時計塔を守れ! 11


 四日後。九月二十二日。一時限目の鐘が鳴った直後、静林館高校敷地入り口は不穏な喧騒のさなかにあった。三十人ほどの生徒が自分たちの体をバリケードにするように並び、時計塔の前に立っていた。


 彼らは有志の生徒たちで結成された“時計塔を守る会”のメンバーたちである。解体の噂が流れ、数日前に手を取り合った彼らだが、出番は思いの他、早かった。進学希望でありながら、授業をボイコットしてまで立ちはだかるほどに、この時計塔を愛しているのだろう。


 そんな生徒たちとにらみ合っているのが、時計塔の解体作業のため、この静林館高校にやって来た工事会社の作業員たちである。解体の主役であるパワーショベルを敷地内に持ち込んだところで生徒たちの妨害を受けた、というわけだ。


「うちは正式な許可を貰ってんだ。どいてくれ」


 責任者であろう中年の男が言った。ヘルメットの下にある顔は怒っている、というより困っているといった風だ。


「生徒たちは皆、この時計塔の取り壊しには反対なんです!」


 生徒たちを代表して木田将星きだ しょうせいという名の男子が言った。三年生の彼が時計塔を守る会のリーダーである。八月までサッカー部のキャプテンをつとめていたが、夏の大会を終え引退した今は受験勉強に専念している身だ。


 木田の後ろに並ぶ生徒たちも反対の声をあげた。時計塔を守る会には三年生だけでなく一年生も二年生もいる。男女比およそ六対四で構成された彼らは、勇敢にも時計塔の前に立ち、制服姿の防壁を作り上げている。


「反対って言われてもねぇ……こっちとしてはもう、準備に入ってんだよ」


四方田よもださん、場合によっちゃ警察を……」


 相変わらず困った顔をしている責任者に別の作業員が口添えした。四方田という名らしい。


「あまりことを荒立てたくないんだ。どいてくれ」


 四方田は、もう一度言った。その言葉は嘘ではないのだろう。


「いきなり取り壊すなんて横暴だわ!」


 バリケードを形成している一人の女子が言った。すると、呼応するように他の生徒たちが同じことを叫んだ。彼らのそんな様子を見て、若さゆえの暴走と茶化すことができようか? いや、皆が純粋に、この時計塔を愛しているのだ。


「とにかく、僕たちはこの場を動く気はありません!」


 木田が言った。短髪の彼は身長175センチで恵まれた体格をしている。サッカー部では後衛の選手として自軍のゴールを守ってきた。今は時計塔の守護者である。部活で培われた統率力は、こういった状況でも役立つようで、時計塔を守る会は彼を中心とし、わずか数十分で結成されたらしい。名門静林館高校の中でも学業成績は上位をキープしており、国立大学への進学を希望している。


 だが、そんな模範的生徒の木田を突き動かすほどに、この時計塔に対する愛があるのだろう。受験勉強で大切な時期のはずだが、それでも彼は立ち上がった。生徒たちの代表として、気力体力をかけて……


 騒ぎを聞きつけ、村永多香子が同僚の教師らとともに駆けつけたとき、対峙する生徒たちと作業員たちの状況が一触即発のものに見えた。


(みんな、なんてことを……)


 多香子は血気にはやり、暴走する若者たちの姿を思った。だが、非力な自分に止められるものでもない。足の早い男性教師たちが木田と四方田の間に割って入った。


「木田! おまえらも何してるんだ!」


 男性教師のひとりが木田の肩を掴み、他の面子を睨んだ。


「何って、時計塔を守るんですよ!」


 それを振りほどき、木田は叫んだ。


「馬鹿なことを! おまえら、授業はどうした!」


「先生はなんともも思わないんですか!? この時計塔が壊されようとしてるんですよ!」


「だからって、サボっていいもんじゃない!」


「先生!」


「さっさと戻らんか!」


 両者の間に緊張が走った。すると前に出てきた他の男子生徒二人が男性教師におどりかかった。


「貴様ら、教師に向かって……!」


「先生たちがなにも出来ないから、僕たちがやるしかないんです!」


 男子生徒二人の手で体を拘束され、地面に組み伏せられた男性教師を見下ろし、木田は言い放った。慌てた他の教師たちが引き離しにかかるも、今度は他の男子生徒たちと揉み合いになった。


「ふたりともやめて! 木田君、みんなを止めて!」


 惨劇に耐えられず、多香子は木田に訴えた。


「止めませんよ、村永先生。僕たちは実力行使に出ると決めたんです!」


「木田君、しっかりして!」


 木田の狂気を見た多香子が彼の肩を揺さぶった。


「うるさい!」


 と、木田は多香子を突き飛ばした。


「やるんですよ、僕たちは!」


 転倒した多香子が見上げた先の木田の暴走はあきらかなものだった。若者の熱意を止めることの難しさを思い知らされた。だが、このままでは校内暴力に発展してしまう。


「仕方ない、警察を呼べ」


 そんな様子を見ていた四方田が部下に言った。そのとき……


「みんな、やめなさい」


 声がした。向こうからひとりの男が歩いて来た。


「校長先生……!」


 動きかけていた木田の体が止まった。校長の米坂規親よねさか のりちかだ。中肉中背にワイシャツ姿のこの男はいつも穏やかな表情である。他の教師たちと違い、今、この状況を見ても声を荒げたりしない。


