時計塔を守れ! 15


 九月二十四日、早朝。昼夜の温度差が大きい時期である。軽い肌寒さを感じさせる理由は、やや乾いた空気にあるのだろうが、そのくせ木々は夜露に濡れている。うすら明るい空は今日の好天を確約するものであろうか? 降水確率はゼロパーセントとあった。傘のいらぬ日になりそうだ。


 まだ昇りかけの太陽が照らす道をコミュータータイプの大型ワンボックスカーが走っていた。見た目は市販されている物と同じであるが使用目的は異なる。“移送用”だ。


 運転席と助手席をのぞく後席は十二人乗りになっている。その左右の座席は進行方向ではなく内側を向いているため対面している。広い車内に今、乗っているのはわずかニ名と“もう一人”。三名全員が男だ。誰も口を聞く者はいない。


 運転席と助手席に座るニ名のほうはスーツを着用している。彼らは超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国警備のEXPERだ。ただし、その仕事は鵜飼丈雄のような実動本部所属の者たちとは異なる。


 “異能監察部”。彼らは、その部員だ。超常能力実行局のEXPERと退魔連合会の退魔士で共同構成されたもので、文字通り両組織内の“監察”を仕事とする。すべての都道府県に置かれており、異能者の不正をつきとめる。


 戦後の日本の異能業界は超常能力実行局と退魔連合会という二大組織が牽引してきた。アメリカ主導のもと作られた前者と明治期から存在する後者は互いの領分を侵すことなく友好的に両立し、ときに共同して有事に当たる。異能監察局とは、その最たるものと言って良い。EXPERと退魔士が手を組む事柄の代表例だ。


 そして、だだっ広い後席をたった一人で占領している狩衣姿の男は二日前、一条悟に敗れた退魔連合会の退魔士、銭溜万蔵である。着席するその巨体は背を丸め、やけに殊勝に小さくなっていた。手錠をはめられているが、これは異能力をもってしても破壊できないネオダイヤモンド製だ。


 組織に所属する異能者による不祥事はたびたび社会問題化する。異能犯罪者や人外の存在から人々を守るための彼らが悪事に手を染めると、マスコミなどはすぐに飛びつく。異能力を持たない一般人からバッシングの対象となる。今回、銭溜は金のために静林館高校の時計塔を取り壊そうとした。この件は藤代アームズ社長、藤代真知子が監察部に伝えたのである。鹿児島の異能業界に影響力を持つ彼女ならば、監察を動かすことは難しくない。


 どこからか嗅ぎつけたマスコミが騒いだのは二日前の日中までであった。一部の昼のテレビニュースで銭溜の不祥事が茶の間に伝えられたものの、それ以後は報道されなかった。なんらかの“圧力”がかかったのかもしれない。


 退魔士法違反の疑い……これが銭溜にかけられた嫌疑となる。虚偽報告、不当な金銭の受け取り。退魔連合会の退魔士としての彼の人生は終わった、と言って良い。これから“しかるべき場所”へと送られるのだろうか? そこで罪を告白し、相応の罰を受ける用意をするのかもしれない。


 異能者に与えられる“罰則”とは、いかなるものか? 罪刑法定主義の観点から当然、犯した罪の大きさにより内容は決まる。異能をもって人を殺せば刑法が適用され死刑もあり得る。服役する者もいる。人間である以上、最終的には一般人同様の報いを受ける。かつて“外科手術”により、異能の発動を不可能とする“身体刑”が存在したが、国際異能連盟により現在は世界的に禁じられている。異能者の人権が認められているからだ。






 銭溜を乗せたワンボックスは県道217号線を南下していた。ここは通称、産業道路と呼ばれ、あと一時間もすれば車の通りが多くなる。市街地方面と南部をつなぐ主要道路だが、今はまだすいている。卸本町おろしほんまち交差点を左に曲がり、少し行くと南栄なんえい公園がある。その前に黒塗りの大型セダンが停まっていた。


 ワンボックスはそのセダンの後ろに停まった。自動でスライドドアが開いた。立ち上がったのは後席の銭溜のみ。前に座るスーツ姿のEXPERふたりは動こうとしない。


 いや、助手席側のEXPERが後ろを向いた。小型のリモコンを持っている。そのスイッチを押すと、銭溜の両手首を拘束していた手錠が外れ、床に落ちた。なぜか? 罪を犯したこの男を自由にする理由などないはずだ。


 思えば剣の達人である銭溜を移送するには人手が少なすぎる。暴れでもしたらどうするのか? 普通ならば、このワンボックスの全席が埋まるくらいの人手がいるはずだ。だが監察部のEXPERは二人しかいない。


 自由になった銭溜はワンボックスを降りると、黒塗りのセダンのほうへと歩いて行った。彼が後席のドアを開け中に入ると、ワンボックスは出発した。この場に残ったのはセダンのみ。


 そのセダンの後席に座った銭溜は、またも背を丸めていた。うなだれているようにも見える。敗戦のショックか? それとも屈辱からか?


