異世界生活33日目昼、ビラレッリ邸にて



「むーん、むむむむむ……」

「……咲? 何やってんだ?」


 杖開発作業の気分転換にビラレッリ邸の庭先へ出てみると、そこには何やら唸っている妹の姿。声をかけた幹人に咲は振り返って、その腕の中には一匹の黒猫がいた。


「あ、お兄ちゃん」

「ネーロがどうかしたのか?」


 咲が抱く黒猫は、ネーロという名のビラレッリ家の飼い猫である。人懐っこい男の子だ。


「うん、あのね、ネーロとね、お話って出来ないのかなーって」

「……あー」

「ほら、なんかテレパシーみたいなやつ、想話? だっけ? のおかげで異世界の人たちともお話出来るでしょ? だったらネーロみたいなニャンちゃんともお話出来たりしないかなーって思って」

「そうだなあ……ニャンちゃんとは、うーん……」


 異世界の人間と会話が出来る問題は、未だに謎が多い。

 今のところは幹人の提唱する『言葉と共に思考そのもののような情報も一緒に飛び、それを各々の脳が各々の言語で解釈するため会話が成立する』という思考伝播仮説が有力だが、考察や検証がまだまだ甘く、十分と言える解明には至っていない。


「咲はさっきからそれを試してるのか?」

「うん。でもね、なんかね、駄目っぽい感じです……」


 言いながら、咲は残念そうにうなだれた。


「うーん、……インターフェイスの仕様が違うのかもな」

「……?」

「ネーロたちニャンちゃんと俺たち人間だと、想話の送り方とか受け取り方が全然違うのかもしれない」

「あえー…………いえ! 諦めてはなりません!」


 伏せた顔をバッと上げ、妹はそんな風に力強い事を言いだした。


「気合です、気合が足りないのです……ネーロの事をわかろうという気合が! 信じるのです! ニャンちゃんの言う事がわかるはずと!」

「咲、お兄ちゃんは咲のそういうところ、とっても良いと思う。応援してる、頑張れ」

「任せて下さい!」


 むむむむむと咲は眉根に皺を寄せて何やら力を振り絞り、その内にネーロが「ニャアーン」と一鳴きする。


「はいはい、ふんふんふん、……はい! わかりました!」

「マジか」

「はい!」


 頷いて咲はネーロを、その顔を幹人の方へ向ける形で抱き直して言う。


「『咲ちゃんは幹人くんが大好きなんだから、幹人くんはもっと咲ちゃんを構ってあげるべきだにゃん』って」

「えー、嘘、そんな文字数喋ってた?」

「喋ってましたにゃん!」

「今のはネーロ? それとも咲?」

「え? えっと、えー、じゃあネーロ!」

「じゃあってなんだ、じゃあって」


 ボロが出るのがあまりにも早すぎる、可愛らしい妹の嘘である。


「ナァーウ……」


 その内に、ネーロがもう一鳴き。


「お、咲、今のは兄ちゃんわかったぞ。『咲ちゃんはピーマンをちゃんと食べた方がいいにゃん』って」

「えー! ネーロ! なんて事を言うんですか! あんなものを食べろだなんて!」

「ピーマン美味しいぞ、咲」

「えー……苦いからやぁー……あっ」


 咲の腕の中からスルリとネーロが抜け出る。彼は軽やかな足取りであっという間にどこかへ行ってしまった。


「行っちゃった…………うーん、お話出来るようにならないかなあ」

「どうだろうな、出来たらいいんだけどな」

「うん。そしたら、…………そしたら――そしたら、あっちに帰ったら、にゃんのすけとも話せるようになるかも」

「…………そうかもな」

「……元気かな、にゃんのすけ」


 にゃんのすけは、雨ケ谷家の飼い猫だ。食いしん坊な、ちょっと肉付きの良い幹人たちの弟。


「……ちゃんとご飯、食べてるかな」

「あいつはそれが一番の生きがいだから、大丈夫だよ」

「…………お父さんとお母さんとおじいちゃんは」


 どうしてるかな。

 こちらではなく、ネーロの去っていった方を見つめながら、妹はポツリと零す。その横顔に、わかりやすい表情は浮かんでいない。

 それが、そこに感情がない事を決して意味しないなんて事は、当然、言うまでもない。


「……にゃんのすけは、能天気だから。あいつがきっと、父さんも母さんもじいちゃんも、元気づけてくれてるよ」

「……そうかな」

「そうさ。……咲」


 彼女の頭に手を置いて、髪をクシャクシャとかき回す。


「これから兄ちゃんと市場に遊びに行こう」

「……え? でも、……お兄ちゃん、杖作りに忙しいのに」

「一段落ついたんだ。なんか美味しいもの売ってないか探しに行こうと思ってんだけど、付き合ってくれよ」

「……えと」


 猫の言葉を借りて『もっと構って』なんて言いはしたけれど、これで遠慮しいなところのある妹は、少し迷って。


「…………その、えと…………じゃあ、うんっ、行く! 行きます!」


 しかし結局、そう言って笑ってくれた。


「甘いの、お兄ちゃん、甘いの食べよう!」

「よし、めっちゃ甘いやつな」

「やった!」


 何だってする。

 この娘を護るためならば。この笑顔を保つためならば、そしてあちらで待っているだろう家族のもとへ無事に帰すためならば、何だってする。


「ピーマンの肉詰めとか探そうな」

「うぇえええ絶対やだぁ!」


 たとえどれだけ迷いながらでも、震えながらでも、怯えながらでもきっと、何だって。



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アンコール書き下ろしSS、お読みいただき、ありがとうございました!

文庫『俺たちは異世界に行ったらまず真っ先に物理法則を確認する』も、ぜひぜひよろしくお願いします!


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