第96話 『天を貫く青光』 3

 

『黒曜の剣』のメンバーは、かつて無いほどの恐怖に足が竦んでいた。

 噂ですら信じられない程に、目撃情報が少ない絶対的な化け物ーー

『災厄指定Sランク魔獣ベヘモット』

 ーー各国に数人しかいないと言われるSランク冒険者が、パーティーを組んで漸く倒せるか、辛うじて撃退出来る位の脅威。

 ギルドから国を滅ぼせると恐れられた、七体の巨獣の一体。


「こんな化け物と、どうやって戦えば良いんだ……」

「リーダー! 私達は時間稼ぎよ!」

「二重に結界を張るから、私の後ろに来て〜!」

 ハピーは水棲魔獣と対峙した経験から、土と風の結界を四方に展開した。これで少しは時間を稼げるだろうと視線をステインのいる方へ向けた直後、杖を持った右腕に、焼かれた様な激痛が奔り絶叫する。


「きゃああああああああああああああああっ!」

 魔術師の右腕は二の腕から下が切断され、訳も解らないまま気絶した。一瞬で仲間が瀕死に追い込まれた光景を、偶然にも背後から見ていたステインは迷わず警告する。


「止まるな! 魔獣の攻撃にハピーの結界は無意味だ!」

「ステインはハピーをお願い! リーダー、左右から同時に行くよ!」

「……あ、あぁ……ぁあっ……」

 騎士ロングイテの様子がどこかおかしい事に、誰も気付けなかった。何故なら盾を支えに普通に立っている様に見えていたからだ。


 だが、実際には脇から太腿にかけてハピーと同じく水刃に肉をえぐり取られており、瀕死に陥り吐血しながら倒れた。

「拙い! リーダーしっかりして!」

「く……るな……」

 獲物が罠に向けて走り出した様子を楽しそうに見つめながら、ベヘモットは地中に潜めていた触手でピエラの足首を掴み、軽々と持ち上げる。


「いやあぁっ!」

「……ピエラさんに触るな!」

 死を意識した女性冒険者の視界に映ったのは、触手を両断し、再び立ち上がった双剣を携えた少年の姿。

「まだ駄目! あんた碌に回復してないでしょ! 私達が時間を稼いだ意味が無いじゃない!」

「ご、ごめんなさい! でもね……やっぱりみんなが死んじゃう方がやだもんなぁ……」

「でもじゃない! 何で一人で無茶するのよぉ!」

 眉を顰めながら困った様に笑う少年は、余計にピエラの胸を締め付けた。


「僕なんかを助けようとしてくれて……本当にありがとうございます! 『セイントフィールド』!」

 いつの間にかステインの周囲に運ばれた怪我人と、ピエラの周囲を聖なる結界が包み込んだ。

「こ、これは伝説の聖魔術か⁉︎」

 文献でしか見た事がない魔術を見て、口癖を忘れる程に驚きながらも、治癒術師は急いで仲間の治療を始める。

「……頑張って」

 足を引っ張る事しか出来なかった無力さに打ち拉がれ、ピエラは涙を流しながら言葉を振り絞った。


 悔しさと不甲斐なさから、号泣したいのを堪えているとーー

「守りますからね!」

 ーーソウシは穏やかな口調で誓い、再びベヘモットの元へ疾駆する。


 _________


「待っててくれたの?」

「ギギィッ……」

 挑発混じりに問い掛けるソウシを睨み付けて、巨獣は一歩後退する。

 先程苦し紛れに放った水刃が、人間の四肢を貫いたのを視界に捉えていたからだ。


 ーー何度潰せば、この人間は動かなくなる?

