5-2)ツカサ

「リンさ、ん?」

「正解。でもこの格好には似合わないからさ、ツカサって呼んでくれ」

 パチン、とウィンクをしてみせたリンに横須賀は頷いた。長い睫が自然と重なる様は、以前見た表情と重なる。リンだ、という確信を横須賀はするりと受け入れた。

 そうしてからややあって、ああ、と納得の声を漏らす。

「太宰だから、ツカサなんですね」

 太宰の宰は、つかさどる、という意味がある。そう言えばあの字は料理をする人という意味もあった。リンさんに似合うなぁなどとのんびり横須賀が思考を巡らせていると、リンは笑顔のままゆっくりと飯塚の方を向いた。

 その所作が少し固いものに見えて、横須賀はきょとりと瞬く。しかめられた眉とひきつった笑みは、普段のリンからはあまり想像できないものだ。リンの切れ長の瞳が、飯塚を責めるように見据える。

「……飯塚先生?」

「うん」

「いやまあ俺はいいですけどね? 俺だけですよね?」

「うん」

 笑顔のまま頷く飯塚に、大きくリンは息を吐いた。ため息と言って間違いはないだろう音に飯塚は怯むことなく、相変わらず笑っている。

「信用しますよ?」

「信頼してほしいねぇ」

 にこにこと返され、リンは右手でこめかみを押さえ俯いた。飯塚は相変わらず穏やかで、二人の表情はかみ合っていない。

 どうしていいかわからず、横須賀は二人を座ったまま見比べる。ややあってリンはこめかみを中指の腹で強く押した。

 そのまま三度ほど中指で押すように叩き、呼吸を二度ほど繰り返す。そうしてからリンは改めて飯塚に向き直った。

「電話で聞きましたが、横についてなんか他にあります?」

「んー、すごくきれい。あとね、さっきも言ったけど、アレじゃないよ。剥けちゃってる方もみたけど、やり口が違うし、そもそも結論は一応出ていたしね。残念ながら、違うよ。それは変わらない」

「まあ、それは、わかってます。俺よりよほど」

 もごり、と珍しくリンが歯切れ悪く答えた。うん、ともう一度飯塚が頷く。

「きっと私よりもよほど、ね」

 二人の言葉がそこで途切れた。飯塚の視線は向かって左下に落ちている。微笑んでいると言うより笑みが残ったままというような表情は、静かだ。対するリンは眉間に皺を寄せており、視線は飯塚とも横須賀ともかち合わない。

