8-4)研究チーム

「失礼します」

 押し扉を支えながら、山田が声をかけた。音につられるように集まった視線は一人の女性を除いてすぐ元に戻る。――といっても完全に戻った訳ではなく、基本は元の場所なのだが。どちらかというと、山田達をちらちらと横目に見ていると言う方が正しいかもしれない。

 仕事を優先しながらも異物を伺う様子は、あくまで興味による物のようで敵意や悪意は見られない。だからと言うわけではないだろうが、それらの視線に対し山田は眉をひそめるどころか朗らかな笑みを浮かべた。

「山田太郎と申します。太宰竜郎さんからお話があったと思いますが、今よろしいでしょうか」

 笑みに馴染んだ声は、あくまで穏やかなものである。唯一立ち上がり近づいてきていた女性が、大丈夫です、と静かに返した。同時に、ピーと高い機械音が繰り返し鳴り響く。

「失礼」

 きょときょとと音の原因を探ろうとするように視線を巡らせる横須賀の鞄の紐を山田が後ろ手に引いた。そのまま横須賀が室内に入りきると、山田が扉を閉める。そうしてようやく鳴り止んだ音に、横須賀は息を吐いた。

「あ、失礼しま、す」

 音が扉の開閉に反応したセキュリティセンサと理解してなんとか落ち着いた横須賀は、今更であったが慌てて頭を下げた。女性は小さく笑うと軽く扉に視線をずらして見せる。

「開放厳禁なんです。驚かせてすみません」

「いえ、ロックがかかっているのにこちらこそ失念していました、申し訳ない」

 女性の言葉に、山田は先程と代わり映えの無い朗らかな顔で謝罪を返した。こちらへ、という言葉で促す女性は最初に山田を見た時より少しだけ穏やかに見える。

 山田の物言いは平塚ほどではなくとも大仰だったり日暮とは違う平坦さがある。おそらく意図しているだろう切り替えは威圧と友好をうまく使い分ける為のものだろう。そしてそれは平時から変わらない。

 だから山田の慇懃無礼にもなりかねない所作は、馴染んだ表情と言葉で和らいでいるものがあった。だからこそ、女性が表情を穏やかにするだけの理由になりえたのだろう。朗らかと説明すれば疑問を持つ人間は少なくないものの、山田の表情や声は山田らしい武器と言える。

 元々山田は自身の見目について客観的に理解しているのだろう。喪服じみた真っ黒いスーツと白いシャツには赤いネクタイがよく映え山田に似合っているが、単刀直入で言ってしまえば悪目立ちするとも言える格好であり、そのメリットデメリットを体感しているのかもしれない。黒いスーツ自体は珍しくないものだが、他の要素がどうにも強い意味を作っているところがあった。

 特に理由の一つとして大きいのは、サングラスだろう。顔の半分を覆うような大型のサングラスは、ミラー加工に濃度の高い黒を選んでいるせいかまったく透けることがない。

 目元だけと言っても顔が見えないことは不信感をもたれやすいと言うことは山田もわかっているだろうが、山田はそれを直そうとしない。山田の目がサングラスで隠れているのはいつものことだ。勤めてからこれまで、横須賀は山田の顔を正しく知らない。無意識にサングラスが山田を形成する一つだと思っていることも理由の一つだが、その顔を覗き見る機会はついぞなかった。目は口ほどにものを言うと言われる場所を隠すのだから山田の表情はわかりづらく、だからこそ他の所作が極端に移動するのかも知れない。

 横須賀はぼんやりと部屋の隅を歩きながら、後ろから山田を眺めた。サングラスで隠れる目とは違い、つるりとした額の下に整った眉は表情をかろうじて伝える。しかしかろうじてだ。一緒に弧を描く口元は山田の表情が友好的に作られたものであることを伝えていて、しかしその実それだけである。

