17. 瑣末な自己犠牲を阻んだ後で

カヘンニン州ゲムゼワルド領ゲムゼワルド南方通行門詰所にて、


詰所で番をしている犬獣人の兵士、フリッツは30歳を超えたところだ。


今では食材都市ゲムゼワルドという地方都市の警備隊に所属しているが、

昔は王都の怪異専門の特別部隊という夢ある地位を憧れており、それを目指していたこともあった。


だが、自分の可能性を信じきることができなかったため、若くして身の丈に合った無難な就職を選択し、結果今ではこの立場に落ち着いている。




フリッツは詰所の机でお茶を飲みながら、同僚たちと談笑をしていた。


この詰所は3交代制であり、フリッツ達の第3隊は現在勤務中だ。

勤務隊は、さらに通行門組と待機組に分かれている。


待機組は事務仕事兼、有事の際の保険の戦力ではある。

しかしながら治安の良いゲムゼワルドでは、その有事が起きることは稀であった。


(一番最近で半年前の人身売買の馬車が露見した時か)


フリッツは頭の中でぼんやりと思い出しながら、お茶を飲んだ。


詰所の中には、10人弱の兵士がいた。

フリッツと談笑するものもいれば、鍛練をしているもの(イヴァン隊長だ)、真面目に書類作成に励むものと、各々が自由に過ごしている。


「いやー!おれ本気でイリスちゃんに粉をかけようかな~!」


フリッツの目の前に座っている豹獣人の同僚のその言葉を聞き、フリッツは軽口を返す。


「お、じゃあ早速隊長に報告に行けよ。娘さんをくださいってな」


そこには、いつもと何も変わることのない光景が広がっている。


(結局こういう日常が、幸せっていうのかもな)





しかしながら、そんな日常は崩れ去ろうとしていた。


「なんか――外が騒がしいな?」


フリッツの耳に、祭りの喧騒とは異なるざわめきが聞こえてきた。

獣耳がピクピク動くのを感じる。


ガラス越しに外を見ると、多数のヒトが街の方へと走っているのが見えた。

その表情は恐怖と焦燥を張り付け、鬼気迫るものがある。


一人の狸属の商人がガラス越しに何かを必死に訴えかけてきた。


異常を察した隊長であるイヴァンが即座に扉を開ける。


「っ!かっかい!怪異がっ襲ってきたんだよ!!ばっ!馬車広場っだ!!なっ!何とか!してくれっ!!」


それだけを吐き捨てる商人は慌てて街の方へと逃げて行った。


(………怪異?………馬車広場にーーー現れた!?)


詰所内のヒトすべてが、その言葉を受け入れるまでに一瞬の時間を有した。


それぐらい非現実的なことを吐き捨てられたのだ。


「っっ!!全員!!状況確認!!」


イヴァンがいち早く我に戻り、声を張り上げる。

獣人化している隊長のイヴァンの怒声は、詰所内の全員に緊張感を与えた。


フリッツたち詰所の兵士は慌てて、剣を手に取り詰所を出る。




そこにはボロボロになった無数の馬車や馬が地面に転がっていた。


怪異にやられたと思われるヒトも数人、横たわっているのが見える。


そして、


「おいおい、まじかよ、、、」


理性を失い、目を真紅に充血させた怪異と思われる獣が、多数確認できた。



フリッツが近くにいた同僚たちに視線をむけると、若手の兵士たちの顔に恐怖が浮かび上がっている様子が見えた。



「っっ隊長として命ずる!我々は!誇り高いカニンヘン領ゲムゼワルド州ゲムゼワルド南方通行門警備隊だ!命を賭して街の守護にあたることは、我々の絶対的な責務だ!」


イヴァンが自分を含めた20名弱の兵士たちに声を上げているのを見る。


「皆!神獣の名をその身の源盾とし、そして源刃とするのだ!!作戦に当たれっ!」


イヴァンの鼓舞はそれなりに効果があったようだ。


先ほどまでは、縮こまっていた若手の兵士の顔が上がり、表情に締りが入ったのが見える。



(だが、圧倒的に経験が少ないな)


それなりに古参の自分ですら、怪異との経験は数えるほどしかない。


若手などは、研修で模擬戦闘や、対怪異の作戦の研修は受けているものの、実際に怪異と戦闘するのは初めてだろう。


それも仕方のないことだ。とフリッツは思う。


街の通行門の警備隊が対怪異の任務にあたることはまず無い。


これだけの怪異の数だ。王都の専門部隊が対処にあたるのが普通である。


そもそもこれほどの怪異が街中に出現したという事例をフリッツは知らない。


一体誰が、街の中に突然怪異が現れることを想定できるのだろうか?


