3-16)罪悪

 山田の言葉が、かんなの芯を打ち据えた。杭で刺されるように、体が動かなくなる。震える体と揺れる瞳は、しかし山田からそらすことを許されない。

「二十六年前。貴方が見たことを話してください。このまま失敗でも私は別に構いませんが、多少はなにかできるかもしれないでしょう」

「できるわけ……」

 それ以上言葉にならなかった。かんなの瞳にみるみると水が浮かぶ。ひ、とひきつった声が漏れる。強ばったかんなを見据える山田は相変わらず真っ直ぐと背筋を伸ばしていて、崩れ落ちそうなかんなと対照的だ。

「こんな、わたし、なんでまた、だめ、だめなの、に」

 ひ、ひ、ひ。奇妙な音を山田は笑わない。隣に立つ横須賀は鞄の紐を握ったままかんなを見つめている。サングラスの山田は貫くようで、三白眼の横須賀は縋るようで、そのあべこべさをしかしかんなは見ることが出来ない。

 水たまりで歪んだ視界は、最悪を映し出す。

「だめ、美幸がいない、と、わたしは」

「テメェの罪悪をガキに押しつけるな」

 山田の声が遠くに聞こえる。正論で殴るような言葉も、水の中では遠い。知らないくせに。そういう反論すら音にならず、かんなは唇をかんだ。ひきつった息はそれでも止まらない。

「どうあがこうが儀式はもう不完全だ。アンタだって望んでいたはずだ。被害者面したってアンタも共犯者だ」

「ちが」

「違わない。代田大樹を止めなかったのが一点、俺たちを止めなかったのが一点、報告しないで自分だけで見ていたあたりもわかりやすい一点」

 静かに、しかし言い聞かせるように少し強い声で山田が言葉を続ける。ゆっくりとした指摘にかんなはかぶりを振った。いやいやとだだをこねるような幼い所作は、浮かんでいた涙を溢れさせる。

 黒が来る。それをかんなは望んでいない。

「アンタは娘にノートを残した。そのときもまだ決断できていなかった。クソみたいな内容だけじゃない。アンタは戸惑っていた。けれどもそこから結局儀式の時には決意していた。俺はそういう奴を助けようとは思わない。そりゃ決意した奴を説得するなんて馬鹿馬鹿しいからな。人間腹括った奴ほど面倒なことはない。そういう意味ではアンタは向こう側だった。けれども見捨てきれなかったアンタを、その神がどう思うか」

「成功さえすれば関係ないわよ、あんなもの!!」

 ひきつった声でかんなが叫ぶ。涙はぼろぼろと零れ、夜がずっと黒の波を見せる。

 山田が、ゆっくりと笑った。

「あんなもの、ね。知能のない神に信仰なんて無意味だと思いませんか。いや、既に思っているのか。ただ過ぎ去るのを待つ、厄災。厄日。今日の日付をなかったことにするようにカレンダーを破り、被害者顔でおしまいを待つ。その癖失敗をおそれている。なにもないことを貴方は望んでいるはずだ。残念ながら貴方が思う以上に貴方は執着が強い。娘も夫も望んで、その癖義務感で間違えている。馬鹿馬鹿しい」

「それでも私は!」

 続ける言葉を持たないまま、かんなは叫び――その続かない言葉すらも打ち砕くような勢いで、がつん、と石のぶつかる音が響いた。

 山田の手が石像に当てられている。その手にあるなにかで石を殴ったのはわかったものの、それ以上はかんなにはわからない。

 かんなの言葉がそれ以上ないのを確認するように首肯した山田は、石に打ち付けただろうなにかを手の内で転がしながら見下ろした。

「勘違いのないように言っておきますが、儀式を壊すのは私ですよ」

 面倒臭いとでも言いたげな投げやりさで、山田が言葉を落とす。眉間に寄った皺が何を意味しているのか、それを教えるものはどこにもない。

 ざりざりと、石の擦れる音が手の内から漏れる。

「貴方は共犯者だ。それも、両方にとって。ですが結局共犯者以上にはなり得ない。儀式を遂行しようがしまいが、貴方は多分どうにもならない」

 ざりざり、ざりざり。黒を追い立てるように、鼓膜に音が響く。自身の手を見下ろしていた山田が、再び顔を上げた。

 山田の黒は、暗がりでもかんなを映す。

「アンタの生を救うために、アンタの娘は存在しない」

 涙が止まる。止まった後また溢れそうになる。答える術を失ったかんなを、山田はじっと映している。

「二十六年前。貴方のご家族が亡くなったのは何故ですか。儀式が失敗して起きるのはただの流行病ですか。再び儀式を行いましたか。貴方が知りすぎていることはノートと帳面の文字、貴方が今日動いたことなどから推察は出来ます。答えがなければ私はなにもせずにただこの儀式の失敗だけを結果としてこの場所を出ます。私がいる意味はほとんどない。貴方から他に聞き出すことを聞いてしまえば、はっきり言ってそれ以上する義理はないんです。ただそれで終わるには、依頼人たちがうるさいものでね。死なせてやろうにもそうもいかないんです」

