x-1-2)少女の回顧(後)

「ハジメくん、お時間宜しいですか」

 少女の単調な声に、ハジメは顔を上げた。それから眉を下げて、いつものように笑う。

「うん、大丈夫」

「お爺様が休憩をと」

「有り難う」

 ハジメがちょうど一区切りとなった修繕を一度片づけると、椿も自身の終えていた本をまとめて重ねる。毎年毎年のことだから二人とも随分慣れてしまっていて、それらは別に示し合わせる必要もなかった。

 ハジメの祖母が用意したお茶菓子を、二人で縁側に座って食べる。ほこり臭い部屋にいるからか、いつもこの時間の晴れやかさがあまりにまぶしくて、ハジメは目を細める。

「ハジメくん、大学は家を出られるんですか」

「うん。去年話したけど、椿ちゃんが言ってた司書さん、いいかなって思って。勉強したいし、ええと、お金は出すから行きなさいって言ってもらえたし」

 ゆるゆる、とハジメが笑って答える。椿は眼鏡の奥の黒目を一瞬睫に隠し、それからいつものようにハジメを見上げる。

「じゃあアルバイトとお勉強でお忙しくなりますね」

「ううん、バイトはみっともないからしなくていいって言われたから、勉強だけかな。お金なら出すって」

「……アルバイト、が」

 椿は言葉を探し、結局見つからず半端な復唱となった。ハジメは椿の言葉に、へらりと笑う。

「確かに、俺が失敗したらあの人たちに面倒かけちゃうもんねぇ」

「そんなこと」

 椿の否定は、しかしそれ以上の言葉にならなかった。不思議そうにハジメが椿を見る。椿のまっすぐな瞳が一度だけ膝の上に落ち、それからもう一度ハジメに向く。

「ハジメくん、ひとつ、お願いをしても宜しいでしょうか」

 やけに神妙な改まった言葉に、ぱちくり、とハジメは瞬いた。


「なんか、凄く懐かしいね」

 背中に立つ少女に、ハジメはゆるゆると声をかける。はい、と小さく椿は返して、それからそっと櫛をハジメの頭に立てた。

 随分昔の記憶では痛かったような気がするが、今は少しくすぐったいだけでハジメは笑う。

「ハジメくんが家を出るなら、もう機会がないので」

「またフケが出てたかと思ってびっくりした」

「そんなことないです、すみません」

 平坦な調子だがそれでも少しあわてたようすで否定する椿に、大丈夫だよおとハジメはのんきに言葉を返す。

 椿の手が櫛を動かせば、するり、と髪の間を通っていく。

 もう、何も困ることはない。

「アルバイト、もしなさるなら学校でなさるのもいいかもしれませんね」

「学校?」

 ゆっくりと髪を梳く少女と、梳かれるがままの青年。昔のようなままごととは言い難い、しかしままごと以外に言葉の見つからないそれは単調な言葉のキャッチボールで繋げられる。

「研究所とか、教授の補佐とか。そういう形で学生が行えるアルバイトがあると聞いたことがあります。ハジメくんは調べ物が得意ですし、向いてそうかなとおもいまして」

「ああ、使ってもらえたら嬉しいね」

「ハジメくん」

 こぶも何もないのに、椿の手が止まる。ハジメはほんの少し首を動かして後ろを伺いみようとしたが、しかし自身の影でそれは叶わなかった。

 椿の目は、じっとハジメの髪を見ている。

「ハジメくんの青い鳥、見つかるといいですね」

「? 青い鳥は、家、じゃなかったっけ」

「それはチルチルミチルです」

「――? ごめん、その本は俺、知らないや」

「本ではありません」

 椿の言葉にしては随分遠回りで、ハジメは困ったように自身の手を撫でる。椿はきゅ、と口元を引き結び、それからゆっくりと息を吸って、吐いて、また吸った。

「ハジメくんの青い鳥です。チルチルミチルは家でしたが、青い鳥がどこにいるかなんてきっと決まっていないと思うんです」

「そっか」

「――たとえ家だとしても、きっとチルチルミチルの旅は必要で、家を出たときには確かに居なかったのではないでしょうか。だから」

 椿はそこで言葉を切った。だから。だからの先になにをつなげれば言葉を伝えられるのか、そもそもなにを伝えようとしたのか椿はよくわからなくなる。自身らしくないと思いながら、しかしそれは何一つ変わっていないのだと椿は理解していた。