「ですが、校長……!」


 木田は呻くように言った。彼に限らず全員が固まった。現在、五十代の米坂は生徒たちからは尊敬される身である。東大の出身なのだ。やはり進学校のここでは学歴というのはステータスとなる。


「やめなさい」


 もう一度、米坂は穏やかに。だが、きっぱりと言った。この男は校長という立場でありながら、時間があれば毎日の清掃に参加し、学食で生徒たちと食事を共にする。大工道具を持って古い校舎の修繕をして回る姿もよく見られ、あまり気取ったところがない。高学歴と親しみやすさをあわせ持っており好かれている。だから誰も逆らわない。


「うちの生徒が失礼しました」


 米坂は言った。


「いいえ」


 四方田は答えた。


「昨日、連絡はいただきました。が、少し待っていただけないでしょうか?」


 そう言って米坂は教師たちを見た。


「たしか、取り壊さなくても良い方法を君たちは探していたのではないのかね?」


 皆が黙った。その中で多香子が立ち上がった。


「私が、異能者の方に調査を……」


「その人から連絡は?」


「いいえ……」


 米坂の質問に多香子は目を伏せた。ふたりで時計塔に入ったあの日以来、悟からの連絡はない。


「ムヒョヒョヒョヒョ、私から説明いたしましょう」


 作業員たちの後ろから、けったいな笑い声とともに、まるまると太った男があらわれた。狩衣を着ており、左腰に刀をさげている。


「ムヒョヒョヒョヒョ、退魔連合会鹿児島支部かごしま総合本所北部管理課課長、銭溜万蔵です」


 長い肩書きを全く噛まずに銭溜は自己紹介した。言い慣れているのか?


「ムヒョヒョヒョヒョ、私が調査した結果、この時計塔には“良くないモノ”が取り憑いていることがわかったのですよ」


 彼は時計塔を見ながら言った。良くないモノとは人外の存在をさすのだろう。


「それは伺っております。取り壊さなくてもよい方法というものはないのでしょうか?」


 米坂もまた、時計塔を見た。校長たるこの男にとっても静林館高校のシンボルであるこの時計塔は大切なものに違いない。彼自身が時計塔の掃除をすることもある。


「ムヒョヒョヒョヒョ、陰性気質……つまり負の気にまみれ、人外を呼び出すおそれがある以上、県条例に従い即刻、排除しなければなりません。おたくの生徒さんたちを守るためでもあります」


「壊す以外の手があるはずだ!」


 必死の形相で木田が言った。周囲の生徒たちも大声で呼応する。


「ムヒョヒョヒョヒョ、それを考え、実行するのには時間がかかるのですよ。何かがおこってからでは遅いというわけですな」


 銭溜が言うことは事実だ。現代の日本は退魔連合会の調査により人外の存在を呼び出す危険性がある物体を基本的には排除する方針をとっている。条例は地方により細部がやや異なるが、ほとんど同じものである。


「ムヒョヒョヒョヒョ、私は退魔士として、職員や生徒の皆さんの安全を第一に考えているのですよ。おわかりでしょう?」


 皆が黙った。決まりごとの観点からは銭溜のほうが筋が通っている。世界的に見ても対処が遅れた結果、被害が甚大になった例がある。今年の三月、アメリカ北部の小さな町にあった古い家が人外化し、大きな被害を出したことは記憶に新しい。家主が取り壊しを拒否した結果、現地の異能者の対応が遅れたためだった。隣町まで巻き込む大惨事となり、日本のメディアでも大きく扱われた。


「ムヒョヒョヒョヒョ、わかっていただけましたかな?」


 銭溜は言うと、四方田ら作業員たちに合図した。それに対し、木田をはじめとする時計塔を守る会の生徒たちが前に出た。またも一触即発の状況である。


(私には、何も出来なかった……)


 為す術がない多香子。おのれの無力さを嘆くしかなかった。彼女は自分たち卒業生のほうが在校生よりも時計塔に対する愛着が強いと思っていた。だが、それは間違いだったらしい。今、立ち向かおうとしている生徒たちのほうが自分などよりよほど行動しようとしているではないか。血気盛んな彼らの姿は法律上許されないものだが、ならば大人になったが故のしがらみから何もできない自分とはなんなのか?


 男性教師たちが体をはって生徒らを止めようとした。このままでは抵抗する木田たちと乱闘になりかねない。


「木田君! みんなも、やめて!」


 多香子が悲痛な叫びをあげた、そのとき……


「悪いが、工事は中止だ」


 どこからか声がした。なんと時計塔からだ。


「銭溜さん。あんたの悪行、世間は知らずとも、この時計塔は知っているぜ」


 その声がするほうを皆が向いた。まさか時計塔が意志を持ち、真実を語ろうとしているのか?


(ああ……)


 見上げた多香子は眼鏡の奥の目を濡らした。彼女にだけはわかる。遥か天空から聴こえるその声の主が……涙の向こう側に立つ美しい人影の正体が……


「この時計塔は、これからもここにあり続ける。終わりなのは銭溜さん、あんたの退魔士人生さ」


 時計塔の頂上に立つ一条悟が、そう言った。

 

 


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