4巻 プロローグ

「ん…………?」

「……っ!」


 幹人が眠りから覚めたとき、一番に感じたのは左手の温かさだった。

 柔らかくて、細くて、優しい熱を持つ何かに、自分の手が包まれている。


「……っ、み、みき、君」


 ゆっくりと目を開くと、その人が見えた。どうやら自分はベッドに横たわっていて、彼女はその傍の椅子に座っているようだ。


「みき、君……っ! よかっ……た…………!」


 かすれた声で、彼女――三峯魅依はそう言った。前髪の奥に隠れた形の良い瞳が潤んで、やがて涙がこぼれ始める。

 ああ。

 自分にできる事なら、なんでもする。だから、どうか泣かないで。

 思いながら、同時にまったく違う考えも頭をよぎる。


「よかった……よかった……よかっ、た……!」


 なんて、綺麗な人なんだろう。まるでなにかの奇跡みたいに。


「……ええと、その」


 上半身を起き上がらせながら口を開いてみれば、彼女ほどではないが、自分の声もずいぶんかすれている。

 すぐに魅依が水の入ったコップを差し出してくれた。

 ゆっくりと飲み干してから、幹人は改めて口を開く。


「……ありがとう、…………ええと、なんていうか…………おはようございます。……あはは、ごめん、なんか間抜けだね」

「……う、……ううぅ、……うううううううぅ!」


 首を振りながら、いよいよ魅依は涙をボロボロとこぼし始めた。

 彼女の両手は、決して放すものかとばかりに幹人の左手を握りしめている。起きたとき一番に感じた熱は、どうやら彼女の体温だったようだ。

 つまり、世界で一番幸福な寝起きに違いない。




「あの、ここは……王都の宿、でいいんだよね? 前から泊まってた」


 魅依が少し落ち着いてから、そんな事を聞いてみた。

 問題なく会話もできる事を示せば、より安心してもらえるかなという思惑も込みだ。


「う、うん……。鉢形先輩が、運んで、くれて……。それからみき君、丸一日と、半日くらい、眠ってて……」

「え、そんなに。どおりでなんか身体が凝っているような気がする」」


 外から差し込む日は赤い。夕方くらいか。

 肩をぐるりと回せば、ゴキゴキと音が鳴った。


「あ、あんまり、動いたら、駄目です……! 傷が……!」

「そうだった! なんか割と色んなところ怪我したような?」

(ていうか、まともに怪我したのは初めてだな……)


 幹人たちが異世界らしき場所にやってきて、もう四ヶ月以上が過ぎている。

 その間、何度か死にかけたもののギリギリ生き残ってきたし、とても幸運な事に無傷が続いていた。

 だが、昨日はさすがにそう都合良くはいかなかったのだ。

 内部構造が日を跨ぐごとに組み変わる、特殊なダンジョンの攻略。

 その最中、魅依と共に、巨大なボスモンスターのいる部屋に閉じ込められてしまうという窮地に陥った。

 そして自分は魅依を背に、仲間が救援に来てくれるまでなんとか戦い抜いた――少しうぬぼれた事を言えば、彼女をなんとか護り抜いたのだが、その代償にとてつもない疲労と、そこそこの怪我をこさえる事になった。


「……あれ、でも、それにしてはあんまり痛みがないや」

「本当!? よ、よかった……! 王室の、お抱えのお医者さんが、回復魔法を掛けて下さって……」

「回復魔法!」


 どんな感じだった!? ピカーッと光ってスゥ~ッと治る感じ!? 

 なんて、聞けるような空気ではない。


「……ごめんね」


 零す声は、一言一言、刻むように。


「みき君の、その怪我は、みんな、……私が、させた怪我、だ」


 あるいはそれは、自身を切り刻むように。

「……みぃちゃん先輩」

「貴方を、護るって。そう、言ったのに」


 硬く言葉を振り下ろす魅依は、美しい顔に濃い影を纏う。

 彼女の手の強張りを感じなくとも、肩の震えを見なくとも。


「誓いました、って。だから信じて、って。貴方を護ります、って」


 たとえ、赤黒く染まったその声を聞かなくたって、幹人ははっきりわかっただろう。


「言ったのに、言ったのに、言ったのに――言った、くせに」


 彼女が彼女に、ひどく重い怒りを向けている事を。


「私は、私は、みき君に、そんな怪我、させて……」

「……みぃちゃん先輩、聞いてくれ」


 だけど自分は、それをただ見ているだけの他人になんて、なりたくない。


「私、護れてない……。何も、一つも、……口だけだ!」

「みぃちゃん先輩、あのさ、」

「私、私はっ!」

「俺にとって、この傷は誇りだよ。悔やんでもらう事なんてひとつもない」

「そ、そんなっ、だってっ」

「うん、だって、貴女を護れた事が嬉しい。俺は貴女が好きなんだ。あの時言った通り」

「わ…………………………………………………………………………あ、ぁ」


 魅依がピタリと固まり、そしてみるみるうちにその顔を真っ赤に染める。

 もとが色白な事もあって、心配になるくらいの変化だ。


「結構、これでもさ、片想い歴は長いんだよ、俺」

「え、え、そ、え……」

「ほんとだって。断言するけど、みぃちゃん先輩より長い」

「……そ、それは、ないです!」


 ようやくまともな反応が返ってきた。魅依はぶんぶんとその赤い顔を振る。


「だって、私、わりと、ずっと、前から! …………あ、や、その……」

「ごめん、今からすっごくうぬぼれた言うんだけど、違ったら引っぱたいて下さい。……みぃちゃん先輩が俺の事を好きになってくれたのって、一昨年の夏くらいからだよね? 俺が一年で、みぃちゃん先輩が二年生の頃」

「……っ!」

「……合って、る? あ、なんかめっちゃ不安になってきた」

「い、いえ、あの、そ、……は、…………はい、そのあたり、で、す。……か、完全に、ばれ、て…………ず、ずっと、私…………」

「ごめんごめん! いやほんとデリカシーない事言ってるよね! ごめんなさい!」


 本当に申し訳ない。だけど、この話をしてからでないと先に進めないのだ。


「あ、あ、あの、じゃあ私、ずっと、き、気持ち、悪かった、よね……?」

「んなわけないよ。ていうか、もしそうだったとしても俺の方が気持ち悪い。だからさ、俺の方が早いんだって。具体的にはきっかり一年」

「え、え、……お…………おかしいです! だって! わ、私がみき君を好きになる、そのさらに、一年前なんて、だって、まだ、みき君、入学前で、だから、まだ、私たち、知り合って……」


 幹人は首を振る。


「知り合ってはいないよ。……でも、俺は知ってたんだ」

『出会った最初っから、ずっと三峯魅依は俺にとってヒーローだ!』


 あの時ダンジョンで魅依に叫んだ言葉。

 本当の事なのだ、それは全て。


「中学三年の夏にさ、俺、学校見学に行ったんだ。大山高専の」

「え…………みき君が中学三年生、だから、さ、三年前の学校見学、…………あ!」



「うん、見たんだよ、――みぃちゃん先輩の学科紹介パフォーマンス」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る