7-5)愛する人

 ため息と一緒に呟かれた言葉は、その息と似た感情を含めていた。戸惑いではない、嘆きとも違う。ただそのため息という言葉が似合う声は、そのままカウンターの向こうに転がり落ちるようにあっさりと終わって行くものでもあった。

「お酒、おかわりいるかしら」

「あー……じゃあ同じのお願いしても良いですか」

「はぁい。横ちゃんは?」

 リンの言葉にひゃ、と声はないものの肩を揺らした横須賀は、自身のグラスを見下ろした。飲む機会はさほど無いものの、どちらかというと飲んでも酔いを感じにくい横須賀だが人の話を聞きながら飲むペースは随分と遅い。

 グラスに残る甘い色に、横須賀は眉を下げた。

「まだあるので大丈夫、です」

「欲しくなったら言ってね」

 笑いながらリンが酒の準備をする。ぐ、とカルーアミルクを飲み干すように煽ったので、三浦の喉が反る。ごつりとした喉仏は男性的で三浦の体格に見合っているが、眉間に寄った皺は甘い酒を飲み干すというよりは薬を飲み込むようでもあった。

「恋ってなんなんでしょうね」

 ぽつりと落ちた言葉は、平坦だ。悲しみと言うよりは単純な疑問。けれども三浦の表情は暗く、横須賀は自身のグラスを撫でる。

「横須賀さんはどう思います?」

「へ」

 間抜けな息をもらした横須賀を、三浦は笑わない。じっと横須賀を見据える黒い双眸は、真摯に答えを待つ鋭さだ。

 グラスを握りしめる。どう答えればいいかわからず、横須賀はただ三浦から目をそらせない。

 と、へにゃり、と三浦が眉を下げて笑った。

「すみません。ガキみたいなこと言いましたね」

「え」

「うん、わかってるんですよこういうのは聞くもんじゃないって。誰がどう思ったとしても本人がどうかでしかないのだから」

 少し早口で三浦が言う。双眸はもう横須賀から外れていた。リンが三浦の空いたグラスを片付け、同じカルーアミルクを置く。

「依頼している彼女、本当まじめな人だったんですよ」

 ぽつ、と落ちた言葉に、横須賀は頷いた。知っているわけではないが聞いていることを示すためだ。三浦はグラスを少し揺らしていて、横須賀に向き直りはしない。静かな横顔と揺れるグラスは、ふと小さく音を立てたのち止まった。

「俺は出向してプロジェクトの手伝いすることがちょいちょいあるんですね。彼女はその時チームリーダーでした。小さなプロジェクトでしたが、若い女性がチームリーダーってのは俺が思う以上に大変だったみたいで……気を張っている、のがよくわかりました」

 穏やかな声で、三浦が言葉を落としていく。返事を求めると言うより転がすままのそれらをメモしていいのか悩み、結局横須賀はメモ帳を開けないまま三浦の言葉に頷くだけだ。リンは特になにも言わず、むしろ三浦の視界から少し外れるように移動した。

 三浦がカルーアミルクに口を付ける。やはり甘いと言うよりは苦味を思わせるような表情を、横須賀はただじっと見ている。

「俺の仕事の話をしてもピンとこない人もいるんでざっくりい言うんですが、パソコン使う業務で、どちらかというと個人でやるものに見えるんですね。でもプロジェクトで納期があって、設計的なものとかある程度コミュニケーションも必要で。俺は自分で言うのもなんですが、そういうおしゃべりとか場をあっためるのはそれなりにできるんですよ。あんまこう、命令とかそういうのは出来ないタイプですけど。で、彼女は頑張っていたんですが頑張りすぎて空回っていたというか、運悪いことにチーム内に女性だからってだけであんまりな言い方するやつも居て。この人崩れちゃわないかな、が、お節介な印象でした」

 ふ、と三浦が息を付く。ころころ転がる言葉は、けれどもそのまま霧散するようなものではない。言葉を求めるつもりはなく、聞かせるためのもの。朗々とした山田の言葉とは違うが、ある意味では同じようなものにも思えた。

 既に決まったことを相手に伝えるためだけのもの。ただ山田と違うのは、三浦の表情が山田より動くという点だ。いや、ある意味では山田の方が大仰なときもあるが――三浦の表情は、見せると言うよりは声に出さない感情がそこだけに集約したようなものがある。

 ひそめられた眉、眉間に寄った皺に倣うように細くなってしまう瞳、時折感情をなだめるように閉じられる瞼。それでいてまた静かに語り出すに従って開く、揺れる黒。

「俺、そういうの気になっちゃうんですよね。俺自身が人に頼って頼られてって生き方しているんで、どうにも崩れたときが怖くなっちゃって。頼りたくない人も居ますし俺の力が足りない時だってあります。それでも俺は彼女の力になりたくて、仕事の話をして、できるだけ聞いて。――そんなこんなをしていたら彼女も俺の言葉を聞いてくれて。色々あって、俺の出向が終わってもお付き合い出来るようになりました」

