6-17

 バーを兼任していないカフェの営業時間は、大体二十一時くらいまでと相場は決まってる。

 でも残念ながら我が家のカフェにはそんな遅くまで客が訪れる事はない。

 十八時半を過ぎた辺りから夕食の準備を始めても、悲しいかな特に支障はない訳で――――


「細雨ちゃん、おかわりもいっぱいあるから遠慮しないでね!」


「は、はい! いただきます!」 


 本日も我が家の夕食は十九時ジャストに開始した。


 当然、夕食が三〇分で作れる筈もなく、下ごしらえは午後の空いた時間に母さんがやってる。

 メニューを決めるのは午前中らしい。

 買い物の時点でメニューを決めてたら、そのメニューの材料に縛られてしまって安い食材を買えなくなるから……だそうな。


 そんな主婦のプロであり、カフェの大黒柱たるシェフでもある母さんの料理は、当たり前だけど美味い。

 チェーン店のメニューみたく予め分量が決まってる訳じゃなく、全ての料理を母さんが一から開発しているんだから、それでマズかったらとっくにLAGは潰れているだろう。


 ただ、今日の母さんは明らかに浮き足立っていた。

 原因は昼間の客入りがイマイチだったから……じゃなく、明らかに終夜の存在を意識しているからだ。


「あの、これは……」


「それはね、笛吹市の名産、桔梗信玄餅よ! 詰め放題でたくさん仕入れてきたからたくさん食べてね!」


 ……幾ら県外のお客さんとはいえ、どこの食卓に名産品のお菓子が並ぶんだよ。

 しかもこれ、きな粉と黒蜜の甘い甘~~~いお餅だから、食事中に食べると他の夕食の味が消し飛ぶぞ。


「わ、わかりました。えっと、こっちは……」


「それはお手製のハンバーガー。カフェのレギュラーメニューなの。売れ残りじゃないからね♪」


 多分売れ残りだと思う。

 ただし材料だけ。

 そもそも、ウチの食卓の大半は売れ残り食材を使ったメニューだし。


 まあ、ハンバーガー自体はランチメニューっぽいって事を除けば特に問題ない。

 問題なのは中身とそのボリュームだ。


 基本、お手製のハンバーガーは全国に多数の店舗を構える有名ハンバーガーショップの商品と比べて、肉もバンズも分厚いと思われる。

 ファミレスのやたら高いハンバーガーや、スーパーとかの地場産コーナーに置いてあるご当地ハンバーガーも大抵分厚いけど、それ以上の厚みになる事が多いだろう。

 普段作ってるハンバーグをそのまま使用するからだ。


 それは仕方ない。

 普段と同じサイズ、同じ肉じゃないとこね具合や焼く時間が変わってくるし、調節を間違って生焼けにしたり焦げさせたりしたら目も当てられない。

 だから、デカいのはこの際不問だ。


 物申したいのは、その中身。


 恐らく見栄を張りたかったんだろうけど……なんでハンバーグと一緒にステーキを入れた?

 アメリカンスタイルにしても、せめてスペアリブとかだろ!

 いやそれでも女子に出す食い物じゃないけど!


「えっと、でも、こんなに食べきれないかもしれません……」

 

「大丈夫です終夜先輩。こんなの残してやったらいいんですよ。来未達みたいなカロリー気にするお年頃にこんな野蛮な食い物出す気の利かないおかんにいちいち気を遣わなくていいんですからね?」


「ふぁ、ふぁい」


 母さんの隣に座る『人見知り』という言葉を辞書からページごと破いた我が妹と、俺の隣に座る『人見知り』を油絵で描いたような終夜との相性は案の定、全然良くなさそうだった。

