わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 17


 五年ぶりの再会……だが、早子が見たのは“かつての彼女”ではなかった。おとなしく内気で垢抜けなかった少女は都会的に洗練された大人の女になっていた。鹿児島から上京してきたころの近江屋真由子はもういない。いま、自分の前にいるのは国民的トップアイドルとなった杉浦玲美だった。


「早子……さん……?」


 すぐにこちらを認識した玲美の反応もまた驚いたものだった。あたしのほうはあまり変わらないのかしら? 有名人になって周囲からちやほやされる存在になっても覚えていてくれたのかしら? と、思うと少し不思議な感じがした。


「ひさしぶり、“真由子”」


 エレベーターを出た早子は、せいいっぱいの笑顔を作った。敗北した身であるが意地もあった。だから先輩らしい態度を取り繕った。


「早子さん……本当に……本当に、早子さんなの……?」


 玲美は涙を浮かべた。泣くときの表情には田舎者だったころの面影があった。


(この女、なにを泣いているの?)


 このとき早子は、玲美の感情を素直にくみとることができなかった。頂点に立った今、自分との再会などになんの価値もないはずなのに、と。


「早子さん……なぜ、なぜ、ここに……?」


 涙まじりの声で玲美が訊いてきたとき……


「“面接”よ」


 声がした。向こうから社長の丸田香奈絵があらわれた。


「面接……早子さんの? じゃあ“復帰”できるんですか?」


 美しい笑顔で玲美は言った。喜んでいるように見える。なぜだろう? あたしとあんたは天と地ほどに立場が違う……


「タレントとしてじゃないわ、社員としてよ」


 香奈絵は厳しい表情を崩さず、そして……


「玲美ッ! 何やってるの? これから撮影でしょ!」


 と、言った。“真由子”と呼んでいた昔とは違う。やはり目の前の女は杉浦玲美なのだ。


「ごめんなさい、早子さん。これから“仕事”なんです」


 申し訳なさそうな玲美。自分といっしょにいたころのダサい彼女ではない。ロングヘアはブラウンに染めており、ピアスをつけている。白く細い腕がのぞくノースリーブのニットの下はブランド物のスキニーデニムだ。


「そう……がんばってね」


 早子は手を振った。マネージャーらしき女性に連れられた玲美は名残惜しそうにエレベーターに乗った。


「早子さん……」


 別れ際、彼女はひとこと……


「わたし、早子さんに……」


 だが、玲美が“なにか”を言い切る前にドアが閉まった。その続きは、彼女のマネージャーになった今でも、まだ聞いていない。なにを言おうとしていたのか……?


 その後、翌年から早子はマルタプロダクションの社員となった。努力家で頭が良く、飲み込みの早い彼女は短期間で仕事を覚えた。すぐに若手タレント三名のマネージメントを兼任するようになった。


 今年の六月。それまで玲美についていた女性マネージャーが仕事中、階段から転落し大怪我した。入院の運びとなったため“代理”が必要となった。人員の都合から早子が抜擢された。


 “早子さんがやってくれるのなら……”


 玲美は、そうとだけ言ったという。アイドルになれなかった早子にとって後輩だった女のマネージャーになる、というのはある意味、残酷な人事であった。が、引き受けた。駆け出しの自分が断ることができる立場でもない……


 マネージャーとして化粧品のCM撮影に付き添ったことがあった。ヘアメイクを受け、周囲のスタッフからかしずかれ、関係者からおだてられる玲美を見たとき、羨望が生まれたことはよく覚えている。本当は自分もああなるはずだった。だが、なれなかった。その後、美しく着飾り、流行色の口紅を片手にカメラに笑顔を向ける玲美は、やはりスターのオーラをまとっていた。“今のあたしは破れた夢のすぐそばにいるのだ”と痛感したものだった……






