わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 18
人が“人ならざるもの”に取り憑かれる理由は様々である。仕事、恋愛、地位、金など……それらに対する欲求が果たされなかったとき、こことは異なる世界から人外の存在は忍び寄る。心の闇が抱える陰性の気をたどって……
早子がなぜ、人外に取り憑かれたのか? 煩悩と抑圧にまみれた現代社会に生きる彼女が負の側面に堕ちた理由を特定することは困難だが、“嫉妬”というものもあったのかもしれない。アイドルになれず、玲美に取って代わられたという思い……それが心身を蝕んだのだと考えればわかりやすい。そして今、恨みを晴らすときがやってきたのだ。
鱗だらけの手で玲美の首を締め続ける早子。その口から、およそ人のものとは思えぬ長い舌があらわれた。なんと、その先端は割れているではないか。
『死ね…………シネ…………Shi…………ne…………!』
意識が遠のく中で、玲美は早子の……いや、人外の声を聴いた。
“死んじゃいなさいよ、玲美……”
死を目前とした絶望の縁の中で、早子に言われたことを思い出した。母殺しの過去が知られたときだった。そう……たぶん自分が死を決意したのは、あのときだったのだ。母を殺した過去ではなく、信頼し慕っていた早子に責められたことが原因だったのだ。
ならば、その早子に殺されることは本望ではないか。細首にかかる圧力を感じながら、玲美は思った。一条悟は自分を殺してはくれなかったが、それでよかったのだ。今、復讐に燃える早子の手にかかることこそが配剤なのだ。
『あ……ンたみ……たい……イな…………ア…………イドル……に、なるコ…………トガ………………夢…………ダッタ……………レミ………………マユ、コ………………!』
まだ、人の心が少量ほどは残っているのだろうか? “早子だったもの”のその言葉を聴いたとき、玲美は昨日、施設で出会った自分と同じ名前の少女のことを思い出した。
“でもね、玲美ちゃんみたいなアイドルになりたいって夢は捨てないの。だって、目標がないとつまんないでしょ”
自分同様、人外に取り憑かれ、あと一年も生きられないという彼女の名も“まゆ子”といった。死ぬことがわかっていても、あの少女はそんな健気なことを言っていた。
“嬉しかった! 生きているうちに玲美ちゃんに会えるなんて、すっごく幸せ! あたしの憧れのひとだもの。だから、これからもステキなアイドルでいてください!”
これからも? 自ら死を望み、人外に取り憑かれ、信頼していた人の手にかかろうとしているわたしに“これから”があるのか? 本名の近江屋真由子ではなくアイドル杉浦玲美としての自分は、生きる気力を取り戻せるのだろうか?
玲美は両手で早子の腕を掴んだ。なぜ抵抗しようとするのか自分でもわからなかった。まゆ子のため、というより、死を間近にした恐怖のほうが案外、強いのかもしれない。彼女は懸命に喉元の拘束から逃れようとした。
そのとき、車のエキゾーストノートが響いた。荒っぽく急停止したコンパクトカーの運転席から降りたしなやかな人影が右の手刀から剣圧を放った。人外の力を得ている早子は玲美の首から手を離し、高々と飛んでかわした。
「誰ッ……?」
着地した早子は一瞬にして人の姿と声を取り戻していた。
「杉浦玲美の“長生き請負人”さ」
“彼”は言った。
大地に手をつけ咳き込む玲美。彼女が顔をあげたとき、涙で濡れる視界の中にいたのは……
(一条さん? なぜ、ここに……?)
そう。一条悟が助けにあらわれたのだった。
「つけていたのね?」
と、訊く早子。さきほどまで鱗に覆われていた手は、今は普通の人間のものである。
「玲美の車に、こっそり発信機を取り付けていたのさ」
悟は、ふたりが乗ってきた赤いハッチバックを指差した。牽制のため放った剣圧は向こう側の土手にあたり飛散したが、ふたりを引き離すのに成功した。
「女同士のドライブを尾行するなんて悪趣味じゃない」
「あの世行きのドライブを看過するような高尚な趣味はなくてね」
睨みつける早子と笑っている悟。両者の表情は対照的だ。
「君が玲美の過去を売ったという芸能ライターだが、現在“行方不明”だそうだ。数日前に家族から捜索願いが出されている」
悟は真相を語りはじめた。
「家族に最後の連絡があった日の夜、ファミレスの防犯カメラに君とその芸能ライターが映っていたらしい。そして彼の“血液”が近所で発見された」
もともとは警察が早子をマークしていた。だが物的証拠が得られなかったため超常能力実行局東京支局のEXPERが捜査にのりだした。凶器や指紋を残さない人外の関与が疑われたのである。
疑いをかけられている早子は今朝、飛行機で鹿児島に着いた。実は鹿児島空港までは乗客のふりをした東京のEXPERたちが彼女を監視していたのだが、到着ゲートをくぐった時点で薩国警備、つまり超常能力実行局鹿児島支局に捜査権が移った。彼らは都道府県単位で活動する。
これらの情報は藤代アームズ社長、藤代真知子が得たものである。悟は彼女に玲美の周囲の調査を頼んでいた。鹿児島の異能業界に多大な影響を持つ真知子ならば、簡単に薩国警備の情報を得られるため、マネージャーの早子に人外の疑いがあることは即刻わかった。フリーランスの悟が薩国警備の委託を受ける形でふたりを追ってきたのだが、これも真知子の手くばりである。電脳の存在たる彼女の仕事は正確で早い。
「俺のメイドは退魔士でね。さっき君に近づいたとき、強い陰性気質を感じたと言っていた」
さきほど悟の家で早子から菓子折りを受け取ったときのことだ。返り魔の使い手である八重子は戦闘向きだが、探知能力はない。彼女が陰性……つまり負の気を感じ取るには“好条件”が必要となる。早子の手に直接触れることで確信を得た、というわけである。
「さすがに、そんな君と玲美をふたりきりにするわけにはいかなくてね。尾行させてもらった。“当たり”だったようだ」
「困ったわね……」
早子は、すねたような表情を見せた。
「その芸能ライターはどうした?」
と、悟。
「骨まで“食べた”わよ」
とは、早子。腹の中で“消化”したのならば、証拠が残らぬのも当然だ。
「あたしが、あの男に玲美の母殺しの過去をバラした目的は、週刊誌にその記事を掲載させること。それで玲美を社会的に抹殺することだった。でも、あいつは事務所に金をせびったのよ。しかも、そのあと、あたしのことも脅してきた。玲美を売ったことをバラされたくなけりゃ金を出せ、ってね……」
喉のあたりから、くぐもった笑い声を出す早子。その目つきは暗い。
「なにもかも終わり……だけど、あたしの夢を、アイドルになりたいという夢を奪った玲美を殺して復讐を遂げてやるのよ! こいつがいなくなれば、あたしを捨てた事務所は各方面に支払う違約金だけで立ちゆかなくかるわ。社長に対する恨みも果たせるのよ!」
早子の肉体が巨大化をはじめた。着ていた服が裂け、それと同時に肌に“鱗”があらわれる。
「早子さん!」
絶望の声をあげる玲美。
『Uuuuuuu……………Uguuuuuuuuuu………Gaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』
人でなくなった早子の口から人のものではない声が漏れる……そして、その身は長々と地面に“とぐろ”を巻いた。
「いや……早子さん……どうして……」
頬から流れ落ちた玲美の涙は、かつて慕った彼女の変貌に対する哀憫の証明印を大地に刻んだ。そして早子の体は嫉妬の証左たる巨大な“蛇”となり、今まさに襲いかからんとしていた。
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