 その考えが正解だというように、ハジメは相も変わらずおだやかに、おだやかに笑っている。

「椿ちゃんの青い鳥はもっと広いどこかにいるかもしれないね。でも、俺はね、いっぱい幸せだよ」

 子守歌のような優しい調子が響く。椿は唇を引き結び、再度櫛を動かす。

 椿よりも硬い髪は、しかしさらさらと櫛の間をすり抜ける。時々はねている癖毛すら、あっさりと。

「椿ちゃんから色々教わって、椿ちゃんのお爺様からも教わって、どんなかたちであれクラスメイトにはいっぱい声をかけてもらえたし、高校に入ってからは随分使ってもらいやすくもなった。横須賀、ってみんな呼んでくれるし、便利だなって言ってくれる。こうやって年に一回でも椿ちゃんたちと本の片付けが出来たし、ええとそれから」

 ぽろぽろとハジメが繰り返すのはすべてが感謝と幸せの言葉だ。そこに嘘はない。椿はよくわかっていた。よくわかっているから、無言で止まりそうになる櫛をなんどもなんども動かす。

「こうして考えても、本当俺は幸せ者だねぇ。有り難う椿ちゃん」

「私は別に」

「椿ちゃんが教えてくれたおかげで、俺ちょっとだけわかったこととかあったからさ。椿ちゃんは凄いよ」

 それはひどく純粋な賛辞だ。本当にひどく純粋すぎて、ひどい、という言葉が似合いすぎて、椿はほんの少し眉を下げる。

 喜んでいいのかどうかについて、椿は決める言葉を持たない。

「もしかして椿ちゃん、心配している? 俺まだまだだめだけど、でも、使ってもらえるの本当に多くなったんだよ。ああ、本の片付けに俺こっちに来ようか? いつも日にち決まってないけど、決めてくれれば――そうだ、もし、もしも大学でバイトできたら、携帯電話買うよ。前椿ちゃんが教えてくれた番号、ちゃんとメモしているし。ええと」

 椿を慰めようとするのか、それともいたたまれないのか。どちらにせよ落ち着かない様子で訥々と続く言葉は優しい理由だと椿にはわかる。

 幼かったあの日から、一年ごと。たまにしか会わない青年は、しかし残念なことにひどくわかりやすいままここにいる。

 髪を梳いてももうつっかえるものは何もない。言葉を使うことに悩む様子もない。

 身長だって随分大きくなった。椿は女子の中では真ん中程度だが、ハジメはハジメと並ぶ背丈があったら驚くくらいに大きい。

 それでも椿は、わかりやすいままの青年の背中に小さく息を落とす。

「連絡、お待ちしています」

「うん。俺なんかをつかってくれるところがあれば、だけど」

「ハジメくんが司書になったら、私はとても行きたいですよ」

「ありがとう」

 へらり、とハジメが笑う。髪を梳き終わった椿は、おしまいです、とその背中に小さく声を落とす。

「髪、有り難う」

「梳く必要ないくらい綺麗でしたので申し訳なかったですが……ゲン担ぎかなにかだと思ってください」

「うん」

 へらへらと笑うハジメを、椿はじっと見上げる。ハジメはあっさりその視線から外れて、また書庫に向かう。その背を椿は見上げ追う。

 椿は、ハジメが帰ってくると言わないことを知っている。青い鳥が居ると笑いながら、それどころかこれまでずっとハジメが帰ると言わなかったことに気づいている。

 気づいていながら、当時のようになにもわからず指摘することができないでいる。

 ハジメはいつも行くばかりだ。帰ることがない。大学に行けば変わるだろうか。変わってくれれば、とも思う。椿はたった年に一度しか会わない青年を変えることはできなかった。帰る場所なんて、なんて遠いものか。

 言葉はこう言うとき、すべてが無意味だ。理屈をこねた言葉よりも、おそらくは涙だとか感情で行えばいいような気もするが、椿は椿で泣くことは難しかった。 

 早足でハジメの横に並べば、ちらりと見下ろしてゆるゆると笑う顔と椿はかち合う。椿はその笑顔に笑い返すことが上手にできない。その笑顔に相応しい笑顔の作り方を、椿は知らない。

「大学で、たくさん見つけてくださいね」

「うん、たくさん勉強して、使ってもらえるように頑張るよ」

 椿の言葉に、ハジメはやっぱり笑顔で返した。

 椿はやっぱり表情の変わらない顔で、眼鏡の奥の瞳をほんの少し細めるだけだった。


 本だけがいつも綺麗に修繕されていく。


(閑話「少女の回顧」 了)

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