 鹿児島市内から北へ六十キロほどの場所にある、薩摩さつま郡さつま町 鶴田つるだ。早子が運転する車は、こんなところまで来ていた。有名な鶴田ダムは見物客が多く訪れることで知られるが、平日の日中、人影はまばらである。その先は延々と続く山道で出水いずみ市や伊佐いさ市へと繋がっている。水俣みなまたやえびのといった県外の市も、もはや遠くない場所だ。


 山道の途中、左折した先で早子は車を停めた。広い道だが、誰も通る気配はない。蛙が鳴く季節は過ぎているため、なんの音もしない。空気は乾いており秋の訪れを感じさせるが、紅葉の時期はまだである。空は晴れているが今、太陽は雲に隠れている。かすかに吹く風は涼しい。


「こんな田舎でも、人目につかない所ってなかなかないのねぇ」


 車を降り、早子は伸びをした。玲美も降りた。ずっと助手席に座っていたので体が痛い。


 なぜ、早子は自分をこんな場所につれてきたのか? 理由はわかっていた。彼女から、恨まれていることも……


 心ない芸能ライターに母を殺した過去を知られ、ゆすられたとき、事務所は自分を守るため金を払った。その事実が早子を憤慨させた。


 “なぜ? なぜなのよ……! 母親を殺したあんたはアイドルになれたのに、あたしは、たかが男と付き合ったくらいで事務所を追い出された! どうしてよ!”


 あのとき事情を知った早子は玲美を責めた。思えば胸の陰化性紋は、そのあと浮かび上がった。心の闇に人外が取り憑いたのは、母を殺した罪悪感ではなく、それが理由だったのかもしれない。一条悟には黙っていたことだった。


 “あんたは昔から特別扱いだった! あたしより頭が悪くて、ダサくて、どんくさかったくせに社長はいつもあんたのほうを大切にした! 顔が良くて演技と歌の才能があるってだけで……!”


 早子は泣いていた。玲美は何も言えなかった。契約を解除された彼女に代わってアイドルとなり、今の自分がある。後ろめたさを感じていたのは事実だ。上京したころ、早子には親切にしてもらった。妹のようにかわいがってもらった。その恩を仇で返すこととなった。


 “なぜ……なぜ、あたしには黙っていたのよ? 社長や一部の社員は知っていたじゃない! なぜ、あたしには……”


 そう……十年前、上京直後の身辺調査により母殺しの過去は事務所に知られていた。だが恩人でありマネージャーとなった早子には知らせていなかった。それも、彼女を怒らせた理由だったのかもしれない。知られたくなかった、というのが本音だった。


 “死んじゃいなさいよ、玲美……”


 信頼していた早子に、そう言われたとき、玲美は負の側面に堕ちたのかもしれない。そして、人外に取り憑かれたのか。






「あたしたち、出会って十年になるのねぇ……」


 過去の記憶に思いをはせていた玲美は、早子のその言葉で我にかえった。


「あのころは、お互い中学生だった。あんたは社長ン家に下宿してたっけ」


 いつの間にか彼女は自分の目の前にいた。反射的に後ずさるが、もう生きることなど諦めている。


「ねぇ、玲美。面接のとき……あたしと再会したとき、エレベーターの前で、あんた何を言おうとしてたの?」


 そのときのことは、よく覚えている。自分と違い、早子はあまり変わっていなかった。だから、五年ぶりにあってもすぐに彼女だとわかった。


「お礼を、言おうとしたんです……」


「お礼?」


「わたし、早子さんにいっぱいお世話になったのに、なにも返せなかった。だから、お礼を……」


 それは玲美の本音だった。嘘ではない。上京したての中学生のころ、挨拶の仕方から事務所内でのしきたりまで教えてもらった。レッスンの帰りに、何度もハンバーガーショップでおごってもらった。カラオケなど行ったこともなかったが、選曲の仕方を教えてくれたのも早子だった。


