6-6)ラブレター

「どうした」

「どうしたじゃなくて……いや挨拶はいいんです。挨拶は大事ですし」

「ああ、挨拶は大切だ」

 平塚の困惑を含んだ声に、日暮は大仰に頷く。無表情のままかくんと頷く所作は人形じみているが、平塚はそれについては指摘しなかった。

「えーと、あー。いやいいや。それで病院の件なんですけど」

「承知した。こちらから依頼を出しておこう。行くのは横須賀君と山田か」

「あ、いえ」

 確認を含んだ言葉に、横須賀は慌てたように否定した。それが意外だったのか、平塚が少し目を丸くして横須賀を見る。日暮は横須賀に向き直った。とん、と中指が日暮自身の足を叩く。

「山田はいないのか」

「だ、め、でしょうか」

 申し訳なさそうに、横須賀が身を小さくする。山田は赤月秋について、あれ以降は警察の仕事と言い切り気にかけようとしなかった。自身の仕事のため切り捨てた人間がどうなろうと関係ない。警察に保護されている内はこちらが動くよりよほどマシな状態だろう。そんなものに構っていられない。――簡単に言えばこんなような言葉で、山田は横須賀の憂慮を無駄と断じた。警察で話をすることを許可したのは、もしかすると秋を預ける意味があったのかもしれない。

 それならば横須賀の願い出た病院見学は、非常に奇妙なことだろう。山田はおそらくそれを無駄と言い捨てる。だから横須賀は横須賀だけで行くことを願い出たが、しかし自身でも奇妙だと思っていた。見に行ったところで何も出来ない。自分の罪悪の形を確認するだけで、秋の母親が戻るわけでもその体が治るわけでもない。ましてやなにかに気づけるわけでもない。そうわかっているのに、横須賀は朗らかに笑う平塚につい言ってしまった。本当に奇妙なことである。だが奇妙だと思いながら、なんで、という疑問に対して横須賀は答えを持っていた。

「駄目なことはない。気になるなら見るが良い、見舞いくらいなら大丈夫だ。君は身元がはっきりしているしな」

 横須賀のねじれた鞄の紐を見て、日暮が平坦に言い切った。身を縮めながら日暮を見ていた横須賀は、少しだけ安堵したように息を吐く。

「ただ付き添いは付けさせてもらおう。ヅカ、頼んで良いか」

「ああ、この刑事平塚茜にお任せあれ!」

 指先をきれいに伸ばし広げた右手を胸元に置いて、平塚が芝居がかった声で言い切った。はは、と笑う口元からは白い歯が覗いている。柔らかく弧を描く目元を見て、横須賀は頭を下げた。

「お願い、します」

「その程度のことならお安いご用だ」

 よかったよかった、と頷いた平塚に日暮が同じように頷き、ややあって先ほど出てきた扉に触れた。

「平塚と連絡先は交換しているんだったな。こちらで確認してまた連絡を取らせる。私は失礼するが」

「グレさん?」

 名前を問いかける声は、問いかけと言うよりは不満を含んでいた。後ろ手で扉を開けようとした日暮が、一度止まる。

「なにかあれば呼んでくれ」

「資料くらいなら私がやります。何がいるんです? 席にも仕事残ってるでしょう」

 扉を開けようとする日暮に平塚が詰め寄る。眉尻を持ち上げて見据える平塚は不服を形にしても凛々しい表情だが、対する日暮はやはりというべきか無表情だ。

「急ぎは終えたし机のものも帰りまでには終わらせるつもりだ」

「いやあれだけならまだしもこっちで仕事してからってなると多すぎですよね。私たちの仕事はメンタルに負荷が掛かりやすいから出来るだけ無茶しないって言っている人が何言ってるんですか。無茶しなきゃいけないときはそりゃありますけど、今そのタイミングですかグレさん」

「これだけだ」

「ぐーれーさーんー」

 平塚が不服いっぱいに名前を呼ぶ。日暮の眉間に、ぎゅ、と皺が寄った。目や口元はほとんど表情が変わらないまま作られた眉間の皺に、平塚も眉根を寄せる。

「私じゃ駄目なんですか」

「……赤月秋についての件でもある。あそこの病院は基本的に終わったものに対するが、彼については終わったと言いづらい。監視をもっとしっかりできないか個別対応の件で色々と必要なだけだ」

 淡々と日暮が言うものの、平塚は納得しない様子だった。日暮がじっと平塚を見上げる。

「立場上俺がやった方が早い。ヅカたちに任せると結局俺の承認作業分手間がかかる」

 はっきりとした言い切りに、平塚がぐうと唸る。なにか言葉を探す様子の平塚を見、ややあって日暮がなにやら浅く首肯した。

「グレさん?」

「そもそもこれは届かないにしろラブレターみたいなものだ。自分で書かなければ意味がないだろう」

 ラブレター。単語を内側で繰り返し、横須賀は瞬いた。書類仕事の話、それも赤月の病院対応で必要な話だと思っていたのになにやら突然である。よくはわからないが、しかし手紙ならば確かに自分で書かねば意味ないだろうと二人の会話を聞きながら横須賀は頷いた。