 その疑問は次第にベヘモットの中で膨らむと同時に、ある感情にすり替わりつつあった。ーー即ち恐怖だ。

 そして、恐怖は焦りを生む。

『透明化』が出来ていればすぐ様逃げ果せただろうが、最早『戦って勝つ』という選択肢しか取れない状態まで、巨獣のダメージは蓄積されていた。


 逡巡しつつ戸惑う魔獣の様子に気付かないまま、ソウシは宙を舞う。『限界突破』で残りHPが更に半分に減っていた為、時間をかけている余裕が無い。

「またそれ? もう見飽きたよ!」

 無数に伸ばされた触手の直接攻撃と、その隙間を縫って繰り出された無数の水刃をひらりと避けつつ、聖剣の一閃で両断する。

 返す手で魔剣の黒輝が軽々と胴体を裂いた。魔獣の水分で出来た身体は、散らされ徐々に削られていく。


「ギイィィィッ⁉︎」

「何を不思議がってるの? アレだけ見せつけられれば、攻撃にパターンがある事位読めるさ」

 驚くベヘモットとは違い、ソウシは呆れた視線を向けた。

 ステインの回復を受けながら倒れる冒険者達を見つつ、直ぐに助けようと飛び出さなかったのは、ーー自分が食らった攻撃を背後からしっかり見定める為だ。


 このまま飛び出しても勝ち目は無いと双剣に諭され、唇を噛み締めながら堪えた数十秒という短い時間は、しっかりと勇者の目に敵の攻撃を焼き付けた。


『よく堪えたねご主人! 回避方向は僕がサポートするよ!』

『それでこそ私のマスターです!』

「…………」

 剣からの声を無視したのではなく、脳内の言葉が聞こえない程にソウシは集中していたのだ。ーー勇者は新たなスキルの可能性を導き出し始めていた。


 触手による左右からの挟撃は、一歩前に進むだけで空を切る。地中から突然噴出した水塊を、右方向へ回転して避けると、何事もなかったかの様に無視して進んだ。

 ーー漆黒の瞳は敵の個体では無く、空間そのものを把握し始めたのだ。


「次は……そこかな……」

 襲い掛かる水刃は、首を傾げたソウシの顔の真横を通り過ぎる。

『す、凄いですね……』

『こ、これが僕の見込んだ勇者のち、力さぁ!』

『何で貴女まで驚いてるんですか……』

『お、驚いてないもんね! 全部僕の予想通りだもんね!』

 新たな力を開眼しつつある主人に向かい、聖剣と魔剣の感嘆の声が脳内に響いた。


「アルフィリア、分かった気がする。あの魔獣はきっとコアを破壊しなきゃ死なない」

『うん。それでどうするんだい?』

 華麗な答えを期待して、目を輝かせた聖剣に対してーー

「コアごと全部消し去る!」

 ーー勇者は全く予想だにし得なかった攻撃を宣言した。


『か、カッコいいですマスタ〜〜!』

『黙れビッチ! それで方法は?』

「もう一段階君の力を解放してくれ」

「「ーーーーッ⁉︎」」

 二人は主人に秘密を知られていた事実に愕然としつつも、全力で反対した。


『何でそれを知ってるのかは置いておくけど、絶対ダメ!』

『そうです! 今回ばかりはロリ聖剣に賛成です!』

 降り注ぐ触手の攻撃をゆらりと避けながら、ソウシは固い決意をもって言葉を紡ぐ。


「不思議に思ってたんだ。僕がセリビアお姉ちゃんを助けようと初めてアルフィリアを抜いた時、もっと凄まじい力を無我夢中で振り下ろした気がする。それに、なんか最近の君って弱いよね」

『むっかちーん! 幾らご主人でも僕を侮辱するのは許さないよ!』

『こ、こら! これもマスターの企みでは……』

「もしかして、『聖剣ってこの程度?』って思われても良いんだ?」

 ーーピキィッ!

『はぁっ……もう好きにして……』

 魔剣が諦めて、右手の刻印へと避難する。この後起こるであろう力の渦に巻き込まれては、剣身が保たないと判断した。


『ふふんっ……いう様になったじゃないか! 泣き虫勇者の癖にねぇ!』

「アルフィリアこそ、封印され過ぎて鈍になったんじゃないの? 最初の錆だらけの方がまだ役にたったかもね!」

 ーーピキピキィィッ!

『ご主人の成長を待っててあげたのに、随分調子こいちゃってるねぇ……』

「良いからとっとと解放してよ! 聖剣アルフィリアーー!!」

(あとで土下座で済みます様に……)

『あとで土下座したって許さないからな! この馬鹿勇者ーー!!』


 ーー聖剣のフォルムが変化し、より長く、柄から刃に向かって新たな模様が刻まれる。それは勇者の力を吸い取る様に青白い輝きを放つと共に、文字通り天を貫いた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

『いっけええええええええええええええええええええええええええええっ!』


 ソウシとアルフィリアの咆哮と共に振り下ろされた極光を前に、ベヘモットは回避する間も無く飲み込まれる。

 ーーギィヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー!

