第七話 おもい

謎《ひみつ》を、抱け。

7-1)客人

「失礼します」

 壁を使ってノックを四回。山田の示す三分に従って中に入った横須賀は、自身を見上げる驚いた顔に少しだけお盆を持つ手を固くした。

 女性の顔が浮かぶ。居るのは無精ひげを生やした男性なのでまったく違うのだが、それでも表情や状況でどうしても重ねてしまう。

 山田は自身の目の前に座っている客を相変わらず見つめていた。以前は気づかなかったが、もしかすると観察するような意味があったのかもしれない。横須賀は目があった男に頭を下げ、机の横にしゃがむ。

「お水を、どうぞ」

「ああ、わざわざ有り難うございます」

 左手側からグラスを置く。相変わらずグラスの下に置くようなものもなにもないが、先ほど三浦と名乗っていた男は気にせず笑顔で会釈した。わざわざ体を横須賀に向けた表情は随分と人懐っこい印象を持たせる。男の会釈に倣うように、横須賀も頭を下げた。

 下がった視界に入るのは青い運動靴だ。青と言っても派手な色ではなく少し暗い色で、緑がかったグレーのジーンズに馴染んでいた。膝の上には手帳とボールペン。Tシャツの上から羽織った少し厚手のシャツは落ち着いた暗い青寄りの紫色で、少しくたびれた印象があるが客用の椅子の足下に置かれた鞄は紺色。横須賀が持ち歩くほど大きいものではないが、それでも肩に掛けられる鞄はA4用紙くらいなら折らずに入るだろう。

「このでかいのは事務員です。一緒に話を聞かせてもらっても?」

「構いません。彼にも名刺渡していいですか?」

「どうぞ」

 名刺、と言われて横須賀はわたわたとしながら自身の名刺入れを取り出した。三浦は横須賀の様子を穏やかに微笑んだまま、失礼します、と言って立ち上がった。つられるように横須賀も立ち上がる。

 座っているときも思ったが、随分長身のようだ。一八〇は越えているだろう上背はがっしりとしている。鍛えているのかそれなりに厚い体をしているので少し平塚よりも大柄には見えるが、身長自体は同じくらいかも知れない。見下ろす視線の位置は随分と似ていた。

「三浦仁と申します、よろしくお願いします」

「あ、頂戴します」

 受け取ろうとしてお盆を持ったままだということに気づき、横須賀は慌てて一度机の端に置いた。名刺を手前に戻し待つと、三浦は改めて向き直った横須賀に再度差し出す。

 ようやく受け取った名刺を名刺入れに乗せ、横須賀は一息吐いた。名刺を持ってはいるのだが未だにこのやりとりは慣れない。

 ただ一息ついた、といってもまだ名刺をもらっただけである。名刺を落とさないようにしながら四苦八苦しつつ、横須賀はなんとか自分の名刺を差し出した。三浦の所作が随分慣れて居るもののだからか、どうにも焦ってしまう。

「横須賀一、と申します、よろしくお願いします」

「よこすかはじめ、さん」

「? はい」

 三浦が名刺を受け取り、横須賀の名前を復唱した。不思議そうに首を傾げ頷く横須賀に、あ、と三浦は声を漏らす。

「すみません、頂戴しますね」

「はい」

 申し訳なさそうに三浦は笑うと、ソファに座った。横須賀もお盆を持ったままソファの横に立つ。

「彼がどうかしましたか」

「え? あ、ああすみません。親戚に同じ名字が居て、ほら、あんまり聞かないから珍しいなあと。それだけです」

 気恥ずかしそうに三浦が頭を掻く。そうですか、と山田が頷いた。三浦は先に置いておいた山田の名刺の下に、横須賀の名刺を置く。

 机の上、山田側には今横須賀がもらった名刺と同じ名刺が置かれている。三浦仁と書かれた名刺には会社の名前とプログラマの文字。名刺入れにしまい、横須賀はお盆を抱えて脇に立った。

 三浦の視線が、それに従って動く。見られることに落ち着かず横須賀がお盆を持つ指を自身で握ると、三浦は頭を掻いた。

「一緒に、とおっしゃいましたが、あの、彼は立ったままですか?」

「ええ。気にしないでください」

「あー……俺の横に座る、は駄目ですかね」

 三浦がソファの端に寄って山田に尋ねる。そこに行くとおそらく三浦の様子を見ることは難しいだろう。困ったように横須賀も山田を見ると、山田は表情を変えずに頷いた。

「お客様の横に座らせる訳にはいきませんよ。いつものことです」

「ですよね。すみません」

 たはは、と笑った三浦はもう一度頭を掻く。やや考えるように瞼を伏せ、それからぱちりと持ち上げた瞳が山田を映した。

「せめてお盆ここに置いてもらっても構いませんか? ほら、話聞くならメモとかあるでしょうし」

「ああ、それなら一度下げさせます。置いてこい」

「あ、はい。失礼します」

 山田の言葉に横須賀は勢いよく頭を下げて反転した。水を置いただけなので他に出すものはないし、おそらく片付けるのは三浦が帰った後なのでもうお盆は必要ないだろう。お盆を戻して、すぐにさきほど立っていた場所に戻る。メモを、とのことなので以前と違い話を聞きながらとれるのは幸いとも言えた。

