わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 7

 

 鹿児島市 城山しろやまに建つ一条悟の洋館に着いたとき、庭に一台のオフロードが停まっていた。玲美の赤いハッチバックは、その横につけた。


「八重子が来てるな」


 シートベルトを外しながら悟は言った。


「“彼女”ですか?」


 ギアをパーキングに入れた玲美が訊いてきた。


「ちゃうちゃう、“メイド”だよ」


「メイド?」


「まァ、機嫌が悪くなければ、お茶くらいは淹れてくれるさ」


 車を降りたふたりは玄関の前まで行った。悟は、そっとドアを開けた。


「一条さんッ!」


 すぐに奥から高島八重子たかしま やえこがあらわれた。キリスト教系の退魔士である彼女は黒い修道服を着た相変わらずのシスタールックだ。


「二日ぶりに来てみれば、また散らかして! 飲み終わったペットボトルはキッチンの青いゴミ箱の中に入れておいてくださいと、あれほど言ったではありませんか! あと脱いだ靴下は洗濯かごに……」


 鬼の剣幕で八重子。几帳面なせいか、悟のぐうたらぶりには我慢ならない、といった風だ。


「悪りィ、お茶はあきらめてくれ」


 と、悟は横に立つ玲美に言った。


「そちらの方は?」


 ヴェールの下にある切れ長の美しい目を鋭く光らせながら、八重子は訊いてきた。おそらく藤代グループ会長、藤代隆信の命を受け、自分を監視している立場であろう彼女は、来客にもとことん神経を使うのだろう。


「依頼人だよ。ささ、あがって」


 と、悟はスニーカーを脱いだ。促された玲美は山高帽子とサングラスを外し


「近江屋真由子です」


 本名をなのり一礼した。八重子はその場に固まっている。


「何やってんだ八重子、邪魔邪魔」


「い、一条さん、この方は……」


「だから、依頼人。お茶淹れて」


「す、す、杉浦玲美さんでは……?」


 平素は低い八重子の声は、悟が今脱ぎ散らかしたスニーカー同様、ひっくり返っている。


「はい、杉浦です。よろしくお願いします」


 玲美は礼儀正しく頷いた。


「なんだ八重子、君も知ってるのか」


「し、し、知ってるもなにも、あの杉浦玲美さんですのよ? 知らないほうがどうかしてますわ!」


「君も意外と世情に明るいんだな」


「ドラマも映画も全部見ておりますわ。先日放送された『ブティック経営者の不思議事件簿』のスペシャル版も勿論……私、大ファンですの。あ、ちょっとお待ちいただけますか?」


 八重子は玄関にある庭履き用サンダルをつっかけると、外に出た。そして三十秒ほどで戻ってきた。


「サ、サインをいただけないでしょうか?」


 彼女は一枚のアルバムCDを差し出した。ジャケットに映っているのは、風に髪をなびかせている杉浦玲美その人だ。車に積んであったらしい。


「ありがとうございます! 光栄ですわ!」


 ファンらしくCDにサインをしてもらった八重子は普段、絶対に見せないような輝かしい笑顔で何度も頭を下げた。玲美のほうも何度も頭を下げかえす。キリスト教のシスターとトップアイドル……平和な光景ではないか。


「君って、相当な有名人なんだな。知らなかったよ」


 悟は玲美に言った。


「当然ですわ! 国民的存在ですのよ」


 答えたのは、なぜか八重子。


「いや、俺マジで彼女のこと知らなかったんだ」


 悟の言葉を聞き、八重子はまたも硬直した。


「い、一条さん……それ、本当なのですか?」


「ああ……」


 八重子は震えている。ドン引きしてないか?


