8-7)黄色

「本一冊なら安いくらい、ってことか」

「本は天下の回りものですから」

 木野は楽しそうに首肯すると、本を机の上においた。「さて」一区切りと言うように声を落とし、木野が山田と横須賀を見上げる。

「とりあえず事前にお伝えするのは三点。私は研究者ではないこと、案内人でしかないこと、すべて推論以上にはなりえないこと。これだけご理解お願いします」

「わかりました」

「有り難うございます」

 山田の返答を受け、木野は小さく頭を下げた。それから手を机の上に出すと、本を少しだけ自身の元に引き寄せ直す。

「話は単純明快。それでいて抜粋するのは至極難しい。どうにも私は説明過多がありすぎるのもあるんですよねー。とりあえずお伝えすべきはいくつかでしかないので、順を追って。黄色の薬についてはすでにご存じと思いますが」

「判明したことがある、と伺っています」

 木野の両手が組まれる。といっても堅く握りしめているのではなく、ぱたぱたと指先は鍵盤を弾くようにバラバラに揺れていた。

「判明。判明、判明ね。言葉としてはあんまり適切じゃない気がするけれど、わかったことはあります。黄色の薬。まずあれが皮膚に関係するものってことは間違いない。効果をお二人は見ていますし、ただまあ実験できないので他がどうなのかとありましたが――幸いあちらの伝承について調べた内容がその本に載っています。その本にいくつか症例があって、皮膚についてはほぼ確証でいいんじゃないかと思っています。といっても本題はそんなことじゃありません」

 とん、と木野が机を打ち鳴らした。そうしてから本を開くと、するりと表面をなでるようしにて一枚の札をとりだす。

「小僧像にもあるとされる『妙法みょうほう身無しんむー物従ぶつじゅ』。これはいくつかの場所で見られています」

「ええ、知っています。のでその件については」

「知っているなら話が早い! 意訳すると『真の法を皮膚無きものより』って感じの意味ですが、この皮膚無きものってのが色んな本や伝承で見かけるものなんですよねー。量が多いわけじゃ無いんですが、見かけると結構こういう与える側だったりすることが多いので目立ちやすいと言いますか」

 山田の遮るような言葉を、軽快な調子で更に木野が遮った。大仰であり早口である声は、無理矢理押さえられる物でも無いだろう。重ねて連なる言葉に、山田が黙する。

「真の法ってなんぞやって感じですが、おそらく小僧憎に関しては死者の関係だと思うんですよね。あれ本によって表記が違うんですけど、赤黒い汚泥みたいなものになるのを鎮めるために呪文を坊さんが授けたってあって、それが塩っぽいものになっている。で、この妙法身無物従ってのでよく使われているのは死者の蘇生とその解除みたいなやつっぽくて、ゲーム風にいうならネクロマンサー的な? 呪文っていうね。実際どこまで本当かはわからないけれど話を聞く分には本当っぽいですよねーまあその真偽は私にとってはどうでもいいんですよ物語としてはよくあることなんです。それでまあその呪文をくれる皮膚無きものってのがそもそもなんなんのかって話なんですけれど」

「木野さん」

「なんなのかってことは実際よくわからないんですよね、この皮膚無き物については同じような外見、そして儀式で呼ばれていますがそもそもこれは呼び名の一つでは無いかって説もあります。不定形の魔術師? なんともはやわかりづらいですがこの皮膚無きものを呼ぶ方法なんですが」

「木野さん!」

 机を殴る音と大声。びくりと体を跳ねさせた横須賀は、目を丸くして山田を見上げた。立ち上がった山田の眉間には深い皺。木野はきょとりと山田を見上げ、ああーと頭を掻いた。

「すみません、どうにも夢中になると言葉が多くなりすぎてしまって。順を追って話すのが楽なんですよねえ」

 あはは、と苦笑する木野に、山田が大きく息を吐く。大仰な溜息はいつものことだが、しかし固まった拳は動かない。

「……それなりにこちらもやることがある。本題に入ってくれ」

 唸るような山田の声に、木野は頷いた。すみませんね、と小口を指先でなぞりながら、へらりと笑う。

「本題って言っても難しいんですよね、全部が全部連なっているんで。まあとにかくこれは皮膚無きもの関係の呪文なんですけど、面倒なことに色薬の主軸は別です。黒い粘性のものが無形の落とし子なんて言われているんですが、さっきの不定形関係では無いっぽいんですよね。供兎食蛙って音でクトグア認識して伝承間違えていましたが、これ、蛙で見た方が良かったんです。似たような発音でツァトゥグァって一定した形を持たない存在が記述されています。ヒキガエルににた生き物ですが、こいつも一定した形の無いものと定義されている。黒い物はこいつとセットなので、だから皮膚無きものとツァトゥグァ二つがあり、皮膚無きものはこれまでの形で考えればこのツァトゥグァと人を繋ぐか報酬か――ともかく意味を持って入ってはいて、特に黄色についてはこういった伝承でわかるように他の薬よりひとつ深く入っていた。皮膚無きものが関わる呪文でよく見かけるケースは再生と崩壊、皮膚を熱で溶かすもの、身体パーツを入れ替える物。だから考えたんですけれど、黄色の皮膚ってもうちょっと範囲が広くなるのでは無いかって事です。関わっているもの二つが判明したというかまあ推論なんですけれどそれでもこれらが元なら、もしかすると人の体のパーツをもっと補完できるんじゃないか、そう考えて他の本含めて症例を探しました」

