第五話 こども

謎《せいぎ》を、追え。

5-1)飯塚

「ん、これでお仕舞いかな」

「有り難うございます」

 穏やかな医師の言葉に、横須賀は座ったまま慌てて頭を下げた。大きな体を縮こませるような横須賀の態度に、医師は目を細める。

「まあ私はなにもしていないけどねぇ。綺麗な状態だよ、綺麗すぎるくらいだ。一応残っていた膿とか皮膚は採取したってだけで、これじゃあ治療って感じじゃないよねぇ」

 ゆっくり、間延びするような声で医師は笑ってみせる。横須賀はどう返せばいいかわからず、結局もう一度頭を下げた。

「夜分に、お時間をおかけしまし、た」

「いいのいいの。ダザイさんところには長くお世話になっているしね」

 きにしない、きにしない。穏やかに繰り返した医師は、横須賀をすがしみるように座ったまま見上げていた。ダザイ。ある意味では知っているが知人としては知らない名字を内側でなぞる。

「ダザイ、って、太宰治のダザイ、ですか」

「他の字は私も知らないねぇ。……多分もうちょっとかな。まってて、お茶を入れるよ」

「え、あ、いえそんな」

「きにしない、きにしない」

 笑いながら医師が立ち上がる。私服である医師には名札がないので、名前はわからない。

 世話になっているとのことなのだからおそらく彼の名前が太宰という訳ではないはずだ。他に名前、と考えると、来るときに山田が言った『リンの知り合い』という言葉が浮かぶ。

「あー、そういえばお茶でよかった? コーヒーの方がよかったかな」

「いえ! いただけるだけで有り難い、です」

「よかった。はい、パックのだけど」

「有り難うございます」

 差し出された湯飲みを両手で受け取り、横須賀は一口だけ含んだ。口に広がる茶葉の香りを喉に流し込めば、胃の中がじーんと熱を持つ。

 胃を押さえるように膝の上で湯飲みを持つと、医師はローラーの付いた小さな台を転がして横須賀の隣に置いた。

「ここ置いていいからね。迎えが来るまで待ってて」

「あの、山田さん、は」

 医師の言葉を受けて湯飲みを台に置くと、横須賀は落ち着かない心地で尋ねた。医師は細い目で瞬くと、ああ、と呟いた後うんうんと頷いた。

「あの子は火傷も左手だけだったしね、簡単に処置したよ。首はうん、時間が立てば痕は引く。一応塗り薬も出しておいた。貼付薬はあの子使わないんだよねぇ」

 難しいねぇと笑う医師に首肯していいのか悩みつつ、頷くとも首を傾げるとも言いづらいような形で小さく横須賀は揺れた。そうしてから、もう一度視線を室内に巡らせる。

 綺麗に整った部屋は、病院と言うよりも休憩室のようだった。医師の足下には黒い革製のアタッシュケース。

「あの子のお友達になにもなくてよかったよ」

 言葉に、横須賀は顔を上げた。おともだち。文字をなぞり、首を傾げる。浮かぶのは一人だ。ただ山田からなにも聞いていなかったため、唐突にも感じられた。

「リンさんになにかあったんですか?」

「リンさん?」

 医師がきょとりと繰り返す。きょとり、ぱちぱち。二人でしばし同じように瞬いて、それから医師は「ああ」と声を上げた。

「違う違う。君のことだよ」

 苦笑しながら手を左右に振って否定を示され、もう一度横須賀は瞬いた。

「きみ」

「今更だけどはじめまして。横須賀君、だったね。ああ私の名前を教えていなかったよね。私は飯塚と言います」

「あ、はじめまして」

 頭を下げた飯塚に、横須賀は慌てて頭を下げ返した。そうしてからもう一度、きみ、と口の中で呟く。

 しばしの間。唐突に横須賀は顔を上げた。

「え、あ、ちが、俺、雇われて、ます!」

 慌てた横須賀の言葉に、飯塚が目を丸くする。あのそのといいながら名刺を慌てて取り出すのまで確認して、飯塚は破顔した。

「そんな困らなくても、大丈夫、大丈夫。友情に歳の差は関係ないものさ。随分若いみたいだけれど君みたいな子が一緒ならうれしいねぇ。そういえば歳はいくつだい」

「いえその、俺雇われている、だけで、その……ええと歳は二十、二、と、今年で、二十三、です」

 しゅるる、と丸い背を更に丸めて横須賀は答えた。取り出したものの半端に差し出すことも出来なくなり、名刺が所在なく浮かぶ。

「……九十三年生まれ?」

 細い節ばった指が、名刺を摘んだ。そのまま離せば、机の上に乗せられる。一瞬なんのことかわからず答えかねた横須賀は、横に置いた鞄に手を伸ばしかけ、止めた。

「は、い。九十三年、です」

「そうか。……そうかぁ」

 繰り返す言葉は、先ほどよりじんわりとしたものだった。どう答えていいかわからない横須賀を、飯塚はまぶしそうに見つめる。

「こんなに大きくなるんだねぇ」

「え?」

「そりゃ私も歳をとるわけだ。うん。ご縁だね、ご縁」

 眉を下げたまま笑う飯塚に、横須賀は俯いた。慣れない視線と、どこから聞けばいいかわからない言葉に戸惑う。右手で左手の指先をさわりながら、出来ることは結局黙すだけだ。

