5-4)みず

 夜のバーだというのに、誰もいない。夕方の仕事終わりにそのまま来るので半端な時間だからか、それともリンが山田に合わせて営業しているからなのだろうか。どちらにせよ、真偽は不明だ。階段を上る前にある小さな看板には不定休と書かれているので、理由はどうであれ貸し切ることに問題はないのかもしれない。

 先日の事件が明けても山田は新しい仕事を請け負っておらず、死体部屋の整理や与えられた書類のまとめしか横須賀はしていない。どう聞けばいいのかも後悔を口に出す先もわからずそのままにしていた横須賀は、山田がバーの奥に進むのを見て鞄のベルトを握りしめた。

「さっきの資料とペン出せ」

 いつものカウンター席ではなく、山田がテーブル席に座りながら短く命じる。同じように椅子に座ると、鞄を膝の上に載せて横須賀はファイルを取り出した。

 事務所で受け取った資料はA3用紙二枚、A4用紙三枚。並べ広げ、ペンを持ち手が山田の方に向くように置く。ボールペン、蛍光ペンに加えて念のため付箋もそばに。

「テメェはメモしなくていい」

「はい」

 横須賀はどちらかというとメモを持っている方が落ち着くのだが、山田の言葉に素直に頷いた。山田は交渉相手などについてはよく見るように言うが、自身の発言の時にはメモを不要とすることが多いと最近なんとなくわかってきた。

 しかし、わかったところで落ち着かないことに変わりはない。横須賀は鞄を足下に下ろすと、両手を膝の上で擦るようにして握った。

「横ちゃん、飲み物どうする? お酒以外もあるわよ」

「あ、えっと、おみずを」

「はぁい」

 カウンターからリンが微笑んで、氷を鳴らす。山田には聞かない。山田も聞かれないことが当然だと考えているのだろう。今日が仕事の延長だからではなく、以前言っていたように山田は一滴も酒を飲まないからだ。

 水ばかりでお茶を飲まないのは不思議だが、事務所に茶葉がないしわざわざ聞くほどでもないので横須賀はそういうものだと思っている。

「ここんとこ慌ただしいが、これで仕舞いにする」

 リンが水をふたつテーブルに運びきったところで、山田がはっきりと告げた。サングラス故にその瞳がどこを向いているかはわかりづらいが、山田の姿勢、語調から横須賀は見据えられた心地になる。見返した黒に映る自身の顔は、なにもわからないというような表情をしていた。

 そう。実際のところ、横須賀はなにもわかっていない。故に当然とも言える表情だったが、そんな自身から視線を逸らすように横須賀は紙を見下ろした。新山病院の見取り図と、外観。そして赤月秋の病状についてかかれた資料。手術の日程は、明後日。

「色薬についてわかっていることはさほど無い。副作用が出ること、あれが人間を入れ物にした液体であること。透明な水はそうそう運べないとのことだからおそらく土地が起因。適切な入れ物に入れて色を付けて運んでいる。現状把握できるのはこの程度で、正直さほど興味はない。利用しない物を調べても意味がないし、土地起因ならこっちで起きることはさほど無いはずだからだ。けれども、だからこそ問題がある」

 こつん。山田がペンでテーブルを鳴らした。紙の上に立てられたボールペンは、ペン先が引っ込んでいる。紙をなぞることなくくるりと山田の手の内で回ったペンは、そのまま山田の顔の前まで持ち上げられた。自然、横須賀はペンを追うようにして山田を見る。

「赤月がなんらかの形で被害者に飲ませたもの。副作用も治癒も結果がでていることから色薬だろうとは推測できる。水を飲ませたんじゃない。色薬を飲ませた。若草も同じだ。色がほとんど消えていた――この理由は不確かだがひとまずそれはおいといて、とにかく準備として薬を飲ませている。副作用らしい副作用が判明していないのと治療の効果が見えないが、それでも過去に薬だったものだろう。透明な水も、色薬も、巡り巡れば次になる。新山は色薬を最低でも緑と黄色を所持していて、薬に変える方法も持っている。その法則だって俺よりよほどわかっているだろうに、なぜ赤月の息子を選んだか、だ」

 浮かぶのは、緑。そして叶子の剥がれた爪。薬を運ぶ姿。山田の言葉をなぞっても、するすると滑ってしまう。淀みない言葉は流れるようで、横須賀の思考は追いつかない。ただ映像だけがぐるりと巡る。