「良い様ですわね。もっとも、監察相手に黙秘を貫いたことだけは認めますわ」


 運転席から嫌味の成分を含む女の声がした。パンツスーツ姿である。朝日が眩しいのかサングラスをしている。バックミラーに鮮やかに映る血のように赤いルージュのみが、その心境をあわらす。唇の端をつり上げ、笑っていた。


「“上”はお怒りです。金策に失敗した挙句、我々が忌み嫌うフリーランスに敗北。報道を止めるのに苦労したそうですわ」


 フリーランスとは銭溜を倒した一条悟のことであろう。上とは誰か? バックについているのはなにか?


 嫌味を言われても銭溜は反論せず、うなだれたままである。巨漢の背中が丸まっているせいで大型セダンの後席にもかかわらず、狭く見える。


 その姿をバックミラーで確認したのか、女は赤いルージュからため息をついた。そして、助手席に置いてあった“ある物”を取った。


「これを、お開けなさいませ」


 彼女は後ろを向き、それを差し出した。四十センチ四方ほどの白い箱だ。蓋がしてある。


「退魔連合会内で、今までの立場ではいられないでしょう? 当分は“裏方”ですわね」


 と、女は笑った。銭溜は受け取ると蓋を開けた。中身は……円を描く緑色の月桂樹をモチーフにした“仮面”だった。


「我ら、月桂樹の誓いのもとに、無益な自由を求める者に鉄槌をくだす」


 女は言った。それは、このふたりの合言葉……先日、鹿児島中央駅付近で薩国警備の潮崎健作しおざき けんさくを殺害した連中も同じことを言っていなかったか?


 “セルメント・デ・ローリエ”。フリーランスの異能者を嫌悪する一部の退魔連合会の退魔士と薩国警備のEXPERにより結成された異能テロリスト集団である。組織至上主義ともいえる思想を持ち、フリーランスへの転身を計画していた潮崎を手にかけた。なんと、銭溜はその一員だったのだ。


「しくじったあなたを助けた理由……それは、再結成した我々にとって、あなたの剣の腕と集金能力が必要だからなのです」


 そう言う女もまた、そのメンバーなのだろう。ルージュと同じ色をした真っ赤な爪でショートヘアの耳元を軽くすいたのち、彼女はふたたび前を向いた。十年前、剣聖スピーディア・リズナーによって壊滅させられたはずのセルメント・デ・ローリエ。だが、なんらかの手で“復活”した。今回、失敗に終わった時計塔の件は資金調達のための手段だったようだ。舎利田のような市井の一般人を相手にするということは、まだまだ金が足りないのだろう。


 それにしても、悪事を取り締まるはずの“監察”から銭溜の身柄を受け取ったセルメント・デ・ローリエ。彼らは異能業界のどこまで食い込んでいるのか? 薩国警備や退魔連合会の上層部は、どれほどに腐敗しているのか?


「そういえば、あなたを負かした一条悟という男についておもしろい話がありますの。聞きたいでしょう?」


 女はサングラスを外した。アイシャドウは濃く、メイクもキツめだが、いい女である。年齢がわかりづらいタイプだが、三十にはなっていまい。


「その一条悟というフリーランス、彼こそが我々の宿敵、剣聖スピーディア・リズナーだという噂がありますの」


 その言葉を聞いたとき、銭溜は顔を上げた。なんと十年前、セルメント・デ・ローリエを壊滅させたのは、あの男だというのか? 異能業界のスーパースター、剣聖スピーディア・リズナーは死んだはずではなかったか?


「少しは、覇気が出たかしら?」


 流したての血のような色をした唇に淫れた艶が濡れて光った。リキッドルージュなのだろうか。女の喉の奥から冷めた笑いが漏れた。


「俺を、なめるな……!」


 銭溜は凄んだ。いつもの彼の口調ではない。例のけったいな笑いも消えていた。


「怖いわ……」


 女は白い歯をのぞかせた。台詞とは裏腹に、まだ笑っている。銭溜はその手を掴み強く引いた。軽やかに前列シートの間をすり抜けた女は裸足だった。靴は脱いでいたようだ。


 立派な後部座席に女を組み敷いた銭溜は口づけ、その赤いルージュを吸った。ごつい手でスーツの前ボタンを外すと、丸首の黒いインナーをめくった。白くスレンダーな上半身と、濃いブルーのブラジャーが露出する。


「こんな所じゃ、嫌……」


 そう言って女は唇を離した。一瞬にして発火した男の本性を見たせいだろうか。今までの態度とうって変わり、アイシャドウの目が怯えている。そして赤いルージュはふるえていた。


「やってやる……! 俺は、いつかセルメントをこの手に入れる。剣聖を倒せば、それが叶う……!」


 狩衣姿の銭溜は女の身体に覆いかぶさった。


「やめて……誰かに見られるの、嫌なの……」


 そう言いながらも、女の手は銭溜の背中にまわった。車内で抱かれる異常なスリルは雌の本性を発火させるのか? 急に従順になった白蛇のような細い肉体は今、中年男のただれた欲望を吸収するだけの、か弱い受け皿にすぎない。


「ああッ……銭溜さん……だめ……」


 女の甘い吐息が車内に妖しく匂った。外の爽やかな風と内の淫れた空気を表裏に仕切りながら、汚されてゆく柔肌を映す車窓もまた、時計塔同様、陰陽の境界を知る人工の魔性物なのかもしれない。





『時計塔を守れ!』完。





 


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