 向かい合っているけど、終夜の視線が全く定まっていない。

 天敵の肉食動物を前に逃げ道を探す小動物のようだ。


「おい来未。母さんの作った料理に向かってその言い方はなんだ。謝りなさい」


 そして――――父。


「うっわ、カッコ付けてるよこの人。お客さんがいると直ぐこれだ」


「母さんは電話出る時声高くなるけど、親父は声低くなるんだよな……」


「おい子供らよ。余計な情報を漏洩するんじゃない」


「本当にお父さんは余計な事ばっかり言うんだから。細雨ちゃん、遠慮なく残していいからね?」


「ちょっ母さんなんでナチュラルにディスるの!? 俺、君をフォローしたよね!?」


 まあ、大体いつも通りの扱いだ。


 白々しいかもしれないけど、親父がこういう役割を演じる事で、我が家の食卓は常に明るい。

 道化に徹しているとわかっていてもムカつかせるその技量には素直に称賛を贈りたいが、終夜の見ている前だと物凄く恥ずかしいな……


 元々、ウチの食卓はぎこちないところが多々あった。

 それをどうにか改善しようと四者四様、それぞれに努力してきた結果がこの現状だ。

 そんな背景を知らない終夜が見れば、きっと異様に映るだろう。


「あ、あ、あの、このコロッケは……」


 ……それどころじゃなかったか。

 一応、来未以外は全員ゲーム好きで、来未も好きなゲームキャラがいっぱいいるって事前に説明してるから、話はちゃんと出来ている。

 でも極度の人見知りに違いない終夜にとって、他人の家の食卓はFPSの高難易度ステージくらいの緊張感だろう。


「あら、お目が高い! それはジャガイモとカボチャをミックスしたお手製のジャガボチャコロッケなの!」


 語呂は良いけど絶妙にマズそうな名前なんだよな……一応フォローしておこう。

 

「名前はともかく味は最高だから食べてみて」


「いいいい頂きます」


 人見知り絶賛発動中の終夜が、果たしてちゃんと味わって食べられるかどうかは未知数だったけど――――


「美味しい! わっ、すっごく美味しいです! これ凄いです!」


 幸い、母さんの顔が綻ぶような良い反応をくれた。


 他人の家の食卓でご馳走になってて、お世辞を言わない人はいない。

 最初から『美味しい』って言葉は約束されている。

 でも、その反応の仕方や言葉のチョイス、何より挙動で『何処までが本心か』ってのはかなりのところまでわかる。


 終夜はすぐに二口目を食べていた。

 それも、ソースを付けずに。


 このジャガボチャコロッケは、カボチャの甘みとジャガイモに含ませた塩分とのバランスが肝で、そこにソースを付けると一気に平坦な味になってしまう。

 とはいえ、客人の終夜に『このコロッケはソースなしで食べて』と強要する訳にはいかないし、『ソース付けない方が美味いよ』と助言風に言っても、アウェイの彼女にとっては強要と大差ない。

