3-7)ライター

 畑の前で山田が立ち止まる。先程よりも日が出た故か、土は大分乾きだしていた。その上では光る滴が葉を時々揺らしている。

 ――ざ、と土が抉れる。

 びくりと横須賀が身を強ばらせた。突然抉れた訳ではなく、山田が足で土を蹴った故に少しだけこんもりと歪な山が出来ている。あ、と小さく声を漏らした横須賀に、山田が振り返った。

「おい、なんかイレモンあるか」

「入れ物……ええと」

 鞄のチャックを開け、のぞき込む。基本的に横須賀の鞄はいつも同じラインナップだ。水筒、ノート、メモ帳、付箋紙、筆箱、ハンカチ、ティッシュ、ファイル。大学時代に比べれば持ち歩く総重量は減っているものの、ノートとファイルで埋まっている鞄の内容自体は変わらない。

 右手の人差し指と中指の背でファイルとノートを撫でるようにし、一冊のクリアブックの上で止める。他を一緒に出さないように気を使いながら、横須賀はそれを取り出した。

 青いクリアブックはリング式なので簡単に外せるのが便利だ。頭によぎる緑に横須賀は眉を下げ、気づかれないように小さく息を吐く。

「これでも良いでしょうか?」

「おう。それにこの土を入れろ」

 山田が先ほどの山を足で少し動かす。それに合わせて視線を動かした横須賀は、落ち着かないとでも言うように顔を上げ二度ほどあたりを見渡した。とん、と山田がつま先で小さく音を立てる。再び横須賀が視線を下げると、土が少し散っていた。

「別に作物パクる訳じゃねえし、テメェは俺の命令聞くだけだ。さっさとしろ」

「え、と、はい」

 地面に膝をつかないようにしながら横須賀がしゃがみ込む。長い足を折り畳むようにしている様は窮屈そうだが、彼の申し訳なさそうな外見にはよく見合った格好でもあった。

 見下ろした山田が、ああ、とそういえばと言うような調子で呟く。

「入れるのは右手にしとけ。意味はねーと思うが念のためだ」

「はい」

 山田の言葉に頷く。元々クリアブックの口を開けるのに左手を使うつもりだったので、そのまま土に右手小指の第二関節から側面につけ、掬うように手のひらに乗せる。

 上下に小さく揺らして手のひらから第三関節あたりにたまるようにすると、そのまま指先に沿うようにしてクリアブックに流し込む。しっとりとしていたが、泥ではないのでどれもさほど難しくないことだった。

「全部じゃなくていい。あともう一枚出しとけ、あっちの畑の土ももらっていく」

「はい」

 山田が示したのは対面の畑だ。残った土は気持ち程度手で押し撫でて元の形に戻し、そちらに向かう。同じように土を得て戻すと、山田は一度あたりを見渡した。

「水はさすがに運びにくいだろうな……手だけ洗ってこい。その青もだ。ただ、流すときはちゃんと見とけよ」

「あ、はい。失礼します」

 頭を下げ、外に取り付けられている水道に向かう。近くの台にクリアブックを二枚置き、蛇口の先端に繋がれているホースを手に取る。すこし泥がホースについてしまうことに眉を下げ、横須賀はあたりを見渡した。

 付近に井戸といったものはないようなので、おそらくこの水道の水が畑に蒔かれているのだろう。改めてホースを見下ろし、ゆっくりと蛇口をひねる。水の流れる音がして、しばらくするとホースからちょろちょろと零れ出した。冷たすぎるわけでもない、普通の水だ。

 あまり出過ぎないように量を調整してから、まず右手を流す。土を水だけで流すといってもそう強く出しているわけではないのだから流れきることはなく、半端に残った泥の感触に横須賀は眉を下げた。

 右手を握り合わせるようにして擦りながら泥を落とすと、その右手に少し水を溜めるように入れる。それからホースが動かないように足下に置いて左手で蛇口を閉めた。

 そうしてから開いた手のひらに、こぼれてしまってはいるもののわずかに残った滴を乗せる。

 ――青が、静かに溶ける。

 混ざるか、浮くか、そのまままだ落ちないか。どれかだろうと考えながらも念のため試した行動は、奇妙な結果を与えた。こすってもいないのに青は滴にゆっくりと消えていく。まるで塩に水をかけたように、色が無くなってしまった。

