真夏の終わりに……

真夏の終わりに…… 1


 8月30日。長かった夏休みは明日で終わる。あさってから学校がはじまる子供たちにとっては、一年でもっとも嫌な時期かもしれない。逆に大人たちにとっては日中、我が子の面倒を見なくてすむようになるので、宿題さえさせれば良い日となる。もっとも、新学期に必要なものを買い集める必要があるため、家庭によっては忙しい日とも言えるのだが。


 そして、もうひとつの“終わり”があった。


「お世話になりました……」


 あたたかい中国茶をひとくち飲んだあと、津田雫がちいさな声で言った。


「世話になったのは俺のほうだよ」


 春巻を食べながら一条悟は、そう答えた。超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国警備の見習いEXPERである雫は、夏休み期間中だけの“メイド”だった。明日は学校にかかる準備があるため、今日で“任務”は終わりとなる。


 藤代アームズ社長、藤代真知子から悟の身辺警護の要請を受けた薩国警備は雫を派遣した。若手の教育システムである21世紀型育成制度の一環だと言われた。家敷地周辺に設置された監視カメラのチェックが雫の主任務だったのだが、家事が一切できない悟のために世話人という副次的な仕事も与えられた。“上”からは研修も兼ねたアルバイト程度だと考えておけばよいと言われていた。


 雫は悟が何者か知らされてはいない。なぜ薩国警備の警護対象となっているのか。ストラビア共和国大統領令嬢アニタ・ナバーロのボディーガードを務め、自分の担任、村永多香子の危機を救ったこの男が只者でないことはわかる。だが、その正体は聞かされていない。もっとも、知ろうとも思わなかった。雫も面倒を背負い込む気にはならなかった。言われた通りにしていれば楽である。


「もっと食えよ」


 と、悟。ふたりはターンテーブルに座っている。ここは鹿児島市内の中華料理店である。ふたりだけのささやかな“送別会”となった。


「はい……」


 と言って、雫は炒め物に箸をつけた。いくら異能者といえども、ちいさな体で食べられる量など、たかが知れている。テーブル上には、まだ大量の料理が並んでおり、とても食べきれる気がしない。腹はいっぱいだった。


 対する悟のほうは大食漢である。細身のどこに巨大な胃袋を持つのか不思議なものだ。この一ヶ月、雫は毎日のように彼の食事を作ったが、数人前を平気でたいらげる。今もフルコースを次々と腹の中に流し込んでいる。


 雫は、そんな悟を盗み見た。女性的な美しい顔も今日で見おさめ、のはずである。だが悲しいとか寂しいといった感情がわかない。根拠はないが、また会えるような気がするのだ。今後も“関わる”ような予感があった。


 悟に恋をしているのではないか? そう思うことが度々ある。だが、自分は男性を愛せない体質だったはずだ。昔から性的興味の対象は女性で、それを自覚している。


 ならば、なぜ悟が気になるのか? 女性のような美貌を持っているからか? それとも作ってあげた料理をうまそうに食べる姿に母性本能でも感じているのか? よくわからなかった。


「これ、美味いよ」


 悟が言った。


「はい……」


 雫はちいさく返事し、大皿の焼きそばを少し取った。せっかく悟が開いてくれた送別会である以上、覚悟を決めた。限界まで食べなければ……


「学校はじまるの、憂鬱だろ?」


 と、悟。三十歳を前にした彼は、口いっぱいに炒飯をほおばりながら訊いてきた。


「はい」


 とは、雫。ティーンエイジの彼女のほうが行儀が良い。


「ああ、でも補習あったから、そうでもないか」


「そうですね」


 進学希望の雫は夏休み期間中も週に数日、登校していた。


「でも新学期がはじまれば一日中、学校ですし、体育やLHRもあるので、やはり違います」


「そうか。そりゃ面倒だな」


 悟は餃子をタレにつけながら言った。本当によく食べる。


 目の前にいるこの男にも普通に学校に通っていた時期があったのだろうか? 雫はふと考えた。自分のような超常能力者と違い、今の日本には悟のような多方向性気脈者を統率する組織はないらしい。数が少ないから、というのが理由だそうだ。好爺老師と呼ばれる神宮寺平太郎は同じタイプだが、若い頃からフリーランスとして活動してきたと聞いている。この人もそうなのだろうか?


「でも、大学行って何するの?」


 悟は訊いてきた。


「学べるうちは学びたいんです」


 と、雫は答えた。進学したあとのことはあまり考えていない。子供の頃から成績は良かったが、勉強をするという習慣が身にしみついているのかもしれない。許されるのなら大学院まで行ってもいいと思っている。


 超常能力実行局は雫のような見習いに対し、進学を推奨している。学力教養を身につけることは重要と伝えられてあるが、国や地方公共団体が関与する組織である以上、進学を否定することができないという事情もあるのかもしれない。


 雫には薩摩川内市の超常能力者育成施設に住んでいた時期があった。そのころをのぞけば、普通の学校に通っていたため、異能力を持つこと以外、一般的な同世代人たちと変わらないと思っている。希望どおりに進学した場合、正式なEXPERになるまで数年かかるので、自分が将来、異能犯罪者や人外の存在と戦うことになるという自覚がまだ薄かった。


 悟のほうは、そういう話を一切しなかった。そのほうが気楽だった。だが興味を持たれていないのではないかと思うのも事実だ。しかし当然である。ひとまわりの年の差があり、彼から見れば自分はまだ子供に違いない。


「まぁ、同じ市内に住んでるんだし、いつでも遊びに来てくれ。明日から雫の料理が恋しくなるからな」


 と、悟。本心ではないかもしれない。だが嬉しかった。


「はい……」


 その言葉に頷いたとき、はじめて寂しさを感じた。会う機会は少なくなるのだ。

 

 


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