(状況は絶望的だな。だけど、今それを悲観していても仕方がない)



フリッツは同僚たちと同時に土源技を発現し、左手に剣を握りしめ怪異へと向かった。




――――――――――――





「退け!作戦“土竜囲い”だ!」


そのイヴァンの号令がその場に響き渡る。



フリッツは剣で、飛びかかってきた獅子怪異を受け流す。

重たい衝撃が両腕に掛かる。

この怪異の攻撃を受けたら致命傷は免れない。


フリッツの背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、反撃すべく源技能の発現を試みる。



「“岩掌”!!」


そうフリッツが声を上げた瞬間、地面から勢いよく岩が突き上がり獅子怪異の腹を打ち吹き飛ばした。


若干の猶予を得たフリッツが急いで周囲を観察する。


怪異と戦闘している隊の皆が、街側へと移動を始めているのが見えた。


(限界ぎりぎり、ってとこか)


怪異に対して剣戟や源技といった攻撃を仕掛けたものの、物理的な衝撃を与与えるだけであり、怪異の動きは全く衰えない。


一方フリッツ達の方は、一つの傷が致命傷になりえる。


既に戦闘に参加していた10名のうち、4名が怪異の攻撃により負傷し戦線離脱していた。


そして、こちらの数が減るほど1人当たりの負担も増加する。


フリッツも怪異からの傷は負ってはいないものの、肉体的疲労及び精神的疲労が蓄積しているのを感じた。


(“土竜囲い”ってことは、時間稼ぎか!)


“土竜囲い”は土源技能により土壁を構築する防御の作戦だ。


(良かった。俺たちだけじゃいずれ―――やられるからな)

フリッツは僅かに安堵する。

確かに、今は外からの応援を呼ぶしかない。


フリッツ達通行門の兵士だけでこれらの数の怪異は殲滅できない

。それどころかこちらが逆に殺されるだけだ。


(神獣綬日でこれだけヒトがいるんだ。怪異専門の傭兵ぐらい、いてくれよっ)


街にいる他の兵士の到着や、怪異と戦える傭兵や冒険者がいることを祈るしかなかった。


フリッツは作戦実行の為に、イヴァンたちが集まるであろう場所へと向かおうとした。


その時だった。


「っち、あの馬鹿!」


フリッツの視界に、新人のコニーが3匹の怪異に囲まれている光景が移った。

思わず罵倒の言葉が漏れる。


コニーの体は震えていた。

なんとか剣は構えているものの、とてもではないが戦える状態ではない姿だった。


フリッツは方向転換をし、土源技“岩掌”により怪異を吹き飛ばし、慌ててコニーの方へ駆け寄った。


(そろそろ源技能も打ち止めだな)


フリッツの心がどんどん焦燥で満ちていく。



「しっかりしろ!コニー!!」


フリッツが声を上げ後輩を叱咤する。


「っっせんぱい」

縋る様にコニーがフリッツを見てくる。

少しは落ち着きを取り戻したらしい。コニーの体の震えは治まっていた。



フリッツがそれを見て僅かに安堵した時だった。


離れたところにいた一匹の狼怪異が、その隙を察知したのか勢いよく飛び掛かってきた。


フリッツは咄嗟に後ろに飛び退くものの、その爪先がフリッツの足首の表面を切り裂く。


「っく!」


そこから血が流れ出るのを感じた。

傷自体は“今”は浅い。


だが、怪異にやられた傷は今後自身を蝕んでいくことをフリッツは理解していた。


(足をやられちまったか。畜生がっ!!)



