「……三峯」


 どれくらいの時間が過ぎたろうか、それすら曖昧になった魅依に照治から声がかかった。


「ちょっと休憩だ、休め」

「え、でも」

「……ここ」


 トントンと、向かいの照治が自身の鼻の下あたりを叩く。


「あ……すみません、お見苦しい、ものを」

「そんなこっちゃないが、無理はよくない」


 ポケットからティッシュを取り出して、鼻の下に押し当てる。わざわざ見なくとも、それが赤く染まっていっているだろう事はわかった。

 視線を落とせば、机やノートにも赤い色彩。今の今まで、全然気が付かなかった。


「それ、大丈夫なんだよな? なんか悪い病気とかじゃ……」

「昔から、ですので……。病院でも診てもらいました。集中して作業し続けると、出てしまうことがあるって、だけで」


 なるべくいつも赤の上着を着るようにしているのは、胸元へ血が付いてしまっても目立たないようにだ。


「そうか、ならいいんだが」


 出やすいだけに、止まるのも早い。少し押さえていると、どうやら鼻血はもう流れてこないようだった。


(鼻血を流しながらキーを叩く女って、我ながら不気味……)


 ため息が、思わずこぼれる。どうしてこんなに妙ちくりんな人間なのだろうと、時折思ってしまうのだ。

 たとえば、もっとまともだったら、そうしたら。


 言いたい想いを伝えたい人へ、ちゃんと手渡す事ができていたりするのだろうか。


「なあ、三峯」

「なん、ですか?」

「お前、進路どうするつもりなんだ? あっちに帰ったらさ」


 それはなかなか、唐突な質問。帰れたら、ではなく帰ったらと言うあたりが、中久喜照治という先輩が部長として頼られる所以だと思う。


「……一応、その、進学のつもり、です。大学へ、編入を」

「そうか。じゃあなかなか会えなくなるな。もちろん、俺にじゃないぞ」

「え、……えと、それは」

「そうなる前にいい加減、はっきり言っといた方がいいんじゃないか? 『いつでも会える』と『いつも会う』には、四バイトどころじゃない差があるだろう」


 言葉にすればたった二文字、データにすれば四バイト。だけど確かに、それは彼の言う通りのように思えた。


「俺は結構勝算があるんじゃないかと思うがな。一番可愛がってるのは妹の咲で、一番崇拝してんのはまゆらんこと声優の樽喜まゆらだが、一番惚れ込んでるのはお前に見える。それなりに分析に自信はあるつもりだぞ? 長い付き合いだからな、幹人とは」


「……あの」


 あっさりとその人の名前を出された事に、意外感はなかった。察されているのだろうなとは、薄々思っていたから。


「わ、私、わかりやすい、ですか?」

「おう」


 それでも問わずにはいられなかったこちらに、彼ははっきりと頷いた。

 この片想いというのは一応、もう何年か続いている。だとすると、だとすると、だ。結構、多くの人たちに生暖かく見守られていたということにならないだろうか。


「は、……はじめて、だったんです」


 まるで言い訳を並べるように、口が動く。それはあるいは、羞恥で身体の中に溜まった熱を吐き出すためかもしれない。


「その……家族以外の、人と、はじめて、私、あんなに、楽しく、話せたんです。……今もやっぱり、一番楽しいん、です。みき君とが、とても」

「……そうか」


 こんな人間だ、小学校と中学校、不登校にならずに通い切れただけでも御の字だった。そこから高専に来てみると、それまでに比べてどれほど天国のようだと思ったことか。

 少なくとも、高専では、誰とも話が通じないということはなかった。極めて狭い話題しか持っていないような自分でも、輪の中に加わることができたのだ。


「あ、あの、でも、部長とか、他の皆と話していて、楽しくないわけじゃ、絶対になくってっ、……ロボ研は、私にとって」

「わかってるわかってる。お前がうちに居着いた時に幹人はまだいなかったんだからな」


 それだけプログラミングができるのに、どうしてプログラミングコンペティション、プロコペじゃなくロボコペをやるんだと言われたことは、過去に何度もある。

 だが自分にとっては、少数で密に取り組むプロコペのチームよりも、開放的で大人数とワイワイやる、大山高専チームロボ研の雰囲気がなにより魅力的に映ったのだ。

 ここなら、妙ちくりんな自分がいても、どうにか許してもらえる気がして。

 そして実際、とてもよくしてもらえている。


「だけど、幹人が来るまでお前はどこか、やっぱりビクビクはしていたよ」

「……はい」


 でもやはり、それでもやはり、こんな人間だから。話題が同じようなコミュニティの中にきても、話す事が下手くそすぎて、いつもどうしても気を張っていた。

 つまらないような、困ったような、苛立ったような。

 そんな顔をされるのが、怖くて。やっと受け入れてもらえると思えた場所だからこそ。


『なんかすごいの作ったんですよね三峰先輩! 見せて見せて!』

『え、う、うん』


 だけど、そんな風に怯えることを忘れてしまえる人がいるというのを、入学して、入部してから一年経った後、新入生が入ってきてから知ることになった。


『その、これ……こういう、ええと、その、画像データを、自動で、傾向を、解析して、エフェクトを、学習して、は、判断を…………その、ごめん、なさい。しゃべるの、へ、下手で』

