7-17)廃工場

「俺も藤沢さんも出来ることは多くない。でもふたつ重ねて、やるしかないひとに届ければいい」

 藤沢を使って、三浦を使って、深山を使えと山田は言った。使われることに慣れすぎて使うことなんて横須賀には思いつかない。けれど一人で出来ないことはよく知っていて、山田のように切り捨てられない横須賀に残ったのはそれだけだ。

「深山さんの説得は三浦さんがします。三浦さんはきっと、探偵山田太郎の言葉を疑いません。だから俺は三浦さんと話がしたいです。三浦さんだけを保護するんじゃない。三浦さんのお手伝いを、したいんです」

 だから心当たりの場所を教えてください。その願いは机に跳ねた。頭を下げたから真っ直ぐ届かなくなった声に、藤沢は息を吐く。

「三浦さんなら大丈夫だと貴方は信じていて、私も信じる。そういう理屈はわからなくもないですが――もう話すことは話したと思います」

 藤沢の言葉は静かだ。横須賀が不安げに顔を上げる。

 その瞳が相変わらず真っ直ぐなことに、藤沢は眉を下げて微苦笑した。

「みーちゃんの場所が正しいかはわかりませんが、多分そこだと思います。三浦さんを保護して彼女を説得するのはわかりました。先ほど横須賀さんに伺ったことと私が話したことをどう扱うか。保証するとはいえ依頼人が猟奇殺人を行う人間ならば依頼人についてどうするのか。あれだけ管理された病棟に何故黒が現れたのか、あれは逃げ場のなさではないのか」

 言葉が途切れた。じ、と細い目が横須賀を見る。

「考えましょうと私は言いました。横須賀さんのことを疑う気はありません。ただみーちゃんの目的を知った上でどうすればいいか、私が知り得たことと貴方が知り得たこと。私は多分最悪をわかっていて、その次の悪い結果を選んだだけです。まだましであり、最善ではない。貴方の見ている最善が最悪を呼ばないように、教えてください。そうしたら私は私の意志で、最善を見据えましょう」

 まるで求められているかのような、視線、声、言葉。震える唇を引き結び、横須賀は頷いた。

「俺は見てきました。だから、お願いです。よろしくお願いします」

 手のひらがざわつく。けれども声だけは静かで、驚くほどよく通った。


「あそこです」

 藤沢が短く告げた。顔を動かして示した先には、話に聞いていた廃工場がある。雑草が多い、というよりは無法地帯のように自由に伸びてツタが絡まった庭。塀が緑と赤茶色で覆われている。ツタに締め付けられるように共存している木は、外から中が見えないようになっていた。

「昔探検した時からあまり変わってませんね。背が伸びた分雑草で埋もれることはないですが」

 小学生の時に遊んでいたという廃工場は、深山家からだいぶ離れた場所にあった。取り壊せないような経済状況でもなければ管理できないわけでもないのに無法地帯となった場所は、子供たちにとってはお化け屋敷じみたものだったと藤沢は言っていた。

 深山は意外と恐がりで好んでいなかったようだが、それでも二人だけで遊ぶ場所を探すならと提案され使った場所で、藤沢にとっては思い出の場所らしい。

 藤沢の家で遊ぶと弟がいるので二人だけというわけにはいかない。別にそれでも楽しいのだが、静かな隠れ家のようだったので藤沢は気に入っている場所だった。

 家に居たくないときに深山が怯えながらもひとりで隠れた場所でもあり――藤沢が寄り添った場所でもある。

「昨日言った事務所はあちらですね。休憩所は向こうです」

 明かりがついていないことに祈るような心地で中に入る。潜めた声で藤沢が言うのを聞き、視線をそちらに動かした。

 廃工場は元々さほど大きくないようだった。事務所はこじんまりとした一室に見える。あの大きさだと、あっても二部屋くらいだろう。

 事務所も反対側にある休憩所も、明かりはない。昨日聞いた藤沢の話によると、深山は事務所に怯えていたらしい。

 事務所と言っても机もなにもなく空っぽの棚があるだけとのことだ。なにもない故によく見える床には赤黒い汚れが残っており、それが幼心に怖かったのだろう、と藤沢は言っていた。

「もしずっと三浦さんと一緒なら三浦さんも休憩所。違うならあちらの事務所か工場、ですかね」

「……昨日の通り、事務所から見てみましょう」

「ですね」

 休憩所と事務所は反対側にあり、真ん中にあるのは工場だ。ぐるりと見て回るにはちょうどいいだろうが、それがうまく行くかは別である。扉が開かないのを確認して、横須賀は事務所に足を進めた。

 三時四十二分。二時十二分に藤沢が送ったラインの通知はまだ確認されていないようなので未読だ。目印はただそれだけ。けれど、縋る物がないよりかはましだろう。

 虫の声は聞こえない。代わりに風が、草木を揺らして主張した。草が香る。アルコールも果物の香りもしないことに息を吐いて、横須賀は事務所を見る。

 休憩所よりも一回り大きいだけの事務所の扉は少し厚そうだ。段差が一段ついている。板看板らしいものはなにもない。さきほど確認した休憩所には遠目では読めない物の灰色に朽ちた板があったので同じ物を探したが、事務所にはないようだった。