「座ってお待ちください」

「はい、失礼します」

 部屋の最奥についたところで、女性は二人に着席を促すと自身は座らずに背を向けた。目的のある足取りは、女性の視線から考えるとファイルを探しているように見える。背表紙は日付で分けられているようだが、座ったままでは何を探しているのかまではわからなかったので横須賀はそこで思考を止めた。考えてもきりが無い、というのが本音である。

 促された部屋の隅、丁度対面に一人ずつ座れるような机の席に山田が座る。その斜め後ろに横須賀は立った。

 事務所にいるときのようだ程度の印象でさほど気にはしなかったが、ややあってそっと横須賀の隣に椅子がひとつ差し込まれた。振り返れば短く頭を刈り込んだ男性が会釈を見せる。有り難うございます、と横須賀が言うのにもう一度会釈で返した男性は、特に何も言わずそのまま元の机に向かった。

 男性が戻ったのは部屋にある三つの長机の内の一つだ。女性が一人と、もう二人の男性が作業をしている。一人は椅子を差し出した男性を気遣うように見ているようで、横須賀が男性の動きを追うと目が合った。すぐに逸れた視線に反射のように横須賀は頭を下げると、改めて室内を見渡す。

  最初に思い浮かべたのは、高校の理科室だ。扉側の壁には膝下程度の白い棚、その上には鍵付きのガラス戸。部屋の中心には長机が三つほどあり、水道が備え付けられている。先程の男性がいる場所以外だと、奥の長机二人で男性が作業しているようだった。手元にあるのはタブレットとよくわからない瓶で、さすがに遠目ではなにをしているのかはわからないので作業を注視することは諦めた。

 全体を見渡した印象としては、理科室では無い、という当たり前のことだった。いまいちこういった場所に馴染みがないのでなにが当たり前かはわからないが、横須賀が知るものとは差異があるようだ、という結論に落ち着く。部屋の大きさが横須賀の知る理科室と比べたら半分程度のものであるというだけでなく、見慣れない機械が多いこと、パソコンを備え付けたスペース、大型ディスプレイがあること、棚にあるファイルの量などがそのことを物語っている。

「お待たせしました、色薬のお話ですよね」

「はい」

 ファイルを手にして戻った女性の言葉に、山田が背筋を正して頷いた。女性が正面の椅子に座る。

「簡単に説明させていただきたいと思います。……と、その前に名前をお伝えしていませんでしたね。担当の布野巴です」

 名刺を切らしていてすみません、と続いた謝罪に、いえ、と山田は短く返した。それから椅子を少しだけ引くと、横須賀を一瞥する。

「先程も言いましたが、改めて。私は山田太郎と申します。それからこいつは、部下の横須賀一。事務員ですが、秘書業務も行っています。本日は勉強させていただきたく参りました」

 椅子の向きを布野に戻し、山田はもう一度背筋を伸ばして頭を下げた。こちらこそ、と布野は頭を下げ返すと、ファイルを開く。視線は何故か横須賀を見据えたままで、どうすればいいかわからないまま横須賀は背を丸めた。

「頂戴した緑と黄についての効能は既に説明した通りです。写真を交えてとのことなのでこちらがその資料と、黄色については昨日判明したことがありますのでそちらを」

「お願いします」

 さくさくと進む会話が一度止まると、合図のように山田は頭を下げる。はい、と頷いた布野が取り出したのは鼠の写真だった。五枚並べられたものの、誤差はわかりづらい。

「こちらは外的変化にはさほど表れないのでピンとこないかもしれませんが、緑の薬を得たときにどのような変化があるのか実験した物です。効果は見ての通り絶対ではありません。絶対にする条件は山田さんが以前発言してくださったものをベースにしました。正直非常に難しいんですが、マウスに過負荷をかけたときに効果が出ます。同時に、マウスによる自死に似た症状も出ることが問題ですけれどね」

 メモを膝の上でとっていた横須賀は、自死という言葉に不安げに布野を見た。それは馴染みがない言葉だからだ、ということでもあるが、もう一つ別の違和感が存在しているのが大きい理由だった。

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