5-12
会沢社長が去った後も、暫くその余韻は店内に残り続けていた。
威厳に充ち満ちた終夜父は声だけでも緊張を強いてくるけど、あの人は逆に全然気を張らせない雰囲気だった。
社長っぽさは全然なかったけど。
「取り敢えず一歩前進だね。さっき言っていたみたいに今回のコラボで多くを期待するのは難しいけど、人脈のある人だから一緒に仕事しておいて損はない筈だよ。人柄も良いしね。お酒飲まない限り」
「酒癖悪いんですか」
「ちょっと変な酔い方する人でね。誰彼構わず腕相撲を挑んで、ほぼ間違いなく負けて本気で悔しがるっていう……」
それはウザい。
「でも問題はここからだね。さっきの案だけだとプレノートを活用するのは難しい。何かレトロゲーと繋げられるようにしないと……」
「いや、著作権の問題で普通に無理だと思いますけど」
「それは勿論そうだけど、何か出来ると思うんだよね。PBWも言ってみればレトロゲーと親和性あるし、内容そのものっていうよりユーザーを繋ぐ架け橋的なところで活かせないかなって……」
ここまでこのカフェとプレノートの事を考えてくれる人は、多分俺ら家族を含めても、この人しかいない気がする。
だったら、もう今のうちに約束しておいてもいいかもしれない。
「もしこのカフェが潰れたら、プレノートは全部朱宮さんに差し上げます」
「え」
「……それなら別に潰れてもいいか、って思いました?」
「いやそれは……参ったな。深海君も人が悪いね」
少し茶化す感じになってしまったけど、もし本当にこのカフェがなくなってしまったら、プレノートはこの人に進呈しよう。
俺が持っていても仕方ないし。
まあ、実際手に入れてしまったら置き場に困って結局処分する、なんて事になりそうだけど……それならそれで構わない。
「そういえば、朱宮さんってPBWはプレイした事あるんですか?」
「ああ……うん。僕は昔からキャラになり切るのが好きでね。声優を目指す前にPBWをプレイしていたんだ」
確かに、重なるところではあるな。
でも……
「過去形なんですか」
「PBWはまとまった時間が要るからね。クエストでどう立ち振る舞うかの話し合いに参加出来ないと醍醐味が味わえないし。もう何年もプレイヤーとしては参加してないんだ。今は別にやる事があるしね」
「仕事、忙しいんですね」
「ん……まあそれもあるけど、一応夜にゲームをする時間くらいは確保出来てるよ」
他にやるゲームがある、って訳か。
仕事の関係でプレイしておかないといけないゲームもありそうだしな。
そうなると、義務感が先に立ってプレイの楽しさが半減しそうだけど……
「お待たせ! 星野尾が来てあげたんだから歓待しなさい!」
……星野尾祈瑠?
また朱宮さんがいるタイミングで来るとは……本当に偶然か?
「それじゃ僕はこの辺で。これからは会沢社長と直接交渉する事になると思うけど何かあったら連絡してねそれじゃ!」
一切の息継ぎなしで捲し立て、朱宮さんは足早に店を出て行った。
その途中、すれ違った星野尾さんとは目も合わせない。
あれだけ人当たりの良い人が……ここまで露骨だと逆に本当は好きなんじゃないかって勘ぐりたくなるな。
「……今のって、どこぞのお寺の子みたいな名前の奴? なんでいるの?」
「いや、幼なじみなんですよね? そんな邪険な呼び方しなくても」
「いーの。アイツって押しつけがましくて苦手だし」
それは間違いなくお互い様じゃ……
「で、来未は? 今日は定例の作戦会議なんだけど」
「まだ帰って来てないみたいです。二階で待ってます? 鍵は開いてると思うんで、勝手に入っても構いませんけど」
「それは……良くないでしょ。まだそこまでの間柄じゃないっていうか」
こういうとこはちゃんとしてる人だったのか……
意外だな。
もっとズケズケ入り込んでいくタイプにしか見えないけど。
「こう見えて星野尾、ちゃんとした社会人だから。カフェで人を待つ時は客席で注文。それが星野尾流」
よくわからないけど、客として扱えって事なんだろう、多分。
こっちとしてはその方がありがたい。
普段接客業はしないけど、この人には別に愛想がなくても構わないし。
「ありがとうございます。ご注文を承ります」
「ちょっと待ってね。ありきたりのブレンドコーヒーとか頼むの星野尾じゃないし。星野尾に相応しいオーダーをするから」
いちいち面倒臭い生き方してるな……
カメラ回ってるとかならわかるけど、こんな場末のカフェで頼むメニューにこだわる必要性ってなんなんだろう。
「……ねえ」
「お決まりになりましたか?」
「そうじゃなくて、その……来未ってさ、星野尾の事なんか言ってる? 普段」
「えっと、結構話しますよ。一緒にいて楽しい、みたいな事。あと発言を引用して感心したりもしてます」
「え? 嘘」
今のは……なんか素っぽい反応だった。
「あ……ん、そ、そう。よくある事なのよ、うん。星野尾のファンって星野尾の言葉よく引用するし」
嬉しさを隠しきれていない……
まあ、来未がこの人を気に入ってるのは本当だし、こっちも満更じゃないのなら兄として素直に喜びたい。
来未の交友関係って、結構謎なんだよな。
家に友達呼んだりもしないし。
明るいとはいえヲタク趣味だし、実は学校では話が合う同級生いなくて孤立してる……って訳でもないらしく、SIGNで頻繁に誰かと話してたりもする。
社交的なのか閉鎖的なのかよくわからない。
そしてそれは、この星野尾さんにも言える。
遠慮なくズケズケと物を言ってくる割に、さっきみたいな反応をしたり。