 そういえば工場の入り口にも看板らしきものは残っていなかった。名前が確認できるものがないのは取り外されたからだろうか。読めるかどうか不明だが休憩所に板看板らしき物があるのに他がないのは不思議になるが、名称がある物は外すのだろうか。いまいち横須賀はそういったことに明るくないのでわからないが、名前をメモする癖があるので少しだけ落ち着かない。

 窓にはカーテンがかかっていて、中を確認することはできない。当然だろう。深山がいないことを祈りながら、扉に手をかける。ドアノブを回して鍵がかかっていることを確認すると、藤沢が頷いて鍵を取り出した。

 鍵がかかるなら、三浦がいる可能性が高い。元々事務所につけられていた鍵は壊れていたとのことで、子供たちが自由に出入り出来る状況だった。なにかあったときに、と場所もなにも知らされないまま深山から渡された合い鍵は真新しく、ちらりと見た深山の鍵も同じく汚れがなかった為、簡易に鍵を設置するなら余計この場所では、と言うのが藤沢の考えでもあった。

 鍵が音を立てる。やや大きい音に首をすくめながら、開いたことに横須賀は鞄の紐を握りしめた。そ、っと隙間を空ける。覗く見る瞬間叶子の目が浮かび、息を呑んだ。今は居ないはず、だ。深山と藤沢を見ていたことは確かだが、そのあと叶子は逆に行った。まちがえないかみにきた、かえる。おそらく、間違えないと判断したから帰るということだ。だからそれは、多分無い。

 息を吐いて、改めて隙間を覗く。黒。暗がりではなにも見えない。横須賀は闇に怯えたことなどないのだが、どうして見えないということは不安を作るのだろうか。いくつか見てしまったからなのかわからないが、無いことが有ることを想像させて、横須賀は目を凝らす。閉じるという選択肢は元々持たない。目を瞑ったところで何かが改善することなど無かった。だからこそ、横須賀は見続ける。

 扉を開ける。室内の闇が外と混ざり合う。影が床に転がっている。それだけだろうと判断して、横須賀は準備していたペンライトをポケットから取り出した。服の裾で覆うようにしてライトを少し絞りながらスイッチを入れる。

 丸くなるようにして転がっている影は、身動きをすることなくそのままそこにあり続けた。ひゅ、と喉が息で高く鳴く。

 顔を伏せているが、体格と服装でわかる。三浦だ。振り返り藤沢を見る。藤沢は通知がないかすぐわかるように手にスマートフォンを持ちながら、休憩所を見ていた。

「三浦さんだけ、います」

 横須賀の言葉に、藤沢が眉間に皺を寄せて頷く。監視はなにかあったときに深山と知り合いである藤沢の方がいいだろうと藤沢がすることに決まっていた。だから、三浦と話すのは横須賀の役目だ。

 藤沢に話したときほどの緊張感は実のところ無い。三浦のあの性格からというのと、藤沢と違い目的がはっきりわかっているからだ。だから問題は、三浦が三浦であるかくらいだ。そしてもう一つ、今日までと言う山田の言葉がなにを示しているのか、だ。三浦を説得するだけなら、あんなに山田が優先順位にこだわらなくても出来るはずなのだ。藤沢が見つかり協力を仰げる段階で、指示を変えてもいいはず。けれども山田はそうしなかった。

 聞くに聞けない。病院で叶子におじちゃんと言われた男が浮かぶ。秋が浮かぶ。山田は今日を使いなにを調べているのか。こちらを優先しないのは何故か。それは調べる為なのか。順序を違えたら山田は得られないのか、それとも確実にするために違えなかったのか、こちらが間違えたらどうなるのか――考えたところで、答えはない。

 山田は横須賀を止めなかった。なら最悪は無いはずだと考える。埋もれそうになる思考に対し首を振ることで一度散らした横須賀は、改めて三浦を見た。

 既読が付かないのなら、おそらく深山は寝ていると考えていい。三浦の発言から眠っているときに異常があったのだろうと予想できるが、昨日は日中から行動していたと藤沢が言っていたので、睡眠だけが条件ではないはずだ。そして呪文といった行動が必要なら、深山が起きるまでは多分大丈夫だろう。自身に言い聞かせながら、ざわつく手のひらを一度ズボンの裾に擦り付ける。

 声を出すのに躊躇い、一度肩に手を伸ばした。触れる。反応はない。ざわつく心地で体を見ると、かすかに上下する動きで呼吸が見て取れる。大丈夫。大丈夫だ。

「みうら、さん」

 狭まった喉から出たのは細い声だ。肩を掴む。左手にライトを持ったまま、右手でず、と揺する。顔を上に向けると、眉間に皺が寄った。

「……ぅ」

 うめく声。ライトのまぶしさに瞼が固く閉じられる。喉に心臓があるようだ。ライトを床に伏せ光を消して、揺する。

「三浦さん」

 は、と息が漏れる。手のひらの内側で、びくりと痙攣が起きた。

「あ、え、は……?」

「三浦さん、ですか?」

 ぱちり、ぱちり。厚ぼったい瞼が困惑でゆっくりと瞬きを繰り返す。横須賀はライトをもう一度持ち上げた。

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