 災厄指定魔獣ベヘモットの断末魔が轟く中、ソウシはハッキリと核が消滅したのを視界に捉えた。


「……僕、やったよね……」

 そのまま大地に伏して気絶する少年を抱き起こし、ピエラは大粒の涙を零している。

「ありがとう……ありがとうね……あんたは凄いよ」

 隆起した大地に守られて、何が起こっているのか分からず隠れていた村人も、魔獣のボスが倒された戦闘の爪跡を見て歓声を上げた。


 ビビは幼心に理解する。両親が死んだ現実と、自らを救ってくれた恩人の存在を。

 本当は直ぐにでも抱き締めて感謝を伝えたい気持ちに駆られたが、少女はその歩みを止めた。

(つよくなってからお兄ちゃんにあわなきゃ……だめだ……)


 ポタポタと地面に零れ落ちる透明な雫を一頻り流した後、少女は新たな決意を胸に、先行隊と一緒にスト村へと向かう。

 ここから二人の道は別たれたのだ。


 再び出会う邂逅の日まで……


 ___________


「はあああああああ〜〜っ!」

「ほおおおおおおお〜〜っ!」

 感嘆の声を漏らし、恍惚の笑みを浮かべ、観戦していた戦闘の余韻に浸る二名の冒険者は、我慢出来ずに口付けを交わしてながら互いを貪る様に舌を絡めた。


「んむっ……はぁ、はあぁっ!」

「…………こらぁ! 俺の精気を吸うんじゃねぇ!」

 勢い良く唇を離すと、ザンシロウは刀を抜き去る。瞬時に背後へ飛び退いた鬼女は、興奮冷めやらぬままに悶えていた。


「あれが今代の勇者かぁ〜食欲を唆るのじゃあ」

「その気持ちは分かるぜ〜! 腹が鳴るぜ〜!」

「お主は本当に馬鹿かぇ? それを言うなら腕が鳴るじゃろうが」

「いいや、腹が鳴るで良いのさ。強者を食らうんだからなぁ〜!」

 禍々しいオーラを放ちながら、嬉しそうに腹を摩るザンシロウを見て、女性は愉快そうに艶めかしい唇を窄めた。


「ねぇ……もう一度あちしの滾りを鎮めておくれ?」

「しょうがねぇなぁ。これ以上俺の精気を吸うなよ? 『翠蓮』」

「承知した〜!」

 再び唇を重ねながらも、二人の視線は常に倒れた勇者に釘付けになっている。

(目的は果たしたが、どうにもおさまらねぇなぁ〜!)

(依頼なんて無視して、暴れたいの〜!)


 ーーヒュンッ!

「おっ?」

「ゔぁっ?」

 それは視界に捉える事も出来ない程の一瞬の出来事だった。ただ風が通り過ぎたのかと勘違いするレベルの高次元の攻撃。

 ザンシロウは喉元を斬り裂かれ、心臓を刳り抜かれた。

 翠蓮は鉄扇を広げて回避するも、角の一本を折られている。


「去れ。これ以上勇者には近づかせない……」

「ガフッ! おぉ、中々にいてぇな!」

「大丈夫かぇ? どうせお主は死なんから構わんが、あちしの角を折ってくれた礼はせねばならんのう?」

 黒衣の装束に身を包み、口元まで布で隠された存在を見て、翠蓮は呆れた口調で問い掛ける。


「お主はわざとなんかぇ? 耳と尻尾を隠さねば、自らを猫の獣人だと明かしているのも同然じゃぞ?」

「〜〜〜〜ッ⁉︎」

 襲撃者の冷酷だった視線は唐突に左右に泳ぎ始め、両手でバタバタと否定のポーズをとる姿を見て、翠蓮はからかい始めた。


「ほら、耳を隠すと尻尾が隠れておらんぞ〜?」

「にゃ⁉︎ 右手と左手で隠す方法は……ないのにゃあ〜〜!」

「ほら、口の布で耳を隠せばいけるのではないかのう?」

「それにゃあ! ナイスアイデアなのにゃ〜!」

「ふむふむ……それがお主の顔か……」

 軽々と誘導され、口元まで露わにしたサーニアは瞬時に木陰へ隠れた。


「ひ、卑怯者にゃ〜!」

「お主が馬鹿なだけじゃ……安心せい、あちし達の此度の目的は果たされた。依頼は勇者の実力の確認だからのう」

「…………」

「近い内に再び相見えると思うがな?」

「させないにゃ……」

「ほほほっ! 異な事を申すのう? 原因はお主らナンバーズチャイルドにあると言うのに」

「それでも、ソウシを巻き込ませはしないにゃ……」

「ふふっ」

 何かを考え込んで無言のままのザンシロウの首根っこを掴んで、自国への『転移魔石』を発動させると二人は姿を消す。


 へたり込んだサーニアは、遠目に倒れた愛しい人の姿を見つめると、黙ってその場を去った。


(ごめんにゃ……でも、嫌いにならないで欲しいのにゃ……)

 獣人の少女の涙の理由を知らぬまま、勇者は安らかな表情で眠り続ける。


 こうしてソウシの冒険者生活は終わりを迎えた。

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