73. 異端、陣による網を仕掛ける

狼怪異、猪怪異、そして体長2メートル程の巨大な熊怪異がレンの目前にいる。


酸化した血のように濁った赤色の瞳と、吐息を荒く吐き出しながら興奮した怪異達の様子は、レンにとって既に見慣れたものとなっている。



「さて、やりますか」



レンはそう呟き、差し棒を取り出し伸長させると、右手に源粒子の集積を始めた。


レンの差し棒は15センチから1メートル程の範囲で可変が可能だ。その材質は黄銅である。


黄銅は銅と亜鉛の合金であり、青銅以上鋼鉄以下の硬度を持つ。

黄銅の本来の色は5円玉に見られる色だが、レンの差し棒はロジウムメッキが施されており、優美な光沢を持つ銀色であった。


つまるところ、極々一般的な市販品である差し棒だった。


だが、レンはエルデ・クエーレに召喚されて以降、己の武器としてこの差し棒を使用していた。


ゲムゼワルドの宿でディルクが言っていたが、“差し棒が源粒子を纏っていること”“レンの源技能が成長するたびに差し棒も優れた武器になっていく”この2つは完全な事実である。



(初めはこんな差し棒が武器になるなんてって思ってたけど、、、)



この差し棒はレンの手にしっくりくる。

他の武器を持った時に違和感を覚える程に、だ。



傭兵団“異邦の銀翼”での活動を始めて一月。


依頼をこなす以外には源技能や剣の修練(といっても差し棒を振り回していた)を積んでいたレンだが、源粒子の集積や移動が滑らかになればなるほど、差し棒の切れ味や硬度が増していくのを実感できた。



グルァァァ!!



(っと)


思考に耽っていたレンの喉元に狼怪異が飛びかかってきたが、危なげなく躱す。


何時もなら、怪異の着地や方向転換時の隙に合わせて、翔雷走で瞬時に近接し、怪異の源流を差し棒で一突きする、という単純かつ王道の対処をしている。


しかしながら今回、レンはその攻撃方法を選択しなかった。


続けざまに、猪怪異が豆タンクの如くレンに向かって突進してきたものの、レンは方向を予測した後に距離をとった。


差し棒は構えずに地面に向けて下ろしている。


(狼怪異と猪怪異は動きからして、典型的な理性崩壊怪異。熊怪異は動きなし。3匹とも視た感じ属性持ち怪異ではないな――――っと。熊も来るか)



「レン!なにやってんだっ!」



何時まで経っても怪異に対して攻撃せずに、只々躱し続けているのに苛立ちを覚えたのか後ろで見ているディルクが声を荒げた。



それを横目で見つつ、レンは上半身を傾けて熊怪異の鋭い切り裂きを避けた。





―――――――――――――――――





「おいっ!!女!僕の話が聞こえていないのかっ!!」



レイの耳に耳障りな甲高い声が入り込む。

それは頭と胸に痛みを与える程にレイに怒りの感情を与えた。


(無視よ。無視)

今は負傷者の治療が先だ。


レイは心の中で強くそう認識すると、地面に伏している隊長と呼ばれた中年男性を観察した。


左肩から右脇腹に向かって5本の切り裂き痕があり、そこからは多量の血が流れていた。傷自体は見た目の悲惨さと比べて浅いものではある。


(でも、この出血量。すぐに怪異の灰源子を除去して治癒しないと不味いわね)


男性は荒い息をゆっくりとしながら、焦点の合っていない目をぼんやりと開けていた。


レイは即座に肩に手を当てると、治癒源技の発現を始めた。

手の平を当てると、灰源子独特の纏わりつき沁み込むような不快な感覚がレイに伝わる。


(出血量が体重の約2.7%を超えると命の危険が生じる。それに、多量の灰源子が血液から組織にいってもアウト、それ以前に灰源子があると血が極端に固まりにくくなる。急ぐに越したことはないわね)