こういう感情の機微を読み取るのが、俺の目下の課題かもしれない。
表情を作るのは感情。
俺自身、決して感情がないとは思わないけど、もしかしたら他人よりも感度が悪くて、それが脳なり心なりのどこかで致命的な損傷になっているのかもしれない。
「それで、そっちはどうなの? ちょっとは星野尾を楽しませてくれるんでしょうね?」
「対決の事ですか? 実は結構進展したんですよね。朱宮さんのお陰で」
「……あいつも変わらないのね。お節介っていうか正義のヒーロー気取りっていうか」
朱宮さんもだけど、こっちもこっちで何か言いたげな雰囲気。
再会の仕方が最悪だったから……ってだけじゃなさそうな根深さを感じる。
でもそれは聞かない方が良さそうだ。
火に油を注いでも、延焼するのは今この場にいる俺にだけだし。
「ねー、アンタってゲームマニアなんでしょ?」
「マニア……かどうかは兎も角、それなりに。ジャンルは偏ってますけど」
「そういうのは良くわかんないけど、やっぱりゲームの主人公ってみんなヒーロー……っていうか、弱い者の味方だったりするものなの?」
……突然の難題だな。
勿論、答え自体はイージー。
ノーだ。
大昔、ビデオゲームの黎明期に当たる1980年代ならいざ知らず、2010年代も終わろうとしてる今、主人公は当然の如く多様化している。
マンガだってアニメだってラノベだってそうだ。
理由は単純で、ゲームも含めたこれらのジャンルが大人向け……正確には子供の頃に家庭用ゲームに熱中した世代が大人になったから。
小学生をターゲットにした作品なら兎も角、それ以外に向けた物語の主人公がコテコテのヒーローだと大抵興醒めされてしまう。
でも、これを素直に伝えてもいいんだろうか。
この答えで傷付いたり失望させたりしないだろうか?
彼女の質問の意図が読めないから、ちょっと判断が難しい。
「……みんな、って訳じゃありませんね。ダークヒーローとかアンチヒーローって言葉があるくらいですし」
結局、彼女の『ヒーロー』って言葉を拡大解釈する形で無難に伝える事にした。
「ふーん。そっかー」
素っ気ない返事とは裏腹に、星野尾さんの表情は真剣で、俺の方は見ていても意識はこっちにはない様子。
自分の中の記憶を探っているように見える。
「……何?」
「いや、何か思い出してるのかなって」
「図星ぃ! 中々やるじゃない。見直したかも」
……まあ、この人プレノート酷評してたし、俺への評価は相当低いんだろうとは思ってたけど。
「昔アイツが言ってたんだ。『みんな弱い者の味方とかダサいって言うけど、ゲームだったら誰からもバカにされずにヒーローになれるんだ。だからゲームの中に入りたい』って」
……そうか。
それが朱宮さんの子供の頃の夢だったんだ。
そして彼は夢を叶えたんだ。
声優は、ヒーローになれる唯一の職業だから。
「星野尾さんは、子供の時それ聞いてどう思いました?」
「こいつマジもんのバカだなって思ったけど」
「OH……」
良い話でまとまりそうだったのに台無しだ。
そりゃネイティブな発音にもなりますよ。
「ただいまー……あれ? 星野尾ちゃんもう来てたんだ」
「来未、待ってたよー! さあ作戦会議よ! 噂によると向こうはちょっとだけ計画が進んで、随分といい気になってるみたい!」
来未が来た途端、急に活き活きし始めた。
その理由にはなんとなく察しが付いてるんだけど、心に思うだけでも失礼というか気の毒だから自重しよう。
「りょーかーい! それじゃ兄ーに、今日は来未の代わりにお仕事お願いね♪」
「……は? そんな話聞いてないんだけど……」
「だって来未これから星野尾ちゃんと作戦会議だし。それじゃ後よろしこー」
こっちの返事を待たずに二人して二階へ駆け上がって行きやがった。
でも……ま、いっか。
なんか楽しそうだし。
「なんだ? 今日は深海が接客するのか?」
「いや、無理でしょ。この場合は親父が接客に回って俺が裏方ってのがいつものパターンじゃん」
「別に愛想ない店員なんて珍しくもないけどな」
「……このカフェの客入りでそれやったら致命的ってわかってるよな?」
「おおう止めて、遠回しに俺の経営力ディスるのは」
遠回しどころか直のつもりだったんだけどな……
ま、どうせ今日は暇な曜日だし別に良いか。
今までずっと敬遠してきたけど、これも一種のリハビリだ。
もしかしたら『お客様に微笑まねば』っていう責任感で何かがブレイクスルーして、笑顔を取り戻せるかもしれないし。
それに今日は〈裏アカデミ〉にログインする予定もない。
多少精神的に疲れても大丈夫だ――――
「いらっしゃいませ!」
え?
もう客来たの?
この時間帯に来るのは珍しいな……まあ全くないって訳でもないけど。
親父はこっち見て『行け行け』ってツラしてるし、接客する気はないらしい。
俺も腹を括るか。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどう……ぞ……」
その客は、俺の知っている顔だった。
そして同時に、予期しない来訪に思わず目を疑った。
「な、なんで……?」
「学校終わり電車で直行」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
こっちの意図をわかってて、敢えておちょくるような答えで返す。
それは、目の前の女の子――――水流瑪瑙が得意とする切り返しだった。
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