面の玲美をおろした悟は大蛇を見た。まだ動く気配はない。
「早子さん、助かるんですか?」
「どうかな?」
人間と人外を切り離すには物理ダメージを与えるか、長期戦に持ち込むことで相手を消耗させるしかない。だが、そのあと憑依体が助かるかどうかは本人次第、運次第ということになる。剣聖スピーディア・リズナーたる悟の腕を持ってしても、それは変わらない。どんな高名な異能者であっても、憑依体の安全を狙って勝利することは不可能である。
「助けて、あげてください……」
「それは、君の新しい“依頼”?」
悟の問いに玲美は答えなかった。難しいことは承知しているのかもしれない。
「母の死後、ひきとってくれた祖父母が相次いで亡くなったあと、わたしは芸能界に憧れ上京しました。慣れない都会生活の中、面倒を見てくれたのは事務所の社長と早子さんでした。わたしにとっては姉同然なんです」
玲美は大蛇となった早子のほうを向いた。いや、その瞳はもっと遠い日を見ているのか? 右も左もわからなかったころを回想しているのならば、彼女にとってそれもまた思い出なのだろう。そして、過ぎ去った日々と失った人は二度とかえってはこない。
大蛇が少しづつ動きはじめた。道幅いっぱいに蛇行しながら、こちらへ近づいてくる。結局、戦うしかない。
「玲美さん」
「はい」
「もう一度、抱っこさせて」
傍らの玲美は悟の首に腕をまわした。すこし、背伸びをしながら……
「ドラマか映画のラブシーンみたいだな」
「わたしたちのラストシーンにならなければいいですけど……」
「センスのいいジョークだ」
「お願い……早子さんを、助けてあげて……」
悟は首筋に玲美の熱い吐息を感じた。ブラウンのロングヘアから芳香がする。
「最悪でも、君のことは守るさ」
悟は左手で玲美の太股をかかえ、横抱きにした。
「手を離すなよ。目はつぶっとけ」
そのまま大蛇のほうへと走った。すぐに相手の間合いに入る。大蛇は低い体勢から首を伸ばし攻撃してきた。それを飛びかわす。
脚に気を集中させている悟は大胆にも大蛇の背中に着地し、そこからさらに大きく飛んだ。反対側の地面に降りるともう一度ジャンプする。大蛇の尻尾がうなりをあげたが、それは空中にいる悟の足の下に弧を描いた。うまくかわしたのだ。
「追ってくる?」
着地後、振り返らずに走る悟。
「はい……」
横抱きにされている玲美はこたえた。悟の右肩ごしに大蛇の動向を見る体勢だ。
車が停めてあるところまで悟は走った。振り返ったとき、大蛇との距離はまたも開いていた。玲美の“退路”は確保したことになる。自分が死んでも、彼女は県道へ逃げられる。
「玲美さん、車に乗って逃げろ」
悟は玲美をおろした。
「でも、一条さんは?」
地面に落ちていた車のキーを拾い、彼女は訊いてきた。
「どうせ地元の退魔士連中が駆けつけて来ると思うが、ヤツを表の道路に出すわけにはいかないので足止めするさ」
車の通りが多い幹線道路に出すと被害が発生する。悟はここでケリをつける気だ。おそらく真知子が携帯のGPSを拾って退魔連合会に連絡しているはずである。
大蛇が近づいてきた。その移動速度は決して速くはないが、距離などすぐに縮まる。
「玲美さん、元気に生きろ」
それは死を望んできた彼女に対し一番、言いたいことだった。悟は立ちすくむ玲美に背中を向けると大蛇のほうへと歩きはじめた。
(いくぜ、こっからが本番さ)
ジーンズの右腰にくくりつけてあるホルスターから黒い筒状の得物を抜いた。気を送り込むと疑似内的循環により、一瞬にして真紅の刃が形成される。剣聖スピーディア・リズナーのトレードマーク、光剣オーバーテイクは今、ふたりの女の間にある愛憎の過去を絶ち切り、大蛇と化した早子の哀しみを断ち斬るため必殺の姿となった。
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