「ご縁だね」

 もう一度、飯塚が呟く。こっそり伺うように飯塚の方を見ると微笑み返され、横須賀は身を竦めた。

「あの、山田さん、は」

「うん」

 優しい相づちに、しかし横須賀はまた言葉を失った。聞いていいのかわからない。雑談になるのか、それとも失礼になるのかもわからない。

「今どちらに」

 結局続けた言葉は当たり障りのない物だ。うん、ともう一度頷いて、飯塚は視線を扉に向けた。

「やることがあるって言っていたよ。先に帰ったんだと思う。もうちょっと様子見たかったけど仕方ないねぇ。お迎えは太宰さんだよ」

「だざいさん」

 繰り返せば、飯塚が頷く。迎えという言葉は随分浮いているが、心当たりはやはり一人しかいない。

「リンさん、ですか?」

「リンさんの方じゃないと思うよ。電話で聞いた分にはそういう声じゃなかったし」

「えっと」

 ずず、と飯塚がお茶を飲む。どういうことだろうか。山田は帰宅して、迎えに来る人物もリンでない、といわれてしまうと、横須賀には見当がつかなくなる。

 あのあとレンタカーを返してこの場所まで連れてきた人物はリンのツテだと山田が言っていた。名前は聞いていないが、どちらかが太宰だったのだろうか。彼らと山田のやりとり自体ほとんどなかったので、考えようにも材料がなさ過ぎる。

「お茶」

「え」

「冷めちゃったかな」

「え、いえ」

「私のもぬるくなってきたしねぇ。小さい湯飲みは冷めやすいよねえ」

 にこにこと言葉を重ねられ、横須賀は台に置いた湯飲みを手に持った。確かに湯気はなくなっているが、別に熱くてもぬるくても横須賀は気にしない性質だ。

「変えようか」

「いえ、冷めても、おいしいです」

 慌てて横須賀が口を付けて言うと、飯塚は小さく笑った。

「そうだね、夜とはいえこの時期じゃ冷茶でもよかったかもねぇ」

「あ、あたたかいのもおいしかったです」

「大丈夫、そんな心配しないでいいよ」

 くすくすと笑いながら、飯塚は最後を飲み干すように湯飲みをあおった。こくり、と横須賀ももう一口流し込む。じゅわり。熱くない為か、先ほどよりも胃は熱を持たない。

 そのかわり水が喉を少しだけふさぐ。

「ん、おかわりはいらなそうだね」

「?」

 言葉に横須賀は飯塚の視線を追いかけた。その先は扉で、気づくと微かに足音が響いている。

「横須賀君」

 その言葉は、それまでよりもひとつだけ何かが違った。扉から飯塚に視線を動かし、理由を悟る。

 笑っていない。いつの間にか横須賀を見上げていた飯塚は静かだった。怒っているわけでもなく、ただ真っ直ぐと横須賀を見つめている。

「君は君が無事であることを考えなさい」

「え」

 言葉の意味をなぞる前に、ノック音が響いた。飯塚の視線はあっさりと扉に戻る。

「どうぞ」

「失礼します」

 声と共に扉が開いた。横須賀ほどではないものの随分と長身の男が、横須賀を見て眉を下げる。

「横、よかった。電話で聞いてはいたけど思ったより元気そうで」

 は、と笑う男は、レンタカーなどで世話になった人たちとは違う。見知らぬ顔に横須賀は瞬いた。

 親しげに近づく男を座ったまま見上げる。ゆるく巻きが長髪をひとつにまとめているせいか、どちらかというと中性的な雰囲気だ。向かって左側から分けられた前髪は少し長いが、綺麗に流されていてその端正な顔を隠すことはない。長いまつげの下黒目がちの瞳はおだやかで、すっと通った鼻筋と優しい口元は、美醜に疎い横須賀でも綺麗な顔立ちだとわかる。

 だからこそなじみのない顔に、横須賀は首を傾げかけ――ああ、と男が笑ったことでその角度が半端に止まった。なんとなくその笑顔には見覚えがあり、しかし名前は出てこない。

 男が大股で横須賀に近づいて、その顔をのぞき込んだ。

「そんないぶかしがらないでくれよ、横。……横ちゃん、って言えばわかるかしら?」

 男の言葉に、あ、と横須賀は間の抜けた声を漏らした。

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