気が付けば、周りには獅子怪異、狼怪異、猪怪異が機を狙うかのように、立ち塞がっている。


(足を負傷した俺と、この状態のコニーがここを切り抜けられるとは思えない、かといって外からの援護は間に合いそうにない――――畜生!だったらこれしか方法がねえだろうがっっ!!)


咄嗟にフリッツはコニーの制服の襟首を掴み、腕と肩に源粒子を力の限り溜めた。


そしてすべての力を使い、コニーの体をイヴァン達がいる方へと投げる。

「っぐぁ!!!」


その瞬間に左腕が焼ける様に痛むのを感じた。


おそらくは狼怪異の爪で切り裂かれたのだろう。


だが、フリッツにそれを確認する暇は無かった。



投げ飛ばしたコニーが怪異を超えイヴァンたちに近づく光景が見える。


怪異達も突発的すぎる事象に対応できなかったらしい。


コニーが狼怪異の輪から上手く抜け出せたことをフリッツは横目に確認した。





「せんぱいっ!!!!」


「フリッツ!!!!」




イヴァンとコニーの焦った声が聞こえる。



隊の同僚も、唖然とした顔でフリッツを見ている。



(っ!そんな顔でこっちを見てんじゃねえよ―――ばかやろぅ)



フリッツの視界には既に狼怪異の凶刃が映っている。


獲物の喉元を喰らいつくための鋭い牙は、涎に濡れている。



(やべぇ!)



左腕から流れ出る己の血は、掌へと滴り、温かさを感じる。


左手に持つ剣を強く握りしめる。



だが、もう避けることが出来ない間合いであることをフリッツは悟っていた。



次の瞬間には自分の喉元に怪異の牙が刺さることが容易に想像できた。




そして、自分の死も。



(ちくしょう―――)



首筋に、怪異の生暖かい息を感じた。



思わず瞳を閉じてしまう。



フリッツはもうその瞬間を待つことしかできなかった。








その時だった。






バチィィィ!!






フリッツの耳に、巨大な音が、火花が散る様な音が聞こえた。



獣の焼ける匂いが鼻をつく。



風が吹き抜ける。



(………なんなんだ)


フリッツが、恐る恐る瞳を開けてみると、



そこには、狼怪異のあの凶刃は影も形もなく、



灰色の爬虫類を頭に乗せた、



青年が一人、立っていた。



(――なんなんだよ)


何が起こったのかフリッツは全く理解ができなかった。


だが、自分が生きていることを実感した瞬間腰が抜け、へなへなとその場に座り込んでしまう。




――――――――――――





(間に合った!)



レンは心の中で大きく安堵する。


最大発現の“翔雷走”の名残を足に感じつつ、レンは銀色の差し棒で突き飛ばした狼怪異を見る。


狼怪異は倒れ込み地面を滑り、その動きが止まるとすぐに灰色の粒子となって、そこから消失した。


「やっぱり、お腹で当たりだったか」


フリッツを襲っていた狼怪異は、腹部から灰色の粒子を流していた。


そのため、レンはそこに目がけて差し棒を突き刺したのだがどうやら正解だったらしい。


レンが刺した瞬間、差し棒が纏っている銀色の粒子が、怪異の源点に流れ込むように侵食していき、怪異が消えた。



レンは周囲を見回す。


傍らには茫然とした様子のフリッツが座り込んでいる様子が真っ先に視界に入る。

また、馬車が整然と並べられていた馬車道は荒らされ、怪異に襲われた無数の馬が横たわっている。


「ひどい有様だな」


神獣綬日の祭りのためか、食料を輸送していた馬車が多かったようだ。


所々無残な姿で散在している大きな木製の馬車からは、猪や牛、豚、人参やレタスが地面に放り出されているのが見えた。



遠くの方には怪異にやられたと思われる旅人や兵士たちの姿も見える。


怪異から離れた中心街側には怪我人と思わしきヒトたちが多数寝かせられており、懸命に彼らの治療に当たっているヒトや、知り合い知己が怪我人に必死に呼びかけている姿が見える。



