7-10
6月19日(水) 。
今日が裏アカデミ休養の最終日だ。
明日いよいよテイルの仮死状態が完成して、彼女の精神の一部をステラと同期させる手筈が整う。
ステラと意思の疎通が出来るようになれば、話も進展するだろう。
にしても……ダルい。
寝起きは常にスッキリしない方だけど、それにしても今日は疲労感が凄まじい。
昨日色々あり過ぎて、まだ疲れが取り切れていないのかもしれない。
んー……なんかおかしいな。
昨日の疲れが残ってる事はこれまで何度もあったけど、ちょっとそれとは質が違う辛さだ。
なんか肩や背中が異様にこってる。
あと脇の下も。
一応熱でも測ってみよう
部屋に体温計はないから、居間まで行かないといけないのが面倒だ。
何が面倒って、母さん達にバレないように体温計を持ち出す事。
見つかったら『女と会った気疲れで熱が出た? どんだけ陰キャなの?』とか言ってイジられそうだしな……
特に来未に見つかるのだけは避けたい。
時間は――――七時十分か。
この時間なら母さんは仕込み中だし、父さんも店の方にいる筈。
来未だけ注意しておけば問題ないな。
廊下に来未の気配はない。
それじゃ早速階段を……あれ。
っと!
うわ、ヤバ……今一瞬高低差全然わからなかった。
なんだこのフワフワした感覚。
これはマズい。
明らかに熱がある時の感覚だ。
ついさっきまで全然そういうのなかったのに、何か急にキたな。
いやでも、もしかしたら単に寝ぼけてるだけかもしれない。
体温計で実際に測ってみない事には――――
【38.2℃】
……ダメだこりゃ。
38℃超えてきたかぁ……完全に風邪だよなこれ。
朝に熱が出て、学校を休めるって喜ぶ奴がいるらしいけど、俺には到底信じられない。
こんな体調の悪い中で学校休んで、家でゲームなんかやってたら、ますます悪化して頭痛やら寒気やら関節痛やらで最悪の状態になるのは目に見えてる。
そんなバッドコンディションになったらゲームどころじゃない。
本来自由な時間をいずれ失うのが目に見えてるのに、喜んでどうするんだ?
それに、学校を休んだら宿題が溜まる。
学校で消化出来る筈の宿題を家でやらなきゃならなくなる。
これも最悪だ。
そして何より最悪なのは、家族に移してしまうかもしれないリスク。
ウチは接客業だから、風邪を引いたら店は手伝えない。
特に母さんが病気になったら、店を休まなきゃならなくなる。
こんな今にも潰れそうな店が一日休んだら、それこそ大打撃。
自分の所為でそんな状況に家を追い込むなんて事は絶対に嫌だ。
何にせよ、こんなに熱が出た状態で学校に行っても仕方がない。
クラスメイトに移すのも忍びないし、休む以外の選択はないだろう。
万が一風邪以外の可能性も考慮して病院にもいかないと。
取り敢えずSIGNで家族全員に熱が出たのを報告――――と。
『熱を測ったら38度2分あったんで学校休む』『俺と俺の部屋には近付かないように』『手伝いも今日は出来ない。ごめん』
これでよし、と。
あとは保険証とマスクを……
「深海! 熱出たの?」
「ストップ! 母さん俺に近付かないで! 移すから!」
こっちとしては、移す可能性のないSIGNでの会話が好ましかったんだけど、母さんが来てしまった。
親父と来未は、こういう時俺が近付いて欲しくないのを知ってるから、寄ってこないようにする。
でも母さんだけは、どうしても俺の望みを聞いてはくれない。
「病院行く?」
「うん。一秒でも早く治さないとだしね」
「はぁ……どうしてあんたはそう、余計な事考えるの。風邪引いたのなら素直に甘えなさい」
そういう訳にはいかない。
もし普通の家庭なら、素直にそうする。
でもウチは事情が違うんだ。
「母さん。俺はね、風邪引いたからって心細くはならないよ。慣れっこだから」
……昔から、身体が強い方じゃなかった。
幼少期は月に一度は体調を崩していたらしい。
覚えてないけど。
物心ついてからは、そこまでひ弱じゃなくなったけど、それでも季節の変わり目には高確率で風邪を引いている。
小学生の頃からずっとそんな感じだ。
幸い重症化した事はないし、割と回復は早いから、長引いても二日くらいなんだけど。
中一の終わりくらいまでは、すぐ風邪を引く自分が情けなくて、病院に行くのを拒んでいた。
たかが風邪くらいで学校休んで病院に行くのが恥ずかしかったし、お金がかかるのを心苦しくも思った。
でも、逆にそれが家族の負担になると、少しずつ理解するようになっていた。
さっさと病院に行って診断をして貰って、薬を出して貰えば、あとは治すだけ。
余計な心配をさせずに済むし、『移らないようにする』という意識を一家で共有出来る。
医療費は……来月の小遣いから引いて貰おう。
多分来月くらいまでは裏アカデミで手一杯だろうし、欲しいゲームは再来月まで我慢だ。
「絶対移したくないんだ。だから、そこは徹底させて」
「……」
母さんは少し悲しそうな顔をする。
俺が風邪を引いた時はいつも、このやり取りになる。
