帰鹿した剣聖と薩国警備 7


 鈍重な音が鳴った。悟は超至近距離から繰り出された鵜飼の拳を剣の柄で防いだのだ。両手で握った部分の、ちょうど中間……懐の深い防御もまた、剣聖スピーディア・リズナーの得意とするところである。


 瞬時に手を引いた悟はショートレンジから剣を突いた。肘を支点とすることで肩を動かさず最短距離の攻撃を可能とするスピーディア・リズナーの必殺剣のひとつ“ブレイク・ショット”だ。その名の通りビリヤードのフォームに似ている。


 電光掲示板が361のダメージを表示し、次に悟の勝利を告げた。鳩尾を打たれ、倒れる鵜飼……


「強いな、剣聖……」


 意識を失う直前、彼は言った。


「おまえもな」


 悟は剣を引いた。






「ああっ……」


 ガラス越しに決着を見た茜が悲鳴をあげた。尊敬する上司の完全な敗北……最も見たくなかったのは彼女だったのかもしれない。その場に泣き崩れてしまった。


(この人は、鵜飼さんを愛しているのだ……)


 横に立つ雫は知った。まだ少女に過ぎない彼女であってもわかるほどに茜の落胆は色が濃かった。






 翌日、午後三時。剣聖スピーディア・リズナーこと一条悟の姿は、城山に建つ借り物の洋館にあった。


 ────なにかと大変だったわね


 電話の向こうで、藤代真知子が言った。


「まァ、こんな立派な家で何日も引きこもってたら体がなまっちまうからな」


 ベッドに寝っ転がりながらスマートフォンを握る悟。


 ────勝ったのなら、よかったのではなくて?


「たかが“制限”付きの練習試合さ。実戦とは違う」


 ────鵜飼丈雄は将来、鹿児島の異能業界を背負って立つ器よ。バーリトゥードなんて出来ない身分。あなたもそれをわかっていたのでしょう?


 昨夜の勝負は、首から上への攻撃が禁じられていた。一般的な異能者間の試合の様式に悟は従ったわけだが、鵜飼の社会的立場を慮った面もある。


 ────あなたのそういうところ、好きよ……


「からかうなよ」


 真知子は笑って電話を切った。悟はスマートフォンを枕元に置くと、冷房のきいた部屋で目を閉じた。


「一条さん」


 声が聴こえた。数分、うとうととしていたらしい。目を開けると、入り口のドアからのぞく雫の顔が見える。


「す、すみません。返事がなかったので……」


「いや……」


 悟は起き上がって伸びをした。スマートフォンで時刻を確認すると、五分ほどたっていた。


「晩ごはん、何がいいですか?」


 と、訊く雫は赤いエプロン姿。


「カレー、辛口……」


 悟は、そう答えた。


「じゃあ、買い物行ってきますね」


「ある物でいいよ」


「いいんです、他にも必要な物ありますし」


 雫は微笑すると、立ち去った。彼女は夏休み期間中だけの世話人である。今月いっぱい、毎日来る予定らしい。


 やることがなく、しばらくテレビを眺めていると車の音がした。カーテンを開け、庭を見てみる。


「おや」


 意外な訪問客に悟は少々、驚いた。大型のミニバンから降りてきたのは鵜飼だったのだ。






「よう、“サボり”か?」


 庭に出た悟は声をかけた。鵜飼はポロシャツにチノパンを着けている。


「今日は“あがり”だ」


 答える鵜飼。ふたりは昨夜、闘いを繰り広げた仲だ。


「あんたに礼を言いに来た」


 どうもそれが用件らしい。勝負を受けたことに対する礼だろう。


「こっちも熱くさせてもらったぜ」


「いや、俺はあんたに全くダメージを与えられなかった。完敗だ」


「次にやったら、わからんよ」


 悟は言って、周囲を見た。この洋館の庭は一部コンクリート敷きになっており、暑い中、毎日雫が掃除をしている。雑草ひとつ生えていない。連日、三十度をこえる猛暑が続くが、明日は久々に雨が降るようだ。


「再戦の機会があったら負けん」


「リベンジの申し込みには早すぎるな」


「そうだな」


 鵜飼は少し笑った。彼が少年のころ、剣聖スピーディア・リズナーのファンだったことを悟は知らない。憧れとの訣別、という目的もあったのだが、口に出すような男ではない。


「あんたが鹿児島に帰って来た以上、また会うことになるかもしれん」


「勘弁してくれ、世間では俺は“死んだ”ことになってんだ」


 ある組織に追われ、身を隠している悟。“最後の剣聖”とも“偶然の剣聖”とも呼ばれる異能業界のスーパースター、スピーディア・リズナーとは彼である。


「あ……」


 ちいさな声がした。買い物袋を下げて帰って来た雫だった。彼女は悟の正体を知らない。


「お疲れ様です」


 見習いEXPERの雫は頭を下げた。鵜飼は立場上、先輩にあたる。


「邪魔をした」


「待てよ」


 ミニバンの運転席を開けようとした鵜飼に悟は声をかけた。


「よかったら晩飯、食って行かねぇか? 雫の特製辛口カレーだぜ」


「悪いが今日は遠慮する。“女房”が待っているんでな」


 その鵜飼の言葉を聞いた悟と雫は目をまん丸くした。


「お、おまえ、“妻帯者”だったのか……」


「悪いか?」


「いや……すまん」


「まだ新婚だがな」


「訊いてねぇよ」


 ふたりのやりとりを見ている雫は複雑な心境だったろう。畑野茜が道ならぬ恋におちていることを今、知ったからだ。






『帰鹿した剣聖と薩国警備』完。

次回『剣聖の記憶 〜月下の美影〜』につづく……

 





 


 



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