肩からなぞる様にゆっくりと、不快な感覚が消えるまで、治癒源技能を発現させた手のひらを移動させた。


まずは一往復。

これにより傷跡表面や比較的体内の浅いところを侵食している大体の灰源子を取り除く。


レイは軽い深呼吸を一回し、再度の意識の集中を始めた。


「この僕を無視するのかっ!!主席書記官エルヴィン・ビエナートの一人息子であるっ」

「―――黙って」


レイは未だ馬車の上の椅子から見下ろしながら叫んでいる少年、エドヴァルトを睨みつけ一言言い放った。


旅人とは思えない程に秀麗な衣服を身に纏ったエドヴァルトは、豪華な装飾剣を腰に携えている。セミロングの茶髪は綺麗に整えられており、違和感を覚える程に清潔感ある。


「――っ」

レイの一言とその鋭い眼光に恐れを感じたのか、エドヴァルトはその整った顔を強張らせ息を短く吸い込むと、それ以降静かになった。



レイは、想像以上に冷たい声が自らの口から出たのに僅かに驚きを覚えたが、直ぐに意識を治療へと向け、二往復目、傷口を再生する治療を始めた。




―――――――




怪異達の動きが荒くなってきている。レンはそう判断した。

再三避け続けるレンに対して、フラストレーションが蓄積したのかもしれない。


何度目になるかも覚えていない狼怪異の攻撃を、レンはいなす。


ちらりと視界に入ったディルクの表情もまた、フラストレーションが溜まっているのか、普段の厳つい顔をさらに凶悪にさせて、レンを睨み付けていた。



(うわぁ――――――でも、これで、準備は出来た)



レンが“ある源技能”の発現準備を終えると、バックステップでディルク達の前方数メートルの位置まで戻る。


そして構えていた差し棒を下ろし、一番近くにいる猪怪異をじっと見つめた。


完全に無防備な状態だ。

体に力を入れることなく、全身を休める様にリラックスした状態で、レンは棒立ちしていた。



「おい、レン!?」



戦闘中に緊張状態を解くことは通常ありえない。ディルクが再度声を荒げてくる。



そんなレンの隙だらけの猪怪異も状態を見逃すわけもなく、勢いを付けた突進をレンに向けて放ってきた。


猪怪異の突進から流れ出る様に灰色の粒子が軌跡を形成する。


5メートル―――4メートル――3メートル…………





バチィィィィ!!




激しく甲高い音が場に響き渡る。


レンまであと2メートルという所まで猪怪異が近接した瞬間、怪異の体が一度激しく痙攣し静止すると、その巨体が地面に倒れ込んだ。



猪怪異は手足を投げ出し、時折ビクビクと体を震わせながら虚空を見つめている。



(よし!取りあえずは上手く繋がってくれたか)

レンは予想通りの結果が得られたことに、ひとまず安堵した。


レンは先ほどと同様にやはり棒立ちのまま、そこに立っている。



「はぁ?!―――――レンっ一体何したんだ?!怪異が――――急に止まって、雷源技っぽい音がしたが」

ディルクが今の事態に困惑を滲ませながら、低い声でレンに問いかけてきた。



それに応じるべく、レンは顔をディルクの方へと向けた。



「“罠”が発動したんだ。ある地点に―――」


「レン!!!避けろっ!!!」



ディルクに説明を始めようとレンが口を開いた瞬間に、狼怪異がレンへと飛び掛かってきた。


ディルクの焦りに満ちた声が聞こえた瞬間、レンは翔雷走で怪異の斜め後ろへと移動すると、差し棒を怪異の腹へと打ち付け地面に吹き飛ばす。




狼怪異は数メートル地面を転がったのち、猪怪異の時と同様に激しい火花の散る音と共に、地面へと倒れた。


狼怪異も猪怪異と同様にビクビクと痙攣をしている。


「――――こんな風に、自分が仕掛をした地点に怪異が侵入した瞬間、源技陣の“回路”が繋がり、源技が発現。それによって半永続的に雷源技が怪異の自由を奪う」




バチィィィィ!!



再度、激しい音がする。さらにその後、鈍い音が一瞬の静寂を塗り替えるように響き渡った。


残りの一匹、熊怪異も“罠”へと踏み込み、その巨体が地面へと倒れ込んでいた。



「実験は終了だ―――やっぱり、雷源技と破源子による源技陣の回路は、いろいろ応用がききそうだ」



レンはポジティブな実験結果に十分な満足感を覚えた。






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