22. 望まぬモフモフと竜
暖かい。
モフモフして触り心地が素晴らしい。
仄かな柑橘系の甘い匂いがレンの鼻孔を刺激する。
とても気持ちいい。
思わず顔を擦り付け、両手両足で抱え込んでしまう。
まるで、日の光を十分に当てたふわふわの布団で微睡むようだ。
いやそれ以上にレンにとっては至福の時だった。
「っくすぐったいですわ。レンったら大胆ですわね」
「おいおい。娘が父親にみせる光景じゃないだろう」
聞きなれた声が耳に入るが、気のせいだろう。
レンはさらにこの気持ちよさを享受すべく、強く抱きつき、頭をそのモフモフにグリグリと押し付けた。
「そろそろ、起きたらどうだ」
その声に従いレンはゆっくりと目を開ける。
レンの視界には赤みがかった黄色の毛並みが映った。
(―――毛?)
はて、こんなものをベッドに入れていただろうか。
そもそも、何時寝たのだろうか。
ふと顔を上げてみると、そこには獰猛な虎の顔があった。
「うわぁあああああ!!」
慌てて体を起こしベッドの上で後ずさりをしようと試みるも、何故かできなかった。
体が動かない。
後ろから何かに固定されている。
レンは恐る恐る、顔を後ろに向けた。
「っっっっ!?」
レンの再度の驚きは声にならなかった。
そこには体長2メートルに届くかと思われる別の虎が、器用に前足でレンを捕まえていた。先ほどの虎よりは年がいっているように見えた。
レンの頭は今の状況を処理できず混乱状態に陥ってしまう。
目の前には1.5メートル程の別の虎が優雅に座っていた。
どうやら自分はこの虎に抱き着き、頭をグリグリしていたらしい。
それを自覚するとレンの背に冷や汗が流れた。
「寝起きだからといって吃驚しすぎですわ!レン。」
虎に似つかわしくない、華やかに澄んだ声が、その口から出ている。
最近よく耳にする声だ。
「――デリアさんですか?」
恐る恐るレンが尋ねる。
そう尋ねた瞬間レンは僅かな冷静さを取り戻す。
どうやら、ここはレン達が止まっていた宿の一室のようだ。
レンの使用していた部屋よりも大きな部屋であり、ソファが向い合せに置いてある。ベッドも2台置いてある。
「えぇ。レンが源子欠乏症により低体温状態に陥っていましたので、わたくしが獣化して寝台に潜り込み、レンを温めてさしあげたのです!!」
目の前の虎、もといデリアが誇らしげに声を上げた。
(………何いっているんだろう、この娘)
思わずレンは現実から逃避すべく二度寝をしたくなった。
それぐらい突飛な行動だ。花も恥じらう乙女が絶対にすることではない。
「さずがに、男の寝台に年頃の娘をただ黙って行かせる訳にはいかなかったからな。オレも見張り兼温め役として獣化して潜り込んだわけだ」
後ろにいたダリウスがその虎顔をニヤニヤと歪ませながらレンに言う。
レンの反応を面白がっているのが透けて見えた。
(そこは止めてくれっっ!!ってかなんでダリウスさんも一緒になって入っているんだ!)
「おはようございます!」
レンが恥かしさと多少の怒りを乗せて、デリア達に起床の挨拶をする。
デリアとダリウスはレンのベッドから降りると人化した。
部屋の隅にいたディ-ゴがすかさず2人に脇に控える。
「よく寝ていましたわね!2日間まるまるですわよ!」
(2日間?………そもそも何時寝たんだ?―――!?)
「イヴァンさんは!?」
レンが掘り起こした記憶の最後は、血塗れになったイヴァンが大地に倒れている様子。
何とかしようと、あの銀色の粒子を全開に発現すること試みたこと。
そして視界一面に広がった銀色の光だけだ。
「詰所の隊長は大丈夫だ。むしろ今はお前より元気だぞ」
ダリウスのその言葉を聞いて、レンは体から力がへなへなと抜けるのを感じた。
そのままベッドに仰向けに倒れ込んでしまう。
「―――よかった」
ポツリと漏らす。
諦めなくてよかった。
考えることを止めなくてよかった。
生きていてくれてよかった。
「2人の兵士の命を救い、ゲムゼワルドの街への怪異の侵入を防ぐことが出来たのは間違いなくお前のおかげだ、レン。もし、お前が居なかったら、詰所の兵士は全滅し、街の住人にも相当な被害が出ていたかもしれん。そうなったらエルデ・クエーレの食料状態に深刻な影響を与えただろう」
「レン、本当に頑張ったな」
身分とそして年齢が上のダリウスに面と向かってそう言われると、気恥ずかしく感じる。
レンはあー、や、うー、といった言葉にならない音でしか返せなかった。
「イリスも泣きながら感謝していましたわよ!自分の父親を救ってくれてありがとうって!それに、あの詰所の兵士の方たちも狂気乱舞していましたわ!レンが目を覚ましたら皆様お見舞いに来るっておっしゃっていましたわ!」
(あの兵士たちが来たら騒がしくなるだろうな)
レンはその光景を想像して思わず笑みが零れてしまった。
デリアも満開のヒマワリを想起させるような笑顔だったかが、急に膨れっ面になる。