 だから誰も何も言わなかったのに、終夜はジャガボチャコロッケの美味い食べ方に自力で辿り着いた。

 ちゃんと味わっている証拠だ。


「……」


 うわ、母さん涙ぐんでる。


 このコロッケって一応カフェのレギュラーメニューに入れたんだけど、全然注文入らなかったんだよな。

 味は申し分ないけど地味だし、何よりカフェに来てコロッケは食わないし。

 まさかこんなとある日に、自分が一番自信持ってる料理を最高の形で称えられるとは夢にも思っていなかったんだろう。


「でしょー? このコロッケってお母さんの自慢の一品なんですよ! 全っ然売れないけど!」


「あら来未、そんなに肘でマッサージされるの好きだったっけ?」


「なんでもありません肘とか好きじゃないですごめんなさい調子に乗りました」


「遠慮しないでいいのよ。あとでゆっくりしてあげるから」


「……ヒュー……ヒュー……」


 来未の呼吸が浅くなってる……

 恐らく客の前でなら普段の三割増しの暴言でも許されると思ったんだろう。

 憐れな。


 桔梗信玄餅とステーキハンバーガーとジャガボチャコロッケの他にも、アボカドを沢山盛ったサラダや人参の甘煮が食卓に並んでいて、普段よりも明らかに品目が多い。

 でも、重いのはハンバーガーくらいだ。

 普段から栄養バランスをちゃんと考えて作ってる人だけど、それは今日も変わらない。 


「ねー、終夜先輩」


「ふぁっはい。なんでしょうか」


「終夜先輩の事、おわりんって呼んで良い?」


 ……何なの、その目的がわからない渾名。

 せめて名前をもじれよ我が妹。


「お、おわりん?」


「終夜の終を取って……なんだろ。断っていいぞ終夜。そんなんで呼ばれてもピンと来ないだろうし」


「兄ーには関係ないでしょ! これは来未とおわりんの事なの! 黙ってて!」


「普通に兄として恥ずかしいんだけど……これ以上罪を重ねるな」


「なんで渾名が罪なのさー! それとも何? 自分は名字呼びなのにお母さんも来未も違う呼び方なのが嫌なんじゃないの? はー、この独占厨! これだからヲタクは!」


 いや、お前の方がヲタクだろ……独占厨とか声に出して言う奴初めて見たわ。


 そもそも、俺の事はどうでもいい。

 問題は終夜だ。

 あんな訳のわからない渾名――――

 

「おわりん……おわりん……おわりん……」


 復唱してやがった!

 え? 気に入った……?


「待て待て待って待って。簡単に受け入れちゃダメだって。考え直した方がいいって」


「なんでよー。いいじゃん、おわりん。可愛いよ。大体兄ーに、知り合ってどれくらいか知らないけどさー、家にお招きする子を名字で呼ぶとかなくない?」


 ……なんでこいつ急にヲタクっぽくない事言い出すかな。

 いいんだよヲタクは名字呼びで!

『俺の事は名前で良いぜ?』とか絶対無理だし鳥肌ものだ。


「来未よ……お前は全然わかってないな。深海はな、楽しんでいるんだよ。最初は名字呼びで、それから何かコレってきっかけがあってから名前で呼ぶ。その過程が最高なんじゃないか」


「……お父さん、気色悪」


「そこはキモいで我慢して! ガチのやつ食らうと夜寝る時とか思い出して死にたくなるから!」


 フォローして貰っておいてなんだけど、来未が全面的に正しいから何も言えない。


「や、私はお父さんの言ってる事わかるよ。やっぱりそういうのってストーリーがあってこそじゃない? 来未みたいに『呼んで良い?』ってのがないわー」


「でた、90年代の価値観。お母さんいっつもそれ。今はなんでも短いのがいいの! whisperに長文投稿しても誰も読まないしSIGNも短くが基本!」


「でもバズってる投稿って割と長文多いじゃない。そんなテンプレ思考だから、来未のウィートっていいねが少ないんじゃない?」


「なんでお母さん来未のアカウントの死に具合知ってるの!? っていうかアカウント持ってるのなんで知ってるの!?」


「俺が教えた。エゴサーチしてたらみっけた」


「みっけた、じゃないでしょお父さん!? 何してくれてんの!? もう絶対お父さんの事呟かない!」


 いや呟くなよ、女子中学生が父親の事。

 どんだけ仲良いんだよファザコンかよって思われるだろ……


 って言うか、我が家には客をもてなそうって精神はないのか?

