6-9
見慣れた窓から覗く、陰った空の微かな濁りが少しだけ気になった。
それは俺自身、少し疲れているからかもしれないし、もしかしたら無意識の内に心を空の色に反映させているのかもしれない。
澄み切った心でありたい。
何にも囚われず、何にも汚されず、ただ穏やかでありたい。
そう願うから、自分の中にある濁りが気になってしまう。
ほんの少し、水質と水温が変わっただけで免疫力が落ちてしまい病気になってしまう熱帯魚のような心。
それが俺なんだろう。
この顔に心が宿らないのも、そういう理由かもしれない。
……さて、ポエムはこの辺にしておこう。
そろそろ返答が来てもおかしくない。
――――と思った傍から来た。
『女性の演技は難しいね。ハスキーさを完全に消すのは不可能だし、何よりどうしても声にわざとらしさが出てしまう』
……やっぱりかー。
来未の懸念通り、スマホの画面に映ったのは色よい返事じゃなかった。
俺には声優の技量はわからないけど、朱宮さんのネット上での評価は高い。
演じるのは毎回、主演や女性向け作品のメインキャラ――――という訳じゃないけど、複雑な事情を抱えたキャラを多く担当しているらしく、重い過去を背負ったキャラは大抵朱宮さん……みたいな風潮はあるらしい。
まだ若手なのに、そんなイメージが定着しているのは凄い事だそうな。
そんな彼をもってしても無理だと判断するのなら、これは無謀な発案だったんだ。
なら撤退が正しい選択。
引き時は見誤っちゃいけない。
『申し訳ない。今の僕には君の要求に応えるだけの技量がない』
『とんでもないです』『素人考えでムチャクチャなことお願いしてすみませんでした』『非礼をお詫びします』
『そんなに遜らないでよ』『僕の声優としての力を買ってくれたんだろう?』『それは嬉しいよ』
……なんて良い人なんだ。
レトロゲーが絡まないと本当人格者だよなこの人。
まるでブロウみたいだ。
あっちはロリババア絡みでおかしくなるんだけど。
『代案だけど』『小動物的なマスコットキャラを追加するなんてどうだい?』『魔法少女ものに良く出てくる感じの』『その声を僕が演じるならアリだと思うよ』
『それだとちょっと置きに行ってる感がありますね』『この田舎に人が押し寄せるくらいのインパクトが欲しいんです』
『成程』『一筋縄ではいかなそうだね』
『はい』『でも、こんなチャンスはもう二度とないと思うんで』『ここが攻め時だと思ってます』
『協力は惜しまないよ』『僕も何か手がないか考えておくね』
『ありがとうございます、何から何まで』
『僕があのミュージアムとプレノートを失いたくないだけだよ』
思わず、なんでそこまで……と返しそうになった。
でも直ぐに思い直した。
今の時代、レトロゲーをプレイする事自体はそう難しくない。
沢山のタイトルが各ハードのアーカイブスやスマホに移植されている。
インターフェイス周りも格段に親切設計になっているし、ロード時間が長かったゲームはそれも改善されている。
でも、当たり前だけど全ての作品が移植されている訳じゃない。
歴史の中で埋もれてしまう、隠れた名作は多数存在している。
一般受けは難しくても、特定の層に突き刺さるような尖ったゲームも。
そういう、中々救済されない野心的な作品も含めているからこそ、俺の受け継いだゲーム博物館【ライク・ア・ミュージアム】には価値がある。
資料的価値だけじゃない。
親父や俺が楽しんだ――――そしてきっと、親父たちの世代が大勢味わった"色とりどりのワクワク感"が、あそこには凝縮されている。
だから遜ったりはしない。
朱宮さんほどの人がこれだけ肩入れするくらい、ウチのミュージアムには魅力があるんだ。
『失う事がないよう、全力を尽くします』
だから、そう返事した。
文字じゃなくグッジョブ的なスタンプが返ってきたのは、ここでお開きって証だ。
忙しい中、俺達の為に時間を作ってくれた朱宮さんに感謝――――しつつ、次の手を考えるとしよう。
正直、意外性に富んだアイディアや特別な発想を思いつく才能は俺にはない。
クリエイターの才能はゼロだ。
そもそも、なんで俺は『朱宮さんに女性役をやって貰う』なんて事を思いついたんだ?
……あ、そうか。
〈裏アカデミ〉のエメラルヴィだ。
彼の姿が心の何処かに残ってて、それがヒントになったんだ……多分。
あのゲームは意外性の塊。
俺にはない部分を補ってくれる。
だったら……今からプレイしてみるか?
ソロで。
攻略の為じゃなく、rain先生のイラストと朱宮さんの声をどう活かすか、その着想を得る為だけに。
ゲームの主旨とはかけ離れたプレイの仕方は邪道かもしれないけど、今日はどうせオフだ。
シーラもオフって事で、今までよりもう少し自由にプレイしてみてもいいんじゃないか?
今までそんなスタイルでオンラインゲームを遊んだ事もないし、良い経験になるかもしれない。
よし、決めた。
今日は一人で〈裏アカデミ〉の世界に浸ろう。
当然、没入時間〈イマーシブモード〉もなし。
客観プレイだ。
そうと決まったら、早速ログイン――――と。
ソロプレイだから受けられるオーダーは限られてる。
それに、一人で勝手にストーリーを進める訳にもいかない。
やれる事は限られてるけど……こういうプレイの仕方も偶にはいいだろう。
さて、まずはどうするか。
ソロで受注可能なオーダーがないか確かめに受付に行くか?