あまり居心地が良い時間じゃない。
「また病院には一人で行くの?」
「うん。付き添いがいる熱でもないし、歩いて行ける距離だし」
家から最寄りの内科医院までは歩いて20分もかからない。
風邪で総合病院や大学病院に行く必要はないし、子供の頃からお世話になってるかかりつけの病院。
タクシーで行くほどのものでもない。
「母さんはね、移る移らないより、息子を一人で病院に行かせる事の方がずっと嫌」
「でも、移ったら絶対にダメだよ。母さんの代わりは誰も出来ないから」
これも、ここ数年ずっとお決まりになってるやり取りだ。
俺は絶対に折れない。
それが正しいとか、カッコ良いとか、そういう事じゃない。
飲食店の家に生まれた身体の弱い人間の、これは責務だ。
「……せめてタクシーを使いなさい」
最後はそう言って母さんが折れる。
本当はタクシーなんか使いたくない。
でも、これまで突っぱねて母さんに罪悪感を抱かせるのは、我侭が過ぎる。
「わかった。ありがとう」
だから、行きだけはタクシーを使う。
ほぼ基本料金で行ける距離だけど。
母さんは寂しそうに居間を出ていった。
その後ろ姿を、最後まで見る。
俺もまた、宛てのない罪悪感を抱いて。
その後、学校に休む旨の連絡をして、病院の開く九時に合わせてタクシーを呼び、病院へ移動。
インフルエンザの時期でもないし、他のウイルスが流行ってる訳でもないから、診察は直ぐに済んだ。
風邪――――ではなく、疲労による自律神経の働きの乱れで発熱した可能性が高いとの事。
確かに咳や鼻水などの典型的な風邪の症状はない。
この手の発熱は解熱剤があまり効かないけど、一日で下がる事が多いから経過観察しましょう、との事
栄養状態は問題ないから点滴も必要なし。
薬も出されなかった。
まあ、風邪じゃないのに抗生剤とか貰っても仕方ないし。
取り敢えず移す心配のない発熱っぽいのは幸いだった。
にしても……これじゃ終夜の事をあれこれ言えないな。
まさか女の子とデートっぽい事をしただけでここまで身体が悲鳴を上げるなんて。
遺伝子レベルでモテるのを拒否してるとしか思えない。
まああの親父の息子だし、仕方ないか。
一応SIGNで結果を報告して、歩いて家に帰ろう。
なんか風邪じゃないって聞いたら、心なしかちょっと楽になった気がする。
でも相変わらず倦怠感はある。
身体が重い。
……そういえば、RPGで体調不良のバッドステータスは幾らでもあるけど、発熱ってあんまりないな。
天女再来(テンサイ)シリーズには風邪があったけど。
まあ、金出して宿屋に泊まったら、回復どころか全然疲労が取れずむしろ発熱しました……じゃ、ユーザーの反感買うだけだもんな。
ゲームにもリアリティは必要だ。
よく現実逃避の象徴的な扱いを受けるゲームだけど、同時に俺達ユーザーの生活に密着した娯楽だから、何もかもファンタジックじゃ親しみが持てない。
それでも、やっぱり実生活で負の要素と感じているものは、ゲームにまで持ち込みたくはない。
敵から食らう状態異常は良いけど、自然発生の体調不良は不要だ。
こんなしんどい思い、ゲームの中でまで引きずりたくはない。
……なんか知恵熱出て来そうになってきた。
取り敢えず今日はもう休もう。
結局この日熱は下がらず、ただボーッとするだけの空虚な時間を過ごす事になった。
辛い症状はあんまりないけど、寒気はするし、何よりダルさが全然取れないのが鬱陶しい。
ベッドの上で考えるのは、どうしてここまで貧弱なのかって事。
単に生まれつき身体が弱いのもあるんだろうけど、やっぱり全然鍛えてないのが良くないんだろうか。
ゲームには必要ないから、筋力を付けるなんて考えた事もなかった。
同世代の男子の中には、モテたいって理由で筋トレしてる奴もいるらしい。
クラスでそういう話をしてるのを聞いた事がある。
……俺も筋トレ始めようかな。
いや、決してモテる為とかじゃなくて。
はぁ……暇だ。
時間は――――まだ八時か。
いつもの数倍、時間が流れるのを遅く感じる。
またソーシャル・ユーフォリアの攻略本でも読むか。
何しろキャラが多過ぎるから、全部には目を通せてない。
正直、記憶にあるキャラも殆どいないし。
五大ギルドがメインになっている世界観だけあって、登場人物の多くはギルド所属だ。
でも中には、ギルドを快く思っていないキャラもいる。
レジスタンス的な集団もあって、そいつらは本筋のストーリーにも絡んでくるらしい。
正直、全然覚えてないな。
一番のRPGだってオススメしてるのに、こんなザマじゃ――――
……え?
思わず目が点になる。
攻略本の中に、想像もしていなかった名前があった。
メインキャラじゃない。
レジスタンスの一員で、その中でも特別秀でたキャラでもない、端役も端役。
そのキャラの名前は――――キリウス。
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