第1節. レンと食材都市ゲムゼワルドからの始まり

10. 早朝に翔ける竜の憂慮

窓から爽やかな朝日が差し込み、部屋の床に窓の影を淡く映し出す。


昨夜の空のざわめきが嘘のように、窓から見えるゲムゼワルドの商業地区は静寂に包まれていた。


ディルクはレンの枕元で寝ていたが、眠りから覚醒すると机の上に飛び移った。

窓から入る朝日を浴びながら大きく伸びをする。


ベッドのレンはまだ寝ている。


昨日の疲労具合からすると、レンが目覚めるにはまだ時間が掛かるだろう。


ディルクはそう判断すると窓を開けた。

柔らかい爽やかな風が部屋に吹き込む。


(今日は晴れそうだな)


そして、その風を裂くようにディルクは外へと飛んでいく。



ゲムゼワルドの商業地区は、普段は買い物をする獣人達で賑わっている。


だが今は早朝ということもあり、鳥の鳴き声や少数の働くヒトの活動音が僅かにディルクの耳に入るだけだった。


商業地区一番の大通りには、道を挟むように種々の色のテントが連なっている。

屋根とほぼ同等の高さから見下ろすと、それは灰色の石畳と合わさって、一つの賑やかな点描画に見える。


後3時間ほど経てば、神獣綬日の祭りが開催される。

テント一つ一つに個性豊かな露店が開かれ、この大通りはヒトで溢れ返るだろう。


(レンに必要なものを買ってやらねえとな)

もしかしたら雷源技の指南書の中古本も売っているかもしれない。


後で、レンを連れて軽く露店巡りでもするか。


ディルクはそう考えつつゲムゼワルドの商業地区を超えて、郊外へと羽を向けた。



エルデ・クエーレは、王領とそこを中心として12の領地と、そして広大な海から成っている。


領地の1つ、カニンヘン領に位置するここゲムゼワルドという街は、世界でも有数の食材都市として認識されており、新鮮な穀物や野菜を生産している。そしてそれは王都や他の領地に多く流通している。


それを可能にしているのは、ゲムゼワルドの初夏に雨が降りにくい温暖な気候と、大地に含まれた豊富な源粒子だ。


そんな豊かな大地を遠めに見つつ、ディルクは郊外へと飛んでいく。


先ほどまでは石造の建物が所狭し並ぶ商業地区や住宅地区が眼下に広がっていたが、今は麦畑が広がっている。


仄かに色づいた穂が一様に広がっており、明朝の朝日を浴びながらキラキラとそよ風に揺れていた。


(――ここの土地は穢されていないな)


世界にとって食材都市ゲムゼワルドの重要性は、今じわじわと上昇していた。


近年大量に存在が確認され始めた怪異は、土地を穢すといわれている。


怪異がいるから土地が穢れるのか、穢れた土地から怪異が発生するのかは未だ解っていない。


穢れた大地は死地となり、作物の生産が非常に困難になる、さらにはそこに住む生命を蝕んでいく。


世界のいくつかの農村はすでに怪異に侵され、そして土地は穢れた。

当然のごとく、世界の食料の総生産量も減少している。


一部の希少な食材の価格はすでに高騰し始めている。


そうした食料情勢の中、安定して大量の穀物や野菜を世界に供給できるカニンヘン領の食材都市ゲムゼワルドは、現在、エルデ・クエーレに住むヒトたちの一つの生命線といっても大げさではなかった。


(このままではジリ貧だ)


このまま死地が増えれば、いずれじわじわと食料の供給と需要のバランスが崩れていき世界は混乱に直面する。


ディルクはそれを懸念している。


(だがもしかしたら――“あいつ“なら)


怪異を一突きで屠る力を有し、

源粒子の流れを視ることができ、

そして己の知識を源技に還元する発想力を持つあいつ。


あの異世界の青年なら、何かしらこの閉塞感に苛まれつつあるこの状況を変えることができるのかもしれない。


ディルクはそう思ったが、慌ててその思考を振り払うかのように頭を振った。



目的地に近づいてきた。



ディルクは高度を下げ、郊外の端にある小さな麦畑の近くの雑木林へと向かった。


(過度な期待は危険だ)






