第17話 閉ざされた心、失われた聖剣
『王国マグル襲撃の翌日』
ソウシは意識を覚醒させ、ゆっくりと瞼を開き天井を見つめた。
「あぁ、戻って来れたのか」
安堵した瞬間、己の身体から微かに匂った血の匂いに顔面蒼白になる。ランナテッサを突き刺した感触が脳裏にフラッシュバックして吐きそうだった。
「ソウシ! 目を覚ましましたか! 魔族と共に倒れていたから心配したのですよ!」
「……僕はどれ位寝てたの?」
駆け寄ってくるガイナスに、徐に身体を起こして問い掛ける。知りたくは無いが、どうしても聞かなければならない事があるからだ。
「丸一日寝ていましたよ。セリビアさんは隣の部屋で休んでいます。かなり危ない状態でしたが、城の治癒術師達が力を合わせて一命を取り止めました」
「そっか、お姉ちゃんが無事で良かった。それで……僕の側で倒れていた魔族は、どうなったのかな?」
怯えながら質問する少年の意図を察した聖騎士長は、素直に答えていいものかと逡巡する。
ーーしかし、乗り越えなければならない壁だと心を鬼にした。
「あの魔族は今回の事件の首謀者です。あの者は私達が駆けつけた時には既に事切れていました。身柄は城で預かっていますが、後に民衆の眼前へ晒されるでしょう……」
ソウシは思いもよらぬ返答に拳を強く握り締め、怒りを露わにして大声を張り上げた。
「わざわざそんな事しなくたっていいじゃ無いか! これ以上非道い事をするなよ! ねぇ、止めさせて!」
「……貴方は何も分かっていない」
「なっ⁉︎ そっちこそ何も分かってないじゃないか!」
ガイナスは沈痛な面持ちで深く溜息を吐いた後に、怒り心頭なソウシへ説明を始めるーー
ーーそれは、思わず耳を塞ぎたくなる内容だった。
「あの魔族は兵士百十三名を魔術により焼き尽くし、放たれた魔獣に殺された民は、五百名を優に超えます。今も壊された家屋から死体が発見され続けているのですよ。子供を殺された両親、逆に両親を殺された子供、家族を、恋人を突然奪われた者達の怒りは如何するのですか? それでも貴方は正義を抱いて、魔族を庇えますか?」
「そ、それは……」
ソウシは想像だにしていなかった。ランナテッサが巻き起こしたこの襲撃の『被害者』の存在を指摘されると、押し黙る他無い。
「自分自身をどう思おうとも、貴方は今回の事件を解決したまさしく『勇者』なのです。あまり深く悩み過ぎないで欲しいですね」
「無理だよ……掌の感触が消えないんだ。血の匂いがするんだ。僕は……僕はもう……」
黒髪の少年は再びベッドに突っ伏すと、弱々しく泣き始めた。金髪の美丈夫は心配しながら、もう少し時間が必要だろうと声を掛けずに部屋から出て行く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ソウシは誰に謝っているのか己でも判らぬまま、繰り返し繰り返し懺悔していた。
__________
二日後、ランナテッサの首は今回の首謀者として白日の下に晒され、民衆の憎悪を一身に受けている。ソウシはその事をガイナスから聞き、思わず屋敷を飛び出していた。
我慢がならなかったのだ、こんな事の為に戦ったんじゃ無いと、心が悲鳴を上げている。
意識を取り戻していたセリビアは、ガイナスから今回の結末と弟の想いを聞いていたが、姉として掛けるべき言葉を見付けられずにいた。
『力を持つ者の宿命』だと言われては、何の力も持たず、守られるしか出来ない己の無力さに歯嚙みする。
「お願いだから潰れないで、思い止まって……」
姉だからこそ判る事が一つだけあった。そして、『ソレ』は見事に的中する最悪の事態を招くのだ。
__________
『マグル城下町、中央広場』
高い十字架に両手足を縛り付けられた死体。頂上に置かれた切断された頭部は、顔が見えやすい様に態々髪を結われていた。
ソウシはその光景を視界に捉えた瞬間、頭が真っ白になる。
怒りからか、哀しみからか、はたまた悔恨からなのか理解できぬままに、身体が勝手に動き出して口から魔術を唱えていた。
