5-9)隙間

 扉を出た山田に続いて、外に出る。最後に中を確認しても当たり前だが何もいない。

「この地下は、狭すぎる」

 横須賀を見ないまま、山田がぽつりと呟いた。前を行く山田の表情は見えない。

「安置室と考えれば十二分な広さだろうが、地下病院の作りにしてはあまりに狭い。そもそも地下に秋をつれてきたと考えると異様だが――看護師にバレずに匿える程度の場所はある、ということだろう。それが見つかれば早いってだけだ」

 静かな言葉に、横須賀はジーパンを親指の爪で引っかいた。ポケットの固い縫い目に弾かれたそれは、音にはなりきらない。

「門、ですか」

「門か、箱か、……があるか」

「え?」

 最後の言葉が聞き取れなかった。横須賀の聞き返す声に山田は唇を引き結ぶ。

「すみません、なに」

 言葉を続ける前に、山田が扉を示した。先ほどと同じように確認するとのことだろう。横須賀も口を噤み、頷く。

 二つ目の安置室は、先ほどと同じように何もなかった。あったのはクトグアの紙で、やっぱり横須賀はその紙の文字を見ることがなかった。山田のポケットが、もういらないと言うように膨らむ。

 次に進むと隣にあるのは大きな扉で、リネン室、と書かれていた。

「リネン室なのに扉か」

 山田が眉をしかめて呟く。扉を押し開こうとするが、山田の身体は先に行かなかった。

「第二安置室、向かって右隣にリネン室。二枚扉。鍵までご丁寧に掛けている、以上」

 リネン室の扉は他の安置室と同じように中を見ることが出来ないようになっていた。故にそれ以上はどうしようもない。耳を扉に近づける山田の真似を横須賀もしたが、誰もいないからか音はなにもしなかった。扉の作りからして単純に音が漏れにくいのかもしれないが、この状態では横須賀にはわからない。

 すん、と横須賀は鼻を鳴らした。病院だからか、アルコールの臭いがする。以前来たときは気にならなかったが――そもそも叶子につれられるままだったし、そのあとの事の方があまりに、

(あれ)

 そこまで考えて、横須賀は首を傾げた。あまりに濃厚な香りは、部屋の中に充満していた。廊下を満たしたわけではない。

 意識しなかったとは言え廊下に香る理由がわからない。安置室にその臭いがあったわけではない。鞄のベルトの縫い目をなぞる。奥に進む左手側に部屋。右手側には壁。アルコールの臭いは右手側。

「やまださ、」

 第三安置室に山田が手を掛け、止めた。見上げる山田に、横須賀は寄り添うように立つ。

「壁からアルコールの臭い、が」

 それがなんだというのか。わからないが、しかし横須賀は言うしかなかった。山田の眉がひそめられ、口角が歪む。

 笑い損なったような形は一瞬だった。

「リネン室付近、前方の壁アルコール。……デカブツ、もし壁におかしなことがあったら逆側から院内に戻れ」

「え」

「警戒して損はないってことだ。開けるぞ」

 最後の言葉は黙れという意味だろう。横須賀は胸を押さえて頷いた。暗がり扉の隙間から叶子のあの笑顔が見えるようで、心臓が落ち着かない。山田の首に黒が絡む妄、緑の液体、叶子、黒。ぐるぐると巡る思考が、手のひらに心臓を作るように圧をもたらす。

 隙間から見えたのは、ストレッチャー。山田の肩が強ばり――ぐん、と扉が開いた。

「秋、くん」

 声の先、部屋の中央。管も何も付いていない赤月秋が、もうひとつのストレッチャーの上に裸で横たわっていた。

 見渡す。色薬や黒は見えない。他に人もいない。第一、第二安置室よりは広い第三安置室だが、あたりまえに医療器具は見つからない。そもそも夏とは言え患者を裸で放置していいような場所でもないだろう。ざ、とノイズが入る。

『異常はないか』

「秋君が裸で、寝てます」

『……他に』

 リンの言葉で横須賀はもう一度あたりを見渡す。むせかえるような香りも、この部屋にはアルコールの香りもしない。

『いやいい、それより』

 少し奇妙な空白が空いた。音はない。

『なんでもない、以上』

 音が切れる。理由を思考するよりも先に、山田が秋が乗せられたストレッチャーに手を触れる。通常布地が掛けられるだろうに、それもない。膨らんだ腹が上下するのを見て、生きていることだけがかろうじてわかる。

 どうすればいいかわからず、しかし扉で待つには落ち着かなかった。先ほどから考えれば同じようにすべきなのだろうが、山田は秋を見ていて指示はない。

 鞄のベルトが捻れる。一歩横須賀は内側に入った。制止はない。

「秋君」

 山田が名前を呼ぶ。目を覚ます様子はない。ぽこりと膨らんだ腹に、胸の内がざわつく。近くに居てなにが出来るわけではないが、しかし瞼の裏に浮かぶ妄が横須賀の背を押した。

 山田が人差し指と中指、薬指を揃えて、秋の手首に触れる。

「赤月秋。裸体で第三安置室中央ストレッチャーの上に仰臥位ぎょうがいで放置。呼吸有、脈は正常。意識無し」

 言いながら山田が空いている左手を秋の頭に添える。短い髪を生え際からゆっくり触り、そのまま頭を撫でるようにして透く。

「フケ無し、衛生状態は良好」

 山田の右手が手首から移動する。小さな秋の手を細い指が包むようにして覆い隠す。握るには足りず、しかし乗せたというには意図があるようだった。隣からのぞき込むようにして所作を眺める。