 手ぶらで戻った横須賀がメモを取り出すのを見て、三浦は改めて山田に向き直る。

「すみません、色々と口を出して」

「いえ、お気遣い有り難うございます。申し訳ない、少々私はそのあたりが鈍いようで」

「そんなことないでしょう」

 社交辞令とコミュニケーションの間のような会話を聞きながら、横須賀は改めて三浦を見た。無精ひげを生やしているが、髪はきちんとワックスで分けている。といっても山田のオールバックや横須賀のセンター分けのように量の多いものではないだろう。元々短い髪を左目上あたりで左右に分けた前髪は少し固めに流れを作られているが、前髪以外は全体的に柔らかめに整えられていて、わざと作った無造作という形が似合っているようだった。無精ひげでも浮かない、それでいて清潔感が無いわけでもない髪型はよく笑う三浦の顔になんとなく似合って見える。

 眉はつり上がっていて、瞼は厚ぼったい。半眼めいた目つきは少し眠そうにも見えかねないが、大きな口とよく動く表情がどちらかというと三浦を快活に見せる。首から背中に掛けてそれなりに厚い体と長身、無精ひげという体つきであっても威圧感がないのは、三浦の言葉遣いや声、その表情からだろう。大きな手がよく動き、相手の言葉に目を丸くしたり歯を見せて笑ったり、打てば響くという言葉がよく似合う。

 それでいて山田の声や態度で、その手の動きをするりと静かにする。山田も相手の声色に合わせて声量を変えたりしたが、なんとなく二人は似ているのかもしれない。

「とりあえず、貴方についてはわかりました。リンから簡単に聞いていますが、改めてご依頼についてお話いただけますか」

「はい」

 山田の静かな言葉に、三浦が少し表情を固くして頷いた。膝の上に置いていた手帳を右手側に置き、拳二つ分膝を開いて背筋を伸ばす。膝の上で親指ごと握られた両手は、固く筋張っていた。

「概要はお伝えしましたが、横須賀さんがいらっしゃるので改めてはじめの方から話させていただきます。はじまりは三日前のことです。元恋人から連絡があり、そのことで相談に参りました。といっても、話せることはあまり無いのですが」

 三浦はそこで言葉を切り、胸ポケットから携帯電話を取り出した。ロック画面をタップし、着信履歴を表示する。

 深夜の二時三十六分、深山未来の文字。呼び出し時間は五秒。

「時間からしてワンコールくらいでしょうか。俺が気づく前に切れていました。かけ直したけれども繋がりません。彼女とは別れてから三年、まったく連絡を取ってませんでした。連絡があったのは、今回が初めてです」

「心当たりはないとのことでしたが」

「はい。彼女は出向した先の職場で会った人でして、家族などと交流もなく……お恥ずかしい話、彼女の携帯以外で彼女を知り得ないんです、俺」

 眉を下げ目も伏せて、三浦は息を吐いた。両膝の上で握られていた拳が緩く開き、閉じられる。それから三浦の背が少し曲がるに従って、両手が互いに交差するようにして組まれる。

「別に家族を知らないなんて問題ないでしょう。未成年同士の交際でもあるまいし」

「……そうですね」

 山田の言葉に三浦が少し目を細めて笑った。携帯電話を手元に戻し、一度画面を撫でる。

「心当たりはない、んですが、彼女が俺に連絡をしたということが俺にとって重要なんです」

 山田が頷き、先を促す。それに返すように三浦は一度目を閉じると、携帯電話を閉じこめるように両手を合わせてその縁を撫でた。そうして撫でる指の腹同士を合わせる。祈るように携帯電話を手の中に隠したまま、三浦は口を開いた。

「彼女が俺になにかを言おうとして、止めた。それが俺には随分大事なことなんです。彼女は人に頼るのが苦手な人でした。自分で何でもしなければって思いこんでしまう人が、別れた男に連絡を。結局止めてしまったけれど――俺が頼るに足りないとしたのかどうなのかわかりませんが、それでも俺は彼女を放っておけない。俺は彼女の声を、聞かなかったことに出来ません」

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