 しかし、平塚の口から出たのはため息だ。口から、というよりは寧ろ全身からかもしれない。舞台の上でもよくわかりそうな大げさな動作で、平塚が長く大きな息を吐く。

「そういう冗談で誤魔化そうとするのやめてください。マツさんだって騙されませんよ」

 平塚がじと目で日暮を見る。む、と抑揚のない声を漏らした日暮は、ぱかりともう一度口を開いた。

「一番わかりやすいと思うんだが。ラブレターは自分で書くものだ。君もそう思うだろう、横須賀君」

「え、あ、はい。お手紙、ですし」

 突然話を振られ、つかえながら横須賀が答える。日暮の視線の先を追って横須賀の顔を見た平塚は、情けなさそうに眉を下げた。

「いやそれは確かに手紙はそうだが……グレさんそういう冗談を横須賀君の前で止めてください。彼だって一般市民ですし、それ以上に彼本当素直なんですから」

「美徳だな」

「グレさぁん」

 平坦な声に平塚が情けない声を上げた。いまいち話がわからず、横須賀はとりあえず笑みを浮かべて二人を眺めている。よくはわからないが、仲が良さそうで見ている分には心地よい。

「美徳ではあるがあまりすべて真に受けないでくれ給え横須賀君。グレさんはどうにもこの手の冗談が多くてだな……」

「冗談」

 平塚の言葉を復唱し、横須賀は日暮を見た。太い黒縁の四角いメガネの奥、その縁よりも真っ黒い瞳は相変わらずなにも映さないように無感動だ。

 眉も唇も表情が変わらず、表情を消していると言うよりはそれが当たり前というような顔。故に横須賀を見返す日暮に冗談という言葉は似合わないように思える。ただ、日暮の表情は眉間の皺以外に変わらないので顔だけで否定していいのかは不明だった。

「というかグレさん、横須賀君の前でやけに冗談多くありません? 以前の愛らしいと良いなんで」

「あっはっは」

 平塚の不満を、のっぺりとした文字列が遮る。文字で記述すればそれはきっと笑い声だろう。ただ表情は先ほどからなにも変わらず、声もずっと同じ調子の抑揚のないものだ。感情が笑いと遠く、しかし文字は笑いであることが奇妙で、だが日暮には馴染んでいた。

「笑って誤魔化そうとするの止めてください。疲れてテンションおかしくなってません? 本当休んだ方が」

「ラブレター書いたら、な。安心してくれ、病院の件もちゃんとやる」

「そういうことじゃなくてですね……いやもういいです。他のところでカバーします」

 もう一度大仰に平塚がため息を吐く。そちらに対して日暮は素直に頷いた。

「ああ、頼りにしている。これがややこしいだけで無理をするつもりはないし、ヅカたちにさせるつもりもない」

「そこは信じています」

 もー、と不満を漏らす平塚の表情は少し幼い。わからないまま見守る横須賀と平塚の視線がかち合うと、平塚は曲がってしまっていた背中を慌てて伸ばした。

「っと、すまない。珍妙なところを見せてしまったな。君は心配しなくて良い」

「だいじょうぶ、です」

「有り難う」

 す、と通った声と瞳はやはり役者のようだ。だが山田のように作り続けているというよりは日暮とのやりとりなどであっさり漏れる平塚の本質は穏やかで、彼女の気さくさを表している。礼にどう返せばいいかわからないので頭を下げた横須賀に、平塚が眉尻を下げた。

「では失礼する。先に言ったように連絡は平塚に任せる。君は君の望むことをすると良い。しないよりは余程」

「有り難うございます」

 日暮の言葉に横須賀はまた頭を下げる。それから扉を今度こそ開けた日暮を見て、えっと、と声を漏らした。

「お手紙、頑張ってくだ、さい」

 頑張って、まで言ったところで自身にその資格があるのかと我に返ってしまったせいか、横須賀の言葉は半端なところで途切れ、末尾はしぼんでいた。げほ、と平塚が噎せる音に疑問を持つよりも前に、日暮が振り返る。

 これまで表情が無かったことに代わりはないが、扉を押さえているせいか一番動きが見えづらい中、日暮が能面のまま口をぱかりと開いた。

「有り難う」

 礼に横須賀は首肯で返す。あー、と平塚が小さく呻いた。

「君は本当それで山田に騙されていないのか……」

「あっはっは」

 平塚の呟きに、先ほどと全く同じ調子で日暮がのっぺりとした文字列を続ける。騙されてません、と横須賀が答えると、平塚は大仰にため息を吐いた。

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