6-3)約束

「私の失言について不愉快にさせてなければいいが、大丈夫かな」

「はい、だいじょうぶ、です」

 失言とは思っていないものの平塚が言った言葉を否定するつもりもなく、横須賀は頷いた。うん、と平塚も首肯し、やわらかく笑う。

「そうか、有り難う。さほど話していないのにどうにも勝手な心証を君に持っていたようだな私は……。別に責める気はないんだ、それもわかってくれるかな?」

「はい」

「重ねて有り難う」

 今度の笑いは口角をはっきりと持ち上げて歯を見せる笑い。芝居がかった調子に似合う快活さに横須賀はもう一度頭を下げた。平塚はよく笑う人のようで、笑い方の違いが感情と意志をはっきりと見せる。

 表情だけで賑やかな人だ。どう返せばいいかわからないまま、横須賀は相手を見返す。ほんの少しだけ色素が薄い、けれども色が違うと言うには黒い光を取り込むことに馴染んだような瞳が少し逸れた。その視線を追いかけても、なにかあるわけでもない。

 平塚はまた手を首と顎の境目あたりにおくと、あー、と探るような声を出した。

「んん、と、偶然の出会いに感謝する。君と話をしてみたいと思っていたんだ」

 最初は少し幼い声だったものの、すぐに芝居がかった快活な声を優しさで穏やかにして、平塚が言った。言われた横須賀は、きょとりと不思議そうに平塚を見る。細く長い指先が、平塚の体の前で開かれた。

「今日は流石に日が暮れようが、君が休みの時に時間を頂戴できないだろうか」

 言葉に応えるよりも、受け止めることに時間を有した。いまいち内側で文字に変換できず、首肯も出来ずにただただ平塚を見下ろす。開かれた右手が、ゆるりと閉じられ、下がった。

「やはり難しい、だろうか」

「え、いえ」

「大丈夫か!」

 反射で否定すれば、嬉しそうに平塚が声を上げた。明るい瞳が丸くなり、まっすぐ横須賀を見上げる。嬉しそうに紅潮した頬が無邪気な性情を見せ、横須賀は首後ろに手を置いた。

 指先で首筋を押す。落ち着かない。

「その、話、って」

「あ、ああ内容を言ってなかったな! すまない」

 はは、と笑いながら平塚が少し目を伏せる。長い睫が大きい瞳を隠してしまうが、それすら感情を伝えるようだった。見えなくなることが表情のようで、そういったところは山田と随分違う。

「――赤月秋について、伺いたい」

 形良い唇がゆっくりと動き告げた。文字が浮かぶのと同じ速度の声に、横須賀は体を強ばらせる。

「山田太郎が告げた名前だ。君たちはその後も関わっていただろう?」

 山田が秋を抱きしめた姿が、浮かぶ。

「横須賀君」

 声は聞こえなかった。なにもできず、あの祈るような光景の意味を、横須賀は知らない。

「横須賀君!」

「あ」

 平塚の手が横須賀の腕を掴んでいた。かちあう瞳は不安げで、その大きな黒目の中には顔色の悪い男が映っている。

「すみま、せん」

 自身の情けなさを直視しながら、横須賀は謝罪した。平塚の眉がしかめられる。

「いや、君は悪くないだろう。……私の言葉がなにか君を傷つけたか」

「いえ!」

 平塚の言葉に、横須賀は慌てて声を上げた。どう否定すればいいかわからないが、しかし原因は平塚ではない。

 ただ横須賀の空虚さが、横須賀を止めるのだ。

「すみません」

 だから結局何もいえなくて、同じ謝罪を繰り返した。平塚がしかめた眉を下げる。

「謝らなくて良い。話を聞きたいと言っても、君を責める目的ではないんだ。ただ、知っておきたいことがいくつかあるというか――山田太郎と話した方がいいのかもしれない、が」

 最後の言葉と一緒に、平塚の視線が逸らされる。足下に落ちた視線と、少しだけ強ばった手の力は以前にも似たものがあった。

 その手を見下ろして、横須賀は一度ゆっくり呼吸をした。

「俺、土曜日休み、です」

 睫が持ち上がる。先ほどと違い、喜びよりも案じるように揺れる瞳が横須賀を映す。

 横須賀は服の裾を握ると、もう一度意識して息を吐きだした。

「何を話せばいいかは、わかりません。でも、山田さんからは、刑事さんにお話しするのは止められて、ないです」

 警察はアウェーだと山田は言っていた。けれども最初に刑事の話を聞いたとき、止めない限りは好きに話せとも言っていたのだ。一緒にいなければいけないかどうかはわからないが、話すことを否定はしていない。