 こんな大声でギャーギャー騒いでたら終夜だって萎縮するだろう――――


「……」


 ――――その刹那まで。


 終夜の横顔を見るまで、俺は全く気付けずにいた。


「……っ」


 俺の視線に気が付いた終夜は、直ぐに顔を背けた。

 でも、それで誤魔化せる訳がない。


 俺はもう見てしまった。


 終夜は――――泣いていた。


 涙を目にいっぱい溜めて、でも留めきれなくて、ポロポロと零していた。


「終夜……?」


「違っ……違うんです……」


 一瞬、その涙の意味が理解出来なかった。

 でも即座に思い至った。

 同時に、背筋が凍った。





 ――――お前のやっていることは、会社の足を引っ張っているだけだ

 ――――そんなことわかってる



 ――――他に気を許せる相手は? ――――いません



 ――――母はそんなわたしに呆れて、家を出て行っちゃいました



 ――――なんですかそれ。私がお父さんの作ったゲームを楽しく遊んでいたみたいに





 ……もっと気を遣うべきだった。

 配慮しなくちゃいけなかった。

 細心の注意を払って、終夜をこの食卓に招いていいかどうか、ちゃんと検討すべきだった。


 この場所は、終夜にとって地獄だったのかもしれない。


「……細雨ちゃん? どうしたの?」


 マズい、母さんにも気付かれた。

 親父もおどけた顔を止めて、素に戻ってる。


「え……あっ……ごめんなさい! 来未何か失礼な事言って……」


 来未も俺と同じように、痛恨の念を抱いたに違いない。

 さっきの会話の直後だ。

 自分の所為だと思うのは自然だろう。 


 でも違うんだ。

 終夜はきっと、この場所にいる事が居たたまれなくなった。

 何か一つの言葉に反応した訳じゃないんだ……と、思う。


「違い……ま……ひっ……違……ぅぅ……ぁぁぁっ……」 


 声が震えて、もう声になっていない。

 嗚咽だった。

 その小さな小さな慟哭に、血の気が引く自分を感じずにはいられない。


 回避出来た。

 俺が気を回せば、これは絶対に防げた事態だ。


 俺が終夜を泣かせた。

 傷付けた。

 傷口を伸びた爪で抉るような、そんなしちゃいけない事をしてしまった。


「ぁぁ……っくっ……ぅぅぁぁぁ……っ」 


「ごめ……すみません……私……フザけて変な事言って……」


 来未も涙目だ。

 こいつにしても、目の前で泣かれる経験なんて殆どないだろう。

 接客業をやってる来未は、俺よりもずっと他人との距離感をわかってるから。


 一人称を変えたのも、正式な謝罪の証。

 でもそれは、やっぱり余りにもぎこちない。

 自分が悪いと言いながらも、身に覚えがないからだ。


 当然だ。


 悪いのは俺。

 終夜の身の上を知らない他の三人には、どうしようもなかった。

 俺だけがどうにか出来た筈なんだ。


 適当な理由を付けて終夜を帰らせても良かった。

 先に終夜の家族について大まかにでも話しておけば良かった。

 どうとでも出来たんだ。


 謝るべきは俺だ。

 でも、なんて言って謝れば良い?

『家庭が上手くいってないお前に脳天気な家族を見せてしまってごめん』……とでも言うのか?


 そんなの言える訳ない。

 ならどうすればいい?

 ここで俺は、終夜になんて声をかければ彼女を泣き止ませる事が……傷付いた心を癒やす事が出来る?

 

 わからない。

 そんな魔法みたいな言葉は知らない。

 でも、それでも……みっともなくても何か言わないと。


「終夜、俺は……」


「っ……違います。違うっ……これ……ごめんな……さい……」


 なんで先に謝るんだよ?

 悪いのは俺の方――――


「わたし……その……っ……嬉しく……て……」


 ……え?


「嬉し……嬉しくて。っ……こんなっ……温かい中に入れて……貰え……て」  


 お前……何言ってるんだ。

 本当に何言ってるんだよ。


「凄く温かくて……とっても……とっても久し振り……で……だから……っ……ごめんな……さい……ぅぅっ……ぁぁぁ……」


 ……何も、何も温かくなんてない。

 ごく普通のなんの変哲もない、どこにでもある食卓だ。

 日本全国、何処にだってある、常温の。


 でも、ずっと凍えていた終夜には違う体感だった。

 だとしたら――――


「細雨ちゃん、それって……」


 母さんの顔の前に手を差し出して、それ以上の質問を阻止する。

 泣きべそをかいている来未にその手を伸ばして、大丈夫だと肩を軽く二度叩く。

 今の俺には、それくらいしか出来ない。 

 


 だって……


 俺はどうしても、その終夜の涙を喜ぶ事が出来なくて。

 それを歓喜だと言葉通りに受け止める事も、認めて納得する事も、やっぱり出来なかったから。


 だから、終夜が泣き止むのを、ただじっと待つしかなかった。

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