 右手の水を切り、滴にそっと中指を乗せる。指の腹に押さえられ、水滴がつぶれ――青が少し指の腹の下で戻ったように見え、そっと外す。しかしやはり透明だ。

「遅ぇぞ」

「あ、えっと、色、が」

「消えたか」

 横須賀の言葉に、わかっていたかのように山田が呟く。消えた。確かに溶けたあの姿は、その言葉が似合っているのかもしれない。けれども、完全にではない。

「押さえると、少し色が」

「……あ? さすがに俺の目にゃ無理だが、まあそれもあり得なくもねぇ。とりあえず流しちまえ。ソレに付き合っても無意味だ」

 とっととしろよ、と言って山田が水道から距離をとる。山田の頭の中を横須賀は見ることが出来ない。それでも山田が命じれば従うしかなく、両手を水で流しきった。

 ズボンの尻ポケットからハンカチをつまみ出し、両手を拭く。色が無くなっているのだから当然、そこにはなにもつかない。

「あの」

「土は多分意味ねぇが、持ち帰る。鞄に入れておけ、優先順位は低いから後生大事にはしなくていい」

「あ、はい」

 クリアブックをもう一枚取り出す。マジックを使ってA、Bと先ほどのクリアブック一枚一枚に書き分けるとセロハンテープでとめ、それらをクリアブックに入れてまたそのクリアブックの入り口をセロハンテープでとめる。鞄の奥につぶれないようしまってから、横須賀はメモに『A:代田畑(トウモロコシ等) B:代田畑対面(キュウリ、トマト等)』だけ記載した。

 顔を上げれば、山田が祭り会場の方を見ている。

「……あの」

「ああ、テメェの仕事は別に前と変わらんねぇよ。気にすんな。図書館がないってのも、他の連中の家を漁れないのも厄介だが方法が無い訳じゃねぇんだ」

 おずおずとした声に、山田が答える。確かに調べ物が出来ない状況では出来ることが限られているので、それがなんとかなる、といわれるのは少しだけ安堵するが――けれども横須賀が尋ねたかったのはそれではない。

 しかし、考えるなと言われたのだ。どこまで尋ねていいのかわからず、もともと下がった眉をさらに情けなくしながら、横須賀はその小さな黒目をきょろきょろと動かした。

「……そういやテメェ、火、持ってるか」

「ひ?」

 きょとり、と横須賀は瞬く。持っているようには見えねぇな、と山田が呟き、横須賀はようやくその意図を理解して頷いた。

「すみません、持ってません」

「だろうな。まあいい、俺が持ってる」

 山田が尻ポケットから取り出したのは、ジッポだ。一緒にはみ出た煙草はもう一度奥に仕舞われる。そうしてからジッポを横須賀に見えるように持って、蓋を弾く。ジ、と火を出した山田はそれをサングラス越しにすがしみてから、音を鳴らすようにして蓋を閉めた。

 手の内でくるりと回ったジッポが、元の場所に仕舞われる。

「煙草」

「あ?」

 一連の動作を見ていた横須賀の呟きに、山田が眉をひそめる。といっても不愉快そうに、ではなく、どちらかというと単純に聞き返すような、訝しむような表情に近かった。片眉だけがぴくりと動いたのとその声に、横須賀は自分が呟いていたことに今気づいたかのような様子で「あ」と短く声を漏らした。

「吸われる、の、知らなかったので」

「ああ、まあ量は吸わねぇしな」

 横須賀の言葉に、山田はあっさりと返す。横須賀の前で山田が吸っていない、だけでなく、そもそも机に灰皿を見たことがなかったので横須賀にとっては意外だった。台所に仕舞っているのだろうか? そちらはまだあまり把握していないので、可能性はあるかもしれない。

 山田のそばに、一歩分近づく。すん、と香りをかげば、整髪剤の匂いがわかる。

 煙草の香りは、しない。

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