「おはようございます。ここまでご足労おかけして申し訳ございませんでした」


雑木林の中に入るとすぐさまディルクの上方から、感情を感じさせない平坦な、だが、澄んだ女性の声が聞こえてきた。


「いや、いい気にするな」


ディルクが顔を向けると茶色の梟が一羽、木の枝の上に佇んでいた。

梟はオレンジ色の眼球とそこに浮かぶ漆黒の瞳を一度大きく瞬きし、謝意を示す。


「とりあえず報告だ。“召喚された”ニンゲンの一人と遭遇することができた」

ディルクはその梟に対して結論から端的に述べる。


「それは僥倖ですね」

梟は枝から飛ぶとふわりとディルクの元へと降りてきた。

広げられたブラウンの羽は、青々とした雑木林の中に唯一存在する、時期外れの枯れた葉を想起させる。


「あぁ。小母上の源技能は計り知れないな。まさか、出現場所を当てるとはな。今はそのニンゲンーーレンと目立たずに行動を共にしている。そのレンに関してだが」


ディルクは、レンと出会ってからのことを梟属の彼女に伝えた。


ディルクの話を聞いた茶色の梟は目を見開き驚嘆を示していた。

平素の彼女ではあまり見られない姿だった。

「狼怪異を一突きですか、それは―――凄まじいですね」


「あぁ。だからこそ危険だ。第5派にでもその存在が知られれば、即座に研究動物にされるだろう。ただ、あいつ自身は戦闘経験もないただの青年だ」

ディルクは感情を押し殺しながら言う。


「そして―――あと4人のニンゲンがこの世界にいる可能性が高く、そのうちの一人は向こうの方角にいるようだ。タージア領のルーへの方だな。ベルタ達はそっちをあたれ。距離に関しての情報はないから、まずはヒトの多い街から捜索しろ」


昨夜レンのスマフォから得られた情報も、ディルクは彼女に共有した。

梟属の彼女、ベルタは自由の効く首を大きく頷かせる。


「俺はこのままレンと行動を共にする。その道中にレンを鍛えながら、あいつの怪異に対してもつ異端の能力を調べる予定だ。俺らにとってどれくらい有用なのか、を。まぁ、今のところあいつは、他のニンゲンと合流することや、自分の世界に帰ることを目的としているみたいだが時間は掛かるだろう、見極めるには十分だ」


昨夜の話し合いの中でレンは、User1を示す方角に向かいたい、と強く主張していた。


しかしながら現実的に考えて、レン自身がこの世界に慣れること、レンが自分の身を守れるぐらいには源技能や剣の扱いに慣れる必要があるだろう、とディルクは考えていた。


さらに、レンが元の世界に帰るための方法に関しては、今のところ全く情報が無い。


「承知いたしました。その、呼ばれたニンゲンは全員で5人ということになるのでしょうか?」

ベルタが不思議そうにディルクに訪ねてきた。


「あぁ。そうだ、皆に伝えておいてくれ」

ディルクが答える。


「あと、仮に、あいつにその意思があろうがなかろうが、レンがこの世界に害をなす存在だった場合には――俺が責任をもって処分する。合わせてそう報告しておいてくれ」


「承知いたしました、ディルク様。くれぐれもお気を付け下さい」

そう言うとベルタは茶色の羽を羽ばたかせながら、雑木林の奥へと消えていった。




――――――




出かけた際には静寂に包まれていた商業地区も、今ではだんだんとヒトの声で賑やかになり始めている。

露店に商品を並べはじめているヒトの姿が多く見受けられた。


初夏にしては強い日差しが街を照らし、キラキラと光っている。


ディルクは窓から宿の部屋へと戻った。


ベッドの上のレンは未だ寝ているようだった。

深い眠りに付いているのか、ディルクが多少の物音を立ててもレンは身じろぎひとつしない。


本当に平和な世界からやってきたのだろう。


源技も剣も使ったことなく、その必要のない世界。


レンの源粒子の流れを視る力。

そして、怪異を屠る能力。

それらは異常だが、ヒトとしては本当に前向きなだけの普通の青年だ。



「許してくれとは言わない。できれば、何も気づかずにこのまま――世界に利用されてくれ」





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