時計塔を守れ! 6

 

 ────たしかに、あの時計塔は負の気の増幅を抑えるため、陰陽バランスに従って作られたものよ


 電話の向こうで、藤代アームズ社長、藤代真知子はそう言った。


「んじゃ、やはり壊してはならない物ということか」


 自室のベッドに寝っ転がり、スマートフォン片手に悟は言った。八重子が帰ったあと、彼のほうから真知子にかけた。


 ────本来、正の気を操る退魔士が、そんなことを言うのはおかしいわね


 今はミニシアターの形をした人工知能である真知子。生前の彼女の性格をインプットしたのは祖父であり藤代グループの会長である藤代隆信だった。だから会話に違和感はない。


「その銭溜万蔵って退魔士のことがわかるか?」


 悟は訊いた。


 ────自分に甘く、他人に厳しいと評判らしいわ


 と、真知子。八重子の人間評と一致している。


 ────その上、“けったいな笑い方”をするそうよ


「けったいな笑い方?」


 悟は首をかしげた。電脳の存在たる真知子は物知りだ。しかし、どんな笑い方なのか?


 ────ところで、フリーランスの資格がおりたそうね。おめでとう


「あぁ、おまえのおかげだよ」


 真知子が手を回し、悟に三級独立異能者の資格がおりた。この時計塔の件は、フリーランスとしての彼の“初仕事”となる。


 悟が国際異能連盟の公認資格である“剣聖”のままだったなら、フリーランスになる必要はなかったのである。剣聖はタイトルであるとともに、一級独立異能者同様の国際ライセンスだ。世界中、どこでも活動できる。だが、剣聖スピーディア・リズナーは死んだことになっている。彼が合法的に活動するためには戸籍上の名前である一条悟としての資格が必要だったのだ。


 ────悟さん、体に気をつけてね


「はいよ」


 “一条悟”という名前は真知子がつけてくれたものだ。最初は偽名に近かったが、今では、れっきとした自分の名だと思っている。


 ────ところで、新しい“メイドさん”は、どうかしら?


 真知子は言った。隆信がよこしている高島八重子のことだろう。


「裸を見せてもらったよ」


 ────まァ! 相手はシスターよ!


「不可抗力だよ」


 ────本当かしら?


 すねた声で真知子。今までにも何度か似たようなやりとりがあった気がする。


 ────でも私、その高島さんって人、好きになれないわ


「なんで?」


 ────きっとあの人、お祖父様の“愛人”よ


「ほう……」


 さすがの悟も少々、驚いた。それが本当ならば、潔癖な八重子の意外な一面である。おそらく自分を“監視”するため、よこしているのだろう。


(藤代の爺さんも元気なもんだ)


 悟は思った。隆信は八十をこえている。


 ────私は会ったことないけど、これは女の勘よ


「おまえ、八重子を“お祖母様”って呼ばなきゃならんな」


 ────冗談はよしてよ


 嫌がる真知子。その様子を想像しながら悟は電話を切った。


(まァ、明日、時計塔とやらを調べに行ってみるか)


 そう決めた。






 翌日午前。この時間帯はまだ涼しい。すでに陽はのぼっているが、空気はさわやかなものである。暑くなるのはもう少しあとになりそうだ。


 静林館高校の場所はすぐにわかった。あまりにも件の時計塔が立派だったからである。


「思ったよりでけェな……」


 真知子から借りているコンパクトカーのステアリングを握りながら悟はつぶやいた。道路からでもよく見える。五、六階だての建物と同じくらいの高さがある。


 入り口である門が開いている。時計塔の脇を通るかたちで入ると、右手に駐車帯があった。そこにジャージ姿の村永多香子が立っている。悟は彼女の前で車を停めた。


「一条さん、わざわざありがとうございます」


 運転席から降りると、多香子が挨拶をしてきた。


「あれが、例の時計塔?」


 と、悟。この静林館高校は敷地の入り口から校舎まで結構な距離がある。その間をつなぐ正中の道を挟んで、ここから向かい側が時計塔の立つ位置となる。


「じゃあ、案内してくれる?」


 悟は優しく言った。女性的な彼の美貌が、かろやかな秋風の中、あざやかに輝く。


「は、はい……」


 と、赤くなった多香子。彼女は、そそくさと時計塔のほうへ歩き出した。






 間近で見る時計塔は、ずいぶんと古い物だ。全長は約二十メートルといったところか。向こうにある校舎よりも背が高い。落葉の時期にはまだ早いが、周囲の地面には葉っぱひとつ落ちていない。掃除されているのだろう。