「それにしてもレンはずるいです!わたくしも怪異と戦いたかったのに!」
「ずるいと言われても困るんですが」
「デリア。お前が怪異とやり合うのはまだ早い。それに1人で戦う相手ではないんだ。」
ダリウスがすかさず、デリアに忠告する。
デリアの頬がぷっくりとリスの様に膨らんだ。
おそらく剣の腕が自分より格段に未熟なレンは戦っていたのに、という思いだろう。
「それじゃあ。オレ達はとりあえず退席をするとしよう。レン。2日後にここから鳥行便でアルテカンフに帰る。お前も行くんだから、それまでにしっかりと休養をとっておけよ」
「っえ?」
そのダリウスの言葉を聞いてレンは疑問を感じる。
まだ、レンがダリウス達と一緒に行くことは伝えてなかったはずだが。
また、てっきり今回の件で質問攻めにされるのではないかと考えていたのだ。
「なんだ?あの現場でのことを追究されるとでも思ったのか?」
ダリウスがシニカルな笑みを浮かべながら聞いてくる。
「っあーいや、えっと?」
レンは返答することが出来なかった。
「―――ディルク殿に既にいろいろ聞いたからな。今のお前に特に質問は無い」
(あぁ。そういうことか。ディルク、自分以外とは会話してなかったけど、あの戦闘では普通に話してたからなぁ)
おそらく寝ている間にディルクとダリウスの間で話し合いがあったのだろう。
ディルクはレンの事情をどこまで話したのだろうか。
(流石に違う世界のヒトだ、とは言わないかな)
「まぁ、心配をかけた、という意味では小言の1つや2つ―――いや、10ぐらいは言いたいがな」
ダリウスが鋭い眼差しをレンに放つ。
「本当ですわ!レン!あなた無茶しすぎです!そもそも――」
デリアが白熱し始めた。
「デリア。一緒にアルテカンフに行くんだ。時間は後でたっぷりある。今はディルク殿に任せよう」
そう言い残すと、ダリウスはデリアを連れて部屋から退室した。
レンは柔らかい純白のベッドへと身を預ける。レンが止まっていた部屋よりも柔らかく肌触りも良い。
(そういえば、2日も寝てたのか――どおりで体がなんか重くて軋んでるように感じる)
「おい」
レンが考え込んでいると、聞きなれた重低音の声が、普段はレンの頭の上から聞こえる音の多い声が、ソファの方から聞こえた。
その声の方を向くと、ソファに横たわっている大きな竜がいた。
全身がくすんだ灰色であり、丸太を想起させる雄々しい尾が生えている。身長は2メートル程あり、前足を使い器用に本を読んでいる。
原始の名残を感じさせる大きなマズルは、レンなど丸呑みできそうだ。
その竜は碧色のキラキラした目を細めながらレンの方を見てくる。
「ディルク――だよね。随分と立派になって」
そう問いつつも、レンはその瞳の色と声でほぼ確信していた。
ディルク器用に後ろ足2本で立ち上がり、レンに近付いてきた。
「体は大丈夫か?―――源子欠乏症に加え、両足が火傷、足の中もかなり損傷していたらしい」
ディルクがベッドに腰掛ける。
「そっか、足に関しては仕方ないよ。反動無視の速度最優先の最大発現での“翔雷走”だから」
「源子欠乏症の方は」レンは澱む。
あれは完全に見切り発車だった。銀色の源子を発現させることにすべての集中力を使った。
その結果自身にどのような影響が生じるまで考えが及ばなかった。
だが、ディルクにそのことを伝えると苦言を呈されるだろう。
「あれは一体どういうことなんだ?普通であれば、怪異によるあの致命傷はもう手遅れだったはずだ。一体どうやって、それにあの銀色の光は」
どうやら、ディルクはあの現象の方に気が向いているらしい。
「ヴぃーに聞いてないの?」
「あいつはお前が倒れてから一言もしゃべらねえ。」
レンはあの時の考察をディルクに話す。
これまで見えてきた灰色と銀色の粒子。
他の源子と会合する灰色の粒子。
会合した灰色の粒子を解く銀色の粒子。
自分の怪異に対する特異性の原理。
そして、治癒源技との応用。
「あの時は只の仮定だったけど、イヴァンさんを治癒できたという結果から考察すると、そんなに外れては無いっぽいかな」
「なるほどな、素人目に聞いても至極論理的で妥当だったと思うぞ」
ディルクがそう言うと、黙り込む。
そのディルクの様子にレンは気が抜けた。
てっきり、無茶はしないと約束しただろう、やら、練習もしていない源技能を軽々しく扱うな、他人を救うほどの技量もないくせに調子にのるな、などの口撃が来るものだと思って身構えていたが、ディルクは何も言ってこない。
レンも様子を窺ってしまい、何も喋れなかった。
十数秒程の沈黙が場を支配する。
「レン。お前は、いやお前たちは、“勲者”によってこちらの世界エルデ・クエーレに呼ばれた」
「っえ?」
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