「一条さん!」


 彼女は悟の両肩を掴み、揺さぶった。


「国民的女優さんにして歌手ですわ! それを知らないなんて!」


「痛い痛い」


「グループアイドル全盛の時代に彗星のごとくあらわれたトップスター! 孤高の歌姫とも呼ばれる方ですのよ!」


「だから、痛い痛い」


「普段、ゴロゴロしながらテレビばかり見ているではありませんか! それなのに知らないなんて、“おじさん”にもほどがありますわ!」


「いやいや、海外生活が長かったものだから……」


 悟の言い訳は事実である。最後にして“偶然の”剣聖スピーディア・リズナーは世界を股にかけた異能業界のスーパースターだった。実は鹿児島に帰ってきて、今日でちょうど二ヶ月がたつ。






「ところで、君の“依頼”だが……」


 玲美を居間に通し、席をすすめた悟は言った。八重子はキッチンでお茶を淹れている最中だ。


「事情を話してくれる?」


 悟も座り、対面した。玲美はさきほど“わたしを殺してほしい”と言っていた。わけもわからず、依頼を受けることはできない。


 玲美は……すこし迷っただろうか? 美しい瞳が不安と緊張に揺れているようにも見えるが、やがて……


「わたし、“取り憑かれて”しまったみたいなんです……」


 と、答えた。


「人外、か?」


 悟が訊くと、玲美は静かに頷いた。


「“自覚”があるのか?」


「はい……」


「いつごろから?」


「二週間ほど前からです」


 それならば潜伏期間ともいえる。対処が早ければ助かる見込みはある、が……


「“病院”に行った?」


 と、訊くと玲美は首を横に振った。行っていないらしい。


「やはり、いろいろ気になるかい?」


「はい……」


 異能者と通常人の関係が身近になった昨今でも、人外の存在に取り憑かれた者に対する偏見はいまだ根強い。そういった人たちが権利を訴える姿はよく見られるものである。玲美のような有名人の場合、下手をすると芸能生命を絶たれかねない。今年の春先、ハリウッド俳優が人外に取り憑かれた事実を世間に告白したことは記憶に新しい。現在は療養中と聞く。


「だが、俺なんかを頼るより病院に行くのが手っ取り早いぜ? 今なら“治る”かもしれないし」


 “霊的治療”に対応した病院はたくさんある。人外に取り憑かれた者はそこに行くのが最善の結果を生むものだ。


「“自覚”がある、って言ったけど、どんな?」


 悟は訊いてみた。もし、すでに“具現化”しているのならば、なんとしてでも病院に連れて行くほうが良い。最悪、命に関わるからだ。


「胸に……」


 玲美は俯いたままで言った。


「胸?」


「はい」


「見せてもらえる?」


 気を遣っている悟の口調は優しい。玲美はすこし迷ったようだが、立ち上がるとパーカーを脱いだ。中は半袖のTシャツである。彼女は腕を交差させ、その裾に手をかけた。ローライズのスキニーデニムの上にある臍がちらりと見えた。


 そのとき、悟の視界が真っ暗になった。


「なぜ俺の目を隠す?」


 悟は自分の背後に立ち、手のひらで視界を遮断してきた人物に訊ねた。


「ご婦人の体ですので、一条さんに代わって私が拝見いたします」


 悟に目隠ししながら、八重子が言った。


「話は聞いてただろ、依頼を受けたのは俺だ。だから俺が見る」


 彼の目が八重子の手から解放されたとき、不幸にも玲美はまだ脱いでいなかった。


「なんていやらしい……下心がまる見えではありませんか」


「バカ、“仕事”だろうが」


「玲美さんは国民的な存在ですのよ? おじさんが軽々しく見るものではありません」


「ンなこと言ってる場合か、つーか俺はまだ若い!」


「あの……いいんです」


 ふたりのコンビ漫才を止めたのは玲美だった。


「見ていただかないと、はじまらないので……」


 彼女はTシャツを脱いだ。トップアイドルの白い美肌があらわになる。ブラジャーは薄いピンク色だった。


 かつてグラビアアイドルだったころ、世の男どもを虜にした下着姿は美しかった。豊満な胸は清楚な顔だちに不釣り合いなものだが、それが魅力だったのだろう。ローライズデニムのベルトループの上にあたるウエストは見事にくびれ、臍を丸出しにした格好はセクシーの極限をゆく。


 玲美はブラジャーの左カップ部分をすこし下にずらした。乳首があるであろう位置のやや上に清純派の彼女には似合わぬものがあった。二センチほどの黒いタトゥーだ。

 


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