6-12)連絡先

「と、そろそろ三十分か」

 時計を確認して、平塚が立ち上がる。小さな体を布団の上から撫でるのを見て、横須賀は鞄から四角形の付箋の固まりを取り出した。ボールペンでその付箋の三枚目にペンを走らせ、備え付けの机に置く。

「ん、どうしたんだそれ」

「えっと、目が覚めたときあると便利かな、って、思いまして」

 机の上の付箋とボールペンを見た平塚は、ふうん、と声を漏らした。秋から離れた平塚と入れ替わるように、横須賀も秋に近づく。

 そ、と握った手は小さく、冷たい。

「はやくよくなるといいね」

 願いを口にして、握った手を撫でる。点滴は量が随分減っていた。

 子供の手は本当に小さいし、細い。栄養だから冷えてしまうのも仕方ないのだろう。異常がないかだけでなく、早く目が覚めるといい。そうしたらきっと。

「便利とは思うが、君は無くなっていいのか?」

 惜しむようにしながら離れた横須賀に、平塚が尋ねた。なにを、と思いながら振り返った横須賀は、ああ、と笑った。

「いっぱいある、ので」

「まあ付箋もボールペンも高いものじゃないから買い直すのも問題ないか」

「まだあります、し」

 納得した様子の平塚に、横須賀はへらりと笑って答えた。ああ、と平塚が笑う。

「そうか、ストックが家にあるか。そうだなそうなくなるものでもないし――」

 平塚の言葉に横須賀は鞄の外部ポケットに手を入れた。ん? と首を傾げた平塚が、そこで言葉を切る。

 置いたものとまったく同じ形の、少し薄い付箋を、横須賀は眼前に掲げた。

「有り、ます」

「……有るな」

「はい」

 だから大丈夫です、と頷いた横須賀に平塚は頭を掻いた。あー、と視線とともに奇妙な声が呻き漏れ、それからへにゃりとした笑みに変わる。

「なに、デスクでくらいしか付箋など使わないから驚いた。なんでも出てきそうだなその鞄」

「なんでも、は、無いです」

 横須賀は本当のことを答えただけなのだが、なにが面白いのか平塚はまた笑った。馬鹿にしたと言うよりはただ楽しげな声を聞くのは、悪いものではない。ゆるゆると横須賀も笑いながら、癖のように部屋を見渡した。

 カーテンは最初と同じ閉じたままで、透ける日の色はやわらかくなっている。きっとこれから、茜色に染まるのだろう。

 コココン、と、ノックが響く。

「ああ、丁度良いな」

 ノックの音に平塚が近づく。ほんの少し首を傾げ掛けた横須賀は、しかし開いた扉で結局半端に終わった。失礼しますと言う言葉も、笑む藤沢も先ほどと同じだ。

「特にお変わりありませんか?」

「はい。安心してくださいと言うべきか残念ながらと言うべきかわからりませんが、秋くんは眠ったままですし特になにかあった様子もありません」

 ちら、と藤沢が秋を見、それから平塚を見る。下げた眉と笑んだ表情はよく馴染んでいるようだった。

「異常がないのはよいことだと思います」

「そうですね。お時間有り難うございました」

「こちらこそ」

 す、と藤沢が扉を支え、平塚が先にでる。横須賀も促され頭を下げたものの、そこで一度止まった。

「どうしました?」

「点滴、が」

「点滴?」

 言葉に復唱して、藤沢がもう一度秋に目をやった。それからややあって、ああ、と少し慌てたように声を漏らす。

「そろそろですね。巡回も来ると思いますが看護師に声をかけておきます。有り難うございます」

「すみませ、ん」

 巡回が来るのなら余計なことだったのだろうと横須賀が眉を下げると、いいえ、と穏やかな声が返った。

 先に部屋を出ていた平塚はなんとも言えない顔で笑っている。

「状態の把握は大事なので、助かります。私は心理士なので医療行為は出来ないから伝達のみになりますが、有り難いです」

「心理士」

「はい」

 慣れない言葉を繰り返すと、藤沢は頷いた。看護師ではないだろう服装で考えていたが、その穏やかさになんとなく納得する。示されるまま扉をでると、平塚が藤沢に頭を下げた。きょときょとと二人を見比べた横須賀も、同じように頭を下げる。

「有り難うございます」

「いえ、こちらこそ。手首のバンドは向こうで外しますので、一度看護室までお願いしますね」

「はい」

 道を戻るに、すん、と横須賀は鼻を鳴らした。アルコールが消えている。気のせいだったのかと思いかけたが、藤沢も呟いていたはずだ。

 病院の匂いはあるので完全に消えたとは言い難いが、それでもわかりづらくなっている。三十分。アルコールは揮発性があるからだろうかそのせいだろうか。刺激臭がないことに、少しだけ安堵しながら横須賀は先をいく藤沢の後ろ頭を見た。