 木野の言葉は相変わらずの早口だ。自分の思考と言葉を一緒に吐き出すようなペースに単語が滑っていく。それをなんとか留めようと捕まえられた単語を紙に記していた横須賀は、最後の言葉でペンを止めた。

 浮かぶのは、何も出来なかった直臣の姿。そして瞼の裏側にうろのように黒が満ちた秋の姿で――

「人のパーツを補完できると仮定したところで意味ねぇだろ。そんな妖しげなものを使うつもりな訳ねぇよなアンタ」

 静かだが切り裂くような音だった。サングラス越しに睨み付けるような声。透けて見えることが無いのに、鋭い音がその視線を思わせる。

 山田の糾弾じみた言葉に、木野は手で口元を隠すように覆った。

「あー、まあそういう意味になりますよね、申し訳ない。どれも推論でしか無いですし、実際使うとかは置いときましょう。ただそういうものを求めたという事実を残しておきたいんです。色薬を探している人間の目的が分かれば」

「目的は必要ない」

 山田が言葉を遮った。木野が少しだけ眉間に皺を寄せる。もごり、と動いた口は、しかし苦笑で不服を隠した。

「……言葉が多いのは私が案内人だからです。貴方が拾い上げて捨てるならそれで十分。そもそも黄色の薬は手に入りませんし、うん、まあそれでいいです。もしかしたら人のパーツを補えるなんて浪漫で悪魔のようなもんですしねぇ。緑の話を聞いていても、使うことでデメリットは多いみたいですし」

「結局黄色についてはそれだけか」

「それだけ。まあ、それだけですよ」

 前のめりになっていた体を椅子の背に預け直して、木野が肩を竦めて言った。山田の視線が本を見、自身の手元に移る。固まっていた拳がゆっくりと開かれるのを見て、横須賀はつられるように息を吐いた。

「私はあくまで状況から情報を選ぶだけ。貴方に本や伝承を伝えられますが、そこからどうするかなんて提案は出来ないですし。ただ伝承、繋がり。物事の最初をないがしろにされたくはないです、が、それを強要するのは読みたがらない本を薦めるようで趣味では無いです。ええ、そこは無理を言いません。気になれば誰から聞かれても答えますがね」

 最後の言葉は、横須賀を向いて言われた。ぱちり、と横須賀が瞬くと、木野は分厚いレンズの奥でにこりと笑う。

「ただ最初混同したことは忘れないでおいていただきたい。クトグア、と聞いて興味を持った人間では無く、クァトゥグァの方面でしょう、貴方が知りたいのは」

 山田は答えない。それでもようやっと座り直した山田に、木野は小さく頷いた。

「クトグアと皮膚無きものは併記されにくい。クァトゥグァは元々豊穣を司るところもあり、話題に上がりやすいものです。その存在が目撃されるかは別として、ね。だから選ぶべきはそちらか、何も知らない人か――太宰室長から聞いている話からすると、そちらが調査するのはその書類で言うならAグループ。貴方がなにを求めているのかは知りませんが、薬の効果、その元は多分把握した方が便利かと思います」

 山田の手のひらが膝の上に乗る。伸びた背筋は平時と変わらず、しかし視線は下がっていた。

「……案内人ですし、思うだけで言い切れませんけど。すみません、お喋りが好きすぎるんですよね、私」

 眉を下げて木野が頭を掻く。癖なのだろうか、がりがりと癖毛を揺らして、木野は息を吐いた。

 木野がまた横須賀を見る。横須賀は山田から木野を改めて見返した。目が合った瞬間へらりと笑った木野に、反射のように頭を下げる。

 木野の表情は微苦笑ではあるものの穏やかだ。反対に山田は黙したままで、横須賀はペン先をメモ帳の上で回す。

 落ち着かない。けれどもかけるべき言葉を持たない。

「いえ、十分お話を伺いました。失礼を言って申し訳ない」

 山田が木野に頭を下げる。木野はそのつむじすらかくれるようながっちり固められた頭を見て、いえ、と呟いた。

「十分ならよかったです。薬の検査の専門は布野さんとこですが、私はまあ探して選ぶだけなので。情報管理室は探さなくてもぼろぼろ集まってきたりするんであんまりやってないんですけどねー」

 たはーと笑う木野はあっけらかんとした語調で言った。明るいというには底が抜けたような音。底抜けではなく、底が抜けたが見合う少し間抜けなどうしようもない明るさに、山田は短く小さな息を吐いた。

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