 一言一言区切るように山田は言った。ゆっくりとした物言いには、問いかけと言い含める調子が込められていた。

 かんなは知っている。すべてが無意味なことを。それでいてわかってしまった。もう本当に、かんなにはどうしようもないのだと。

「……本来、儀式に使われるのは私だった」

 ぽつり、と落とした言葉が鼓膜を通って頭に響く。何度も繰り返したのに、音にすると酷く虚しく、そっけない。あれほど苦しんだ感情をそぎ落としたような声は、自身の薄情さを思わせて恐ろしい。

「十三年ごと。それも人が死ぬような儀式を、よく続けてきたものだと思う。二十六年前、その当時の会長はすでに儀式で孫を失った人でした。もうやめよう。たとえ獣害があったとしても、隣の火野はそれで成り立っているじゃないか。昔なら交通の便から病に対応することが困難だったかも知れないけれど、それだって車があるんだ、なんとかなる。こんな人道から外れた儀式は、現代日本において無意味だと。そう皆に説きました。罪悪感をみんなもっていた。子供は宝です。けれど生きるに仕方ないと目をそらした心に、会長の言葉は染み渡ったのだと思う。説得に時間はかかったらしいけれど、それでもそうしようという話はまとまった。説得が終えるまでの間では儀式の準備がなされ、贄が私と決まって儀式について説明も受けて――それでも、儀式は成されなかった。きちんとみんな、一度全部止めようとした」

 かんなの言葉がぽつりぽつりと積み重なる。山田は黙ったまま動かない。山田がどこまで知っているか見当がつくはずもなく、かんなは幼い記憶をなぞる。

「提灯も飾らず、ただ神社にお許しを乞いました。氏子の代表も、会長も一緒に。その夜はいつも以上に静かで、私はなんとなく落ち着かなくて。そうして、音が鳴った」

「音」

 山田が小さく復唱した。顔を上げられないまま、かんなは小さく頷く。肺の下、あばらの奥で何かが震えるような錯覚を持つ。

「どぉん、と、大きな音。地震のような揺れが、山にこだました。慌てて外に出た先で――全部、覆われているのを見た」

 皮膚がざわざわと落ち着かない。あの黒をなんと言うべきか、かんなには理解できなかった。

 ぐずり、ぐずり。びちゃり。粘性を思わせながらも不定形の巨大ななにか。色のない溶岩というにしても、なにもかも飲み込んでしまうあまりに歪な黒。

 それが、かんな達を見た、気がした。

「それで」

 無機質な声が、続きを促す。ひ、と喉を鳴らしたかんなは、一度強く目をつぶった後見開いた。

「それでもなにもないわ。それでしまいよ!」

 顔を上げてかんなは叫ぶ。ひきつった声が耳をつんざいた。口角が痙攣し、言葉を紡ぐために開いた結果笑っているような泣き叫ぶような奇妙な顔に歪む。

 瞼が震える。鼻の奥が痛む。かんなはあの瞬間を、忘れない。

「お父さんは突然笑い出した。なにかを喚いていた。なにかはわからないけれど怖かった。わめき叫びながらお父さんはその黒を抱きしめるように歩いていったわ。私は動けなかった。お母さんは気づいたら倒れていて、私だけしかいなかったのに、お父さんを止められなかった。お父さんは黒を抱きしめた。抱きしめて――そのまま、おしまいよ」

 早口にまくし立てたかんなの言葉が、最後力を失ったように落ちる。父を抱きしめ返すように巻き付いた黒。骨のひしゃげる音。笑い声と絶叫が重なる。

 その結果は、単純だ。

「ぐにゃぐにゃになった父を置いて、黒はそのままどこかにいった。ぐるりと一周して、他にも会長と氏子の二人、それと赤ちゃんが産まれたばかりの一家族四人が死んだ。黒は神社を廻り、池に戻ったと聞いている。静まりくださいと祈ったけれど、その年儀式はしていない。作物には恵まれて、黒が巡ったからだと言われている。けど、そんなのわからない。母は意識を取り戻しても痙攣するばかりでなにもかもわからなくなっていて、そのまま衰弱するように死んだ。あのときの被害者は皆、病気ってことになっている」

 は、とかんなはそこで息を吐いた。どうにもならないこれから起きる事実を説明することのなんと薄ら寒いことか。そんなかんなの内心を理解しないだろう探偵の表情は、やはり変わらない。

 これから起きることに怯える事もない人間を、かんなは理解しない。出来る訳がない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!