「昭和初期のコンクリート技術で作られた物ですが、業者さんによると倒壊のおそれはないとのことです。安全性の観点から、中の掃除は生徒でなく職員がしています」


 多香子の言葉を聞き、悟は、その生徒たちがいるであろう校舎のほうを見た。たくさんの窓があるが、それらのひとつに津田雫がいるはずだ。外に生徒の姿は見当たらない。授業中なのだろう。


 再び、時計塔のほうを見た。その顔にあたる文字盤は、表の道路に平行して向いている。校舎から時刻は見えない角度だ。風水や陰陽の効果を狙って作られた物ならば、向きや形状にも意味があることになる。


「できた頃から形は変わってないの?」


 悟は訊いた。


「はい。中は何度か改修していますが」


 多香子は答えた。それならば、外側が陰陽正負の安定に適した構造なのだろう。作った者は中の修繕が行われることを見越して、そのようにしたのではないだろうか?


「入れる?」


「はい」


 多香子はジャージのポケットから鍵を取り出した。


 中に入ると、思ったよりもがらんとしていた。広さは六メートル四方ほど。外壁と同様に内壁も古いものだが、片付けはされている様子だ。隅っこの棚の中にいくつかの掃除用具が置かれている。それ以外に何もない。


「老朽化がすすんでいますので、今では生徒が立ち入ることは禁止されています。昔と違って」


 と、多香子。彼女が生徒だったころは、誰でも入れたのだろう。


 壁に沿うようにして階段がある。見上げると、それが四辺を通りながら上に続いている。


「上がれるかな?」


「はい」


 多香子は階段の入り口のチェーンを外した。そのまま、手すりをたどって昇ってゆく。悟が後ろからついていく格好となった。


(いいケツだ……)


 目の前でゆれる多香子の尻を見て、悟は思った。目をこらせば、ジャージにパンティラインが浮かび上がるのではないかと期待したが、仕事中なので自重した。


 上も下同様、四角い空間だった。中央に稼働中のでかい歯車とおもりが設置されており、壁に巨大な文字盤が反転して映っている。機械的で規則的な音をたてる装置類と巨大な長針短針は太いワイヤーロープで繋がれており、連係作業で時を刻んでいる。


「懐かしいわ。何年ぶりに、ここまであがって来たかしら……」


 熱い息を吐きながら多香子は言った。結構な高さまで昇ってきた。


「私がこの学校の生徒だったころ、同級生たちがここでお別れパーティーをひらいてくれたんです」


「お別れパーティー?」


「ええ。私、卒業後に海外留学が決まっていたんです。なかなか会えなくなるからってことで、お別れパーティーを」


「へぇ」


 と、悟。多香子に海外留学の経験があったとは知らなかった。


「ここに呼び出されて、なんだろうと思いながら来てみたら、お菓子をたくさん用意して同級生たちが待っていたの。私、嬉しくて泣いちゃって……」


「そりゃ、いい思い出だ」


「でも、この話には続きがあるんです」


「続き?」


「先生にバレちゃって大目玉!」


「なるほど」


「たっぷりお説教されたあと、みんなで反省文を書かされました。しかも、そのあと、この時計塔の大掃除までさせられたわ」


 多香子は眼鏡をはずし、目を指先でぬぐった。


「今だから言えることです。そんな私も今では教師。生徒たちを指導する立場になりました」


「だな。今の君は叱るほうの立場だ」


「ずいぶん昔のことのような気もするし、ついこないだのような気もするの。私もアラサーって言われる年になっちゃった………」


 多香子は、そう言いながら泣いていた。


「ここがなくなるなんて、嫌……」


 時計塔内部の懐かしい光景を見た彼女の中でこみ上げてきたもの。それを推しはかることは悟にはできない。“戦い”という違う世界に生きてきた以上、当然なのかもしれない。


「自由に立ち入ることができた私たちの世代のほうが、生徒たちよりここに対する思いは強いのかもしれないわ。でも、この時計塔を愛する気持ちは教師も生徒も、みんな同じはずよ」


 そう言って泣く多香子の肩に、悟は優しく手を置いた。


「ああ、一条さん……」


 眼鏡をかけていない品の良い素顔を寄せてきた多香子。悟は彼女の長いうしろ髪を撫でてやった。


「守って……この、時計塔を……」


 と、悟の腕の中で言う多香子。汗をかいているのかもしれない。ジャージごしに甘い体臭が漂った。


「まァ、できる限りのことはやってみるさ」


 歯車がたてる音の中、悟は時間の逆行を見せつけるかのように裏返った文字盤を見つめた。

 

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