「こちらが知り得る中で水から変えたケースは、秋山の件だけだ。そして秋山に関しては、他人がコントロールしたものだと確実に言える。孫を餌にクズみたいな儀式を利用した。ものを作ることと、水を利用することを同時にこなしたことから考えるに、水から薬を作る為の器は『症状を持つもの』と仮定できる」

 山田が左手で病状が書かれた紙を中心に滑らせる。ペンがこつりと赤月という文字を示す。

「赤月はあいつらに金を出した訳じゃない。あの金回りから考えてむしろあいつらのおかげでマシになった方だろうな。母子家庭、子供が難病。赤月にとっては奇跡のような恵みだったとも言える。だからこそ、その恵みには理由があるはずだ」

 ペンがそのまま脳の断面資料を指した。脳のイラストに点在する印がなにかということは、下に記された文字が全てを語っていた。

「恵みの理由を、副作用によるデメリットの除外と考えるのには足り無すぎる。色薬の副作用によるデメリットは大きいが、それでも赤月はあそこまでやってのけた。俺たちに接触するまで、赤月は隠れ仰せることが出来ていたんだ。赤月にメリットが多すぎる理由は単純明快、秋がそもそも入れ物に相応しかったと見るのが自然だ。単純に都合のいいカモがやってきたってことだろうな」

 山田がそこでペンを走らせていた資料を横に置いた。次に置かれたのは、手術の日程と概要の記載された資料。担当に新山の文字。

「それなりに調べたがどう考えても慈善事業をするような連中じゃねぇのは確実だ。おそらく、赤月の死についても速まっただけで予定通りだったろうな。赤月がいたら秋に何かあったときリスクが高すぎる」

 横須賀の手が固く握りしめられる。眉間に寄った皺を見て、山田がペンでテーブルを叩いた。

 横須賀がはっとしたようにペン先を見る。ペンの下にはテーブルだけで、示すものはなにも無い。

「テメェがどうしようと変わらなかった」

 先ほどまでの流れるような言葉と違い、横須賀を杭打つような区切るような声に横須賀は指先を強く握る。は、と吐き捨てられた息は粗野な音で、横須賀は身体をすくめた。

「ガキがテメェを気に入っている事は確かだろうが、それ以外にはなにもない。あの様子とお前の話を総合して、おそらくなにも考えちゃいないだろうな。褒めてもらうためだけにやっている、道理も道徳も欠如した子供だ」

 いいこ、と叶子は言っていた。いい子、叶える子。まるでそれが一等大切なことのように、特別なことのように。そうであることが誇らしいと言うように。

 渇望したのは、父親の目。父親の声。そして父を想うように、神を思う。

「叶子ちゃん、は」

「やってることは殺人と変わりないが、判断能力があると考えるのは厳しいだろうな。新山に利用されている。だからこそ、今が時だ」

 ペン先が机から離れ、山田の身体側に引かれる。そのまま先が山田の手のひらに隠されるようにして水平に持ち直された。隠していた中指がペンの腹の下に潜り込むと、弾くようにしてペンの頭がくん、と上を向いた。

「どこまでお前に懐いているかはわからないが、引きずってでも連れていけ」

「え」

 ペンを追うようにして動いていた視線が、山田の言葉に引っ張り上げられるように持ち上がる。顔を上げた横須賀を、山田は伸びた姿勢で見据えた。

「あの異常な行動をガキはなんの躊躇いも無くやっている。今はまだ新山の指示を受けた延長だが、当たり前のように自分のものとして使っているのも事実だ。全部自己判断になったらもうどうしようもないが――今はまだ、お前を見てる。話を聞いて理解まではしなくても、自分の判断で行動したことに対してなら中断することもわかった」

 山田のサングラスから、首元に視線を動かす。するりとしたきれいな首には、まだ鬱血の痕が薄く残っている。

 横須賀がいじめられていると思って行ったことは確かに横須賀の言葉で止まった。しかし、すんなり止まったわけでもない。

「説得はあとでいい。お前の体格ならあのガキくらいは持ち上げて逃げられるだろう。無理ならそのままでいいが、可能なら連れていったほうが無難だ。化け物が出てくる場所がひとつ減る」

 山田がアイロンのきいた襟をネクタイと一緒に持ち上げるようにして少し直した。元々乱れはほとんどなかったのだが、結果鬱血の痕が影に隠れる。

「命じる側から一度離せば、あとはどうだってなる。なにも考えんじゃねぇぞ」

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