「お掃除、されたんですか」

「え?」

 藤沢が振り返る。釣られるように平塚も振り返り、横須賀は反射のように身を竦めた。別段悪いことをしているわけではないのだが、なんとなく癖のようなものだ。

 見ることはあっても、見られることはまだどうにも落ち着かない。

「アルコールの匂い、が、しなくなったので」

 横須賀の言葉に、少しだけ間が空いた。長いものでもなく、瞬き三回と少し分くらいだろう。はく、と唇が一度開き閉じ、それから藤沢は首肯した。

「……はい。やっぱり誰かが零していたみたいです。すみません」

「いえ、よかった、です」

 へにゃ、と横須賀が笑う。藤沢もそれに笑みを返し、前に向き直った。

 よかった、という言葉は横須賀にとって随分と実感を伴うものだ。ただ零しただけなのなら、それでいい。よくわからない形の異常を経験したからこそ、ついひとつひとつ引っかかってしまう。

 看護室までくると、藤沢が改めて二人に向き直った。

「バンドを外させていただきますね。横須賀さん、手をお借りしてもいいですか?」

「お願いします」

 来たときと同じように、藤沢が手首に触れる。外すだけではあるがゆっくりとした所作で、相変わらずほとんど片手で藤沢はバンドを外した。手首に触れたままの指先は、来たときより少し冷たい。

 掃除をしたからだろうか。考えている内に、柔らかい手が離れる。

「有り難うございます」

「あ、有り難うございました」

 軽い会釈の後、藤沢は平塚に向き直った。そうして横須賀にしたように平塚の名前を呼んで、バンドを外していく。

「有り難うございます」

 離れたバンドに、平塚が明るい笑みと朗らかな声で藤沢に謝辞を述べた。平塚を見上げた藤沢は、しかしまだ手を離さない。 

「……あの」

 ほどくことも問いかけることもしなかった平塚に、藤沢が小さく声を漏らした。こくり、と平塚が無言のまま首肯する。

「今度また警備を強化する話があるようですが」

「ああ、はい。正式な通達や方向性はまだ未決定ですが、今のような平時とは別に申請が有れば一時的にでも増やせないかと話がでています」

「はい、伺っています」

 平塚の言葉に、藤沢は静かに答えた。睫が揺れ、少し動いた顔の向きで病室側を見たのがわかる。

「現在こちらの希望を聞いてくださったりしている状況ですが、それ以上のお話は」

「まだ未決定ですので」

「……そうですよね」

 ふ、と小さな息が吐き出される。言葉と一緒にほどけた手を見て、平塚は口元に手をやった。

「横須賀君、なにか書くもの借りていいかな」

「あ、はい」

 言葉に横須賀はメモ帳を取り出した。横罫線がある小さなリングノートの白いページを開いて、四色ボールペンと一緒に渡す。

「有り難う」

 するり、と、平塚がノートにペンを走らせた。書かれたのは生活安全対策特例隊の文字と数字、それに平塚茜、日暮雨彦という名前だ。

「仕事ですでにご存じでしょうが、なにかありましたらこちらの番号にこの名前で繋いでくださればお伺いします。プライベートの時用にどうぞ」

 藤沢が紙を受け取る。笑みを浮かべた平塚はそれ以上言わなかった。藤沢は紙を丁寧に畳み、ズボンのポケットに差し込んだ。

「……有り難うございます。お仕事頑張ってください」

「はい、藤沢さんも。貴重なお時間有り難うございました」

 深々と平塚が頭を下げる。両手を体の脇で指を真っ直ぐにし、背筋を伸ばしたままの一礼は綺麗だ。そのうなじを見おろした横須賀は、あ、と声を漏らした。

 礼をもう一度、と思いながらも、慌てて指をポケットにやる。

「有り難うございました、あの」

 礼も手の動きも一緒なので、おそらく平塚と違い美しさのかけらもない一礼だ。申し訳なさに冷や汗を首筋に感じながら、横須賀はそれでも、と右手で名刺を取り出す。

 書かれているのは、山田探偵事務所の連絡先と、事務員である自身の名前。

「なにかありましたら」

「……探偵」

 小さく藤沢が呟き、それからああ、と申し訳なさそうに笑みを零した。

「赤月さんが目覚めた時にご連絡できればいいんですが、あいにくこちらでは判断できなくて」

「いえ」

 藤沢の言葉がとぎれたとき、それでいて終わる前。呼吸のような合間に差し込むようにして、横須賀が否定した。その睫が揺れる。

「あ、いえ! いえ連絡いただけたらうれしいんですけれどええとそうじゃなくて、いらないんじゃなくてでもそれが目的じゃなくて、あの、その」

 ひゃ、という慌てたような声とおろおろと揺れる体、それでいて手は動かずに鞄の紐を強く握りながら息継ぎをするように横須賀が声を跳ねさせる。

 藤沢はそれをじっと見上げていた。

「なにか、ありまし、たら」

 結局しゅるしゅると着地点を失った声が落としたのは同じ言葉だ。眉を下げた藤沢は、名刺を両手の中に閉じこめる。

「……有り難うございます」

 返った声は、固く、ゆっくりとかみしめるような音だった。


 その七日後、病院のとある一角に黒が染み込む事件が発生。被害者はなにもなく清掃をするだけに留まった。異常と言えるような問題は特に無いと言えただろう。

 一人の心理士が休暇願を出した以上の変化は、なにもなかった。

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