一方で、この場から街の方へと逃げるための準備をしているヒトもいた。



ヒト達の焦燥、怒号、悲観といった声が入り乱れており、場は騒然としていた。




レンは怪異の群れへと視線を向けた。


周りには取り囲むように10を超える怪異達が、警戒を滲ませながら唸り声を上げ、こちらを見ている。


「草原で見た怪異より灰色の粒子が濃いのはなんでだろう」


「おそらくこいつらは草原のよりも成熟してるんだろう。しっかし、狼怪異に、猪怪異。猫怪異に獅子怪異。一般的な怪異は勢揃いじゃねえか」


ディルクがレンの頭から降りて横に浮かぶ。

「レン。俺が時間を稼ぐからお前そいつを外に出してこい。そいつは剣腕と脚を負傷してる。ここでは足手まといだ」


「――わかった」


レンは座り込んでいる犬獣人のフリッツに話しかける。


「大丈夫ですか?フリッツさん」


「あ、あぁ。――俺、お前……坊主?…何時?いや、どうやってここに?てか……なんで坊主が?」


フリッツは目の前の状況がまだ理解しきれていないらしい。茫然と目の前のレンを見上げている。


「そんなことはどうでもいいでしょう¬!今はこの包囲から抜けるのが先です!自分に乗ってください!」


レンはそう言うと、フリッツに背を向けしゃがみこんだ。


「――は!?お前が俺を背負うのか?!って、いっつ!」


フリッツは困惑した声を上げる。


負傷した腕と足が痛むらしい。紺色のギザギザした犬耳も震えていた。


「説明をしている余裕はないから!早く!お願いします!」


ディルクが、炎源技でサッカーボールほどの小型の火球を怪異の手前へと発現し、牽制をしている。


「お、おう」


レンの勢いに押されたのか、現在の状況を理解し妥当な判断だと認識したのかわからないが、フリッツは剣を鞘に仕舞うと、レンの背に体を乗せその身を預けてきた。

「重たっ!!」


フリッツの身長は間違いなく180後半はある。

兵士であるため筋肉もあるし、剣や革鎧といった装備も着用している。


170ちょいのレンが運ぶのは明らかに分不相応だった。


「だっ!大丈夫かよ!?」


それでも何とか、体全体に力を籠め、全身に特に足に源粒子を巡らせ、立ち上がる。


(この状態で最大発現の“翔雷走”を使うしかないか!)


反動が怖いが仕方ない、優先順位はヒトの命である。


レンがそう考えていた時のことだ。


「~~~仕方ねえかっ」


背中のフリッツが恥ずかしそうにそう叫んだ瞬間、急に背中の負担が軽くなった。


レンの首から胸の前に出ていたフリッツの腕が、紺色とところどころの白いラインの毛で彩られた犬の前足に変わった。


「この方がいいんだろうっ!」


レンが首を横に向けると、そこには目をつぶった犬の顔がある。


(獣化か!っ本当に!この世界は物理法則とか丸無視だなっ!!――でも、これならいける!!)


フリッツが獣化したことを即座に悟ったレンは、次の行動へと移る。


「ありがとうございます。しっかり掴まってください!」


イヴァンたち兵士がいる安全地帯までは、濁った茶色の猪怪異が2匹立ち塞がっていた。


「ディルク!頼む!」


反対側で囮になりつつ源技能を放っていたディルクが、その声に反応して、レンの前にいる一匹の猪怪異に対して炎源技を放つ。


球状の火球が同時に5つ放たれ、それは着弾と同時に火柱を上げた。


レンはそれを横目で見つつ、もう片方の猪怪異に対して差し棒を向けた。


(流れの起点は――額か!)


「“雷閃”!!」


差し棒から、青白い閃光が生じる。


それはジグザグに大気を切り裂くと、猪怪異の顔に刺さった。


バチィッという音が聞こえ、怪異が大きく痙攣する。


だが、絶命までには至っていない。


(まだ、そこまでコントロールできないか。だけど隙は出来た。)



「行きますよっ!!」



レンは即座に“翔雷走”を発現させると、フリッツを背負いイヴァンたちがいるところまで全速力で駆け抜けた。







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