1-10)資料係

 図書館に着いて山田が向かったのは、新聞のコーナーだ。司書に尋ね半年分をまとめて机に載せ、それから広報誌と病院の会報誌を同じように並べる。

「さて、出番だ資料係」

 口角をつり上げ、山田が横須賀を見上げる。

「精神病の民間療法、口コミ、新山病院の評判、オミドリサマ。関連する記事を探せ」

「この中から、ですか?」

「期間は半年に絞っている。水関係の記事は、なければちょうど良いが――まあ、あるないだけでいいからざっくり目を通せ。あと赤月に繋がることがあればそれも教えろ。俺はこっちを読む」

 山田が示したのは半年分の会報誌だ。しかしそれは病院のものではなく、NPO法人の出している雑誌のようである。深海と宇宙と地域振興と書かれているその雑誌には馴染みがないが、支部と書かれているので意外と規模は大きそうだ。

 それでも山田の量と横須賀の量は膨大に違いすぎる。

「どこになにがあるかはわからねーし無いかもしれねえ。てめぇの目で見つけろ。それができるだろ、お前は」

 言葉に、横須賀は頷けない。探すことは出来る、が、山田はここに来る前、夕方までと言っていた。その短い間と考えると、途方もないように思える。

「まかせたぜ、ワトスン」

「……わかりました」

 にやり、と口角をつり上げて言われ、横須賀は結局神妙に頷いた。ワトソンは医者であるが、調べ物を頼まれたりすることはそうない。あるとしたら医学的見解くらいで――しかし、そもそもシャーロックはすべてにおいて洞察力と知識量に優れた天才だ。

 けれど、山田の示すワトスンはそういうことを言っているわけではない、ということくらいは、愚鈍な横須賀にだって分かることだった。

 横須賀は本の登場人物のような力どころか、他人と比べて自分になにか優れたものがあるとは思っていない。ただ本を読むことが苦痛ではなく、小さい頃からずっと文字を追うことが一番近かっただけだ。そう、家族よりも誰よりも、横須賀の近くには文字があった。人と会話するよりも、文字を追いかけることの方が横須賀にとっては自然だった。ただそれだけで、愚鈍であり記憶力にも特筆する場所のない横須賀は、なにも特別になれることなどなかった。

 それでも、山田は横須賀なら出来ると言った。横須賀に頼む相手からは、聞いたことのない言葉だ。出来たらやっといて、ついでに、どうなってるの、ラッキー。そういう言葉で横須賀は頼まれることが多かった。すごい、という賞賛は本や資料に向けられたもので、もし横須賀に向けられるとしたら時間をかけたことへの感謝の言葉だ。数人だけ、横須賀の能力が凄い、横須賀だからと言ってくれた人もいて、だからこそ司書を以前志していた。結局就職することは叶わなかったし、そもそも就職活動自体を途中で諦めるような状況になってしまった横須賀にとって、その言葉は当時はあまりに綺麗すぎて、沁みることなく器に抱えて仕舞っていた。

 使ってもらえて嬉しい。本を作る人は凄いな。役立てるならいいな。そういう感情を横須賀はいつも心に抱いていて――そして山田は明確に、横須賀の力量を目の前に提示した。横須賀には無理かもしれないと思えるようなことを、なんてことないように出来るだろう、と。等身大かそれよりも少なくしか求められなかったことを、今、別の形で横須賀は求められている。

 それに対して出来ない、と言うことは、ひどく、ひどく勿体ないことに横須賀は思えてしまった。

 椅子に座り、横須賀は鞄からノートを取り出す。それから小さい細長い付箋と、メモを十分書ける正方形サイズの付箋、筆箱、ルーズリーフ、電子辞書。電子辞書は机の真ん中あたりに置いて、付箋は左手側すぐ近く。右手側にはノート、ルーズリーフ。ノートの真ん中に三色ボールペン。ノートの外、上側に蛍光ペン。そういう準備をしてから、まず横須賀は地域の広報誌を開く。月に一度出る薄い冊子は、全部に目を通したところでさほど時間はかからない。ペットや行方不明、事故、新生児、死亡欄については新山、赤月、緑、精神病といった文字が出ない限りは読み飛ばす。学校行事や地域のイベントごと、コラムなどは一通り目を通して置く。外国人については教員でもなんでもとりあえず出た名前を四角い付箋にメモをして、いったんノートに貼る。同じように新山、赤月、緑、精神病といったキーワードについてもだ。付箋の色は人名は黄色、病名、事件、その他で分ける。水については広すぎるので、場所、行事、季節でざっくりと色を分けてまとめる。

 月間行事については裏表紙に乗っていたので読み終わった雑誌は伏せて置く。たった六冊なのでこれだけではさほど時間は掛からない。次は量の少ない病院の会報誌だ。

 ルーズリーフの紙を二枚増やす。新山病院についての説明があるページには付箋。出てくる医者の名前はすべて書き出してノートに貼る。精神病についての記事があれば青い付箋。他の病院の会報誌に乗っている新山病院の話題は緑の付箋に簡易メモ。日付や行事などがあればそちらもメモして、時間軸ごとに貼っておく。