それとも城内を彷徨いて出会いを求めるか……って、それじゃナンパ目的と変わらないか。
よし、決めた。
オーダーを確かめよう。
「はい、お一人様でもお受け出来るオーダーも発注されています。こちらのリストをお確かめ下さい」
お、ソートが可能になった。
これで、オーダー受注可能な最低人数で並び替えが出来るんだな。
早速、最低人数を【1】に設定して……
ストーリーの本筋と関係ないソロでも受けられるオーダーは全部で七つか。
《No.p071 自爆は自己責任》
《No.p073 呪われし成功体験》
《No.p077 圧迫面接からの解放》
《No.p089 眠れる棺桶を引きずって》
《No.p090 棺桶は三度空を舞う》
《No.p102 開拓者の証》
《No.p106 殺人現場に香水を》
……なんなんだよ、このオーダー名は。
まともなのが殆どないじゃないか。
ああ、そうか。
一人で受けられるオーダーって、要するにソロプレイが前提のオーダーなんだから、必然的に一人で実証実験するのが好ましい発明品に限られるんだな。
最初のは自爆装置か自爆魔法の実験だろう。
他のプレイヤーを巻き込まずに実験する為には、ソロプレイが好ましい。
呪われし体験ってのは、多分呪いの装備品なんだろう。
一人旅なら呪われても迷惑がかからない。
三つ目は……ちょっと思いつかないな。
ゲーム内で面接を受ける理屈も、それが発明品にどう繋がるのかも全然わからない。
棺桶関連はそのまま棺桶の発明品なんだろう。
仲間が戦闘不能になった時に、それに入れて運ぶ為の用意ってところか。
下二つはオーダー名だけだとピンと来ない。
取り敢えず解説を確認してみるか。
……ん?
選択したら説明書きが見られる仕様だった筈なのに、何も表示されないぞ。
いや、表示されないのはNo.p102とNo.p106だけか。
圧迫面接は『集団の敵に囲まれて脅迫された場面を想定して、全方位に鼻がひん曲がる臭いのガスを発生させる装置を開発しました』ってちゃんと表示された。
なんか実証実験する気が起きない依頼だけど。
ナンバーが三桁のオーダーは解説を隠す仕様なのかもしれない。
なら無難に二桁の中から選ぶ……と行きたいところだけど、どうにも今回の俺の目的と合致しそうなオーダーがない。
寧ろカフェの盛況とは正反対の発明品ばかりだ。
結局、この中だと――――
《No.p102 開拓者の証》
これを選ぶしかないか。
開拓ってところが、新しいチャレンジの着想を得るには丁度良さげだし。
説明書きがないのは不安だけど、他に選択肢はない。
「このオーダーは事前に詳しい説明を告知出来ない『非公開オーダー』となります。よろしいですか?」
そう念を押されると、ちょっと不安が増すんだけど……今更後には引けない。
受注する、と。
「承りました。これから発注者の方に連絡を取り、待ち合わせ場所と日時をお伝えします。暫くお待ち下さい」
この場で発注者の名前は伝えられないのか。
もしかしたら、この受付の人も知らないのかもしれないな。
非公開オーダーってくらいだから、匿名でやり取りしてるんだろう、多分。
「お待たせ致しました。三階西棟の最奥にある研究室に向かって下さい」
……三階西棟の最奥って、前にステラが爆発騒動を起こした部屋じゃなかったか?
あんな事故現場を指名するって……
いや、それよりあの場所って事は、発注者がステラの可能性もあるのか?
あの如何にも本筋に絡んでそうなキャラからの依頼となると、ちょっと躊躇するな。
でもメインストーリーの表記はなかったし、サイドストーリーのオーダーで間違いないはず。
ま、もし万が一メインの方っぽい依頼だったらキャンセルして後日改めて受ければいいし、さっさと三階へ向かおう。
にしても……一人で城内を回るって、結構緊張するな。
思えば、オンラインゲームをソロプレイで遊ぶのは初めてだ。
最初は当然一人だけど、直ぐ仲間が出来てたからな。
もし今、誰かから話しかけられたらどう対応しようか。
オーダーに時間制限はなかったから、仮にちょっとした世間話とかしても別に問題はないんだけど、勧誘受けたり逆に仲間になりたいとか言う奴が現われたら、ちょっと困るな。
俺の一存で決める訳にはいかないし、かといって他のパーティメンバーに話を通すと、俺が今日こっそりログインしてソロプレイしているのがバレてしまう。
別にソロでやっちゃダメって決まりはないんだけど、なんかちょっとバツが悪い。
これもオンラインゲーム初心者あるあるなんだろうか……
って考え事してる間にもう着いちゃったよ。
見事に杞憂だったな。
変にあれこれ妄想したのが恥ずかしいくらいだ。
さて、オーダーを出した依頼人は一体――――
「よく私のオーダーを受けてくれました!」
……ん?
このボイス、聞き覚えが……
「驚いた!? その依頼を出したのは王女様のリッピちゃんなのでした! ビックリしたで……しょ……」
当然、向こうも俺が受注者と知る筈もなく。
依頼主が実は王女だったというドッキリ的な演出をしたかったらしいが、既に一度彼女の依頼を受けている俺にとっては然程の驚きはなかった。
「なんだよもぉぉぉぉぉぉ! 違うでしょ!? もぉぉぉぉぉぉぉ!」
「なんかすいません……」
三点リーダーの重要性をここに来て実感するハメになった。
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