「一応山田さんに確認はしてみます、ので、止められなければですけれど。俺は、平気、です」

「……本当か?」

「はい」

 首肯して答えれば、平塚の手が離れた。長い人差し指が最後まで袖に残ったが、それでもゆっくりと離れていった。指先が下を向く。

 左耳側に流れている前髪が、少しだけ揺れた。長い指が拳を作る。肩がゆっくり上下して、平塚の顔が持ち上がった。

「ならお願いしよう。土曜日に警察署で話を伺いたい。先に行ったように赤月秋について、いくつか聞きたい件がある」

「わかりまし、た」

「これは協力願いであり強制ではない。君の善意に頼るものだ。そのことはわかってくれるかな?」

「はい、大丈夫です」

 平塚の瞼がまた伏せられる。そうして持ち上がった瞳は、まっすぐと横須賀を貫いた。

「なら君の善意に感謝し、頼ろう。山田太郎の言で難しくなったら連絡をしてくれ。こちらの電話番号を教える」

 手帳を取り出し、平塚がメモにペンを走らせた。のぞき込むと流れるように数字が並んでいる。数字の上に記された平塚茜という文字は、線が走っている軽い筆圧のもので、細い線は筆圧の高い横須賀と反対だ。

「こちらに連絡をお願いする。なにか聞いて置きたいことはあるかな」

 手帳の後ろにあったのは切り取れるメモだったのだろう。切り口が独特の連続した丸い縁を作っており、二つ折りにした一方の切り口を親指で撫でる。折り目は爪でまっすぐとつけられていてきれいだ。

 渡されたメモを開いて文字を確認し直すと、平塚がつけた折り目を崩さないように横須賀は折り直し、ポケットから取り出したメモ帳に挟んだ。

「警察署に、時間は」

「ふむ、そうだな。横須賀君の予定はどんな感じだ? 希望はあるだろうか?」

「俺は、特には」

 休みにすることなどさほどない。考える必要もないのでそのまま答えると、平塚は口元に手を当て、右上を見るようにしてほんの少し首を傾げた。

「そうか。では午前中にでもお願いしようか。午前中ならいつでもいいが、それより決めて置いた方が君はいいだろうか? 私はどちらでも構わないぞ」

 横須賀を見上げる平塚に、横須賀はこくりと首肯した。どちらでも構わないが、どちらかというと予定が決まっている方が合わせられる。

 それに、声を掛けるタイミングが決まっている方が気楽なのもあった。忙しいときなどに声を掛けて負担をかけるのは恐ろしいし、気付かれず届かないことを案じる必要もないので決まった約束は少しだけ安心する。

「ではそうだな……十時くらいはどうだろうか。朝早すぎても大変だろうしな」

「十時、ですね。わかりました。ええと」

「時間も決まっているし、電話を掛けてくれ。正面入り口まで迎えにいこう」

「ありがとうございます」

 頭を下げる横須賀に、こちらこそ、という朗らかな声が上から落ちる。顔を上げると、平塚が手を差し出していて横須賀は瞬いた。にこり、と平塚が歯を見せる。

 横須賀が手をおずおずと差し出し返すと、平塚は少し下にさがるようにして強く握りしめた。

「エスコートはきちんとするから安心し給え。土曜日、よろしく頼む」

「は、い」

 握るというより触る程度に指を曲げた横須賀に、もう位置だけ強く平塚は手を握った。そうしてから、細い指がするりと離れる。

「では、また。今日は気をつけて帰り給え。邪魔をして――ああ、本当に邪魔をしてしまったな。弁当が冷めてしまったんじゃないか?」

「え、いえ! だいじょうぶ、です」

 言葉に左下の鞄を見下ろし、慌てて平塚に向き直り手をぱたぱたと振る。冷めるかもと思いながら煙草を吸ったのは横須賀だったし、冷めた食事は別に珍しいものでもない。家に一応レンジもあるから温め直すことも今は出来るので、温かさはそれほど重要でもない、惰性の選択のようなものだった。

 申し訳ないとしたらコンビニにいる店員だろうか。ちらりと中を見るとフライヤーのそばで作業をしているようで、こちらを見ている様子はない。

「俺が、その」

 困ったように言葉を探す横須賀に、平塚が少しだけ微苦笑を零した。

「気にしていないならいいんだ。有り難う」

「すみません」

 申し訳なさそうな横須賀の謝罪に、平塚は唇の前で人差し指を立てた。それから小さく指を前後に揺らす。

「謝罪は必要ない。なぜなら君は悪くないし――刑事としては謝罪をうけるより、お礼の方が嬉しいものだな。市民の味方、悪を断つ。それが我々の勤めだよ」

 言葉の最後に、ぱちりと長い睫が伏せられた。片方だけのそれはウインクなのだろう。芝居がかってはいるが朗々とした声に見合う所作に、横須賀は小さく笑った。

「はい、有り難うございます」

「こちらこそ。では今度こそ、また土曜日に」

 微笑んで平塚が右手を振る。逡巡のち、横須賀もおずおずと手を振り返した。

 気付けばもう空は暗い。横須賀は冷めた弁当袋を持ち上げて、小さく息を吐いた。

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