 挟む言葉を持たず横須賀が二人を伺い見ていると、ややあってリンは耳の前に流れていた髪を掻くようにして後ろにやった。

「まあ横が無事ならいいんです、有り難うございます先生」

「うん、君達のお友達に大事がなくてよかったよ」

 飯塚の言葉に、横須賀はびくりと身体を竦めた。ぎゅ、と縮こまっているのでリンの顔は見れないが、髪の落ちる音で視線を感じる。

「あー……友人じゃなくて雇い主と雇われ人ですよ。友人な訳無いでしょう」

「おともだちだよ」

 リンの否定に、飯塚ははっきりと言葉を重ねた。いや、とどこか戸惑ったようにリンは言葉を探す。

「仕事相手です。少なくともアイツにとっては」

「おともだちはね、作ろうと思わなくても出来ちゃうんだよ。ご縁だねぇ」

 穏やかに飯塚は言い切る。リンはしばらく視線をさまよわせると、突然はたりと飯塚を見下ろした。

「ていうかもしかしてそれ根拠で太宰ですか」

「うん?」

「一応太宰関係じゃないから、俺個人ですよ。ツカサって言ったはずですが」

 声のトーンを落として言ったリンに、飯塚は「うん」と頷いた。

「この仕事はね、太宰さんだよ」

 頷いたが、言葉ははっきりとしたものだった。それ以外を認めないような言葉でもある。

 リンが眉をしかめながら頭を抱えるように押さえた。しばらくして、大きなため息が響く。

「ツカサ、ってことにしてるんです」

「間違っていないと思うよ」

「ええ、俺にとっても先生にとっても太宰ですけど、でも一応、です」

 リンが少し疲れを声に乗せて小さく呟いた。飯塚は頷かない。次にリンが吐き出したため息は、少し小さかった。

「先生、本当に俺だけですよね?」

「一応太宰さんだけどツカサ君とは思っているよ。だから、太宰さん」

「信じますからね」

 念を押すようにリンが低い声で言う。信頼してね、と飯塚は先ほどと同じように返した。

 マイペースな飯塚の調子はある意味いつものことなのだろう。仕切り直しというようにリンは頭を横に振った。長い髪がしっぽのように揺れる。

「一応横は問題ないとのことですし、連れて帰ります。夜分に有り難うございました」

「うん、ちょっと眠いねぇ」

 にこにこと飯塚が答える。しかめられていたリンの表情が、少し緩んだ。

「すみません、お礼は色つけときますから」

「お金はいつも通りでいいよ。今回の、わかったら教えてね」

 眠気覚まし。そう言葉を続けられて、緩んだ表情が再び強ばる。ね、と声を重ねる飯塚の表情は穏やかなままだ。

「モノについて調べるのはこっちの仕事ですし、飯塚さんは忘れてよく寝てくだされば大丈夫ですよ」

「今更そういうこと言うの? ちょっとひどいなぁ」

 にこにこにこ。飯塚はあくまで笑顔のままだ。リンは視線を逸らし、こめかみを中指の腹で押す。

「呼び出しといてなんですけど、あまりそういうのはちょっと」

「うん」

「すみません」

「うん、信頼がだめなら信用でもまあいいや。しかたないね。私はなにも言えない、のはあるからね。うん」

 枕を濡らしておくよ、と飯塚が笑う。リンの視線が左下から左上、そうして瞼に隠れた。

「有り難うございます。十分助かりました」

「うん、よかった。本当久しぶりだったけど、必要があればもっと声をかけてね。……必要ないのが一番だろうけれど」

 飯塚の言葉に、リンは曖昧に笑って答えなかった。飯塚は襟口のボタンを押すようにして整え直すと、うん、ともう一度頷いた。

「話していておかしい感じはなかったけど、私が見たのは皮膚だけだからね。心の方は他で確認した方がいいと思う。随分落ち着いた子みたいだし大丈夫だとは思うけれど」

「本人と相談しながら、にします。ちょっと異常はあったみたいなんですが、こればっかりはなんとも言えませんし」

「うん、そうか」

 飯塚がそれだけ答えて、横須賀に向き直った。横須賀も飯塚を見る。

 黒髪にところどころ白髪まじりの飯塚は、柔和な笑みがよく馴染んでいた。歳自体は外見からすると五十代後半だろうか。ゆったりとした態度はその外見に似合っているが、眼鏡の奥の瞳がどこをみているのか、時々わからなくなりそうになる。

「私はなにも言えないけど、君はきっとそうじゃないからね」

「え?」

「お大事に、ってことだよ」

 笑った飯塚の言葉は、先の言葉とはまるで関係がないように聞こえた。お大事に、という言葉を意味するには遠い言葉を、もう一度なぞろうと横須賀は瞬く。咀嚼するようなその瞬きを、飯塚はやはり笑顔で見つめていた。

「横」

「あ、え、あ、すみません、ありがとうございました」

 リンの言葉で、横須賀は慌てて頭を下げた。リンが後ろで笑う。

「すみません飯塚先生。部屋はこのままで大丈夫です。片付けておきます」

「うん。またね、ツカサ君、横須賀君」

「ありがとう、ございました」

 立ち上がり鞄をかけ直していた横須賀が、改めて飯塚に向かって頭を下げた。うんうん、と頷く飯塚は、やはりどこかすがしみるように横須賀を見ている。

 落ち着かなさに鞄の紐を握ると、リンが横須賀の腕を押した。

「それじゃあ、失礼します」

「うん、またね」

 ばいばい、と右手を振る飯塚に横須賀は頭を下げる。そうして押されるまま、扉を出た。

 振り返るのも間に合わず、扉が閉まる。きっとね、という言葉が、その向こうに消えた。

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