添い寝する女 4

「あなたが……?」


 八重子は絶句した。一条悟ということは、この男が剣聖スピーディア・リズナー……たしかに大変なハンサムと聞いてはいた。だが、家の中の惨状はなにごとか? 着替えもゴミも大量に散乱している。


「まったく、最近の宗教勧誘は力ずくでやるもんなのかァ?」


 解放された一条悟がこちらを見て言った。今の八重子はシスターの格好をしている。


「退魔連合会の高島八重子です」


 自己紹介した。美しすぎる仏頂面を添えて……


「退魔連合会? ああ、藤代の爺さんが寄越すとか言ってたらしいな。ってことは君が雫にかわる新しい“メイド”か……」


(メイド……?)


 その呼び方が正しいか否か? いや、おかしいだろう。着ているのはメイド服ではなく修道服だ。


「これは、いったいなんなのです?」


 八重子は床に散らばっている物を指差して言った。


「知らないのか? これは“靴下”というものだ」


 悟は、それを拾い上げて答えた。


「かわいそうに……君は靴下を知らないのか? よほど貧しい家に生まれたんだな」


「そういうことを言っているのではありません……」


 八重子は、こめかみのあたりに浮かびそうになった青筋を気合いで引っ込めた。


「この散らかりようは、なんですか?」


 言い方を変えて訊いた。


「ああ、日本のゴミ分別は面倒だね」


「食事は?」


「コンビニ弁当、カップラーメン、外食の多彩なローテーションで毎日をのりきってるよ」


「掃除は?」


「そういえば、してないな」


 八重子は呆れた。そういえば隆信は、こう言っていた。


 “あの浮かれ者は大変な不精者だ。身辺の世話くらいはしてやりなさい”


 実は隆信も若い頃から家事一切をしなかったと聞いているが、そんな彼が自分を棚に上げるほどのこの一条悟という男。自分は、その監視をしながら少しは身の回りの面倒をみることになる。


「いやぁ、先月までは別の“メイド”がいたんだけどさぁ、彼女は女子高生で夏休み期間中だけの“アルバイト”だったんだよ」


 頭をかきながら笑う悟を見ると腹がたってきた。もともと良い印象を持ってはいなかった。自分の中で最高の存在は一族の最高傑作と呼ばれた兄だ。チャラい剣聖とかいう男ではない。隆信の命とはいえ、その世話をすることになるのだから当然だ。






 この洋館は三階建てだった。ひとりで住むには広い……広いが、どこもまんべんなく散らかっている。


(どこをどうすれば、こんな大きな家をこれだけ散らかすことができるのか……?)


 中を見回りながら八重子は思った。不思議でしょうがなかった。部屋はたくさんあるが、そのどれもが凄まじく荒れている。泥棒が入ったような、というより戦時の略奪行為のあとのようだ。


「悪りィ悪りィ。今、起きたばっかなんで顔も洗ってなくてね」


 首にタオルをかけ、歯ブラシを咥えた悟があとからついてきた。ランニングにジーンズ姿の彼。この格好で寝ていたのだろうか?


「でも助かるよ、やっぱ“メイド”がいると便利だ」


 そう言う悟の口のまわりは歯磨き粉だらけだ。脳天気なその様子を見ると余計に腹がたってきた。


「一条さん……」


 と、氷のように冷たい目で睨みつける八重子。


「はい」


 気をつけいの姿勢をする悟。


「とりあえず、掃除を先にさせていただきます」


「あ、その前にメシ作ってよ。腹減った」


 そう答える彼の口から歯磨き粉の粒が飛んできた。もう少しで修道服にかかるところだった。


「こんな……こんな不潔な環境で物を食べられるとおっしゃるのですか……?」


 下を向き、拳を握りしめ、わなわなと震えながら八重子は言った。そろそろ我慢も限界だ。几帳面できれい好きな自分には耐えることができそうもない。


「あ……つーか、冷蔵庫空だわ。とりあえず買い物行ってきてよ」


 と、悟。


 “ブチッ……!”


 なにかが切れた。頭の中で……


「とにかく……」


 彼女の視線の属性が氷から炎に突然変質した。


「とにかく……掃除が先です。お腹がすいたのなら外に食べに行ってください……」


 極限の忍耐が半壊し、静かな怒声を生んだ。これ以上、話していたら全壊のあげく大声を出してしまいそうだ。






 悟を家から追い出した八重子は掃除をはじめることにした。広い家である。かなり時間がかかるだろう。とりあえず廊下に散らばっていた衣類を洗濯機にぶち込み、すべての窓という窓を開け、空気を入れかえる。残暑の季節であるため、外も中も暑い。


「まったく、どうしようもない男だわ……」


 ときにため息をつき、ときにひとり愚痴りながら手際よく各部屋の整理整頓をこなした。洗濯機を数回転させ、洗濯物は外に干す。そしてまた掃除を再開する。それを繰り返していると汗をかいてしまった。


「着替えようかしら……?」


 思いたった八重子は庭へと出て、オフロードの中からバッグを取り出した。中に私服を入れてある。






 屋内の一室を借り、ドアを閉めた彼女は修道服を脱ぎはじめた。汗ばむ身体を包んでいたのは黒い下着だった。隆信の前に出るときは平凡で無難なものを選ぶが、普段はセクシーな下着を好む。修道服を丁寧にたたみ、次にブラジャーを外すと、バッグの中から汗ふきシートをとりだし、首に当てた。ひんやりとした刺激とともに、爽やかな香りがたちこめる。


(生き返るわ……)


 深く息をつき、次に腕を上げて湿った腋を拭く。さらさらとした感触が心地よい。労働の合間にあるリラックスタイムに満足した。


 そのとき、ドアが開いた……


「おーい高島さん、おみやげにハンバーガー買ってきたよ」


 黒いパンティ一枚のいやらしい格好で腋を拭いているところに、脳天気な顔をした一条悟が入って来た……

 

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