 ざっくりと書き出したら人物やキーワードごとに付箋をノートに貼り直し、増えたキーワードを頭に入れた上で新聞に取りかかる。

 新聞をすべて読むのは無謀だ。与えられた資料がほとんどローカルであり、新聞自体もローカル新聞であることから一面に乗るような全国ニュースはタイトルだけで判断して読み飛ばす。人名については正直横須賀は全員を見つけることが出来る気がしないので、医者や看護士と明記されない限りは一般的に多い名字は諦めることとした。優先するのは新山や赤月という名前。他に目が拾いやすい名前も一応頭に入れておく。読む、というよりは見るという形は、見つけるときには便利だが読み飛ばして仕舞うのが難点だ。しかし全部読んでいたらさすがに終わらない。

 地元投稿者によるコラムなどはざっくり目を通す。書き出した日付と同じ新聞のものは特に慎重に。どれが必要な情報か分からないのでとにかくメモするしかない。本当なら書き込みをしたり切り取れたりすればいいのだが、図書館の物なのでコピーすら自由にできないのだからこうするしかないのがもどかしい。それでも必要部分だけコピーすることは可能なので、メモ自体は簡易に、短く、わかりやすく。意識することはそれだけで、あとは横須賀自身の思考はいらない。作業に思考を混ぜればどうしても手が止まる。基準さえ決めてしまえば、あとは機械的に処理できる。

 は、と横須賀が息を付いた。ペンを止め、左手の平で瞼を押さえるようにしてこする。丸まっていた背筋と首を伸ばせば、横須賀の内側でごり、と音がする。少し熱を持って痛みを感じる右腕を左手でなでると、横須賀は新聞を左手側、机の中央にまとめおいた。それからノートとルーズリーフと付箋を自身の前に置く。ルーズリーフに散った付箋をカテゴリごとにまとめ、ノートに貼り直す。マーカーでところどころラインを引き、ボールペンでメモを追加するところまで終えたら、今度はノート自体に小さな付箋をしおり代わりに貼る。そうまでしてからようやく、横須賀は山田を見た。山田は肘を突いた左手に頬を載せていたが、横須賀が山田を見ると椅子に背を預け足を組む。

「終わったか」

「一応、簡単にですが。こちらです」

 横須賀がノートを渡すと、山田は受け取りページをめくる。時計を確認すれば十六時十二分。既に夕方、ではあるが、日は落ちていないし夜にはまだはやい。

 横須賀が安堵したように息を吐くと、山田が横須賀を見上げた。

「三月二十二日、四番。五月五日十二番の記事をコピーしろ」

「あ、はい」

「それと広報誌の三月九番。150%でコピー」

「はい」

 150、と小さい付箋に書いてメモし、該当する記事と広報誌を手に横須賀が立ち上がる。山田は残った新聞と広報誌をひとところにまとめ、ぱらぱらとめくりだす。

「後はいい。付箋は外しとく」

「有り難うございます、お願いします」

 頭を下げて横須賀はノートに貼った付箋でページと場所を確認すると、コピーの申請に向かう。許可をもらうこと自体は簡単だ。なおかつ対象の記事は少ないので時間をかけることはない。一部ずつコピーすると、山田はノートを開きながら付箋を外していた。

「戻りました、こちらコピーです」

「おう」

 山田が横須賀の渡したノートにコピーを挟む。

「クリップ入ります?」

「あー、そうだな。よこせ」

 筆箱からミニクリップを取り出し渡すと、山田はそのコピーを裏表紙に挟んだ。横須賀は座りながら新聞の中や雑誌の中に付箋が紛れてしまっていないかざっと目を通す。新聞のようなわかりにくい物には挟んでいなかったし、雑誌自体も借り物なので基本場所をメモする形であまり付箋を挟み込んではいなかったから大丈夫とは思うのだが、紛れないことがないわけでもない。

 山田がノートを閉じ、立ち上がる。

「病院に行くぞ」

「あ、はい。返却してきます。付箋ありがとうございます」

 山田によってぐしゃぐしゃに机にまるめられた付箋を片づけて、横須賀は頭を下げる。それから新聞と雑誌をまとめなおし、返してきます、と一言伝えてカウンターに向かった。職員に礼を言って戻ってくれば、また山田はノートを開いて待っていた。

「お待たせしました」

「おう。とっとと運転しろ」

「はい」

 山田がノートを閉じる。図書館の地下駐車場に止めていたのでそちらに向かいながら、山田の手の中のノートを横須賀はちらりと見た。クリップと付箋のはみ出たノートは、山田の小さな手に支えられてそこにある。大切に、という意識は山田にはないだろうが、それでもするりとした細い指が自身のまとめたノートに添っているのを見ると、横須賀はほんのすこし幸せを感じる。必要なこと、に足りたのだろうと予測できるからだ。

 誰かの手に、自分の調べた物があるということは横須賀にとってささやかだが確かな喜びである。これまでに何度と無く繰り返した行為は、こうやって目に見える形で横須賀に喜びを与えてくれる。調べたいと思う人と、その人が求める知識を結ぶことができるのは幸せなのだ。知識を記した人の力であり、調べたいと願った人の形であり、それらはすべて横須賀には関係なく、横須賀自身の成果ではない。それでも役に立てた形を、ひっそりと横須賀は喜ぶのだった。

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