人外ストーカーバス 2
「とにかく、津田さんとは別れてください!」
多香子は言った。強く……
「はあ……」
と、悟は返事をしたところで、なにかがおかしいと感じた。
「ん……? 別れる?」
「彼女には将来があるんです! まだ若いんです! 前途有望なんです!」
「ちょ、ちょっと待って……いったいなんのことやら……」
「先生、違うんです。一条さんは……」
「今、男性と“お付き合い”なんかして学業成績に影響が出たらどうするんですか? あなたは責任取れるんですか?」
雫の静止もきかず、がなりたてる多香子。
「だいたい、あなた“何者”なんです? 平日のこんな時間に散歩に出るなんて」
その質問には答えにくい。“剣聖です”などとは言えない。
「無職なのね? きっと親の脛をかじって、こんな立派な家に住んでいるに違いないわ!」
多香子の勝手な推測は半分当たっている。潜伏中の悟はたしかに無職のようなものである。
「津田さんは当校一の学力を誇る生徒です! 一流大学すら目指せる実力です! あなたのようなだらしない人と付き合っていたら受験に影響が出てしまいます!」
彼女は悟と雫が“恋人同士”だと勘違いしているらしい。
「いい年して女子高校生をつれこむなんて大人として恥ずかしいと思わないんですか? あなたには常識がないんですか?」
多香子がつとめる静林館高校は名門だ。夏休み期間中、薩国警備の見習いEXPERとして研修を兼ねたアルバイトでここに通っている雫だが、学校には知らせていないと聞いている。アルバイト自体、校則で禁止されているとか。
(なにか良い手は……)
そのことを言い出せず、固まってしまっている雫を見て悟は考えた……
「き、兄妹? あなたと津田さんが?」
多香子は眼鏡の奥の目をまるくした。
「はい」
悟は答えた。
「か、彼女はひとりっ子のはずですわ!」
「両親が別れたとき、私は父親に、雫……妹は母親に引き取られたんです」
彼らしくない丁寧な物言いで、嘘の説明をすることにした。
「た、たしかにご両親が離婚したとは聞いてますけど」
「私も年をとり、ある日ふと家族愛がほしくなったのです。“夏休みだけでもいっしょにいる時間を作らないか”と妹にもちかけたのは私のほうなのです。もちろん学業が忙しいのはわかっているのですが、それでも……」
神妙な顔で悟は言った。
「で、でも津田さんはあなたのことを苗字で呼んでいるではありませんか?」
「おさない頃に生き別れたせいで、どこか素直に“兄”と呼べないのでしょう。ああ、ちなみに私たちは“腹違い”なのです。私と上手くいかなかった継母に、妹は遠慮しているところもあるのかもしれません」
いけしゃあしゃあと嘘をつく悟。
「そ、そうなの? 本当なの? 津田さん」
と、多香子に訊かれた雫はちらりとこちらを見た。
“読め、空気をッ……!”
声に出さず、何やら“念波”らしきものを送る悟。
「は、はい……」
それが届いたのか? 雫は頷いた。
「そ、そうだったのですか……それで、彼女は“お兄様”のところへ通って……」
「はい。私は家事がまったくダメなものですから。妹のおかげで、なんとか人並みの生活ができている有様でして……」
「ああっ……!」
多香子は頭を抱えた。
「そんなこととは知らず、私は……とんでもない勘違いを!」
彼女はテーブルに額をぶつけそうな勢いで頭を下げた。
「申し訳ありません、一条さん! 私は、大変失礼なことを……!」
「頭をあげてください。いえいえ、気にしてなんかいませんよ」
悟は両手をあげて爽やかに言った。ただでさえ美しい彼の笑顔は、凝り固まった雰囲気を一気になごませる。剣聖スピーディア・リズナーはピンチに強い。
「いいえ! 事情もわからず津田さんのお兄様にとんでもない暴言を……」
「いいんです。むしろ、妹のためにここまで親身になってくださる先生と知って、私は感激しています」
と、悟。このとき窮地を脱したにも関わらず、雫の目はどこかさめていた。必殺剣に匹敵する見事な切れ味の嘘に少々あきれているのかもしれない。
「ああ雫、なにをしてるんだ? 先生に冷たいものでも出しなさい」
兄らしいことを言う悟。とりあえず雫の視線が冷たい。
“読め、空気をッッ……!”
もう一度、“念波”を送った。雫は、そそくさとキッチンへ向かった……
「そうですか。“妹”の成績は、そんなに良いのですか」
「はい。常に学年トップを維持しています」
「私の妹にしては上出来ですな。あー、いやいや、先生に恵まれたというのが大きい」
「いえいえ、とんでもありません。すべては彼女の努力と実力です。成績だけでなく品行方正ですし、私は津田さんのような素晴らしい生徒を誇りに思っています」
「村永先生のような方が担任でよかった。“兄”である私の立場として、安心して妹を学校にやれます」
さきほどとはうってかわって友好的な会話を展開するふたりであった……
「遅くなって申し訳ありませんでした」
バス停で多香子が言った。
「こっちこそ、ひきとめちまったな」
と、悟。なんと打ち解けた結果、彼本来の口調で話せるほどに両者の仲は“進展”した。剣聖スピーディア・リズナーのコミュ力恐るべし……
会話がはずんだ結果、外はすっかり暗くなっていた。午後九時前である。ただでさえ静かなこのあたりは、夜になるとさらに寂しい。悟は多香子をここまで送った。
「これからも雫をよろしく頼むよ」
「はい」
多香子が返事をしたとき、“藤代交通”と書かれたバスが来た。ヘッドライトの光に浮かぶ悟の顔を見た彼女は少し赤くなってしまった。
「どうした?」
「い、いいえ……」
あわてて首を振る多香子。夜空に咲く星のような悟の美貌に思わず見惚れた、などとは言えなかったのだ。それは一等星の輝きにも似る。
「気をつけて」
「はい。ありがとうございました……」
停車したバスの中に入ると、ドアが勢いよく閉まった。多香子が席につくより先に動き出す。手を振る悟が車窓の外に消えてゆく。
(あら、珍しいわね?)
改めて車内を見て、彼女は思った。客がひとりもいない。
(ま、静かだからいいけど……)
多香子は乗車口と反対方向の席に座った。そちらのほうが眺めが良さそうだ。
少しくぐもったエンジン音を残したバスのテールランプがコーナーへと消えゆくのを確認し、家路についた悟。十数メートルを歩いたとき、スマートフォンが鳴った。
────もしもし、薩国警備の鵜飼だ
意外な電話の主である。
「珍しいな?」
と、悟。話すのは先日、彼が借り物の洋館を訪れたとき以来だ。戦った次の日だった。
「カミさん元気か?」
────世間話してる場合じゃない
鵜飼の声は急くものだった。
────今、あんたの“連れの女”が乗ったバスは“存在しないモノ”だ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます