8-10)書庫

 * * *


 細長い小さな部屋は静かな沈黙を保っている。施設の大きさに対し随分とこじんまりしている室内には、嗅ぎ慣れた古書独特の臭いがあった。

「……失礼します」

 小さく礼を呟くと、横須賀は室内に入った。周りに人はいない。背を向けて扉を閉ると、改めて横須賀は部屋に向き直った。

 狭い部屋の両壁には棚が作られている。入って左手側の壁の棚はガラス戸のついたもので、右手側の壁にある棚は通常の本棚。どちらも基本的に中は簡単に確認出来るようになっている。

 所謂書庫のようなスペースだろうか。一応奥に細長い窓はあるが、人が長居するような広さではない。

 出入り口の扉には蛍光灯のスイッチがあり、周囲三十センチ四方は電話がひとつあるだけで他は物がない。空いたスペースから奥に視線を向ければ、棚の側面にある張り紙が目に入った。細かくなにか書いてあるという訳ではなく、ただアルファベットと数字の組み合わせが並んでいる。

 詳細は無いということが少し違うが、それでもアルファベットと数字の組み合わせは横須賀にとっては物珍しいものではなかった。確信はないがこの管理については図書館などでよく見かけるもので、横須賀は手元のメモに小さく図を書き加えた。

 電気をつけないまま、横須賀はそのまま奥に進む。薄暗い部屋。細長い窓は光を取り込むにも足りていないが、それでも中が見えない訳ではない。

 左手側の中身はまばらだった。ガラスの内側にあるのは本、ファイル、細長い段ボール、なにかの瓶、紐、棚の中の小さな棚。押し込められていると言うよりは十分にスペースをとっているようで、本やファイルの棚には空きがある。種類ごと分かれているのか、棚ががらんどうというよりはしきりごとスペースがあるようだった。

 そ、と横須賀は指先を左手側の棚に触れさせた。人差し指と中指を添え、親指の腹でしきりを撫でる。室温のわりにひんやりとした感触は肌をざわつかせ、横須賀は左手を離した。

 右手側の本棚は本棚と言うには少し幅が広いようだった。下の段には段ボールや一段の引き出し棚が乗せられていて、棚に並ぶ本は背の高さがバラバラである。こちらは奥から順に詰められているようで、入り口側はスペースが空いていた。下の段は空白か段ボール、平置きの大きな本、一段だけの棚のどれかになっているようで、そちらについては法則が見えないも。ただ他の棚にある普通の本についてはわかりやすかった。

 著者のあいうえお順ではない。また、タイトルのあいうえお順でもない。さらにいえば出版社でもなく、かといって本の高さがバラバラなことからも見目で整えられているのとも違うだろうとわかる。

 図書館という評価はそのまま合っているようだった。背表紙には管理シールがある。アルファベットは内容によって振り分けているのだろう。そうして存在する数字は管理番号。背表紙にある数字で管理されているので、おそらく空白となった本の存在もわかりやすい。

 こういった管理がされているのに、パッとみたところ管理帳が見つからないのが少し不思議である。時々背表紙をなぞるようにしてみるが、記帳するような物は見つからない。

(パソコン、かな)

 部屋が狭いとはいえ、資料は膨大だ。今時パソコンで管理しない方が珍しいだろう。シールの下にはバーコードのような物があるので、読みとる道具があるのかもしれない。該当しそうな物は部屋になさそうだが、タブレットかなにかを用いるのなら納得できる。鍵の扉に入っているという可能性もあるし、その点を考える必要は無いだろう。

 利用者はそもそも先に場所を確認してから入るのかもしれない。部屋の窓の大きさからも、長期滞在を考えていないはずなので見当違いではないだろう。横須賀のようにこの場所で探す、ということを想定していない作りを目で追いながら、横須賀は奥まで進んだ。

 奥の左手側にある戸はガラス戸ではなく、中が見えないようになっている。窓はロックがかかっているものの、特に道具がいるものではないので開けようと思えば気軽に開けられるようだった。といっても横須賀はそちらに手は伸ばさず、右手側の棚に向き直った。

 一番上の棚にあるのはA3のファイル。背表紙にかかれている文字は年代だ。手にしたのは一九九三年一月のラベルが貼られているものだ。

(新聞、だ)

 ずしりと重い。中に入っている物は愛知新聞。ローカル新聞以外もあるだろうか、とパラパラと中を眺めたが、その範囲ではどれも同じだった。

 新聞の場合、中を確認するのは難しい。どれも一日ごとでまとめられているので、中を確認するには記事を開かねばならないからだ。広げるスペースはこの部屋にはなかったし、ひとつひとつ見ていったところで横須賀はこの中から見つけたいものがあるわけでもない。いくつかあらためてめくり直したが、一面は基本トップニュースだ。広げるつもりがない横須賀にとっては無意味だし、結局閉じて元の場所に仕舞った。

(台、ないのか)

 腕を伸ばした横須賀は、ファイルから手を離しながらふと部屋の中を見渡した。横須賀の身長でようやくとれるファイルなのだから台があったほうがいいだろうに、部屋の中には存在しない。外部から運ぶのだとしたら随分手間だろう。横須賀の祖母の家にある書庫は基本的に台座が置き離されていた。やはり少し用途が違う部屋だ。記録し保管するが、その物のためであり利用者をあまり考えない部屋。

 そもそも大きなこの研究所で奇妙なほど狭い部屋なのだから当然なのかもしれない。いまいちこういったスペースについて詳しくないので、横須賀は不可思議に思いながらもそういうものとして納得した。

 新聞を見たところで、今は意味がない。かといって横須賀がこの部屋に意味を持って入ったかと言ったら、それもそれで少し違う。ラベルを一つずつ確認するように、一冊、一冊と横須賀は本を開いては戻した。

 Aのラベルは県内の地理に関係する物。一番最初と真ん中、一番最後と確認したところ、最初と真ん中は県内だが最後は県外もあるようだった。といっても周辺県のようで、後ろから見ていくと静岡、長野、岐阜、三重の四件。最後の本は丁度横須賀の地元である氏山市で、見慣れた地図が確認できた。

 Bのラベルは民話のようである。やはりローカルの範囲で、最初に見たのは薄い和本。タイトルは『芙由之芽市民話集』。

 紐を見ると紙の損傷に比べて新しい。恐らく修復してあるのだろう。B―001ということは保存自体は最初の頃。紐の状態から考えると、保存された後も利用されただろうことはわかる。

 一度鞄を下ろすと、そろりと手にした民話集を開く。目次を眺めたところで知りたい物があるわけではないのだが、民話のタイトルは内容に直結して居るもの、地名がそのまま入っている物などが様々なので眺めるには丁度いい場所でもあった。

 星の降る丘、地蔵と小僧、芙由之芽街道、おおいそおい、黒坊主、徒然車輪、金の糸黒の皿……横須賀には馴染みのない伝承が並んでいるのを目で追っていく。

 読むには時間が足りないだろう。山田が狐ヶ崎の職員と話している間だけしかこの場所には居られない。別に隠れて行っているわけではなく、木野から許可を取ったのだが――しかし山田になにをしていたと聞かれたら、横須賀には答えるべき言葉が見つからないのだ。

 なにをしているのだろう。自問自答すらうまくできない。ただ、ここは山田が信頼する場所で、リンの働く場所だ。なにか、と思う。しかしそのなにか、がなにを求めているのか、横須賀は自覚しないまま紙をめくる。

 本を見るとき、単語でなにかが決まっていないときは挿し絵を見る。写真は一目で情報を多く伝えるし、場合によっては編集者の意図が出やすい。作り手の意図を読みとる、なんてことは横須賀にとってあまり得意でないことだが、それでも見やすさを重視したレイアウトの場合目に入る情報の順序がある程度精査される。また、地図の場合はそこまで多くないで、簡単に目を通すのに優れているのもあった。

 ふと、横須賀は手を止めた。地図を見てすぐにどことわかるわけではない。過去と違っているケースも多いし、本の古さからも絶対的な目印はない。

 けれどもひとつ、気になる物があった。星陵せいりょうの森。最近見かけた名前に、横須賀は地図を鞄から取り出す。

 先日あった三浦の件は、まだ記憶に新しい。

 地図を広げ、広げた側から折り畳む。目的の場所だけを表にして、横須賀は本の上に重ねおいた。

(同じ)

 自身の地図に書かれた星陵の森という文字に赤ペンで丸を付ける。地図を本に挟んだまま、今度はスマートフォンを手にし――しかし、横須賀はそれを仕舞った。代わりに自身の携帯を出す。折りたたみのそれはカメラの精度が良くない。しかし、撮れないわけではない。

 焦点を合わせて、撮影しようとする。フラッシュをつけたが、しかし明度があまりよくない。一度写真を撮った後、横須賀は携帯を畳んだ。真っ暗でなく、それでいて明るくもないからかもしれない、と考えたからだ。横須賀は本を元の場所に戻しすと地図を鞄に仕舞った。そして鞄は持たずにそのまま扉に向かう。

 蛍光灯のスイッチは扉の隣だ。棚の切れ目に手を置いた横須賀は、スイッチを見――しかし、扉のドアノブが動いたことに身を固める。

(え)

 木野は時間が来るまで来ないと言っていた。山田はまだ狐ヶ崎の研究員と会話しているはずである。とすると、ここの職員か。しかしこちらの部屋は滅多に人が来ないと言っていた。いや、滅多に、なら来ることがないわけではない。

 スイッチに向かっていた体を一歩横須賀は後ろに引いた。扉が開く。ドアノブを握る手は大きい。足下はローファー。

 つい俯きがちな視線をドアノブから上に持ち上げると、首から下げられた名札には狐ヶ崎心理情報研究所と小野公義という文字。

(小野?)

 話に聞いていたのは江崎という名前だ。更に顔を上げる。オールバックに短い前髪が短い触覚のように二本ほどはみ出ている、静かな顔立ちの青年がそこに居た。涼やかな瞳が横須賀を確認して驚いたように丸くなり、整った眉が持ち上がる。

 あの書類の写真の中には見あたらなかった顔だ。スーツ姿に無地の青いネクタイがかっちりと締められており、目を丸くした後周囲を見渡す視線は少し神経質にも見える。

 声も出さずに青年を眺めていると、動いていた視線がもう一度横須賀に向けられた。

「……すみません、入っていいですか」

「え、あ、はい」

 きょとん、としたまま横須賀は左端に寄った。入り口に向かっていたので、本棚側に体が当たる。青年はスイッチを入れると扉を閉めた。

「暗い中でなにやってたんです」

「え、と」

 なに、と答えられることはない。いぶかしがるような青年の目に眉を下げ、横須賀は背を丸めた。

「本を……えと、あなた、は」

「似たようなものです。職員の方ですか?」

「いえ、調査の依頼をうけた者です」

 横須賀の言葉に、青年はなにも答えず横須賀を見上げ、そして見下ろした。頭の先から足の先まで観察するような目に、横須賀はますます体を縮こまらせる。

「カードが無いようですが」

「あ、えっと、これ、です」

 来る前に渡されていたカードを横須賀は慌ててポケットから取り出した。しばらく眺めた青年は、ふうん、と声を漏らす。

「ポケットなんですか」

「はい」

 青年と違い首から下げていないの、はそもそも渡されたのがこのカードのままだったということがある。山田が事務所で渡したもので、普通受付などで渡すだろう許可証を何故という疑問はあるが、リンの職場だからと横須賀はさほど気にしていなかった。

 それを責めはしないものの納得するとも別の様子で青年が眺めるので、今更ながら冷や汗が首後ろを伝う。ふうん、ともう一度呟いて、青年は浅く頷いた。

「珍しいですね。まあ俺が言うことじゃないですけれど。……俺は狐ヶ崎心理情報研究所の小野おの公義きみよしと言います。一応許可は得ているんで、ちょっと借りますね」

「はい」

 頷くしかできないので横須賀はそのまま返事をすると、青年が先を進むのを見送った。青年はなにやら紙を見ながら本を探しているようで、メモと本棚を何度も見比べながら奥に進んでいく。

(あ)

 入り口には明かりをつけに行っただけなので横須賀は別に扉に用があるわけではない。かといって細長い部屋に二人並ぶのは少し狭いだろう。横須賀が大きいのもあるが、小野も長身だ。視線の高さから考えてもおそらく平塚より大きいだろう小野と横須賀では、余計同時に行動するには向いていない。

 しかし、小野が向かう先に横須賀は鞄を置き放してしまっている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!