「うおおおおおおおおおおおおーーっ! 『アポラ』!」
怒る少年の右手から放たれた聖球は、十字架の下部を破壊する。倒れ込むランナテッサの頭部を、民衆の視線が注がれる中、突発的に抱き抱えて逃走を開始した。
「何だ? 魔族が仲間を救いに来たのか!」
「畜生! 絶対に逃すなぁぁ!」
「兵士達は何をしてるんだっ!」
「許さない……許さないわ……」
ーー様々な負の感情が場を支配し、蓄積されていた鬱憤は『ある一言』で爆発する。
『魔族をこれ以上許すなぁぁぁ!』
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!」」」
今回の戦の内情を知っていた兵士達が、英雄の行動の意味が分からずに戸惑う中、まだ勇者の活躍を知らされずにいた民衆は暴走を開始する。
街中から狙われ、追われ続けた。遂にはガイナスの指示で見張っていた兵士達に東の路地で囲まれる。
更にその外堀を埋める様に。老若男女問わずに人が大勢押し寄せた。
「そ、ソウシ様……今ならまだガイナス様のお言葉で何とかなります! その魔族の頭部をどうかお返し下さい!」
騎士隊の隊長クラスの人間が三名進み出て進言した。しかし、その身体は震えている。ソウシが本気を出したら自分など一瞬で斬られると、先の戦いで理解していたからだ。
「嫌だ! 僕はランナテッサを弔うんだ。これ以上は、絶対許さない! みんなにこんな事をさせる為に戦った訳じゃ無いんだよ!」
「そのお気持ちは聖騎士長も我等も理解しております! しかし、民には必要な事なのです……」
「知るか! そこをどけぇ!」
「我等は退けませぬ! どうしてもと言うのならば、いっそ斬り捨てて下さい!」
「……後悔するなよ。僕は悪く無いんだ。お前達が……戦争が……全部、全部僕のせいじゃ無いんだ! 来い! アルフィリアーー!」
勇者の痛哭が響き渡る中、聖剣は沈黙したままだった。青白い燐光は放たれず、封印のチョーカーを解こうと意志を固めているのに、ーーステータスは解放されない。
「どうした⁉︎ 来い! 来いよアルフィリア!」
兵士達と民衆は一体何をしているのかと、一人胸元に向かい怒号を放つ少年を睨みつけている。そこへ一人の少女が手に石を持ち、何も考えないまま投げつけた。
それは弱々しくもソウシの額に命中する。まさに、それが合図だったーー
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」
ーー非難と罵倒を浴びせながら、大人から子供まで民衆は石を投げ続けた。
勇者の封印されていても高いステータスを誇る肉体からすれば、大きなダメージを受ける程ではなかったが、打ち所が悪ければ軽く血を流させる程には威力があったのだ。
「…………」
ソウシは蹲り、黙り込んだまま、胸元にランナテッサの頭部を抱き抱え庇っている。
兵士達の中には仲間を此度の戦いで失った者の方が多い。本来止めるべき眼前に繰り広げられている光景を前にして、状況を止めようと動き出せる者は皆無だった。
その後、事件を起こした少年は騒ぎを収める為に駆けつけたガイナスに引き取られ、ランナテッサの首は再び観衆の下に晒される。
屋敷に戻った弟を迎えた姉は、その表情と血濡れた身体を見て一瞬で理解した。
「やっぱり、駄目だったのね……」
ソウシは瞳孔が黒く染まり、まるで引き摺られた人形の様に脱力して項垂れている。抱き締めても、ピクリとすら反応もしない。
「『あの時』と一緒ね。大丈夫、時間が掛かってもお姉ちゃんがきっと元に戻してあげるからね……」
こうして勇者は『聖剣召喚』のスキルを失い、『魔族の仲間』というレッテルを民衆から貼られたのだ。心を閉ざしたまま、今まで生きてきた穏やかで幸せな日々の終焉を迎える。
そして、歪な精神のままに、『マグル魔術学院』での生活が始まりを告げたのだ……
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