 並んだ横須賀を山田は一瞥したが、何も言わなかった。襟から覗く首筋と膨らんだ腹が、手のひらを騒ぎ立てる。

「外傷無し」

 左手が瞼に触れる。山田の右手にはなにも反応が無い。

 瞼がごろり、と動いた。左手が瞼をめくり、

 ――黒が、跳ねた。

「っ」

 反射で横須賀が山田の右手を掴み引く。左手の平が心臓になったようにバクバクと拍動した。呼吸が犬のように浅く繰り返される。喉がひきつる。

 自分の瞼が痙攣する。内側からあの黒が巡り眼球が潰れる妄が手を湿らせる。

 名前を呼ぼうにもひゅ、ひゅ、ひゅ、と細い吸気ばかりが形になる。握った左手で拍動するのが自分だけのようで怖い。山田は何も言わない。

 名前。名前、を。

「だ、さ」

 ひきつった声が漏れた。形になりきらない名前。山田はじっと視線を秋に向けている。動かない。

『どうした』

 リンの低い声が響く。ごぼり、とあの腹が動いたようで、横須賀は更に山田を引き寄せた。

『落ち着け。息を吐け』

 はくはくと喘ぎながら、言葉に従って息を吐く。瞼を閉じた今、黒いあれは出てこない。もしかすると恐ろしさにおびえた妄想がおかしなものを見せたのではないだろうかと思えるくらい、外に出る物は何もない。

 けれど山田の手を固く握っているのに、山田は何も言わない。殴りもしない。だからきっと、妄想ではない。

 秋の目があるはずの場所にはうろのようにぽっかりとした黒があり、瞼の裏を触手のように黒い糸が這っていた。

「秋くんの目の中、に、黒いの、が」

『出てきたのか』

「出てきたんじゃ、なくて、瞼をめくって、今は無く、て」

『落ち着け、外には出てないんだろう』

「で、も、秋くん」

 言いながらも横須賀はどうすればいいかわからず動けない。瞼の裏にあれがある。脈はあると山田が言った。呼吸も。

 でも、目の中。あの中を黒が満ちていて、それでどうして、

「どうすれば、あれ、中から、」

 ださなきゃ。漏れ落ちた呟きに、手がぐんと下に向かって引かれた。え、とそちらを追うように横須賀が視線を向けると、山田の白い顔がある。

「山田さ、」

「諦めろ」

 はっきりとした言い切りに、ひゅ、と喉が鳴った。頭の中で肉塊がごぼりと変形する。息苦しさで秋を見れば、秋はまだ変形していない。

 まだ。

「どういう状況かはわからねぇが俺たちにはまだアレへの対応方法がない。来る前に話した通り新山は移動先を狙うだろうからまだ死ぬことはないだろうが、ああなってどうにかできる方法も浮かばないし、その為に調査を切り替える事は出来ない」

 静かに山田が告げる。横須賀が動き出さないように握る手が、横須賀の手の中の心臓と重なる。横須賀ははくりと口を開け、しかし言葉を出せずに喘ぐように呼吸をしただけだった。

「テメェに任せるのは新山のガキだ。俺は、俺の目的のためにコイツを捨てろと言っている。命令だ」

 区切るようにして山田が言う。でも。そう声に出そうとして、横須賀は歪んだ顔を更にぎゅっとしかめた。

「聞けないなら帰れ。お前は、いい」

「行きません」

 横須賀が断じ、山田が手の力を緩める。山田を押さえようと握っていた手をそれに従うように横須賀は離した。強く握ったせいで白い手を山田が軽く握っては開く所作で直し、秋を見る。

 秋は目を覚まさない。

「……もし可能なら本かノート。見ただろうお前」

 山田の呟きに横須賀が小さく「え」と声を漏らした。山田は横須賀を見ていない。

「呪文」

 唇の動きが小さく、最低限で落とされた声はかろうじて横須賀の耳に届いた。こくり、と横須賀は頷き――山田が見ていないのであわてて口を開く。

「み、ました」

「おんなじようなものがあればそれを。新山のガキが優先だが、もし、もしも偶然見つけたらそうしろ」

「はい」

 山田が息を吐いた。秋のストレッチャーがある足下にしゃがみ指先で床を撫でる。なにもない床を見る山田の背に落ち着かずそばに行こうとすると、扉を指し示された。

 今更のようだが指示に従う。ただ、秋の中からいつあの黒がこぼれるのか、下を見るためにさらしたその首筋にまた黒が伸びないのか不安で、後ろ歩きのような形で横須賀は動いた。

「秋、眼孔に『落とし子』有。口内未確認、外部に流出無し。秋のいるストレッチャー下の床、視認及び手で触った感覚では異常無し」

 おとしご。震える手で鞄の外側にあるポケットに手を入れる。手探りで見つけた付箋に短い手帳用のペンで書き殴った。名前を書いて何になるわけでもないが、横須賀にとってそれが出来る唯一だ。

 山田が立ち上がる。壁を確認しに動いたので、秋から少し離れる形になった。そこまですればあとは調べる物もさほど多くないだろう。安堵し、扉に向き直る。閉まっていた扉を薄く開けようと手を掛け――

「っ」

 大きくて真っ黒い夜色の瞳が、扉の隙間から横須賀を見上げ微笑んだ。

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