「馬鹿じゃないの!?」


 早子は車の鍵を投げつけてきた。それは玲美の肩にあたり、鈴に似た音をたて地面に落ちた。


「“勝者”の余裕? そうよね、あんたはアイドルになれたんだものね!」


 勝者……勝者とはなんなのか? 夢をかなえた自分は勝ったほうなのか? 早子から受けた痛みが肩に広がっても玲美にはわからなかった。


「母殺しのくせに……」


 強烈なひとことが早子の口から発せられた。月日が流れても彼女の中では、アイドルになれなかった後悔の念が消えずにうずまいているのだろう。その夢を奪った自分は、これから報いを受ける……


「母殺しのくせに国民的アイドルですって? 笑わせるわ」


 至近距離で早子は笑った。


「最後に、いいこと教えてあげる。あの芸能ライターに、あんたの過去をバラしたのは“あたし”よ」


 それは衝撃的な告白だった。


「行きつけのクラブで、子供の頃あんたと同級生だったって男に会ったのよ。そいつから聞いたの。杉浦玲美が母を殺したあと転校したって噂があった、ってね」


 早子の視線を受け止められず、玲美は目を伏せた。マネージャーたる彼女に裏切られたことを今、知った。


「あたし、あのとき、あんたに対する“復讐”を思いついたのよ。事務所をゆすった芸能ライターってのも同じ店の常連でね」


 嗚呼……自分はそこまで恨まれていたのだ。玲美はそう感じたが涙すらこぼれなかった。もはや覚悟ができている。


「人殺し……」


 早子は、さらに言った。


「あんたは人殺しの母殺し。それなのにちやほやされる身……存在自体が罪……」


 その台詞をきいたとき玲美は胸に高熱を感じ、うずくまった。


「なにしてるの? あたしのすべてを奪ったからって土下座?」


 早子の嘲笑……だが、それは次第に耳から遠ざかる。胸の陰化性紋が熱い。心の闇が広がっていくような気がする。ドス黒い“なにか”が目覚めそうだ。


「ああ、違うか。命乞いね。自分で死ねない意気地なしのあんたは殺されるのが怖くなったのよ」


 高らかに笑う早子。だが、それすら聴こえなくなってゆく。


『トキハナテ…………』


 代わりに“別の声”がした。それは自分の身に取り憑いた人外のものなのだ。耳ではなく頭に響く。


『“ワレ”ヲ、トキハナテ…………』


 陰化性紋を突き破って“それ”は出て来ようとしている。


『ワレノチカラ、トキハナテバ、ソレハ、オマエノ、チカラトナル……』


 玲美の心は抵抗した。高熱を放つ陰化性紋を手で抑え、必死に……


「何やってんのよ!」


 苛立ったのか、早子は玲美のロングヘアを掴み、強引に立ち上がらせた。


「天下の杉浦玲美がいいザマね」


 自分の中に潜む人外に抵抗を続ける結果、美しい顔から血の気を失っている玲美。その首を右手で締めながら早子は笑った。


「知ってる? 杉浦玲美って芸名、本当はあたしが貰うはずだったの。社長はなんで、あんたに名のらせたかわかる?」


 早子の手に力がこもる。苦しい……


「“あてつけ”だったのよ……決まりを破って男と付き合って、事故って撮影に行けなかったあたしへの……」


 早子の目からこぼれた涙……それは、誰に対する恨みが流させたものなのか? 玲美か? 社長の香奈絵か?


「だから本当は、あたしが杉浦玲美になるはずだった。そう……あたしが玲美であんたは真由子。弱虫のまんまの……」


 早子の瞳が赤く光った。涙が虹彩を変質させたのか? いや、違う……!


「あた……シ……が……玲……ミ……にナル……はズ…………………………あ、ン……タ、ハ…………マユ………コ!」


 その声が人の物ではなくなっていく。いや、その姿すらも……玲美の首を締めている早子の腕が奇怪な“鱗”に覆われてゆく……


「レミ……………マユコ……MAYU…………KO………………」


 異質な声を放つ口から、人のものとは思えないほどに長い舌があらわれた。


(ああ……なんてこと……)


 薄れゆく視界の中でも、玲美にははっきりと見えた。自分だけでなく早子もまた、人外の存在に取り憑かれていたのだ……

 

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