 はふ、と吐き出された息は、過去を思ってかようやく笑みを作った。それでも寂しげで、どうすればいいのか横須賀はわからない。

 グラスにちびりと口を付ける。三浦よりは苦味があるカルーアミルクは、それでもこんなに甘いのに。

「俺ね、好きな子に目一杯甘えるし甘やかすタイプなんです。弟妹は可愛いから甘やかしますし、凹んだ時は甘えてました。一人じゃ出来ない奴だって自分で自覚していて、運悪いのが続きすぎてめっそりしては誰かに助けてもらって、俺が出来ることは精一杯助けて。だから彼女みたいに真っ直ぐな人は甘やかしたくなるんです。俺は甘えるし、喜んで欲しいし、いっぱい好きを渡し続ける。いつもピリピリしてたら大変じゃないですか。だから一緒にいるときくらい肩の力抜いて、失敗もそれでもいいじゃんって笑って、疲れたらゆっくり休んで。彼女がだめねぇって苦笑するのも可愛かったし、本当に駄目なことなんて生きていく上でそんななくて、だからそれを一緒に笑えるのがよくて。彼女は年上ってこと気にしてましたが、俺としてはそんなの関係ないし、むしろだからこそ甘やかしたかったし。本当、いっぱいいっぱい、愛を渡したつもりだったんですよ」

 つらつらと続く言葉に感情が乗る。先の説明するだけよりも自身の気持ちを吐露するような音は、しかし甘さよりも喘ぐような息苦しさがあった。案の定と言うべきか最後に大きく息を吐いた三浦の肩が下がる。

 ぐ、と甘いグラスを三浦は飲み干し、空になったそれを見下ろした。

「でも、駄目でした。『貴方と居ると駄目になるの』って言われました。俺はそれでもいいと思ったけれど彼女にとってはそれは本当に駄目なことだったみたいで、俺は彼女が大好きだったんだけれど、その感情でしてきたこと全部『駄目』になっちゃったみたいで。……正直途方に暮れました。格好悪く彼女に色々言いましたけれど彼女は駄目の一点ばりで、俺の気持ちは、愛は、好きって感情は良くなかったんだなって思って。――あれから俺は、恋がよくわかんないんです」

 流れる言葉は、横須賀には難しい。愛という感情を随分尊いものに横須賀は思っているからだ。

 それは自身から随分遠いから余計なのかもしれない。まるで誕生日のショートケーキのような、夜に飲む砂糖入りホットミルクのような、風邪の時に食べるうさぎのリンゴのような、物語の中でしか存在しないもの。

 当たり前に存在しても自身だけでは得られない貴重なものを与え貰う側という三浦が酷く悔いたように顔を歪ませることは、なんだかとても落ち着かない。

 それはもっと優しく、甘く、きらめいているはずなのに。

「すみません。ちょっと支離滅裂としていますね」

「大丈夫よ」

 三浦の言葉に、そっと差し込むようにリンが声を落とした。眉を下げて笑った三浦は一度口を両手でふさぐと、肩を上下させた後背筋を伸ばした。グラスの手前で組まれた両手は、懺悔するようでもあった。

「彼女と結婚まで考えましたが、それが叶わなかったことは仕方ないと思っています。山田さんにも言いましたが、凄く信用無いかもしれないですが、俺は彼女とヨリを戻したい訳じゃないんです。忘れられない人、なのは確かです。けれども多分それは恋だったからと言うより、多分、多分それ以上に彼女の言葉が俺の中に残っているんです。彼女の他に付き合っていないのは彼女が未だ好きだからと言うより、俺はまた自分の気持ちで誰かを傷つけるのが怖いからだって、そんな自覚をしています。俺は凄く、本当に凄く彼女との時間が楽しくて、楽しくて幸せでした。気づかなかった、気づけなかったんです。好きって、愛しているって気持ちが、彼女を本当に追いつめていたことに。本当の『駄目』だったことに。俺は俺の楽しかった気持ちだけで、彼女には足りなかった。『駄目』だったからもう、どうにもできない。俺だけが幸せだった。それが残っている。だから」

 三浦がそこで言葉を切る。組まれた両手が膝の上に置かれ、横須賀を黒い双眸が貫く。

 酒に酔っているという目ではない。ただ静かで、むしろ飲んでいるものがアルコールであることが不思議になるくらい、酷く真っ直ぐだった。

「だからこそ、彼女の連絡をなかったことにしたくないんです。彼女はそんな相手だった俺に縋りにきた。駄目になりたくないという感情ですぐに電話を切ったかもしれない。でも、俺のあの彼女にとって駄目だったことがもし彼女が逃げ場として浮かべるきっかけなのだとしたら、俺はそれだけで良い。彼女が俺をもう愛していないことはわかっています。ヨリを戻す気もない。戻したところで、俺はまた俺の気持ちで彼女を傷つけてしまう。ただ、ただ俺のしてきた感情が本当に駄目でしかなかったわけじゃないことを知れたらっていう、身勝手な感情です。そうだとしたら俺は少しだけ救われる。俺は欲しい答えが決まった状態で、彼女の答えを見つけるために動いています」

 静かな言葉は、その瞳と同じ真っ直ぐさで連なる。なぜだろうか、全て自分の責とでもいう声を、この言葉の調子を横須賀はどこかでなにかと重ねている。なにかはわからないけれど、手のひらがざわつく。

「俺は身勝手です。でも、だからこそ動きます。縋ってくれたと信じて、足りない分貴方達に賭けるんです」

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