『え? ああ、いやいや、先輩。それは独立だから大丈夫です』

『……?』

『先輩がちょっと喋るのに慣れてない事と、俺が先輩の話を聞きたいと思う事は、それぞれ独立ですよ。だから大丈夫、影響ない! それよか続き! 続きをお願いします!』


 なぜだか彼は熱心に、こちらの話を聞いてくれて。だけど焦れることのないその聞き方に、ひどく穏やかな気持ちになれた。

 自分にだけ優しいだとか、柔らかだとかいうわけではもちろんなかったけれど、それがわかるくらいに彼を眼で追っていた時にはもう、惹かれていたのだと思う。

 馬鹿みたいかもしれないが、憧れがあったのだ。人と楽しくのびのびと、好きな話で盛り上がることに。


 誰かにとってのありえないを、どれだけ素早くできたとしても。

 誰かにとってのあたりまえが、欲しくて欲しくて仕方なかった。


「なーんでこんな話をし出したかっていうとな、鼻血出すほど熱中してキー叩いて、お前それ、あいつにいいところ見せたいからじゃねーのかと思ってな。それだけとは言わんが、絶対どでかい理由のはずだ」


「…………下心、まるみえで、その、みっともない、です」


 観念し、俯くように頷いて言う。顔がいよいよ熱くって、風に当たりに行きたくなった。


「はっは! いいんじゃねえのか!」

「……それに」

「うん?」

「あ、いえ……」


 口は噤むも、思考は止まらない。魅依の脳裏には、妹や部員たちに明るく笑う彼の姿が浮かんでいた。


(ちょっと……無理してるんじゃないかなって)


 ずっと見てきたからわかる。今の彼は、いつもの彼とはやはり、少し違うのだ。状況が状況だから当然なのだろうが、それでも無理して明るくあるというのは、よくない気がしてしまう。

 彼は、ムードメーカーたらんことを自任しているのだろう。誰よりも妹のためにそうしているのだろうが、自分を含めた部員まるごとそれにはとても助かっていて、誰かがそうであってくれなければ、今の和やかな空気というのは維持できていなかったように思う。

 自分には絶対できない役割。

 それを彼は、こなしてくれている。


(だったら……だから)


 結局、自分のできることなんて、大して多くない。だから、その中でせめて人より上手くできて、役に立つであろうことがあるのならば、全力で。

 それがどうか、回り回って彼の助けになってくれるのならば、それ以上のことはない。……なんて、それでもやっぱり、ごまかせない欲も持ってしまっているのだけど。


「つうか下心があるってんなら、見てるだけ、話せるだけでいいとか、アホみたいにお行儀のよろしいこと言うつもりじゃねえんだろ?」


 眺めているだけで。傍にいられるだけで。話してくれるだけで。

 それで満足できたなら、踏み込めない自分に対する歯がゆさも、踏み込める誰かに対する妬ましさも、味わうことはなかったはずだ。


「……はい。……あの、でも、……れ、冷静に、考えて、ですよ」

「ん?」

「私は、こんな、ですから……。私が、男性だった、なら、私は、選びません」

「俺だって自分が女だったら、俺なんか選ばんぞ。そんなもん皆そうだろうよ」


 当然のような口調で言って、照治は続ける。


「行動するならちゃんとした方がいい。今そこにある危機って話だ」

「……え?」


 思わず顔を上げて向かいの先輩を見れば、彼はこちらとしっかり目を合わせて言った。


「あいつはほんとに、クセの強い人間に喜んでひっつく修正がある。悪食系人付き合い主義者だ。だから俺とも長年の付き合いだし、お前ともそんなに仲が良い」

「えと、は、はい。その通り、かと」

「だろ? で、ここは異世界だぜ、それなりにファンタジーな。濃いキャラなんてゴロゴロしてる」


 その言葉に、なぜか桜髪の女性が、一見冷たいようだけれどとても優しい、なぜだか自分と同じように不器用だと思える女性が脳裏に浮かぶ。




「わからんぞ、何がどうなるか。ありきたりで悪いが、誰かに取られてからじゃあ遅いだろう」

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